6 訓練
「俺が泊まっている宿、本当は一晩、銀貨二十五枚だそうだな……何故だ?」
イネスの言葉に、セレスティンがバツの悪そうな顔をする。
「あ、もうバレちゃったかー。聞いちゃったの? イネス」
「差額はお前が出しているそうじゃないか。悪いが、もうあそこには泊まれん。ギルドで他の宿を紹介してもらった」
「気にしなくていいのにー」
「……気にするだろ。普通そんなことされたら、どんな下心があるのかと思うだろう?」
明日のブラックジャック洞穴探索のための打ち合わせで、宿の近くの店で昼ご飯をつつきながら、イネスとセレスティンは向かい合っていた。
「で、何故だ?」
「う〜ん、そんな大したことじゃないんだけど……。あたしと相棒のエリスはさぁ、魔石探索は得意なんだけど、弱っちぃから、いつも途中で他の奴らに邪魔されちゃって。強くて魔石に詳しいメンバーが欲しかったのよ」
「……それだけか?」
イネスはじっと赤い髪の娘を見た。
右手に持ったフォークで料理をつつき回しながら、少し頬を赤らめて目を伏せている。
「……それに」
セレが言いかける。
「それに?」
「……あなたに興味があって……」
イネスは努めて平静を保ちながら、セレを見つめる。
伏せていた水色の目が、こちらに向いた。
一瞬、まともに目と目が合ったが、イネスは素早く視線を後ろにずらした。
「俺になんか興味を持つな、ろくなことにならない。……で、強くなりたいのか? 剣を教えて欲しいとか?」
「教えてくれるの?」
「教えてもいいが……金はもらうぞ」
「いいわよ! 払うから教えて!」
「……とりあえず、払ってもらった宿代の分は教える」
セレスティンはほっとした。
宿代を肩代わりしているのがバレて、変な目で見られるかもしれない、万が一迫られでもしたらどうしよう、と慌てたのだが、『剣を教えて欲しいとか?』と向こうから提案された。
今までちゃんと剣を習ったことはなかった。女の子が通えるような剣術学校はないし、もし入れても、両親や祖父に止められただろう。
だが、歴戦の達人のようなこの男が、剣を教えてくれるというのだ。願ってもないことだ。
「じゃあこの後。食べすぎるな、吐かれたらかなわん」
(吐かれたら…って。どれだけ厳しい訓練をするつもりなの?)
セレスティンとイネスは食事もそこそこに、明日の待ち合わせ場所などを決めた。
冒険者ギルドで、荷馬車を貸してもらえるよう頼んである。エリスも来るので、三人なら荷馬車がいいと判断した。
ブラックジャック洞穴はそれほど遠くはないが、馬車で一日はかかる。
打ち合わせを兼ねた食事を済ますと、一番近い町の南門へ向かった。
「えっ、このまま城壁の外へ行くの?」
セレスティンの問いに、
「町中で、剣を振り回すわけにはいかないだろう」
と返事が返ってくる。
「だって本物の剣で練習なんて、危ないじゃない」
と言うと、
「どこの世界に、木剣で襲って来る盗賊がいる?」
と呆れた顔をされた。
城壁を出て、農地を横切り、まばらに木が生えた丘陵で、やや間隔を開けて向かい合う。
「剣を抜いてみろ」
と言われて、いつもの剣を腰から抜いた。セレスティンの剣は扱いやすいように、やや短めだ。重さもさほどない。
「まずは腕を知りたい。打ち込んで来てくれ」
「えっ、打ち込んでいいの? だってイネスは何も手に持ってないじゃない!」
イネスの長剣は背中に背負ったままだ。
「大丈夫。短剣ならある」
「そんな。本当にいいの?」
「大丈夫だ」
「そんなに言うなら……」
セレスティンは右足を横に開き、左足に重心をかけて腰を低くし、剣を構えたままイネスに向かって突っ込んだ。
「あれ……?」
突っ込んだ場所にイネスの姿はなく、後ろから声がした。
「そこで目を瞑ってはダメだろう。ちゃんと見ろ」
「えいっ!」
向き直って、今度は右上からイネスに向かって剣を振り下ろす。
するりと、また避けられた。
けっして早い動きではないのに、こちらの動きを見切って避けているのだ。
三度、四度と打ち込んでみるが、イネスは短剣を抜く気配すらない。
十回ほど打ち込んだところで、息が上がってしまい、制止された。
はあはあと肩で息をしていると、
「わかったかな?」
と問われる。
「わ、わかったって…はぁ、はぁ、何が?」
「セレの動きは、無駄ばかりだ」
「くっ!」
むっとして手が出てしまう。が、その手を掴まれた。
「落ち着け。興奮した頭じゃ、何も考えられないぞ」
秋の冷たい風が二人の間を抜けていく。
「明日まで時間もないし、剣術はいきなり上達しない。少しだけ防御感覚を身につけよう」
イネスは背負っていた剣をおろして、巻いていた布を解き、腰のベルトに佩く。剣を巻いていた布を両手でギュッと細く引き絞って、言った。
「セレ、目隠しをするがいいか?」
「え?」
「視覚を遮って、他の感覚を磨く訓練だ」
「ええ、わかったわ……」
イネスはセレスティンの後ろに回ると、手に持った布で目の上を塞ぎ、頭の後ろで縛った。
(何も見えない……ちょっと、怖い……)
風の音がヒュウ、ヒュウと耳の中で鳴る。
ザクッ、と足元の砂が音を立てた。
ぽん、と軽く頭に触れられた。
「いいか、俺は少し離れるが、剣で切りつけたりはしない。次に俺が近づいたら払い除けてみろ」
頭の後ろでイネスの低い声がした。
ザク、ザク、ザクとイネスが歩いていく音がする。
遠ざかるにつれ、あの魔石の匂いも遠ざかった。
ふと、匂いがしなくなった。あれ? と思うと、反対側から足音が聴こえた。
(そうか、風下……!)
セレスティンは風を背に足場を変えて、やや姿勢を低くする。
ザ、ザ、ザッと走り込む足音…
闇雲に腕を振った。パシッと手を払い除けた。
また遠ざかる足音……駆け寄る足音、それを繰り返し払い除ける。
二人の攻防が続く。
風がブワッと強く吹いた。木立を揺るがす風の音と、はためく自分のフードの音。一瞬、方向感覚を失う。その瞬間、あの魔石の匂いが至近距離で匂った。
ドンッ。激しく両手でイネスを突き放していた。
「ハハッ、やるじゃないか!」
楽しそうなイネスの声が響いた。
「あとは基礎訓練だな」
とうに身体は熱く、服の下は汗だくになっている。
「ま、まだやるの?」
セレスティンは目隠しを解いてもらいながら、イネスに問いかける。
「まだって…まだ、それほど動いてないだろう?」
イネスの目には、物足りなげな光が宿っている。なんだか、楽しそうではないか……
それから、筋肉をほぐす柔軟とスクワットを五十回ずつやらされた。
「明日に差し支えるといけないから、軽めで……」
と言ってくれたが、間違いなく明日は筋肉痛だと思う。
最後は『ここから宿まで走って帰る』と言う。
さすがに “町中を走るのは、怪しまれるからやめて” とやめてもらった。
イネスは『鬼教官』の素質があると思う、絶対に。