天使の声と変われない人間
おはようございます。
そして、よろしくお願いします。
更に、フィクションです。
痛みはない。
ただ体が動かないだけだ。
どうやら俺は事故に遭ったらしい。
コンビニに入ろうとしたら衝撃が走ったのだ。
それはまるで俺を狙った爆撃のようだった。
吹き飛ばされた先の壁に背中からあたり、今はもたれて座っているように見えるだろう。
隣には煙を吐いた、ミサイル代わりの車がある。
操縦者はお年を召された兵士なのだろう。
自分の身を疎かにし、家族のために戦う兵士よ。
何のために戦っているんだ。
俺は敵兵ではない。
俺は特に誰とも、何とも戦ってはいないのだから。
通行中のやじ馬が携帯を俺に向けている。
頼むからその携帯で救急車を呼んでくれ…。
救急隊に動画で現地の映像を送っているのであればそれでもいいかもしれないが。
そういうシステムってないのかな?
頭部を強打したのか、いつもより視力が低くなったような気がする。
視界は小さく、幻聴のようなものも聞こえてくる。
俺の名前を呼ぶ声は優しく、はにかんでいるような感覚を覚えた。
おそらく迎えに来た天使なのだろう。
良かった、地獄にはいかないようだ。
だって、特に何もしていないものな。
俺の人生は分かりやすい。
何もしない。
そんな人生だった。
特にひどい親の元に生まれたわけでもないし、下を見ればいくらでも下はいるだろう。
かといって、最高の教育を受けて育ったわけでもない。
生きていることを感謝し、ただ存在するだけの人生だ。
そんな俺が事故で死ぬんだ。
神も悩んだだろう。
こいつ、どこにも居場所はないぞ?ってな。
俺の名前を呼ぶ幻聴が声をかけてくる。
「大丈夫?痛いの?」
大丈夫、不思議と痛みはないんだ。
今はアドレナリンが出ているのだろうか。
「大変なことになっちゃったね。」
そうだね。
でも、ミサイルの操縦者に悪気はないから。多分。
「起きれる?」
それは無理かもしれない。
優しい言葉をありがとう。
簡易に上下するわかりやすいサイレンの音が聞こえてきた。
まるでヒーローが駆けつけてきたような気分だ。
俺は助かるのだろうか。
一縷の望みが俺を現世に縛り付ける。
もう疲れたんだ、パトラッシュ。
俺はこの世界でできることをすべてやったと思う。
だからもう、休ませてくれ。
ゆっくりと目を閉じると声が大きく聞こえる。
「準備できた?」
ああ、未練なんてないさ。
俺は天国に行って悠々自適に暮らすのだろうか。
いや、すぐに生まれ変わって現世に戻ってくるかもしれないな。
生まれ変わる可能性を疑いもせずに信じるバカな俺は幸せ者なのかもしれない。
通行人よ。俺は幸せだったんだ。
その俺を憐みの目で見ないでくれるかい?
あ、玄関のカギかけたっけ?
キーは持ってるよな?
腕が動かない…。確認できないじゃないか!
友達が来るときには必ず片付けているフィギュアを片付けておきたい!
どうしよう!パトラッシュ!
片付けてきてくれ!
ついでに、パソコンのハードディスクも破壊してくれ!
未練を表情に出す俺に、救急隊員が近寄り声をかける。
「大丈夫ですか?聞こえますか?」
俺は返事をしようと息を吸うが、少ししか吸えない。
そのせいで、か細い声の返事になった。
「生存を確認!意識はあるようです!」
振り返った救急隊員は他の隊員に報告をしていた。
そうか、俺は助かるんだな。
助かるのならキャンセルだ、パトラッシュ。
ふと見ると、やじ馬に向かって『セーフ』のポーズをしている隊員がいた。
俺が助かったことをみんなに伝えているんだと思った。
ん?違うな。
離れるように指示しているから両手を広げているのか。
思考力が低下しているんだな。酸素不足か。
…ちょっと笑いそうになっちまったじゃねぇか。
笑っている幻聴も聞こえているし、いよいよ意識を失いそうな予感がする。
俺は全身の力を抜いた。
今まで体に力を入れていたことに初めて気づき、ようやく落ち着いたこと知った。
ようやく呼吸も楽になった。
体と心はリンクしないものなんだな。
複数の救急隊員によって担架に乗せられ、俺は救急車に運ばれた。
天使よ。そろそろお別れだ。
一緒にいてくれてありがとうな。
お陰で変なパニックにもならなかったよ。
家に帰れたら、動画サイトのチェックをするよ。
そして、肖像権の侵害で訴えるんだ。
撮影していた奴は覚悟しろよ。
ふっはっはっは。
気を失った俺は病院で目を覚ましたらしい。
ビニールのマスクを着け、点滴を打っていたが、命に別条はなさそうだ。
看護師がいうには、ただの脳震盪らしい。
頭を打っているので、念のため検査入院が必要になるとか。
急遽の呼び出しに駆けつけてくれたのは母さんだった。
心配して眉を歪ませた母さんが俺の顔を覗き込む。
そしてあの言葉を言うのだ。
「大丈夫?痛いの?」
「大変なことになっちゃったね。」
「起きれる?」
そうか。
天使の声は母さんの声だったのか。
妙な安心感に納得し、母さんに声をかけた。
「ありがとう。大丈夫だよ。心配かけてごめんね。」
その言葉に安心したのか、決壊したダムのようになった母の手は暖かかった。
一人暮らしをして少し長くなったけど、俺は元気です。
その姿を見せるタイミングがなくてごめんね。
それに、今元気ですって、違うね。
今は元気じゃないです。頭が痛くて、ふらふらします。
強がって安心させた気になったりもするけど、本当は頼ることが正解なんだ。
一緒にいて、一緒に悩んで、一緒に解決して、一緒に喜ぶことが大切なんだ。
それは分かるけど、それをいうタイミングもないんだよな。
だからぶっきらぼうに大丈夫だから、なんて突き放してしまう。
俺は素直にならず、何と戦っていたんだろう。
ミサイルのように家を出て、自分の人生を自分で舵取りしている気になっていた。
でも実際は何もできていない。
何もしていないんじゃなくて、何もできていないんだな。
そんな奴にトラブルを解決できるわけがない。
今回の事故車の操縦者も同じなんだろう。
だからと言ってすべてが許されるわけでもないけどね。
あやふやな思考をだらだらと垂れ流し、検査が終われば日常に戻るというのに、俺は今を大切に思っていた。
人間は大して変われない。
今以上に向上心を持つこともないし、やってやろうと思うこともない。
ただ、死なないことを目標に、明日も死なないだけなのだろう。
母さんも帰り、今日は病室でお泊まりだ。
明日は会社に連絡をしよう。
有休も使っていないし、一週間パーッと使ってしまおう。
俺の替わりはいくらでもいるもの。
大丈夫さ。
そして数日後、俺は自宅に帰り動画サイトを漁った。
自分が映った動画にたどり着かず、いらいらしていたわけだが、何と戦っているんだろうな。
まあ、人間は狩りをする生き物だし、本能で敵を求めているのだろう。
しばらく、俺の敵は動画を投稿するやじ馬だ。
見つけたら低評価に最低なコメントを残すんだ。
そうして俺は、友達に見せたくないポスターには目も暮れず、パソコンの履歴を増やしていくのだった。
ご読破お疲れさまでした。
少々短いお話ですが、他にも描きたいと思っているので、応援いただけると嬉しいです。