一緒に行こうよ
「そんなわけで、ミシェルに拾われた俺は、自由気ままな生活を満喫した。寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。誰に付きまとわれることなく外に出られるし、変な期待を持たれることも無い。それは王子の頃には想像もできなかった毎日だった。ミシェルは俺を可愛がってくれたし――――たった二人きりの生活だったけど、毎日がとても楽しかったよ」
懐かしそうに目を細めながらエイダンは話を続けた。
ルカは先程から込み上げてくる何かを必死に抑え込みながら、そっとミシェルの手を握った。ミシェルは不思議そうに首を傾げながらもニコリと微笑みかけてくれる。それだけで心が幾分落ち着くような気がした。
「そんな時、ミシェルが森から出る決心をした。当時、クリス以外で唯一友人と呼べる人間だったソフィアに裏切られたからだ。正直俺はクリスのことが好きじゃなかったけれど、ミシェルがクリスに付いていくって決めたなら、それで良いやって思った。このまま二人は結婚して、俺は侯爵家の猫として一生を終えるのかなぁ、なんて思っていたんだけど、そこで話しは終わらなかった。ミシェルが王室専属魔女に応募することになったからだ」
エイダンはまるで自分の頭の中を整理するように、ゆっくりと言葉を選びながら説明を続ける。ミシェルも一緒になって当時を回想しているようだ。
「そこから先はルカ様もご存じの通りだよ。ミシェルは無事、王室専属魔女の地位をゲットして、城に移り住むことになった。着任早々俺の兄と会談で会う羽目になったりとか、色々と思わぬことが起きたけど……一番驚いたのはミシェルがルカ様の寵愛を受けたことかな」
エイダンはニヤリと笑いながらルカを見上げる。まるで揶揄われているかのような口調なのに、ルカの名前にだけはしっかりと敬称を付けてくるため、違和感が大きい。正直全く敬われている気がしなかった。
「――――――ルカで良い。どうせ心の中ではそう呼んでたんだろ?」
「あぁ、バレてた?じゃぁ、遠慮なくそうさせてもらうね」
ルカがため息を吐きながら言うと、エイダンは楽し気に笑った。エイダンといるとなんだか調子が狂ってしまう。ペースを乱されないよう、ルカはもう一度居住まいを正した。
「クリスはさ、最初からミシェルミシェルって五月蠅かったし、俺にも対抗意識燃やしまくってたから色々分かりやすかった。だけどルカは真意が見えづらいんだもんな。王子だったら有能か見込みのある家来を重用するのは当たり前だし、特別扱いもするだろう?だから、最初は王室専属魔女って存在に意義を見出して構ってるのかなぁって思ってたんだよね。すぐに本気なんだって分かったけど。…………そうそう。あの頃のさ、二人に言い寄られて動揺してるミシェルは可愛かったよ!多分ルカやクリスにはあんまり見せないようにしてたみたいだけど」
「ちょっ……、トネール!恥ずかしいから、そういうことルカ様に言わないでください」
「良いだろ?猫の時はどんなに頑張っても言えなかったんだからさ!」
恥ずかしそうに頬を染めるミシェルに、エイダンは意地の悪い笑みを浮かべた。ルカはミシェルを再び自分の方へ抱き寄せながら、眉間に皺を寄せる。
(知ったようなことを。私と二人でいる時のミシェルの方が……)
可愛い、と思いかけてルカは首を横に振る。残念ながらミシェルは、どんな時だって可愛いのだ。自分が見ていないからといって、比べることはできなかった。
「…………ちょっと待て。まさかおまえ、猫だった時の記憶が全部残っているのか?」
ふと気になって、ルカはエイダンへと問いかける。
「うん。バッチリあるね」
エイダンは躊躇いなくそう言って、コクリと頷いた。
ルカが思わず唇をギザギザに歪める。そんなルカの様子を、ミシェルは不思議そうに見上げていた。
エイダン――――トネールは基本的にいつも、ミシェルと一緒にいた。
仕事の時も、それ以外も。朝も昼も夜もミシェルの隣にいた。
それはルカとミシェルが心を通わせるようになってからも――――。
「~~~~~~っ!おまえ!」
「いや、待って。大体はディーナが預かってくれてたじゃん?それに、自分でも出来る限り外に出るようにしてたよ?親友の情事を覗き見るなんて、さすがに趣味が悪いし。まぁ、逃げ遅れたこともあったけど!」
エイダンは大変察しが良い。苦笑いを浮かべつつもルカが聞きたかったことに的確に答えてくれた。すると、ようやくミシェルにも、二人が何を話しているのか伝わったのだろう。全身を真っ赤に染めながら、パッと顔を隠した。
「忘れろ。頼むから」
それがルカとミシェル、ひいてはエイダンのためだ。
エイダンが心得た、と胸を叩きながら笑うと、ミシェルは躊躇いつつも再び前を向いた。
「――――それから、我が王家の秘密についてなんだが」
それからルカは、ずっと気になっていたことを切り出した。
エイダン――――トネールは、ルカとミシェルの出生の秘密が打ち明けられたその時、彼等と共にいた。あの時は猫だと思っていたから気にならなかったが、彼が隣国の王子だと分かったからには事態は重い。ルナリザーは敵対国ではないものの、ことは王家の存在を揺るがすスキャンダルだ。
(王家は私の代で終わらせる。けれど、それは今ではない)
ルカの想いを叶えるためには、王という存在がなくなっても政が滞りなく進められる体制を整える必要がある。これまで王に集約していた決定権を分散し、民の中から指導者を選ぶための制度を一から作らなければならない。
それに、必要なのは制度だけではない。王とは異なる形で上に立つことのできる人材を育てることも必要だし、国民の理解を得ること、そのために時間をかけて想いを伝えていくことが必要なのだ。
(王家は国民の心のよりどころだから)
それがいきなり崩れれば、国は倒れる。他国に侵略され、あっという間になきものとされてしまうだろう。
ルカは険しい表情のままエイダンを見つめる。すると、エイダンは穏やかに微笑みながら身を乗り出した。
「安心してよ。口外するつもりはないから」
「……!本当か?」
思わずルカは声を上げた。
エイダンはコクリと頷きながら、目を細めた。
「俺にとってサンソレイユは第2の祖国だよ。国を脅かすような真似、絶対しない。約束するよ」
なんなら念書も書こうか?と口にしながら、エイダンは真剣な表情を浮かべている。ルカはホッと胸を撫でおろした。
(ミシェルはエイダンに絶対の信頼を置いている)
ならばルカも彼を信じるべきだ。不安がないわけではないが、そう思った。
「しかし、それならどうしてルナリザーに戻ったんだ?」
ルカは再び頭に浮かんだ疑問を口にした。
エイダンが魔法で猫になっていたことは分かった。その理由や経緯についても大まかではあるが理解できた。
(恐らくはあの爆発を機に、魔法が解けたんだろうが)
彼にはそのままルナリザーに戻らない、という選択もあったはずだ。王子ではなく、市井に溶け込み生活していくという方法だって。
エイダンはルカが言わんとしたいことが分かったらしい。ニコリと微笑むと、遠くをぼんやりと見つめた。
「それはね、ルカとミシェルのおかげだよ」
思わぬ言葉にルカは目を丸くする。ミシェルもルカを見上げながら首を傾げていた。
「自由に生きるのはとても楽しかった。けど、それだけじゃダメだってようやく気づけた。不器用ながら一生懸命生きてるミシェルや、この国の人たちを見ていて、自分という存在やルナリザーについて初めて客観的に見ることが出来たんだ」
エイダンの表情は真剣そのものだった。先程までの軽い口調が嘘のようだ。
「それから、ミシェルやルカの父親の話を聞けたことも大きかった。ただ生まれた家が王家だからというだけで、重圧を背負う理由も意義も、俺には見いだせていなかった。普通の人には許される、それなりに頑張りながら楽しく生きていくって選択肢が、俺には許されない。それが理解できなかったから。だけど、俺も王家に生まれたなら、国のためにできることをすべきなのかもしれない。そう思うことができた。それに」
エイダンは徐に言葉を区切ると、ルカとミシェルを交互に見つめる。小さな沈黙が三人の間に漂った。
「二人と対等な立場に――――ちゃんと友達になりたいって思ったから」
それからエイダンは少しだけ頬を紅く染めると、そっと顔を背けた。ルカは瞬きをしながら、エイダンから発せられた言葉の意味をゆっくりと呑み込んでいく。
(友達……)
エイダンと自分が。そんなことを思うと、何やらむず痒さを感じてしまう。
そんなことを考えていると、ミシェルが瞳を潤ませながら、エイダンの元へと駆け寄った。
「何言ってるんですか!トネールは既に……ううん、これから先、何があってもずっと、私の友達ですよ」
まるで幼子のようにエイダンを抱き締めながら、ミシェルは声を震わせる。
「そうだけど!そうなんだけど!こうして言葉を交わすのは初めてだしさ。ほら、ルナリザーの王子という立場を利用したら対等だからさ。俺がどっかで一国民として生きていくより、ずーーっと気軽に会えるし、仲良くできるでしょ?俺たちのおかげで国同士も友好を深められたら言うことないし、っていう意味で……」
「それは分かってますけど!でも、トネールが友達になりたいなんて、そんな寂しいこと言うから」
「はいはい、ごめんって。ミシェルは俺の大事な友達だよ」
エイダンはミシェルの背中をポンポンと撫でながら、小さく笑った。
(まただ)
ルカは俯きながら、そっと胸を押さえた。
心の中で、言葉にならない黒い感情が蜷局を巻き、ルカを焼く。焦燥感にも似たそれは、ルカがこれまでの人生で、殆ど経験したことのないもので。
(苦しい。辛い)
ミシェルを見ていたい。そう思うのに、エイダンと仲良くしている所を視界に入れたくはない。けれど視線を逸らして、二人がどうしているのか、分からないことも恐ろしい。
まるで自分の居場所がなくなったかのような感覚。
(バカなことを考えるな。元々エイダンはミシェルの側にいた。だから何も変わらない。私の居場所はなくならない)
ルカは自分にそう言い聞かせる。
けれど、事態がこれまでと大きく変わっていることは明らかで。耳を塞ぐようにしながらルカは首を横に振った。
「だからさ、――――俺と一緒に行こうよ」
その時、ルカの耳にエイダンの声が届いた。小声だったためなのか、途切れ途切れで全ては聞き取れなかった。けれど、最後の一言だけはハッキリと耳に残り、ルカの心を鋭利に突き刺す。
(ミシェルが私の側からいなくなる――――?)
ルカは目の前が真っ白になった。




