第7話
「……高嶺の花?」
リヒャルトの青い瞳が不思議そうにコリンナを見た。
だってコリンナはわざわざ高嶺の花を目指さなくても、周りは勝手に彼女を高嶺に咲く手の届かない花だと騒ぎ立てるだろう。そのうつくしさも、身分も、そう思わせるには十分だった。
「シュタルク公爵家の令嬢は迂闊に手を出せない高嶺の花だと、そう思わせたいんです。来年社交界デビューする可愛い可愛い可愛い妹に変な虫が寄り付かないように!」
「そんなに可愛いっていう必要ある?」
コリンナの口も挟めないような勢いにリヒャルトはげんなりとしながら眉を寄せた。とにかく妹が可愛くて仕方ないらしいということだけは伝わってくる。
「それに、それって君の自己満足だろ? 妹は早く良い人を見つけて婚約して欲しいって思ってるかもよ」
リヒャルトの言葉にコリンナは息を飲んだ。
それは。
……そうだろう、とコリンナも思う。きっとエミーリアはコリンナが愛する人を見つけてしあわせになることを望んでいる。そういう子なのだ。
けれどコリンナにはそんなつもりはなく、ただ愛する妹のためにこの数年を使ってきた。自分自身の結婚には大した希望もなく、夢もなく、義務としか感じていない。
「……君、ときどき急に黙り込むのなんなの」
「あなたがときどき無遠慮に痛いところをついてくるからでしょう」
父や兄から似たようなことは何度も言われてきた。しかしそれは身内の言っていることだからと聞き流すこともできたけど、赤の他人のリヒャルトから言われるとこれが意外に痛い。
だってリヒャルトはコリンナを心配してるわけでもなく、家の評判を気にしているわけでもなく、ただただ事実を言っただけだから。
事実を突きつけられて、ほんの少しだけ、コリンナは自分の決意が揺らぐ。これは本当にエミーリアのためになるかしら? と。コリンナは決して賢いわけではないから、最善を選べたのかと言われるとちょっと自信がない。
(……それでも)
「自己満足でもなんでも、私にできることはなんでもしたいのよ。……だってあの子は辛いことを我慢してしまうもの」
辛くても辛いと言ってくれない。私はそんなに頼りない姉だろうかと悲しく思ったこともある。けれどそれは心配をかけまいとするエミーリアのやさしさだから、コリンナは何も言えなかった。
だからコリンナは事前に愛しい妹を苦しめるものをできるかぎり排除する。エミーリアに近づく外敵は叩き落とす。
「辛いこと?」
「あなたは妹に会ったことがありました? ないわよね」
まだ社交界デビューもしていないエミーリアが、社交界にも顔を出さないリヒャルトと面識があるわけがない。そしてコリンナとしてもこんな変わった男と近づけたりしなかったはずだ。
「聞いておきながらすぐに否定しないでくれないか。ないけど」
「妹は……エミーリアはね、本当に可愛くて可愛くて可愛くて仕方ないんだけど」
「それはもういいよ」
繰り返されるコリンナの『可愛い』にリヒャルトはげっそりと疲れた顔をする。百回言ったって足りないくらいなのに、と思っているコリンナとしては不満だが、ここでそれを言い始めると話が進まなくなってしまう。
「私や兄には似てないの。髪は薄茶で、綺麗というよりは愛らしい顔立ちで。そのせいで嫌なことを言われたことがたくさんあったんだけど」
直接言われるだけじゃなく陰口を言われたこともあるだろう。聡い妹は幼い頃からそういうことに気づいてしまった。
「拾われ子とかそういうくだらないやつだろう」
くだらないとばっさり切り捨てるリヒャルトに、コリンナは笑う。いっそ気持ちいいくらいの口調だ。
「まぁ、そうね。うちは両親もどっちかというと愛嬌あるって感じの顔はしていないし、髪の色も妹とは違うし、主にクソガキたちが……と、ごめんなさい口が滑ってしまって」
つい気が緩んで淑女にあるまじき言葉を使ってしまう。
思わずコリンナが口元を押さえて話を中断すると、リヒャルトは小さく笑った。
「いいよ。そのクソガキたちが?」
「私の可愛いエミーリアをいじめたのよね。子どもだけじゃないわよ、大人だって初めて会う時は『え?』って顔するの。両親や私たちと似てないから。私が気づくくらいだもの、エミーリアは何度も同じような顔されてきたんだわ」
けれどエミーリアはそれを、家族の誰にも相談しなかった。言えば家族が傷つくと思ったのだ。
幼い頃は人が集まる場所へ行くことになると元気がなかった。嫌な思いをすると知っていたんだろう。数年前からそういうことはさっぱりなくなったけど傷ついた過去がなくなるわけではない。
「……ひとまず言いたいのは、髪の色が違うことや顔立ちがちょっと違う程度がなんだっていうんだ。兄弟で同じ顔になるとでも? 親からしか特徴が受け継がれないなら僕はこんなに苦労しない」
「そうよね!? そうなのよ!!」
祖父母に似ることもあるし、先祖返りという言葉もある。実際、エミーリアの髪の色は曾祖母と同じらしい。
親に似てない、兄弟に似てない。それがなんだというのだ。大事な家族であることに変わりはないのに。
それなのに心ない言葉で妹を傷つける。それがコリンナは許せなかった。昔、まだコリンナが社交界デビューもしていない頃にエミーリアへの陰口に気づいて「エミーリアの髪はひいおばあさま譲りなの!」と大きな声で言ってやったこともある。