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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
王都に戻った魔女、幸せの意味を知る
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傷だらけの王子様

 あの深夜の攻防から2ヶ月が経った。

 政務官や騎士、侍女たちは毎日、事態の後始末や城の修復に向けて、忙しく働いている。

 平和な国に起こった反乱は国民の心を大いに揺るがした。

 けれど、被害が少なかったことや、主犯が既にこの世にいないこと、その後の対応が早かったことから、すぐに鎮静へと向かった。

 とはいえ、こんな状態では婚姻の儀を予定通りに執り行うことは難しい。ミシェルとルカの結婚式は、数か月の延期を余儀なくされた。


「ミシェル様、こちらの書類を確認していただいても宜しいですか?」


 政務官から差し出された書類をミシェルは笑顔で受け取る。使用しているのは、いつも彼女が使っている小さな部屋ではない。ルカの執務室だ。隣には侍女のマロンではなく、アランが付き従っている。


「お預かりします」


 ミシェルが答えると、政務官は恭しく頭を垂れて、部屋を後にした。


「段々板についてきましたね」


 そう口にするのはアランだ。ミシェルはため息を一つ、机に突っ伏した。


「全然です。全く慣れませんし、これでも気を張っているんです」

「そうですか?そんな風には見えませんでしたが」


 クスクス笑いながら、アランはミシェルから書類を受け取った。

 あの夜ルカが負った背中の傷は浅くなかった。出血も多く、一時はかなり危うい状態に陥ったものの、現在は治療の甲斐あって快方へと向かっている。

 とはいえ、執務を行える状態ではないので、こうしてミシェルが名代のような真似をしている。

 名代と言っても、ミシェルにはルカの王子としての仕事や判断基準、その処理方法含め何も分からない。実際のところはアランが全てを処理してくれている。

 けれどミシェルには、大事な仕事があった。


「ところで、ルカ様の様子はどうですか?まだ復帰までに時間が掛かりそうでしょうか?」

「そうですね……」


 それは、ルカの様子を城の皆に伝えること、それからルカへ日々の城の状況を伝えることである。

 実のところ、身体の状況だけを見れば、もうルカは執務に復帰できるはずだ。医者もそんな風に話していた。けれど――――。


(ルカ様、あれからずっと元気がありません)


 ミシェルは思わず表情を曇らせる。

 信じていた側近――クリスが他人に入れ替わっていたうえ、城への侵攻を許してしまった。

 それは傍から見れば全くルカのせいではないのだが、責任感の強い彼のことだ。まるで全て自分の責任のように感じているらしい。

 それに、ルカはあの夜、彼の側を離れた騎士たちに批判が集まったことにも、心を痛めていた。


『私が指示を出したんだ。それなのに、私ではなく彼等が責められるなんて……』


 ミシェルや国王がなにを言ってもルカの心は晴れそうにない。真実が国民に伝わるよう取り計らったが、ルカが怪我を負ったことは紛れもない事実だ。大した効果は得られなかった。

 それでもルカは、自分の弱みや痛みを見せようとはしない。ミシェルもまた、ルカの苦しみを城の皆に伝えることはしなかった。


(皆、純粋にルカ様のことを心配してくれているのだけれど)


 今のルカには好意を素直に受け取ることが難しいのかもしれない。ミシェルが皆からの見舞いの言葉を伝えても、ルカはいつも曖昧に笑っている。

 その時、ミシェルの視界の端にふと、一冊の本が映った。クリスと入れ替わっていた男が、肌身離さず、ずっと持っていたものだ。ミシェルはそれをそっと手に取った。

 ルカが本に変えられてしまっていたことを鑑みれば、この『本』こそが本当の『クリス』なのだろう。


(クリス……私はどうしたら良いのでしょう)


 男が『魔法』と口にしたことをルカが教えてくれた日から、ミシェルは何度も何度も、クリスを元に戻そうと試みた。けれど、どんな魔法を使ってもクリスが元に戻ることは無い。


(ルカ様が元に戻って、本当に良かった……)


 気落ちしながらも、ミシェルはほっと胸を撫でおろす。

 あの日ルカは爆風に煽られ、気づいたら元の姿に戻っていたのだという。本に変えられた後も、意図的に意識を残されていたことや、魔法を掛けられてから、さして時間が経っていなかったことが、ルカが元に戻れた理由なのかもしれない。

 もしもルカが元に戻っていなかったら、ミシェルは絶望で立ち上がれなくなっていた。今、こうしてミシェルが前を向けるのは、ルカのおかげに他ならない。

 とはいえ、ミシェルはたったの一日の内にクリスとトネール、二人の大事な存在を失った。本当は苦しいし、辛くてたまらない。

 けれどミシェルは、こんな風に落ち込んだルカを見るのは初めてだった。ルカはいつだって前を向き、力強く自分の道を進んでいた。


(ルカ様はいつだって、私のことを導いてくれた。自分の道を決めること……歩き出すその時を待ってくれた。だから今度は私の番)


 立ち止まり、後ろを向いてしまったルカを支えたい。幸せを取り戻したいと心から願う。


「すみません、もう少しだけ時間を下さいませんか?」


 ミシェルはアランを見上げながら小さく首を傾げた。


「もちろんです。ルカ様は普段から働きすぎですしね。良い休暇になりますよ。……仕事のことは私がしっかりサポートしますし、お任せください」


 アランは恭しくお辞儀をすると、ドンと胸を叩く。ミシェルはコクリと頷きながら、笑みを浮かべた。


「失礼いたします、ミシェル様!」


 その時、執務室の扉が騒々しく開けられた。不躾な訪問に、アランが顔を顰める。

 本来ならば取次が間に立つはずなのだが、そういったものが一切省略されている。余程急ぎの案件なのだろう。


「一体どうしたのですか?」


 アランを宥めながら、ミシェルが尋ねる。


「実は――――」




「ルナリザーの第3王子が?」


 ルカは私室のソファでミシェルから書類を受け取りながら、目を丸くした。


「はい。非公式の訪問、という扱いではありますが、今ルカ様のお見舞いに向かっているとのことです」


 困惑した表情でミシェルはルカを見つめる。ルカは小さくふむ、と唸り声を上げた。

 ルナリザーの第3王子といえば、1年以上前に行方不明となり、そのまま見つかっていなかったはずだ。そんな彼が見つかった、ということなのだろうか?


(そういえば、王室専属魔女になったばかりのミシェルを会談に連れて行ったのも、あちらの第3王子が原因だったな)


 彼が行方不明となった経緯に不思議な点があったこと、こちらの国の関与が疑われたこと等から組まれた会談であったが、結局は何の手がかりも掴めないままになっていた。

 とはいえ、結局は他国の話だし、こちらができることには限りがある。あちらの王子の件については、すっかり頭から抜け落ちていたのだが。


「如何いたしますか?お約束もしていない一方的な訪問ですし、具合が悪いから、とお断りすることも出来ると思いますが」


 恐らくミシェルにそう教えたのはアランだ。ルカも、一国の王子としてはその対応で良いと思う。気やすく面会の叶う相手として認識されるのは良くない。

 けれど、下手をすれば今が好機と攻め入られる可能性だって秘めている。たとえ虚栄だとしても、健在な姿を見せるべきなのかもしれない。


(それにしても)


 ルナリザーはどうして、見つかったばかりの第3王子を国外に出すことに頷いたのだろう。

 見つかった経緯も、その後のやり取りも、何も分からないルカには想像することしかできない。けれど、それが妙に気に掛かった。


「いや、良い機会だ。会ってみようか」


 いつまでも私室に籠って塞ぎこんでいるべきではない。ミシェルを安心させるためにも、ルカは自分を奮い立たせる。


「そうですか……わかりました」


 ペコリと頭を下げたミシェルを、ルカはちょいちょい、と呼び寄せる。ミシェルは薄っすら頬を染めながら、そっとルカの隣に腰掛けた。


「ルカ様?」


 ちょこんと首を傾げながら、ミシェルがこちらを見上げてくる。ルカは小さく笑いながら、ミシェルを優しく抱き締めた。


「ごめん、少しだけ充電させて」


 自分の代わりに働いてくれているミシェルに、これ以上の負担を掛けるべきではない。そう分かっているのに、ルカの足は中々前を向いてくれずにいる。温かくて穏やかな、ミシェルと二人きりの空間にずっといたいと想ってしまう。


「私も……ルカ様とギュッとしたいです」


 ルカを優しく撫でながら、ミシェルは笑う。


(甘えているのは私のはずなのに)


 まるで、こちらが甘えさせているかのように錯覚してしまう。それはミシェルの本心なのかもしれないが、半分はルカのためなのだと分かっていた。


「ミシェルは優しいね」


 心の傷をそっと包み込んでくれる、大切な人。けれど、いつまでもこんな状態では、いつか愛想をつかされてしまうのかもしれない。


(こんな失態だらけの私と、ミシェルはいつまで側にいてくれるのだろう)


 希望と不安が交互に入り乱れる。ミシェルに身体を預けながら、ルカはそっと目を瞑った。

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