2 冒険者セレスティン
今を去ること二十九年前、王都から続く街道を、一人の赤毛の男が馬を引いて歩いていた。その大男、ウルツ・ピアースは平民ながら戦争での功績を讃えられ、褒賞として軍馬を下賜された。あまりに立派な馬だったので乗るのももったいなく、多くない荷物を載せて、こうして手綱を引いている。
ここ、ディヤマンド王国では、二つの王朝が覇権をめぐって戦争が勃発し、北部王朝を武力で駆逐した現ディヤマンド王朝が国を統一した。
統一戦争が終わって徴集されていた兵隊たちは、恩賞と共にそれぞれの故郷へ向かって帰って行く。街道の端々にはまだ戦争の傷跡が色濃く残っていた。
怪我をし、手や足を失った者、人知れず川のほとりで亡くなった者、焼かれた家々。踏み荒らされて何も収穫できない農地や、壊された城壁などが放置されている。
そんな町や村に、少しずつ兵士だった男たちが帰って行く。
ウルツは途中、馬に水を呑ませるために川の畔に降りた。
水を呑ませると、木の下に馬をつないで草を食べさせがてら一休みする。
日差しの暖かさにウトウトしていると、近くで叫び声がした。
女の声のようだ。
ウルツは起き上がると、声のした方に近づいて行った。すると先ほど馬に水を呑ませた川の中で、転倒している町着姿の女が目に入った。
それほど流れのない小さな小川なのだが、足が石の間にはまってしまったのであろう、動けぬままずぶ濡れになっている。
「大丈夫ですか? 今お助けします!」
ウルツはそう言うと、ザブリと川の中に入り、女を端々抱えて助け出した。
川から上がって、低い草の上にその女を下ろす。
「あ…ありがとうございます」
マロンブラウンの膝丈のスカートに同色のベストとジャケットを着た、身持ちの堅そうな年若い女性は、寒さからか震えたままだったが、お礼の言葉を絞り出した。
こげ茶色の髪はほとんど濡れていなかったが、背中の真ん中からスカートは、絞れるほどしっかり水が滴っている。白い頬に水色の目が不安げに揺れる。
「……ここに生えている水草が良い薬になるのです。馬にも水をあげようと降りて来たのですが、馬が蛇に驚いてしまって……」
「そうですか、蛇に噛まれなくれよかったですね」
そう言ってウルツが微笑むと、女性の緊張した顔がほんの少し緩んだ。
「どちらまで行かれるのですか? よかったら私の馬でお送りしましょう。あなたの馬は先に帰っているかもしれませんよ。馬は頭の良い動物ですし」
「そんな、見ず知らずの方に……」
「俺はこの先の村の者で、ウルツ・ピアースという者です」
遠慮する言葉を制して、先に名乗った。
「ありがとうございます……私はエメリー・フェアライトと申します。父はこの先の町で医者をしております。もし、送っていただけたらお礼をお渡しできますので、お願いできますでしょうか?」
これが後の冒険者、セレスティン・ピアースの両親の出会いだった。
父親譲りの真っ赤な髪を後ろの高い位置でポニーテールにまとめている。
男まさりのセレスティンは、冒険者に憧れ、父の店の近くの『冒険者ギルド』に足繁く通っていた。母譲りの薬草の知識で薬草を採集したり、たまに魔石を拾ってくる小遣い稼ぎをした。
冒険者ギルドの受付係のソディーに、今日も明るく声を掛ける。
「ハーイ、ソディー姉さん! 今日は何かお使いはない?」
「セレちゃん、今日も来たのね。ちょっと待ってて、今スマルトさんに聞いて来るから!」
「わかった。待ってる!」
明るく物怖じしない性格のセレスティンは、ギルドの職員ともいつの間にか仲良くなり、今ではすっかり常連だ。
奥に行ったソディーが戻って来ると、手に持った薬草入りの袋を渡される。
「これ、セレちゃんのお祖父様からの依頼品。揃ったから渡してくれる?」
「えー、おじいちゃんかぁ〜。また怒られちゃう」
「そうなの、大丈夫?」
「いーや、平気平気! 行ってくるね!」
セレスティンは元気に返事をすると、勢いよく出て行った。
医者をしている祖父は、あまり冒険者をよく思っていない。まあ、それは両親も同じなので、今更なのだが……
二つほど通りを行ったところの、石造りの三階建の建物の二階に、祖父の診療所があった。庶民向けの狭い診療所で診察費も安く、白い眉毛と¥繋がった長い口髭から、この辺りの皆には『白髭先生』と呼ばれて頼りにされている。
コンコンコン、とドアをノックして声を掛ける。
「こんにちは〜! 薬草のお届けに来ましたぁ!」
今日も数人の患者が順番を待っている。
「失礼しまーす」
並んで診察を待つ親子の前を通り、奥の診察室のカーテン越しに声を掛ける。
簡易ベッドに腰掛けた患者の足だけがカーテンの下から見えている。
「白髭先生、冒険者ギルドから薬草の配達です。ごめんなさい、診察中に! ご注文の薬、置いていきますね。代金はいつも通り週末にまとめてお願いします」
「ああ、セレスティンかい? お前また、冒険者ギルドに……。ああ、わかった、ありがとう」
診察中の祖父は、何かセレスティンに言いたそうな声だったが、目の前の患者の症状の聞き取りに忙しいようだ。
セレスティンは心の中でぺろっと舌を出した。
診察中なら手を離せないに違いない、と思って来たのだ。
セレスティンは何も言われなかったことにホッとしながら、また冒険者ギルドへ帰って行った。
店をやっている両親は帰りも遅いことが多く、セレスティンと弟と妹は、先に夕食を済ませ、それぞれの部屋で過ごしていた。
成績優秀な弟は、祖父の希望通り高等教育を受けられる学院に入り、夜も真面目に勉強をしている。少し年が離れた妹は、自分を磨くのに余念がない。部屋を覗けば¥大抵、大きな姿見の前で服やアクセサリーを、取っ替え引っ替え試している。
セレスティンは十六才で普通学校を卒業すると、すぐに下級の冒険者の資格を取った。
むろん、祖父をはじめ両親は大反対したが、誰も彼女の志を折ることはできなかった。セレスティンには他の者にはない、不思議な力があったからだ。
この世界には『魔石』というものが存在する。
それは、それを操ることができる力を持ったものが使うと、さまざまなことができる代物なのだ。平民にも稀に、魔石を操る力を持つものが一定数生まれるが、通常は貴族階級の者に多く現れる能力だ。
セレスティンは小さな頃から、『魔石を嗅ぎ分ける』ことができた。
近くで魔石の力を感じると、色々な匂いで彼女に伝わる。
彼女が初めてそれを知ったのは、小さい頃、近所で不審火があった時だ。
「母さま。変な匂い……お鼻がくさいの」
しきりとそう訴えるセレスティンに、周りが
「変な物でも拾って、触ったんじゃないかねえ?」
と相手にしなかったのだが、その5時間後にその場所で火事が起きた。
その時ははっきりとはわからなかったのだが、その後も魔石の出る洞窟や、山の中でこんこんと石から湧く泉など、変わった匂いがするたびに魔石の存在を探し当てた。