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番外1 ヘリオス・ベリルの帰還

スリ・ロータスの王子ヘリオス・ベリルが助け出されて、故国に還ってからのお話を番外編として書き足しています。

 長い船旅の果てに、ようやくそれは島陰(しまかげ)(あらわ)した。


 船のデッキで今か今かと陸地が近づくのを見張っていた見張り台の上の男が叫んだ。

「陸地が見えたぞ!」

 その声に、甲板の上は一気に賑やかになった。


 船は最終目的地スリ・ロータス島の港に入港した。

 スリ・ロータスの首都ラプナプラは港湾都市だ。岸壁は砲台が築かれていて、海からの攻撃に耐えられるように作られていたが、ヘリオスが五歳になったばかりの頃、大陸のムガロア帝国に侵略された。今はムガロア帝国の支配下にあるため、砲門は外されてしまっている。

 現在のスリ・ロータスはムガロア帝国の一領地として、魔石と宝石取引による莫大な収入の大部分をムガロア帝国に納めている。そうすることで、スリ・ロータスの王族は生き存えることができたのだ。


 港から聖なる河の河口をやや遡ったところに王宮がある。白亜の王宮は昔のまま、その姿を保っている。

 ヘリオスとセレは、港から乗合馬車に乗り、王宮の近くまで来た。そこで宮殿を眺めてから、いったん知り合いの家を訪ねることにする。

『帰って来た』と言っても、歓迎されるか否かはまだわからないのだ。

 やや奥まった古い住宅街に、かつては栄華を誇っていたであろう古い屋敷があった。ヘリオスの母方の実家である。彼が国を脱出するさいも、母の父、つまりは祖父に大変お世話になったのだ。


 当時立派(りっぱ)だった庭園は面影もなく、木々がすっかり伸びて生い茂り、やや建物を侵蝕している。庭の門戸を開けて、中に入って行く。

 枯れ葉が入り口へと続く石畳を覆い、物悲しい雰囲気がある。

 それを踏み締めて、両開きの扉の前に立った。

 扉を装飾していた金属の装飾は剥げ落ち、木製の扉の色も陽に焼けてくすんでしまっている。


 ドン、ドン、ドン、と扉を叩く。

 人の気配がしない……もう誰も住んでいないのだろうか?

 もう一度、叩いてみた。

 風だけが茂った庭木を揺らして、ざわざわと通り過ぎて行く。


「どなたですか……?」

 不意に後ろから声がした。

 振り向くと、エプロン姿の黒髪の若い女性が、買い物カゴを持って立っていた。

 この家の家族か、使用人だろうか?


「すみません、わたし、怪しい者でない。あなた、ここのひと?」

 セレは女性に話しかけた。ヘリオスに教わってはいるが、まだこちらの言葉はうまく話せない。


 変わって、ヘリオスが話しかけた。

「私はこちらに住んでいた者の親戚です。長いこと旅をして今日戻って来たので、ご挨拶に参りました。お祖父様はおられますか?」

「お、お祖父様……?」

「はい、以前、こちらに母方の父が住んでおりました」


「え……まさか……?」

「私は、ヘリオスといいます」

「……ヘリオス、殿下……」

 ドサっと音がして、彼女が持っていた買い物カゴを落とした。彼女は慌てて頭を下げた。


「し、失礼をいたしました。私はこの家の使用人でカミラと申します。ご主人様は、体調を崩されてお休みになっております」

「そうか、お祖父様はご健在なのだな? よかった……」

「はい……どうぞ、お入りください」

 そう言って、彼女に案内されて家に招き入れられる。

 セレはカミラが落とした買い物カゴを拾うと、ヘリオスの後に続いた。


「何も、身分を証明するものがないんだが、大丈夫かい?」

「はい。その、お目が……金色でございますし。そのようなお色の方はこの国では王族しか、いらっしゃいません。それにラジャ王妃様のお髪と同じお色で、とても似ていらっしゃいますので」

「そうか、そう言ってもらえると助かる。お祖父様には会えるかな?」

「お休みになられているかもしれませんが、どうぞこちらへ」


 屋敷の奥まった部屋のドアが開かれると、天蓋のついたベッドで眠っている老人が見えた。

 白髪にはなっているが、カールした髪がヘリオスと似ている。

 ヘリオスは、持っていた荷物を置くと来ていたマントも脱いだ。

 静かにベッドに傍に立つと、声を掛けた。


「お祖父様、ただいま帰りました」

 静かに眠っているように見えた老人は、一度大きく息を吸うと、フゥーッと吐き出した。僅かに双眸(そうぼう)に光が差した気がした。


「誰じゃ、カミラか。帰ったのか?」

 意外にはっきりした声だった。

「お祖父様、ヘリオスです。ただ今帰りました」


 一瞬の後、顔が素早く動いてヘリオスを見た。


「おお…………ヘリオスか……」

 今やその双眸は大きく見開かれ、ヘリオスを見つめている。

「その声……確かにお前じゃな」

僅かに嬉しさがにじんだ声が、痩せ細った老人の口から絞り出された。

ヘリオスの表情にも込み上げる懐かしさや、変わってしまった祖父へのいたわりの気持ちが浮かんでいる。そんな気持ちを抑えるように、礼を失することがないよう言葉を選んでいるのがわかる。

「お祖父様におかれましては、ご健勝のこととお喜び申し上げます」

「そのような挨拶はよい……よく顔を見せてくれぬか」

老人はそう言ってヘリオスの方へ腕を伸ばした。ヘリオスは伸ばされた手が届くように片膝を折って屈み込む。


「随分とご無沙汰してしまいました」

「帰って来たのじゃな」

「はい、港からどこへも寄らず、こちらへまっすぐに参りました」

「……そうか」

伸ばされた老人の手がヘリオスの頬に触れる。

「おお、元気そうではないか」

 そう言うと老人は、その皺の刻まれた顔に笑みを浮かべた。

「立派な男になったのう。お前の母にもみせてやりたいのう……」

「母上は、まだムガロアに居られるのですね、妹たちと共に」

「ああ、わしに(ちから)がないばかりにな……」

「お祖父様のせいではありません……」

 二人の言葉には苦悩が滲んでいるようで、僅かな言葉のやり取りの間に、過ぎてしまった年月を感じた。

「悪いが、起こしてくれぬか」

 祖父に言われてヘリオスが老人の肩を支えて身を起こす。女中のカミラがすかさず主人の背にクッションを当てていく。


 身を起こした老人はふと、老人の目が孫息子の後ろに立っている女に気がついた。

「……ヘリオス、そちらの女性を紹介してくれぬかの?」

 警戒している目ではない。孫息子が連れて来た異国の女性なのだ、ただの関係ではないということを察したのだろう。

 その言葉に、ヘリオスはセレを振り向いてそちらへ手を伸ばした。軽く手を握って自らの隣に引き寄せる。カチンコチンになったセレがぎこちない動きでヘリオスの隣に立った。


「お祖父様、こちらは私の婚約者のセレスティン・ピアースです」

 セレはどうしたら良いのかわからないまま、つい自分の生まれた国の作法のまま、着ていた服の裾あたりをつまんで軽く膝を折った。

「お初にお目にかかります。お目にかかれて光栄でございます」

急に話を振られて慌てながら、とりあえず挨拶をせねばと言葉を捻り出した。


「セレ、こちらは私の祖父のフェルナンド・ラジャーナンダ様。母方の祖父にあたる方だ」

「フェルナンドさま、セレスティンです。末長くよろしくお願いいたします」

 セレはああそうだと思い出して、以前ヘリオスに教わったように(ひざまづ)いた。そうだった、この国では女性が目上の男性に挨拶するときは、跪くと言われたのだ。思い出してよかった……目線を下げながらホッとする。


「お嬢さん、よく来たね。ヘリオスの嫁に会える日が来るとはな……長生きはしてみるものじゃ……」

 老人は嬉しそうに頷くとセレをまじまじと見た。

「異国の女性か……お嬢さんのお国はどちらかな?」

少し値踏みをするような目に、内心ドキドキしながら答える。

「大陸の西の果てのディヤマンド王国です。ご存知ですか?」

「……ディヤマンド、それは随分と遠くから来られたね」

「ご存知なのですね、嬉しいです!」

「ヘリオスにはディヤマンドで出会ったのかな? まあそれはおいおい聞くとしよう……カミラ、カミラはおるか?」

感動の再会の後ろで控えていたカミラがススっと出てくる。

「はい、ご主人様」

「悪いがな、ナジルの所に使いに行ってくれぬか。わしが呼んでおると言ってな。頼んだぞ」

「はい、かしこまりました」

 カミラは慌てて部屋を出て行った。


「ナジル叔父さんは、お元気なのですね」

「ああ、何とか生き延びておる」

「そうですか……妹たちはみな、ムガロアに嫁がされたと聞きましたが、下の二人の弟はどうしているのでしょう?」

「あの子らは……ビスクルワはムガロアにおる。エルカリアはまだ若いので、王宮におる筈だ」

「……そうなのですか」

「あの子らはまだ小さかったからのう、何もわかっておらん。すっかりムガロアに洗脳されてしまった……」


 * * *


 セレはヘリオスのお祖父様の家の、急ぎ用意された部屋に通されほっと一息ついた。


(ここまで、本当に長かった……)

 ヘリオスと知り合ってからここまで、まったく飽きることのない冒険の日々だった。楽しい思い出ばかりでなく、悲しくて苦しい日々も長かったのだが、こうしてここにいる。

 そしてこの冒険の旅は、まだまだ終わりそうもないのだ。


 久しぶりに湯船に水を入れて、沸騰石でお湯を温めている。ゆっくりお風呂に入れそうだ。

 ヘリオスは、後からやって来たナジル叔父さんとお祖父様と三人で話し込んでいる。久しぶりに会ったのだ、積もる話もあるだろう。


 それにしても、さっき聞き齧った話ではあるけれど、ヘリオスのお母様や姉妹、兄弟のほとんどが、隣国のムガロア帝国にいるようだ。あの話ぶりからして、ほぼ人質のようなものなのだろうか?

 スリ・ロータスの言葉がそこまでできないので、確信は持てないのだが、重苦しい雰囲気は伝わって来ていた。


 着替えをカミラに用意してもらって、のんびりお風呂に浸かっていると、誰か部屋に入ってくる気配がした。

 身構えてバスタオルを巻きそっと部屋を覗くと、ヘリオスと目が合った。

「どうしたの、ヘリオス?」

「君がバスタブに湯を入れた』って聞いてね……一緒に入ろうかと思って」

「えっ?」

「風呂に入るのも久しぶりだし。その……船の中では雑魚寝だろ?」

 ヘリオスの目に熱が加わり、妖しい光を帯びている……


 そのままセレはバスタオルを()がされて、二人一緒に仲良くバスタブに入ることになった。ヘリオスの指がセレの赤い髪をかきあげて、その形の良い後頭に唇を寄せた。


「ああ、セレ……」

 耳許で囁かれるヘリオスの低い声が、身体の奥底を毒のように(しび)れさせる。

 熱い吐息が苦しげに吐き出され、否が応でも高まって行く熱情は二人を溺れさせた。


 その夜、二人はほとんど眠ることができなかったのは、内緒の話である。


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