激動
一応、このお話でこの章は終わりです。
なにかありましたら、随時追加していきますね。
激動
今回は、前回から約一年後の定期健診の時の話から書いていく。
それは冬の初め、十一月の定期健診だった。
この時の定期健診で約一年前の手術の効果が切れはじめている可能性が高いと医者から言われ、ニードリングと言われる処置をしてもらった。
ニードリングとは針状の器具で一年前の手術で造られた水分が通る傷穴周辺を整える処置である。
傷穴には、薄皮が張られていたり、傷穴自体が癒着していたりすることがあるのでこの方法が施された。
医学的技術的なことなので、詳しく知りたい方は自らで調べてほしい。
この時は、ニードリングの効果が良く出たようで、高くなりつつあった眼圧が安全値まで問題なく低下した。
医者からは二週間後に様子を見たいとのことで、十二月の初めに健診を予約した。
この時までの私は、調子が良ければ三か月、多少不安定でも一か月近くの時間を空けて診察を受けていたので、当時の状況がどれだけ難しい判断が必要な状況だったか伝われば幸いだ。
それから二週間後の十二月の初めに、再び診察を受けたが、やはり眼圧が高くなりつつあったそうで、再びニードリングをほどこされた。
この時、ニードリングで一時的に眼圧を下げることはできるが、近いうちに再びのインプラント挿入手術が必要だと言われ、入院をする時期の相談に入った。
医者の予定や病院の状況などから、ニードリングを受けてさえいれば、時間は調整できるとのことで、年明けの一月五日辺りに入院することとなった。
そうして、十二月末にもう一度ニードリングの処置を受けてから新年を迎えた。
だが、ここで容態が急変する。
何か特別なことをした記憶はないのだが、一月三日の夜に激しい頭痛に襲われ右眼にも高眼圧からくる痛みを感じ始めた。
使えるだけの薬を使い、痛みを抑えて緊急外来に行くことにした。
この時に、残念ながら眼科を見れる医者が緊急外来におらず、眼科医が来るまで痛みに耐え続けなければならなくなった。
眼圧以上は、余程のことがなければ自らの体感で感知することは難しいとされている。
幼い時から緑内障と付き合ってきた私でも、多少は敏感になっていても難しいことは変わらない。
そんな眼圧の上昇を体感で感じていたのだから、これはかなりの異常事態と言える。
眼科医が到着し、視てもらったところ眼圧が異常なほどに高くなっていることがわかり、ニードリングの処置をしてもらった。
それから、予定通りに一月五日に入院をしたのだが、この時にも頭痛や右眼に痛みがあり、入院直後の診断で眼圧が異常に高くなっていることが分かった。
この時もニードリングで眼圧を下げてもらったのだが、後にこの時の状況を考えると、おそらく急性緑内障の症状が出ていたように思う。
どういう流れで、急性緑内障の症状が出るようになったのかわからないが、入院二日目の全身の件さをした日にも眼圧が上がり始め、夕方にもニードリングをしてもらうことになる。
あまりに酷い状況だったが、予定通りに入院三日目に手術を受けて、急激な眼圧の乱高下は落ち着いた。
数日後に手術の影響が落ち着いたところで、手術の結果を検査した。
手術自体は、問題なく成功し、視界の欠損は最小限に抑えられた。
だが、別の問題が浮上していることが確認されてしまった。
それは、手術前の数日間の間に眼圧が激しく乱高下した結果、眼球に大きな負担がかかり、角膜と視神経にダメージが出ている可能性が高いとのことだった。
角膜とは、眼球の黒目の部分を覆っている膜と考えてくれたらよい。
防護膜でもあるが光を取り込みピンとを合わせたりもする機能がある。
ある程度のダメージなら、自己修復をするともされているが、大きく傷つくと角膜移植しか治療方法がないのも特徴と言える部位となる。
私の場合のダメージは、角膜が濁り、僅かだが光の通りが悪くなってしまった。
さらに、視神経のダメージは、緑内障の様な視界が欠損するようなダメージではなく、根本的な見る力にダメージが出てしまったようで、僅かだが視力が低下してしまったようだ。
角膜と視神経のダメージは、回復の可能性が僅かにあったので、そのまま眼圧が安定すると退院した。
それからのことは、詳しく書くにも、状況の変化があまりにも激しかったので簡単に書かせてもらう。
三月末に再び眼圧が上がり始め、再びのインプラント挿入手術をする。
それから約二か月ごとに手術を行い、年末には、弱視と呼ばれる状態にまで視力が低下していた。
翌年になって、やっと眼圧が安定する。
そこで、復活する可能性を見定めていた角膜のダメージが大きくなりすぎていることがわかり、角膜移植を実施することになる。
この時の角膜移植は移植した角膜と私との相性があまり良くなかったようで、同じ年の年末に再び角膜移植を受けた。
二度目の角膜移植は、上手く定着し、いまでもこの時の角膜が私の眼球の中にある。
だが、緑内障と角膜移植は、相性が元々あまり良くないらしく、再びの角膜移植をいつかしないといけないようだ。
角膜移植を含む移植手術は、緑内障手術とは違う性質の手術なので別の機会に詳しく書きたいと思う。
そうして現在の私は、緑内障の視界欠損で七割ほどの視界が奪われ視神経の損傷で光しか感知しなくなり、移植した角膜も安定はしているが強い濁りが出ている状況になっている。
角膜を再び移植すると、鈍い反応しかしていなかった視神経が活性化する可能性は、まだあるようだが、手術をすると視神経に負担がかかってしまい、今の状況がさらに悪化する可能性もないとは言えない。
さらに、何がきっかけで急性緑内障の症状がでるのかわからないので、あまり手術に積極的に慣れない私がいる。
最後に、視る力が失われたと感じた時の話をして、この章を閉めさせてもらおうと思う。
毎日の日課となっていた右眼へのマッサージをしながら、ぼんやりと自室の奥にある棚に目をやると、スーと棚が消えて行った。
何が起きたのか瞬間的に混乱したが、すぐに頭が冷えた。
ああ、この時が来たのか
これが、冷静になって感じた最初の感想だった。
ただ、この時が来ただけで見ることに苦労していた日々が終わったのだと理解できた。
そうして、心からの解放感を感じた。
私は生まれてからこの時まで、視ることに努力をしてきたのだ。
それが、終わったことに解放感どころか歓喜を感じても私自身にとっては不自然には感じない。
もう無理をしてまで見続ける必要がないということは、それほどに私に幸福感を齎すことだった。
ちなみに、この時の直接的な原因は、緑内障よりも角膜の方にあったようだ。
見えない世界は、恐ろしい。
それでも、見えないなりの発見を楽しみながら探して行けば良い。
この時、私の人生は、一度終わった。
あえて言うなら、私は死んだと考えた。
そうして、第二の人生が始まった。
今度の世界は、視界のない世界だ。
小説家になろう風にいうなら、私は異世界転生をした。
見る力を失ってから、しばらくの時が流れた。
今でも様々な発見がある。
この新世界を楽しもうじゃないか!
さて、この章は少し重い話になっていたと思うので次回からは、少し軽い話をしたいと思う。
私が定めた『人生、太く短く』の座右の銘を実践した結果、いくつか面白い体験ができたと思う。
その中で、披露できる話を書いていこう。
次回からは軽めのお話を書くつもりです。