32 裏切りと救出
八年ぶりに故郷へ帰ったセレスティン・ピアースは、船の上でその赤い髪を風に解かれるままにしていた。
ディヤマンド王国第一の港町バロウから出航した船は、タルク国の港キノを目指していた。
久しぶりに会った家族は気を使ってくれたが、そこに自分のいる場所はなかった。セレスティンは、こうしてキノへ向かうのはこれが最後、と決めていた。
家族には、最後の別れを言うつもりで会いに行ったのだ。
八年前、セレスティンの大事な男は砂漠の神殿に囚われた。
何度か助けに向かったが、叶わずに未だ囚われたままだ。
『今度こそ』と思う。
(今度こそ、あの魔女と差し違えても、絶対助け出す……)
そう決心していた。
三等船客用の食堂で食事をしていると、若い男が荒くれ者たちに絡まれていた。どうやらカモにしようと、博打に誘い込もうとしているらしい。
男はまだ二十歳そこそこで、茶色い髪、茶色の瞳の特段目立つところのない冒険者風で、しつこく絡まれて困っている。
「あんたたちっ、しつこいわよ!」
セレが一喝すると、荒くれ者はこっちに向かって来た。
「なぁんだと〜? オイ、姉ちゃん。あんたがこの兄ちゃんの代わりに俺たちと付き合ってくれるのかい?」
「冗談も休み休み言えってのっ! だぁれがあんたたちなんかと付き合うか!」
「なにぃ〜⁉︎ このアマ、ふざけやがって!」
三人の男が立ち上がる、が掴み掛かろうとした腕を引き、ねじり上げて後ろに投げた。
二人目の喉元にチョップを喰らわせると、怯んだ三人目は、
「お、覚えてろっ」
とお決まりのセリフを吐きながら、仲間を抱えて逃げて行った。
「すみません、ありがとうございます」
「いいってこと。どこに行ってもああいう輩はいるからね。ところであんた、どこまで行くんだい?」
「キノまで。知り合いを訪ねるんです」
「奇遇だな、あたしもさ。セレスティンて言うんだ、よろしくな。セレさんでいいよ」
「そうですか! 俺、オリヴィンっていいます。オリィって呼んでください」
この時、彼女の中の暗闇に微かな光明が灯った。
「そっか、オリィね。……ところでさ、あんた魔法のニオイがプンプンするんだけど?」
「エッ、匂いでわかるんですか?」
「ああ、あたしの特技なんだ。魔法とか、魔石とか、匂いでわかるんだよね」
「そ、それはすごいですね……すみません、ここではお見せできないので、ちょっと来てもらってもいいですか?」
そう言って変身を解いたオリィは、なかなかのイケメンだった。
濃い菫色の髪に銀色の瞳の若者は、どこか上品な雰囲気もある。
これは……これなら、なんとかいけるかもしれない。
セレは密かに心の中で、作戦を練り始めた。
「見たところ、いいとこのお坊ちゃんだろ?」
顔を変えていても、育ちの良さが滲み出てる、すごく素直な子だった。
(騙すのは忍びない……けれど、ヘリオスを助けるためなら、今のあたしは悪魔にでも魂を売ろう……もし、それが原因で殺されたとしても本望だ)
セレは、しばらく一緒に三等船客用の食堂で食事を取ったりして、様子をうかがった。だが、よくよく話を聞くと同行者がいるらしい。
同行者にバレないように顔を変えて隠している、というから訳がわからない。それは、『同行者』なのか?
途中の港で停泊したとき、彼の買い物に付き合った。人が良さそうな彼は、絶好のカモになってしまうだろうことが、予想できたからだ。
目的地キノで会う、知り合いへのプレゼント探しを手伝った。
ただそれだけで、たいしたこともしていなかったのだが、買い物の後、『買い物に付き合ってくれたお礼に』と言って、私にまでイヤリングを買ってくれた。
誰かからの贈り物なんて、いったい何年振りだろう。
あまりにいい子なので、申し訳なくなった。
(あたし、あんたを騙そうとしてるんだよ……)
そう打ち明けてしまいたくなった。
買い物の後、二人して町の食堂で昼食を取っていると、この人の良い青年の想い人が現れたのだ。可愛いまっすぐな黒髪の女の子で、驚いたのはそれだけではなかった。
ヘリオスの……あのヘリオスの子供の頃の話に出てきた、ディヤマンド出身の魔石研究者ユーレックス・デュモン卿が、その娘の父親だったのだ。魔石研究の第一人者であり、凄腕の魔石ハンターだ。冒険者としても名高い。
一縷の希望が湧いた。
(もしかしたら、あの魔女を駆逐できるかもしれない……)
だが。
真正面からそんなことを頼んだところで、引き受けてくれるだろうか?
今まで助けてくれる人などいなかった。
『助ける』と言って、根こそぎ金を奪い取られたこともあるし、助ける代わりに身体の関係を迫るやつもいた。悪いやつなら、掃いて捨てるほど居たのだ。
キノに着くまで、セレは悩み続けた。そんなことで気が逸れていたのだろう、オリィを助けた時にやっつけた奴らに襲われた。
咄嗟に避けたが、ナイフを躱わしきれずに怪我をした。
怪我したあたしを抱き上げて運んでくれたのは、他ならぬオリィだった。
それがきっかけで、デュモン卿に会うことができたのだが、とうとう最後までヘリオスのことを打ち明けることができなかった。
オリィは、あたしを仲間扱いしてくれて、キノではデュモン卿の知り合いの邸宅で世話になった。
(あたしにまでこんなに良くしてくれて……本当に申し訳ない)
心の中では常に葛藤があったが、ヘリオスのことを思うと苦しくて悲しくて、どうしようもない。
魔石好きのオリィを唆した。
「“飛行石” って知ってるかい?」
訝しむ彼に言う。
「あたし、見たことがあるんだよ……」
オリィがでデュモン卿を説得してくれて、あたしたちは砂漠のオアシスを目指すことになった。
そして、願ったわけではないが、またもや砂嵐に遭った。
そしてオリィとあたしは、あの白い神殿に連れ去られたのだ。
最初に来た時から、八年の年月が経っていた。
魔女からすれば、ほんのわずかな時間なのかもしれないが、あたしにとって八年は長すぎた。
魔女に約束の履行を迫った。
「あの人を返してください! 代わりを連れて来たら、返してくれると約束したでしょう!」
あたしは恥知らずにも、優しくしてくれたオリィを、魔女に差し出した。
魔女は最初、変身石を着けたままのオリィを見て渋ったが、下僕に綺麗に洗わせたオリィを見て喜色を露わにした。
魔女は、菫色の髪に銀色の瞳の、見目麗しい若い男を見て、舌なめずりした。
(ふむ、この若さなら存外長く楽しめるかもしれぬ。少し味見してみるかのう)
砂漠の白い魔女は、口角を上げてニタリと笑った。
魔女は抵抗するオリィを、奥の部屋へと連れ去った。
* * *
時間が流れるのが遅く感じられる。
セレスティンは人気のない神殿の祭壇の横で、ひたすら祈った。
自分を信じて優しくしてくれた友達を、騙して連れて来た良心の呵責に耐えながら、愛しい男を救うことだけを考えた。
仕方がなかったの……あの人を返してもらうためには、誰かを差し出さなきゃいけなかった……こんな私なんかを信じて、可哀想なオリィ……。 あたしはオリィと出会って、最後のチャンスだと思ってしまった。だって、あなたはあまりにも優しくて、どうしようもなく無防備で、あたしを信じてくれるから……。
あたしは、あなたの優しさにつけ込んで、甘えて、利用したわ。
本当にどうしようもないひどい女……。オリィ、あたしを憎んで!
恨んで、殺したいと願って!
そうしたら、この生き地獄のような神殿から、いつか逃げ出せるかもしれない……。そしてここから逃れたあなたが、いつか目の前に現れたら、あたしはあなたに殺されてもいい。
だからどうか、どうか今は、ごめんなさい……。
いつしか、白々と夜が明け、群青は白さを呑み込んで明るさを増してゆく。
カタン、と音がして神殿のドアが開く。
黒装束の者に体の両側を支えられて、白い薄衣をまとった男が連れられて来た。
金茶色のゆるくウェーブがかかった髪が背中まで伸びて、褐色の整った顔を取り巻いている。視線はどこかぼんやりとしているが、その瞳の色は金色だった。
「ヘリオス!」
セレスティンは駆け寄った。
「ヘリオスっ、大丈夫?」
「…………」
男は何も答えない。
その金色の虚ろな瞳は、どこかぼんやりと遠くを見ているようだ。
「あんたたち、ヘリオスに何をっ!」
黒装束の者たちは、男をセレスティンに預けると、ドアの向こうに去って行った。
「ヘリオス……しっかりして! あたしよ、セレスティンよ!」
ヘリオスは、聞こえているのかいないのか、ボーッとただどこを見ているのかわからない視線で立っている。
もう一度ドアが開いた。
金色に光る魔女が、スーッと空中を音もなく移動して来ると、二人の前で止まる。
「気に入ったぞ、あの男は私がもらう。お前たちはもう行って良いぞ」
そう言うと、黒装束の従者たちにオリィの荷物を運ばせて、セレスティンの足元に放り出した。
「好きに帰るがいい」
まるで、『もう役に立たない用無し』だから、早く出て行けと言わんばかりの仕打ちである。
「くっ!」
セレスティンは怒りと悔しさで、臓腑が煮え|くり返る思いだった。
されるがままのヘリオスに、オリィの持ち物からマントを出して着せると、ヘリオスの手を引いた。
「ヘリオス、さあ帰りましょう」
ヘリオスはセレスティンに手を引かれ、ゆっくりと歩き出した。
――――その整った顔には、まだなんの表情も浮かんでいなかった。




