目の前におしり
二列シートの電車に乗っていた。
進行方向の左側。車両の前扉から2列目で、僕は窓際の席に腰を下ろして、俯き加減でスマホを触っていた。
目的の降車駅が近づいて、その一つ手前。
比較的大きな駅に着いたところで、どやどやっと乗客が車内へと入ってきた。
右隣の座席。通路側が空いている。
埋まりそうだな…
そんな感覚がやってきて、ふと視線を上げると、女性の姿が目に入った。
目が合った訳ではない。その人は、自分の隣に腰を下ろした。
二列シートの隣に、異性が座る。
これを、あまり意識しないという人は、どれくらいの割合なのだろうか?
多くの空席があっても、敢えて異性の隣を選択する。という尖った性癖をお持ちの方は別として…
恥じらいの欠片もない女性。
例えば、行列のできる女子トイレを横目に、男子トイレの大の方へと駆け込むような方は、これに該当するだろう。
空いている座席にまっしぐら。
それはそれで、呆れはするが、清々しい。
ふわっと視線を右にすると、10代20代といった感じはしなかったが、30代くらいの女性だったように思う。
時節柄、マスクもしているだろうし、容姿に意識が向かう事もなかった。
そんな女性が自分の隣の席を選択する。
多少の混雑が背景にあるにしろ、清潔感や威圧感。雰囲気や人となりといったものが、この方の許容範囲であったという事に、少し安心をする。
人は、無意識に自分のテリトリーを保とうとするのだ。
「あなたは合格です」
そんな回答を貰えたような――
ふと、思考がやってくる。
次の駅で、自分は降りる。座席を代わった方が、良いのでは?
今、この座ったタイミングでそれを為した方が、相手も長い時間、落ち着けるのではないだろうか。
「自分、次で降りるので、席、代わりますよ」
顔を向ける訳でもなく、少し首を前にしてそんな言葉を投げ掛ける。
女性は、礼を述べるような感じで頷いただけだった。
電車は未だ、停車したまま。
自分が膝を伸ばすと、女性も立ち上がり、通路で二人が入れ替わって、お互いが再び席に戻る。
そんな場景を描いていたのだが、自分が立ち上がると、女性は膝を曲げたまま、腰をずらして、窓際の、今まで自分が座っていた席の方へと移動しようとした。
戸惑いながら、僕は前の座席との狭い空間で、ちょこちょこっと足裏を浮かせて右へと移動する。
そのまま通路へと出て視線をやると、手前の席は空いていて、女性は窓際の席へと移動していた。
空いた席に腰を下ろす。電車が動き出す。
女性も自分も、スマホを触っている。
ふと、今の行動を思い起こした。
自分が移動した際には、女性の眼前に自分の臀部があった事だろう。
うーむ…
屁とか、しなくてよかったな。
そんな事を思うと同時に、これが逆だったら、どうしたか…
次にやってきた思いは、そんなだった。
仮に、女性の臀部が眼前を横切ったら…
これは、間違いなく想像ができた。
きっと自分は、目を逸らすこともなく、右から左へと流れる臀部を眺めていただろうと――
見たいから見る訳ではない。
驚く。唖然とする。クマ注意と書かれた看板の前で、クマが現れて悠々と道路を横切っていく…
「お、クマだ」
そんな感じ。
次の停車駅に着いた。
少し頭を下げて立ち上がろうとすると、女性も同じくらいに頭を下げた。
顔は、全く見ていない。
だが、なんとなくではあるが、気が合いそうな感じがした。
「合格です」
きっと、気のせいであり、自惚れである――