7 ブラックジャック洞穴ーその1
「う〜、いたた…」
セレスティンは歩きながら、痛む太ももの裏をさする。
昨日の訓練が効いている……身体のあちこちの筋肉が悲鳴を上げていた。
(たったあれだけの訓練で筋肉痛になっただなんて、イネスには絶対に言えない…)
「大丈夫? どこか怪我でもした?」
エリスが心配そうな目でのぞき込む。
「大丈夫。なんでもないの……昨日ちょっと、新しい鍛錬を始めたら筋肉痛なだけ……」
「そう、筋肉痛なら平気ね」
エリスはホッとした顔をセレに向けた。
「ランチをたくさん作って来たわ。イネスさんの分も足りるくらい」
エリスは今日がイネスとの初顔合わせだ。
「お母さん、許してくれて良かったね」
先ほど迎えに行ったエリスの家で、『くれぐれも危ないことはしないように!』と釘を刺されて来た。
エリスが母に、『私が行かないと、セレが男の人と二人だけになっちゃう! 大事な恩人のセレさんに、そんなことさせるわけにいかないでしょう!』と説得したことは、このさい秘密にしておこう。
秋晴れの朝、夜明けと共に三人は冒険者ギルドの前にいた。
ギルドに頼んで借りた荷馬車は二頭立てで、荷台にはきちんと雨よけの幌も張られている。
赤毛の冒険者セレスティンと、その親友のエリスライン、他国から来た冒険者のイネスは朝焼けの中で挨拶を交わした。
「初めましてイネスさん。エリスラインです。エリスと呼んでください」
「はじめまして、エリス。俺のことはイネスで」
「イネスさんはどちらのお生まれなんですか?」
「……生まれは、スリ・ロータスです」
「そういえばイネス、前に “スリ・ロータス” の王族に剣を賜った、って言ってたわね」
「城門が混まないうちに出発しようか。手綱は俺が握っても?」
セレスティンが思い出した言葉は、あっさりと話の腰を折られた。
なんだか、イネスは話したくなさそうだ。あまり根掘り葉掘り聞くのはやめておこう。
「そうね、じゃあ疲れたら、あたしと交代で。とりあえず今日は東門から出ましょう」
御者台にはイネスとセレが座り、エリスは荷台に敷物を敷いて腰掛けた。
「エリス、眠かったら寝てていいからね。馬に水をやる時起こすわ」
「ありがとう、セレ」
行きに一日、中一日、帰り一日と三日休みを取るために、お針子の仕事を詰めてやって来たはずだ。眠いに違いない。さっき、口元を隠して生あくびをしていたのを見逃さなかった。
開いたばかりの東門を出て、街道をまっすぐ東へ向かう。
「エリスはね、水系の魔石が得意なのよ。ここ、って言う場所を威力のある水流で掘っていくの」
「セレは、どんな魔石が得意なんだい?」
「あたしはね、なんでもそこそこなんだ。特にこれがすごく得意、ってものがないの、残念だけど……」
「ふうん、なら俺の持ってる『増幅石』があれば、結構いいかもしれないね」
「そうなのよ! あれって、この国ではあまり聞いたことがないんだけど、スリ・ロータスでは普通なの?」
「割とみんな使っているかな……」
「そうなの……どこかで、手に入らないかしら?」
「あの近隣の国には、出回っていると思うけど……この国に来てからは見てないかな……」
「イネスは、この町に来る前は王都に?」
「セレは王都に行ったことあるの?」
逆に訊き返されてしまった。やはり、自分のことは話したくないらしい。
「王都っていいわよね! 華やかだし、魔石を扱う店もたくさんあって! あたしも父に付いて一度行ったわ!」
そこからはほとんど、セレスティンが一方的に喋っていた。
(きっと、随分口が達者な女だと思われたでしょうね……)
イネスは御者台で、話が尽きないセレにほんの少し呆れたが、不思議と嫌ではなかった。むしろ、自分に根掘り葉掘り訊かないよう、気づかっている気さえした。
途中、馬たちのために休憩を入れる。荷台のエリスにも一応声を掛けたが、よく眠っているようだった。
昼の休憩には、エリスをしっかり起こして、彼女が持って来てくれたランチを三人で食べた。
「これは、朝作って来たのか?」
「……うん。でも、母さんがみんなの分も、って手伝ってくれて……」
エリスが少し恥ずかしそうに、イネスに答える。
「優しい母君じゃないか、いただくよ」
(母君って…以外といい生まれの人なのかしら……?)
エリスはチラリとそんなことを考える。
薄切りにしたパンにハムとチーズを挟んだものと、季節の梨のジャムを挟んだ物、どちらも美味しかった。
「お茶を淹れるね」
セレが持参したヤカンにエリスが水湧石で水を入れる。そこへ沸騰石を入れて湯を沸かし、茶葉を投入。いい香りが立って来たら、カップに茶漉しを載せてお茶を注ぎ淹れる。
『熱いから気をつけて』と言いながら渡されたお茶は、なかなか美味かった。
こんなふうに何の疑いも持たず、人から親切にされるのが、この赤毛の娘に会ってから当たり前のようになってしまっている。
陽がすっかり傾いた頃、ブラックジャック洞穴近くの宿屋に着いた。
民家を改築したこぢんまりとした宿屋で、そこはセレの定宿であるようだ。
中年の夫婦が二人でやっている家庭的な宿屋だった。
「セレちゃん、エリスちゃん、よく来たね」
宿の主人が迎えてくれて、馬車を裏に回してくれる。
「おじさん、おばさん、こんにちは!また来ちゃいました!」
セレは早速飛び出して、挨拶している。
「おや、今日は新しい人を連れて来たね。どっちかのいい人かい?」
「やだ、おばさん! そんなんじゃないの、この人は私のお客さんだから!」
軽口を叩けるくらい、それなりに親しくしているらしい。
「おじさん、おばさん、こちらイネス・バロッティさん。ブラックジャック洞穴探索の案内を頼まれたの」
「イネスです。よろしく」
「そうですか。ここは特に日が差してからがいいんですよ。光がフロー石に反射してね、それはそれは綺麗なんです」
「そうですか、それは楽しみです」
イネスはそう言うと笑顔を作った。
(この人、そんな社交辞令も言えるのね……)
セレスティンはイネスの横顔を見ながら、そんなことを思った。出会ってから今まで、そんなことを言うのを聞いたことがなかった。
(あたしのことは、会ってすぐ大笑いしたし……でも、あっちが “素”よね、たぶん)
セレスティンはイネスが、思った以上に自分に “素” を晒しているのに気づいていない。彼にとってはこちらの方が通常運転なのだろう。
秋の陽は急ぎ足だ。日が落ちるとすぐに、空は星の絨毯に取って変わった。
三人は暖かい宿で、温かいもてなしを受けた。
翌朝、刻を作る雄鶏の声に、目が醒める。
キッチンでは、朝食を作る湯気が上がっていた。
セレスティンが顔を洗いに井戸へ出ていくと、鶏と山羊に餌をやっていたご主人が駆け寄って来た。
「セレちゃん、大変だ。さっき、あいつらがここを通って行った」
「えっ? あいつらって、この前もその前も、あたしたちの見つけた石をぶん取った奴らってこと?」
「そうだ……まったくあいつら、ここんとこずっと増長してきて、人数も増えてるし、片っ端から探索者を脅してやがる……どうする、セレちゃん?」
地元の大切な収入源である洞穴なので、自警団を作ってはみたが、人手はあまり足りていない。前にも増して奴らは人数を増やし、集団で脅してくる。
「どうしよう……」
「どうかしたのか?」
変わった魔石の匂いと共に、低い声が後ろから響いた。
「イネス……」
朝食のテーブルを囲みながら、エリスはため息をついた。
(ついてない……また、あんな奴らと居合わせるなんて……)
前回鉢合わせしたときは、危なかったのだ。
「どこかに見張りでも置いているのかねぇ」
おばさんが気の毒そうな目線を送ってくる。
“あんな奴ら” にはリーダーがいる。
まだ二十代前半くらいなのだが、やたらイキがっている。その分始末が悪い。
仲間から “テオ” と呼ばれているその男は、なぜかエリスを気に入っているらしいのだ。
前回遭遇したときは、結婚を迫られた。揶揄っているだけだろうとは思うのだが。
「エリスちゃんよぅ、俺と結婚しねえか? 俺、結構稼いでるぜ、なあ……」
「絶対に嫌ですっ!あなたが稼いでいると言うのは、他人様から奪い取った物じゃないですか!」
「金になりゃあ、同じだろ? 俺だって、こうして体を張って働いてるぜ」
『基本的に、生きる矜持が違う』のだ。それがあの男にはわからないらしい。
「何人ぐらいなのですか、奴らは?」
イネスが主人に尋ねる。
「今日は馬車一台だったな。急いで人数をかき集めたんだろう」
「では、多くて五、六人というところでしょうか?」
「おそらくは。こちらもさっき、自警団に言伝ておいた。だが、それほどの人数は期待できない。二人、剣を使える者が来てくれるかどうか……」
「三対五、なら何とかなるかもしれませんね」
「イネス、その三に、あたしとエリスは入っていないということ?」
「無論です」
即答したイネスにちょっとむかつく。セレとエリスは不満げな顔を見合わせた。
「そんな、守ってもらうだけなんて……私だって水魔法で戦います!」
「そうよ、あたしだって、剣を持って戦えるわ!」
「君たちには大事な役割があります」
イネスが二人を見据えて言った。
「二人には、そやつらをおびき寄せる “餌” になってもらいます」