バディ
紅毛の魔女はゆっくりとこちらへ近づきながら、ニコリと穏やかに微笑んだ。慌てる店番の少女を尻目にその隣に腰掛けると、ふぅ、と小さくため息を吐く。
「この子以外の人に会うのは何年ぶりだろう?何だか緊張しちゃうなぁ」
「――――魔女さん、お名前は?」
ウキウキと楽しそうに笑う魔女に、トネールが恐る恐る尋ねる。ミシェルもゴクリと唾を飲んだ。
「それがね、私には自分が生まれてから、ここに来るまでの記憶がないの」
「「えっ!?」」
思わぬ発言に、ミシェルとトネールが顔を見合わせる。魔女はなおも困ったように笑いながら懐かし気に目を細めた。
「誰にも会うことないし、この子は私のことを『主』って呼ぶんだもの。それからずっと、名前はないままなの」
ごめんなさいね、と言って魔女は少し首を傾げた。
(記憶が、ない――――)
ミシェルはドキドキしながら、改めて魔女を観察する。
紅色の髪の毛のゆるやかな三つ編み、大きな瞳と優しそうな表情。
(これが私のお母さん?)
とはいえ、ミシェルの知る母の面影は、まるで夕陽のような色をした紅色の髪の毛ということぐらいだ。似ているかどうかと問われても、正直自信が持てなかった。
「だけどね、一つだけ覚えていることがあって」
「どんなことなのですか?」
思わずミシェルは身を乗り出して尋ねる。
「それがね、記憶をなくす前から私、『人の心を変える魔法』を作りたいって、そう思っていたみたいなの」
ドクン、と音を立てて、ミシェルの血が駆け巡った。
(お母さん――――お母さんだ)
心臓が燃えるように熱い。瞳に涙が溜まっていくのを、ミシェルは必死で拭った。
「それがどうしてなのか、どんな風に変えたいのか分からないんだけど、私に続く唯一の手がかりだもの。思いつくままに色んな魔法を試したわ。姿を変える魔法もその一つよ。だけど、私には誰の記憶も無いから結局扱えなくて」
トネールがそっとミシェルの背中を撫でてくれる。ミシェルは嗚咽を堪えながら、真っすぐに前を向いた。
「とはいえ人里に降りる時間も惜しくって、こうしてずっと魔法の研究に明け暮れてたってわけ。でも、私に会いたいって言ってくれる人がいるなんて、嬉しいじゃない?」
どうやらトネールの予想は当たっていたらしい。魔女が表に出てこない理由は、思ったよりも単純なものだった。
「それで?人の記憶を奪う魔法って一体どんなものを考えてるの?」
「じ、実は新しく魔操具を作ってほしいわけではなくて。――――これを見てほしいんです」
そう言ってミシェルは、胸に抱いていた本を魔女へと差し出した。魔女は目を細めながらそれを受け取ると、あら、と小さく声を上げる。
「鍵が掛かってるじゃない?どうしちゃったの?」
「鍵?」
魔女は頁をペラペラと捲りながら、首を傾げている。
「この魔法はね、自分の記憶や感情を他の人にも見てもらうためのものなの。まぁ、その間記憶を見せている側は動けないっているデメリットはあるんだけど――――ほら、私には自分の記憶がないじゃない?誰か私のことを知っている人の記憶を見せて貰ったらさ、自分の記憶も戻るんじゃないかなぁって。それに、世の中には素直に気持ちを口にできない人とかいるでしょ?もしかしたらこの魔法で誰かを笑顔にできるかな……って思って作ったんだけど」
ミシェルとトネールが思わず顔を見合わせる。テッキリ相手の記憶を奪うための魔操具とばかり思っていたが、造り手の意図は全く別のところにあったらしい。
「だからね、術を掛けられた側は本来自分の意思で元に戻れるの。だけど、これには鍵が掛かっている。誰かが意図的に掛けたとしか思えないけど」
魔女はそう言ってチラリと少女を見た。少女は無表情のまま、真っすぐに前を見据えている。
「レイ、もしかして魔操具と一緒に鍵も売ったの?」
「はい。そういうオーダーだったので」
レイと呼ばれた少女の返事に、魔女は盛大なため息を吐いた。
「ごめんなさい。レイには買い手側が何を意図して商品を買いに来ているのか、分かっていなかったのよ。いえ、これは私の落ち度ね。こんな道具を作り出してしまった――――」
しょんぼりと頭を垂れる魔女に、レイは初めて人間らしい表情を見せる。驚きと悲しみが入り混じったような、そんな表情だ。
「いえ、主は悪くありません!そもそも魔操具を悪用する人間が悪いわけで」
「その通り。どんな便利で素晴らしい道具も、使う人間の心次第で、悪になりうるってだけの話だと俺は思いますよ」
レイとトネールの言葉に、魔女は弱弱しく微笑む。まるで魔女の心が移ったのだろうか。ミシェルの心臓もチクチク痛んだ。
「それで、その本にされた人間は元に戻りますか?」
「もちろん!ただ鍵が掛かっているだけだもの。任せて!」
ドンと胸を叩きながら、魔女が笑う。
その瞬間、ミシェルの身体から一気に力が抜けた。ポロポロと涙が流れ落ち、肩の震えが止まらない。
「よっ……良かったぁ…………!」
今にも崩れ落ちそうなミシェルの肩をトネールが抱き、よしよし、と撫でてくれる。
「クリス……!クリスにまた、会えるんですね!良かった!本当に‼」
「さぁさぁ、小さな魔女さん。泣いてばかりいないで一緒にこっちに来て?」
魔女はそう言って微笑むと、奥の間を指さす。どうやらミシェルが魔女であることは、
とっくの昔にバレていたらしい。コクリと頷きながら、ミシェルは魔女の後に続いた。
奥の間の作業スペースには、見慣れぬ魔操具が沢山置かれていた。
魔女は大きな台を一つ空け、そこに本を置くと、ブツブツと何事かを唱えながら、本の表紙をそっと撫でる。すると、それまでは存在しなかったはずの大きな鍵穴が現れた。
「良い?ここにぴったり当てはまる鍵の形を思い浮かべて?それを魔法で形作るの」
ミシェルは言われた通りに杖を取り出し、鍵を思い浮かべる。
魔女は満足そうに微笑みながら、ミシェルの手に自分の手を添えた。
「それから、もう一つ大事なこと。あなたの想いを魔法に込めるの。この人はあなたにとって、大事な人なのよね?」
「はい!とてもとても、大事な人です」
「よし!じゃぁ、その気持ちを魔法に込めて」
ゆっくり、ゆっくりと鍵穴に鍵が差し込まれていく。ミシェルの心臓はドキドキと高鳴った。
出会ってからこれまでの記憶が走馬灯のように駆け巡る。頁毎に綴られていた、胸を締め付けられるかのように熱い、クリスからミシェルへの気持ち。
彼の想いに答えることはできない。けれどしっかりと受け止めて、これから先もずっと大切にしていきたいとミシェルは思う。
(クリス……クリス…………!)
眩い光が辺りを包む。身体が燃えるように熱い。とても目を開けてはいられなかった。
どのぐらい経っただろう。やがて、カチャッと小さな音を立てて鍵が開いた。
瞑ったままの視界が、白い明滅から段々と穏やかなモノへと変わっていく。ゆっくりと目を開けると、そこには泣きそうな表情で笑うクリスが立っていた。
「クリス!」
「ミシェル……ただいま帰りました」
きつく身体を抱き締めながら、ミシェルは涙を流す。肌を伝って感じるクリスの鼓動、温もり、全てが嬉しかった。子どものように声を上げて泣くと、これまで必死に抑えていた感情や溜まっていた言葉が溢れ出す。
「良かった~~~~!良かったです!本当に!もう、会えないかと思って!悲しくてたまらなくて!ごめんなさい、クリス!私のせいで危ない目に合わせて、本当にごめんなさい!」
「ミシェルのせいじゃありません。絶対に違います!私がふがいないせいで心配をお掛けしました」
「そんなこと~~~~」
ミシェルは激しく首を横に振りながら、クリスに縋りつく。クリスがミシェルの背に手を伸ばしかけたその時、彼の背中にベッタリと温もりが貼り付いた。
「俺のことも忘れるなよっ」
それは、『クリスの姿』をして聞くのは初めてな声音。けれど、本の姿をしていても、周りの状況というものは伝わってくる。それが誰のものなのか、分からぬクリスではなかった。
「――――――あなたという人は!いつもいつもいつも!良いところで邪魔をして~~~~!」
クリスは声を荒げながら後ろを振り返り、元は猫の姿をしていた悪友――――類供とも呼ぶべき存在、トネールに向き合った。トネールはクスクス笑いながら、クリスの肩をポンと叩くと、ヒョイとミシェルをクリスから遠ざけた。
「だってさ、お互いルカに怒られたくないだろ?あいつを揶揄うのは楽しいけど、加減しないとミシェルが大変な想いをするし、変な噂が立ってもいけないでしょ?これ以上結婚を先延ばしにもできないしさ」
「それにしても!それにしてもですよ!今ぐらい……、今ぐらい許されるでしょう!?感動的な再会なんですから!」
「だから俺がギュッてしてやるって」
「いりません!」
まるで、幼い頃からの親友のような二人の軽快なやり取りに、ミシェルは声を上げて笑う。
(やっぱり二人は仲良しでしたね)
そっと涙を拭いながら、いつかの誰かの質問の答えが出たなぁ、と目を細めた。




