魔女の望んだ、たった一つの魔法
「本当に、ありがとうございました!」
金色のボブが可愛らしい、小さな魔女がペコリと頭を下げる。
お礼を言われるどころか、こちらが謝るべきだというのに。私がそう伝えても、律儀に頭を下げ続けるその姿は健気で可愛らしい。
「身体にどこか変なところはない?クリス君だっけ?」
「はい。もう、すっかり元通りです」
「それは良かった」
私はニコリと微笑むと小さくため息を吐いた。
レイに『客が私に会いたがっている』と聞いた時は、まさかこんなことになるとは思っていなかった。十数年ぶりに会う、レイ以外の人間。頑なに避けていたわけではないけれど、誰かと会うことにどこか気乗りがしなかったのは事実で。
(会ったのがこの子たちで良かった)
そんなことを考える。
「でも、今回のことで反省したなぁ。魔法を売るときはちゃんと相手が何をしようとしてるのか、自分の目で確認しないといけないのかもね」
記憶がなくとも、人には善意と悪意があること、善意でも時に人を蝕む要因になりうることを私は知っていた。きっと、記憶がないときの私は、そういったものの中に揉まれて生きていたのだろう。
「あの、魔女さんはこれからもここで、魔操具を売り続けるのですか?」
「ん?……うん。そのつもりだけど」
未だ幼さの残る魔女は、そう言って少し寂しそうな表情を浮かべている。紫色の瞳がキラキラ揺れるのがとても美しい。どこか憂いを帯びた表情も、太陽のような笑顔も、全部が気になって先程から目が離せずにいた。
「こんな辺鄙な所ではなく、もっと人の多いところ……王都あたりで商売をしてはどうですか?そうすればきっと、あなたの記憶にも辿り着けそうな気がしますが」
二人からトネールと呼ばれていた男性が、そう言って穏やかに微笑みかける。けれど私は首を横に振った。
「きっと私みたいなタイプは王都には合わないわよ。ゴミゴミしていて、疲れちゃいそうというか――――でも」
忘れたはずの記憶の中に、王都の光景が思い浮かぶ。立ち並ぶ建物や調和のとれた緑。活気のある人々。それからその中央に鎮座する美しく大きな、白い城――――。
その大きな城の中にたった一人。いつも寂しそうに笑う人がいた。
『あの人を幸せにしなきゃ――――笑ってもらわなきゃ――――』
頭の中で誰かの悲痛な叫び声が響く。
私はそれを振り払いながら、前を向いた。
「ごめん、何でもないわ。記憶のことはね、もう良いの。私も過去に囚われてないで、前に進まないといけない頃合いだしね。そろそろ魔法の開発ばっかりじゃなくて、人と触れ合うことにシフトしていくことにするわ」
「そうですか」
冷静を装って話したつもりでも、心臓は未だドキドキと鳴り響いている。チラリとミシェルと呼ばれた魔女を見ると、先程頭の中に浮かんだ誰かの姿とダブって見えた。
(あ……あぁ)
どうすれば良いのか分からぬまま呆然と立ち尽くしていた私に、魔女はニコリと笑いかけてくれた。とてもとても幸せそうに。何だか涙が出そうになって、私は思わず顔を逸らす。
(笑っている……!こんなにも幸せそうに、笑っているわ!あの子は――――あの人は今、幸せなの?)
この十数年、存在を感じることのなかったもの――――自身の心がじんわりと温かかった。
「主、どうしましたか?」
様子のおかしい私をレイが気遣っている。ミシェルもそっと側に寄り添って、私を支えてくれた。心配そうな表情だ。
「ごめんなさい、大丈夫だから」
涙が止め処なく溢れ出る。どうしてなのか分からぬまま、私は必死に涙を拭った。
こんな泣き方、十代の若い娘のようではないか。情けないと思うと同時に、私の時はきっと、そこで止まっていたのだろうと思い至る。
「あの、魔女さん――――お願いがあります」
ミシェルはそう言って私の顔を覗き込んだ。凛とした美しい表情に迷いのない声。
「なに?」
私は涙声を絞り出しながら、ようやくの思いで返事をする。
「実は私、もうすぐ結婚するんです」
ミシェルはそう言って、とても幸せそうに笑った。
「相手は優しくてカッコよくて。誰よりも努力家で、責任感に溢れていて。でもその分人には見せられない弱いところもある。私、その人のことが大好きなんです!一生側で支えて、幸せにしてあげたい。笑顔にしてあげたい!だからその……初めて会った人にこんなことお願いするのは変だって分かってるんですけどーーーー魔女さんにも、彼に会ってみてほしいんです」
私の手をそっと握りながら、ミシェルは目を細めた。
「私の結婚式に来てくださいませんか?その時彼ともう一人――――会って欲しい人がいるんです。私の、大切な人なんです」
ミシェルの瞳の向こうには、いくつもの光りが見えた。笑顔が見えた。その中にはどこか懐かしい、私の大切な人の笑顔も見える。過去を乗り越え、今を生きるために笑っているその姿に涙が溢れた。
(そうか――――私は、私が求めていた魔法は――――――――――)
「もちろん、出席させてもらうわ。――――ミシェル」
大好きな人との間にできた、大事な宝物。大切な人を笑顔にする、私が追い求めていた、たった一つの魔法。
私は人の心を変えたかったんじゃない。ただただ、あの人を――――ヘリオスを笑顔にしてあげたかったのだ。
王室専属魔女の解雇を告げられたあの日、最後に見たヘリオスの表情は絶望に満ちていた。もう二度と笑えない。そんな表情をヘリオスは浮かべていた。
だから、彼の心を変えてあげたい。私がいなくとも彼が嫌なことを忘れて、笑顔になれるように。ヘリオスを幸せにしてあげたかった。ずっとその想いに囚われていた。けれどもう、その願いは叶っているのだと知る。
「だって、大事な娘の晴れ舞台だもの」
そっと頭を撫でると、想いが一気に込み上げてくる。
「…………っ!」
私の見ていなかった十数年の間、この小さな身体にどんな物語が詰まっているのだろう。だけど、もう『あの魔法』は必要ない。私たちにはこれから先たくさん時間があって、いくらでも話ができるのだから。
ミシェルを必死に抱き締めながら、私は十数年ぶりに心からの笑顔を浮かべたのだった。




