猫屋敷律子の共感覚事件簿 2
ホームルームが終わり、僕は早く帰ろうと準備をする。
しかし、すでに遅かった。後ろには、違うクラスの猫屋敷が立っていた。どこまで僕を探偵部に入れたいんだよ。
猫屋敷は僕の袖を小さく掴んでくる。無意識なのだろうが、彼女は上目づかいで僕を見た。
正直言うと可愛いよ。でもこの顔に騙されるな。 彼女に関わるとロクなことが起きない。
「じゃあ、お疲れ」
「どこ行くの? 帰さないわ。今から探偵部に向かうの。お昼に約束した」
「一方的な取り決めは、約束とは呼ばない」
そんなことを言ってみるが、彼女は聞く耳を持っていなかった。僕の袖をつまんだまま、彼女は引っ張るように教室の外に出た。
こうなったら、僕の意見は聞き入れられない。無理やり抵抗しても良かったけど、昼の時のように彼女を傷つけることはしたくない。
「分かったよ。でも入部はしないからね。ただ、見学に行くだけだから」
「分かったわ」
その返答に一抹の不安を感じながらも、僕たちは廊下を進んだ。
そして旧校舎の端に探偵部はあった。扉には『探偵部』と書かれた紙があった。ポップにクレヨンで色が塗られてる。
探偵部って、もっと厳格なイメージなんだけど。
「ここ」
部屋に入ると、椅子も机もなく、扇風機が一つだけ置かれていた。
「なあ、椅子とか使わないの?」
「どうして?」
心底不思議そうな目で見られた。今、おかしなこと言ったかな?
「質問を変える。いつもこの部屋で何してるんだ?」
すると無言でスタスタと扇風機の前にやって来た。僕は何をするのだろうと真剣に見る。彼女はボタンを押して、扇風機の前に座った。ふむふむ。それでそれで——。
彼女は力を抜くと、そのまま「わーーーー」と気の抜けた声を出した。
……え。……それだけ?
「い、いつもそうしてるのか?」
「そう」
「扇風機の前で、ただ宇宙人ごっこするだけ?」
「そう」
僕は頭を押さえた。
「探偵部はどうなったんだよ?」
「依頼が来ないと暇なの。だから、いつもこうしてる。それとこの部屋、暑いの。とても暑いわ」
旧校舎だからエアコンが無いけど、それでも他にもっとすることがあるだろ。
「他に部員とかいないの?」
もっと話が通じそうな人とか。
「いないわ。わたしと犬井くんだけ」
入学直後、あれだけたくさんの人を勧誘してたのに、部員はゼロなのか。あれのせいで彼女が変人だと校内中に知れ渡ったので、当然と言えば当然だけど。
こんな意味不明の部活に入る酔狂な奴はいないだろう。
「ん? 今、僕を部員に入れてなかったか?」
「入れてないわ」
彼女はまた扇風機に向かって「わーーーー」と声を出し始めた。
それから何をするでもない時間が続いた。これこそ僕の大嫌いな無駄である。
すると猫屋敷はこっちを見つめてきた。
「一緒にやる?」
「しないよ。そんな理由でここに来たわけじゃない。あのさ、何もしないんだったら帰るけど」
「分かったわ。感情の色が見えること、証明するわ」
すっくと立ち上がると、彼女はカバンの中からトランプを取り出した。なぜ、そんなものが入ってるのかは聞かない。聞いてもどうせ時間の無駄だ。
「トランプでどう証明するんだ?」
「三枚選んで」
そう言われたので、僕はテキトーに三枚取り出した。
選んだのは【♢の3】【♧の7】【♡のキング】である。
「何をするか、聞いても良いのか?」
「今から、トランプを使ってゲームをする」
「ほうほう」
「…………」
あ、説明は終わりだったらしい。黙ってても仕方ないので、僕は彼女に説明を求めた。
「まず、三枚の中で一枚選んで」
「一枚? うん、決めたよ」
選んだのは【♧の7】である。
「次に、そのカードに悪い感情を入れて」
「悪い?」
分からないけど、とりあえず【♧の7】に対して不満をつのらせた。
「今日一日で溜まった不満を入れたよ」
「そう」
猫屋敷は他人事のような顔をしていた。君のことを言ってるんだよ。
「最後に、わたしがそのカードを当てるわ。三枚のカードを見せて」
あー、なるほど。分かったぞ。
要するに、これはトランプを使った心理ゲームだ。感情の色が見えるとか言っていたけど、実際は僕の仕草や心理を読んで、カードを当てる気なのだろう。
……なんか期待した僕がバカみたいだ。
あれだけ変人オーラを出しておきながら、こんな子供騙しをするなんて。
だけど相手が悪かったね。僕は相手の心理を、仕草から読み取るのが得意だ。裏を返せば、僕はどうすれば相手に心理を見破られないかも心得ている。
こんな所まで連れられて、こんな無駄なゲームに付き合ってるんだ。少しくらいは、心理学オタクの意地とプライドを見せつけて——
「選んだのは、♧の7よ」
「えっ」
あれー。あっさりと見破られたんだけどー。
「ど、どうして分かったんだ?」
「このカードだけ、紫色に見えるの」
何だよそれは。だったら、物には感情がこもるとでも言いたいのか?
だから感情にも色が付いていると?
いいや、そんなの僕は認めないね。今のはどうせまぐれだ。次は絶対に見破られない。
「もう一度させてくれ」
「良いわよ」
さっきと同じで、そのカードに不満を乗せる。
僕は精神を統一して、顔の表情筋から、指先の動きまで、すべてを完璧に制御した。
今の状態なら、絶対にカードを当てらない。そしてわざと、僕は動揺したように【♢のジャック】を一瞬だけ見た。
猫屋敷は僕の視線をバッチリと見ていた。
ふん、それでいい。
まんまと引っかかれば良いんだ。僕のブラフに。 そして彼女が嘘つきだったことを証明して——
「選んだのは、♡のクイーンよ」
「なっ……」
猫屋敷は平坦な声でそう言った。僕は動揺してカードを落としてしまう。
「正解なのね。理由はさっきと同じ。紫だったの」
「そ、そんなわけないだろ! 今のは絶対に引っかかるはずなのに……。もしかしてイカサマしたのか? 最初からこのカードに仕掛けがあるとかさ!」
「イカサマじゃないわ。あと、イカサマってなに?」
「…………」
僕たちはこの後、十回ほどこのゲームをしたが、すべて猫屋敷が見破ってしまった。ここまで来たらまぐれとも言ってられない。
現在、猫屋敷は暇なのか、トランプタワーを作っていた。僕はそんな彼女を見ながら、このゲームのトリックを考える。だけどタネが分からない。
彼女の言うように、そんな漫画みたいな力があるのだろうか?
感情の色が見える。うーん、何とも胡散臭い。
そう言えば、昔読んだ本に共感覚という言葉があった。
共感覚は通常の感覚以外にも、他の情報を感じる知覚現象のことらしいが、もしかすると猫屋敷のそれも共感覚なのだろうか。それなら少しは納得することができる。
「犬井くん、わたしのこと信じてくれた?」
トランプタワーを慎重に作りながら、彼女はそう聞いて来る。
「分からないよ。でも、少しは信じる気にもなったかな」
「なら」
「だけど探偵部には入らないよ。やっぱり時間の無駄だ。現に今だって、探偵部と言いながらトランプタワー作ってるし、全然部活してないじゃないか」
僕は立ち上がる。彼女はキョトンとした顔でこっちを見つめて来た。そんな顔で見るな。それだと僕が悪者みたいじゃないか。無言でドアに向かうと、後ろからぎゅっと抱きしめられた。
「離さないわ」
「は、離せよ!」
背中に何か丸いものが当たっている。細いのに、これは反則だろ。僕は何とも言えない至福感に包まれて、もういっそのこと、このヘンテコな部活に入ろうかと本気で考えていた。
頭の中でいろいろと葛藤していると、唐突にドアが開いた。
そこには一人の男子生徒が立っていた。そう思ったら、その後ろからゆっくりと顔を出す女子生徒。
そんな二人は、猫屋敷に抱き着かれた僕を見ていた。
……あ、終わった。