30 本当の俺が知りたい?
オクスタリアの船に引き上げられて、イネスとセレはほっと一息ついたが、空いている部屋が特等室しかない、と言われた。
値段を聞くと、何と一人金貨五十枚だと言う。
とんでもない値段だ。しかも王族か、上級貴族でないと泊まれないらしい。
後で考えれば、セールストークにハメられたのかもしれない。きっと特等室が空いていてもったいなかったのだろう。
旅の冒険者風情にそんな金額払えるわけないと思っていただろうに、ちょっと脅かしたら美味しいカモがひっかかって来たと、ほくそ笑んだに違いない。
救難者を見つけたら助けなければいけない法律が、オクスタリアにはあるのだ。
イネスが船長に、『実はスリ・ロータスの王子で、お忍びの旅行』と説明し、彼の持っている宝剣を見せて、変身石も外して本当の姿を見せたら、嬉しそうに納得してくれたそうだ。
二人で金貨百枚は痛い出費だが、命には変えられない。
特等室にはなんと、広いお風呂がついていた。
海に飛び込んで潮臭くなった身体と髪を洗えるのは、本当に嬉しかった。
交代でお風呂に入り、湯上がりの髪を化粧台の前に座って拭いていると、風呂から上がったイネスが近づいて来た。
風呂上がりの身体から湯気が上がり、血行の良くなった首筋や白い普段着のシャツから見えている襟元も、いつも見ている姿と違って戸惑う。洗い立ての漆黒の髪から雫が滴っている。灰色の目は優しくて、見ているだけで落ち着く。
突然、イネスが意外な言葉を発した。
「セレは本当の俺が知りたい?」
「はい?」
いつの間にか真後ろに近づいていたイネスが、妙なことを言った。
イネスの顔がかがみ込んで来て、すぐ頭の後ろにある。セレスティンは斜め後ろに顔を見上げているかたちだが、彼の吐息が額の上の髪にかかってくすぐったい。
(ち、近い……)
「本当のって……あなたはあなただわ。名前がイネスだろうと、ヘリオス? だろうと。中身は同じよね」
「は……そうだね、セレはセレだし……」
彼はフイッとセレから離れると、ベッドまで歩いて行って腰掛けた。
裸足のイネスの足首に、あのアンクレットが巻かれている。
『変身石』のアンクレットだ。いつもの匂いがしている。
「こっちへおいで」
「こっちって……」
「傍に来て」
何も強制力は無いはずなのに、言われるままに近づいてしまう。
「イネス、何をするつもり?」
「何って。セレの顔が見たいんだ」
「い、今だって見てるじゃない!」
イネスはセレの両手首を握ると、揺れている水色の目をじっと見つめて言った。
「外すから、見ていて」
セレは頷くしかなかった。
イネスは握っていた手首を離すと、己の足首に巻かれているアンクレットを外す。
銀の鎖が肌にすれて、しっかりと赤い痣になってしまっている。
“痛くないのかな?” と思って赤くなった痕を見ていたが、伸びて来た彼の手が頬に触れた。
次の瞬間、その目に囚われた。
(金色の目……きれい……)
長い睫毛に縁取られた金色に輝く瞳が、こちらを覗き込んでいる。
何故か印象が薄かった顔の輪郭が鮮やかに現れ、金茶色の波打った髪がその美しい顔の周りを取り巻いている。
通った鼻筋、くっきりとした唇……
見惚れていると、その唇が動いて目が少し微笑った。
「見惚れてる?」
「そ、そんなこと……!」
反論しようとしたが、言葉が出ない。顔に血が昇ってくるのが丸わかりだろう、目を逸らした。
再び手首を掴まれた。掴んだ手を己の頬に持っていく。
滑らかな頬にセレの指が触れる。
「これが俺だ。何も変わらないか?」
「……め、目を閉じれば同じよ……」
そんな。耳まで真っ赤になって、そんなことを言う。
「じゃ、目を瞑って」
何故か素直に目を瞑った。
その途端に引き寄せられて、抱き締められた。
そのままイネスの胸の上に乗せられてベッドに倒れ込む。
「ちょ、ちょっとぉ……」
目を開けると、至近距離に彼の美しい顔があった。
(こんなの、反則だ……)
中身は同じと思っても、顔が別次元だ。
「……ちょっと、恥ずかしい……かも」
セレが小さな声で言うと、イネスが笑い出した。
その声はとても楽しそうだ。
彼の胸の上に頬を寄せて目を瞑る。
その胸はとても心地よくて。
温かい身体に、ドクンドクンと心臓の音が響いて、嬉しいような恥ずかしいような感情が湧き上がってくる。
「セレ。……俺と旅したいって言ったね」
セレは胸の上でコクンと頷いた。
「じゃあ、これからは “ヘリオス” って呼んで」
「う……そんな急に……」
「呼び方が変わるだけだよ。中身は変わらない」
「……そうだけど」
「セレ……」
そんな甘い声で呼ばないで欲しい。
すっかり頭までのぼせ上がって、心臓がバクバクしている。
「セレ……」
「……ヘリオス」
「やっと言ってくれた」
見上げると、その金色の目がこちらを見ていた。その腕は更に強く自分を抱き込んで、ぐるりと反転した。
今度はセレが下になって、ベッドと彼の身体に挟まれている。
金色の瞳の中が、先ほどと違った熱を帯びているのを感じて、背中がゾワリとする。
唇が落ちて来た。軟らかい……啄むように、試すように何度も落ちて来て、思わず口を開くと、熱い舌が侵入して来た。
「んっ……」
えっ、と思って目を開けると、金色の目がもう恥ずかしくなるくらいに艶を帯びていて。
「待って! 待ってってば!」
無理やり、密着していた身体を引き剥がした。
「……なに?」
「こ、心の! 準備がまだできていないのっ。ヘリオスのことは好きだけど、その……まだ……」
「…………わかった」
「ごめんなさい……」
「謝ることないよ。……俺がちょっと、暴走した……我慢できなくて」
そんな恥ずかしいことを言わないで欲しい……セレも心の中で身を捩った。
まだ、もう少しだけこのままの関係でいたい……そう思うのは我儘だろうか?
このままなし崩しに身も心も繋げてしまったら、ほかのことが何も見えなくなってしまいそうで、それがとても怖い……。
「ごめん、セレ。俺こんな気持ちになったの久しぶりなんだ。それで先走った。ちゃんとセレの気持ちが追いついて来るまで、今まで通りにしよう」
「ヘリオス……」
「ちゃんと節度は守るから、心配するな」
「うん、ありがとう……」
こうしてセレスティン・ピアースとヘリオス・ベリルの冒険の旅は始まったのだった。
セレスティン十八才、ヘリオス二十二才の頃だ。




