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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
王都に戻った魔女、幸せの意味を知る
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 背中を焼くような鋭い痛みに、ルカは表情を曇らせた。身体が熱を持ち、汗がダラダラと噴き出る。ふと目を遣ると、先程まで実体のなかった自身の身体の一部が目に入った。


(元に戻った……のか?)


 そういえば先程まで、痛みというものを感じていなかったことを思い出す。それどころではなかった、という事情もあるが、理由はきっと、それだけではない。


「うっ……」


 本にされている間、どんなに頑張っても動かなかった身体が今、ルカの思い通りに動かせる。膝と拳をついて踏ん張れば、粉塵で曇っていた部屋の状況が少しずつ見えてきた。


「ミシェル!無事か!?ミシェル!」


 声が掠れて上手く出ない。けれどルカは必死に声を張り上げた。

 せっかく身体を取り戻したというのに、痛みと熱で普段のようには動いてくれない。一刻も早くミシェルの無事を確かめたいというのに、視界も未だ悪いままだ。ルカにはそれがもどかしくて堪らなかった。


「ミシェル!」

「…………っ」


 その時、ルカには聴こえた。とても微かな、まるで虫の呼吸ほどの小さな音。けれどルカは、音の聴こえた方へ急いだ。

 夜明けがもう間近に迫っている。陽光がルカの向かう方角に横たわる、誰かの輪郭をうっすらと映し出した。


(ミシェル‼)


 間違いない。ミシェルだ。

 ルカはミシェルに駆け寄ると、思わず抱きかかえた。身体がガクガクと震え、心臓がザワザワと騒ぐ。

 本当ならミシェルの呼吸を確認するだとか、身体の状態を確認するだとか、声を掛けるだとか――――すべきことは山ほどある。けれど今のルカは、声を出すことすら出来ぬまま、呆然と佇むことしかできずにいる。


(ミシェル!ミシェル!)


 恐怖がルカの身体の自由を奪う。声の出し方も、腕の動かし方すら分からなくなってしまった。

 万が一ミシェルを失ってしまったら、ルカは生きていくことができない。それは、先程クリスに化けていた男から、記憶と身体の実体を奪われた時に感じた恐怖よりも余程大きい。今のルカは、実体があるのに感覚を失ったかのような、そんな状態だった。


「ルカ、様……」


 ルカは目を見開いた。小さい、けれど間違いなく紡がれた自身の名。混乱と不安で靄が掛かったようだったルカの意識がハッキリしていく。


「……っ!ミシェル!」


 そっとミシェルの口元に耳を寄せると、呼吸の音が聴こえてくる。僅かに開かれた唇からもう一度、ルカ様、とミシェルの声が聴こえた。


(良かった……目立った怪我はない)


 ルカはミシェルの身体を見遣りながら、ほっと胸を撫でおろした。

 男が起こしたのは大きな爆発だった。それは、ミシェルが生きていることを確信できないうちには、身体の状態を確認することが憚られるほどで。

 ほんのりと温かいミシェルの身体は、彼女が生きてここにいることをルカに教えてくれる。ミシェルを抱き締めながら、ルカの瞳に涙が込み上げた。


「ルカ様、良かった……元に戻られたのですね」


 ミシェルはそう言って微笑むと、そっとルカに手を伸ばした。ルカの頬を撫でるミシェルの手のひらは温かくて優しい。ルカはミシェルの胸に顔を埋めながら肩を震わせた。自分のことなど今はどうでも良かった。ミシェルの身体の方がずっとずっと大事だ。

 けれど、そう思うのはきっとお互い様なのだろう。ルカは深いため息を吐きながら、もう一度ミシェルに向き直った。


「ミシェル、怪我は?どこか痛むところはない?」


 目に見える怪我は対処がしやすいからまだ良い。けれど、頭や内臓、目に見えぬ部分に怪我を負う方がずっと厄介だ。本人以外には痛みが分からないし、命に関わる。

 ルカの問いかけにミシェルはゆっくりと身を起こすと、ニコリと微笑んだ。


「平気です。腕や足を少し打ちつけたみたいですが、それだけですよ」


 ふふ、と笑いながらミシェルはルカを抱き締める。ふわりと漂うミシェルの香り。それがルカをひどく安心させる。


(ミシェルだ……。良かった。本当に良かった)


 背中の傷の痛みも忘れるほどに、ルカの胸は安堵で満たされていた。幼子を宥めるように、ミシェルは何度も何度もルカの頭を撫でている。


「ルカ様!」


 その時、爆発で崩れ落ちた壁の向こう側から声が聴こえた。アランの声だ。


「御無事ですか、ルカ様!」


 瓦礫の隙間にアランの瞳が見える。ルカは居住まいを正すと、アランの方へ向き直った。


「私は無事だ!アラン、父上は?皆は無事なのか?」


 今夜最初の爆発があった時、本城にいたアランは国王――――ヘリオスの元にいち早く駆けつけ、護衛をしていた。その彼がここにいるということは、戦況に何らかの変化があったのだろう。


「怪我人は多数おりますが皆無事です!」

「そうか」


 それが本当ならば、まるで奇跡のようなことだ。相手が訓練を一切されていない、ただの民ならば、あるいはそういう可能性もあるかもしれない。けれど、ゴードン――――敵は元々軍の要人であり、家人にも武に長けたものが多かったことを考えれば、妙である。


「では、侵入者達を制圧できたのか?」

「それが……つい先程あった爆発の後、敵襲者たちの動きがピタリと止まりました。それから皆剣を捨て、自分たちは操られていたのだと、国に反逆する気はないと口にしだしまして」


 アランが憮然とした声音で状況を説明してくれる。


「現在、全員の捕縛が完了しております」

「なるほど……」


 ゴードンはともかく、裏で糸を引いていた彼の息子の目的は、『ルカと成り代わり、自身が王子となる』ことだった。

 もしも襲撃者たちが誰かに操られていたという話が本当だとしたら――――男は後に自分の力となる騎士たちを減らさないよう、調整を施していたのかもしれない。そして、操られていた『男の兵たち』は、術者がいなくなったことにより、解放されたのだろう。


「皆が無事で、本当に良かった」


 ルカはそう言って、ほっと胸を撫でおろす。


「お待ちください。すぐにそちらへの道を拓きますから」


 アランはそう言って、後ろに控えていた他の騎士たちに指示を出していた。出口を作るのに、それほど時間は掛からないだろう。


「ミシェル。もうじきアラン達が助けに来てくれる。だから安心して――――――」


 ルカはミシェルの方を振り返りながら笑いかける。けれど次の瞬間、言葉を失った。

 朝日の中、ミシェルは呆然と立ち尽くしていた。彼女の目の前には、金色に輝く小さな何かが横たわっている。


「トネール……」


 震える声でそう呟くと、ミシェルはガクリと膝をついた。魂の抜け落ちた小さな身体を抱き締めながら、ミシェルは身体を震わせる。


「トネール!トネール!」


 何度も何度も名前を呼びながら、ミシェルは涙を流していた。ルカはミシェルの側へ屈むと、そっとトネールを覗き込む。その顔は穏やかで、とても満足そうに見えた。


「――――咄嗟のことで私、爆発から身を守ることも、防御魔法を出すことも、何もできませんでした。それなのに無事だったのは……トネールが……トネールが私を護ってくれてたんです!どうして!どうして気づかなかったんでしょう!トネール……トネール!」


 大粒の涙がミシェルの頬を濡らしていく。ルカには、ミシェルを抱き締めてやることしかできない。


(ごめん、ミシェル)


 ルカとて、トネールの死が悲しくないわけではない。けれど、ルカにとってはミシェルが無事であることの方が重要だ。悲しみよりも感謝の気持ちの方がずっと強い。


「ごめんなさい、トネール!私が迷わなければ……躊躇せずにいられたら、あなたは助かったかもしれないのに!」


 ミシェルの懺悔にルカの心が軋む。

 今回のことは全て、ルカの判断誤りが招いた事態だ。

 護衛を付けず、ルカが一人きりになったこと。部屋に潜むゴードンに気づかず、隙を突かれて負傷したこと……。自分でも読みが浅いと言わざるを得ない。

 ミシェルが助けに来ていなかったら今頃、ルカは亡き者となっていた。私欲の塊が王子として国を乗っ取る。そして国は、滅びへの道をひた走ることになっただろう。

 それに、元はと言えばゴードンを処刑せずに生かしたことも、クリスの入れ替わりに気づけなかったことだって、全てルカのせいだ。ミシェルが気に病むことなど、何一つない。


(ミシェルも、父上も、騎士たちだって無事だ。けれど)


 ミシェルの心に消えない傷を作った。その事実が、ルカの心に暗い影を落とす。

 その時、ミシェルの腕の中、トネールの身体が光りを放った。


「トネール!?」


 驚きにミシェルが目を見開く。何度も不思議なことを起こしてきたトネールだ。もしかしたら息を吹き返したのではないか。ついついそう期待をしてしまう。けれど、トネールの肉体は空っぽのままで、ただただ太陽のように眩く光り輝くだけだ。

 風もないのにチリン、と音を立てて鈴の音が鳴る。トネールの首輪に着けられた、王家の紋が入った鈴だ。

 ミシェルが鈴をそっと撫でると、トネールの身体はまるで、空気に溶けるかの如く透き通っていった。


「えっ………そんな!?ルカ様、トネールが……!待って!行かないで!トネール!」


 予期せぬことにミシェルは取り乱し、涙を零す。ルカも突然のことに戸惑い、ミシェルを支えてやることしかできない。けれど、もっと予期せぬことが起きた。


『ありがとう』


 ルカは思わず周囲を見回した。聴きなれぬ男性の声音が聴こえた。耳ではなく、直接脳に語り掛けられるような感覚。ミシェルも同じだったのだろう。ルカと同じように視線を彷徨わせている。


(アラン達は未だ、作業を終えていない)


 ならば残る選択肢は一つのように思える。


「トネール!トネールなの!?」


 ミシェルはそう叫んだ。けれどその答えは、いくら待っても返ってこない。

 それでも、ミシェルの心を溶かすには十分だったのだろう。ミシェルは何度も何度も涙を拭いながら、消えゆく愛猫の身体をもう一度抱き締めた。


「感謝しているのは私の方です。ありがとう、トネール。私の側にいてくれて本当に―――――」


 ありがとうございました。そんなミシェルの言葉と共に、トネールは光の粒となって消えていく。

 悲しみを堪えながら、ミシェルは力強く笑う。最後は後悔や謝罪ではなく、感謝の言葉で終えたい。


(ありがとう。ミシェルの側にいてくれて)


 ルカも心の中でそっと、トネールに向けた感謝の言葉を贈った。


『大丈夫。また、すぐに会いに行くよ』


「…………え?」


 ルカは思わず声を上げた。再び、キョロキョロと辺りを見回す。けれど、周りには誰も――――光り輝く黄金の猫すらもいない。

 今度の言葉はミシェルには聴こえていなかったのだろうか。周囲を見回すような様子はない。


(どういうことだ?)


 心の中でルカは何度も疑問を呈す。けれど不思議な声はもう、ルカに応えてくれることは無かった。

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