Cat's Eye
ルカとは違う方向へ走りながら、ミシェルは何度も後ろを振り返った。その度に護衛の騎士たちが先を促し、ミシェルは眉間に皺を寄せる。
「ミシェル様、先をお急ぎください」
「陛下やルカ様は大丈夫ですから」
二人がすぐにどうこうなることはない。そんなことはミシェルにも分かっている。けれども、心と身体はチグハグで、どうしても思うように動いてはくれない。
「あの……今はどこへ向かっているのですか?」
「スペンサー邸です。有事の際はミシェル様が身を寄せる旨、ルカ様が当主と話を付けておりますので、ご安心を」
スペンサーというのはアリソンのファミリーネームだ。つまり今、ミシェルはアリソンの実家へと向かっている、ということらしい。アリソンの家ならば、ミシェルも何度か訪れたことがあるし、侯爵家ということもあって、家の造りもしっかりしている。おまけに城からもある程度距離があるため、身を寄せるにはピッタリだと判断したのだろう。
「……っ、待って!」
「如何なさいましたか?」
「トネールが……私の猫がいないのです。さっきまで私たちに付いてきていたのに」
先程ルカを見送った時には確かに隣にいたというのに、トネールの姿がどこにも見当たらない。ミシェルは足を止め、キョロキョロと辺りを見回した。
「えっ!?おまえ、見たか?」
「いや……しかし」
戸惑いながらも足を止めてくれた騎士たちだったが、本当は先を急ぎたいのだろう。そわそわと足を動かしながら、何度もミシェルを振り返っている。
「――――――ごめんなさい。足を止めさせてしまいました。急ぎましょう」
「……はいっ」
ミシェルの言葉に心底ほっとした様子で、騎士たちは頷いた。
(一体、どこに行ってしまったのでしょう?)
これまでだってトネールは四六時中ミシェルの側にいたわけではない。猫なのだから当然と言えば当然なのだが、ミシェルがルカの元を離れた時だって、トネールは何も問わず黙って側にいてくれた。ミシェルが側にいてほしいと願う時はいつも、気づけば隣にいたというのに。
(でもきっと、あの子なら大丈夫)
ミシェルは自分にそう言い聞かせながら走り続けた。
どれくらい走っただろう。普段過ごしている城だというのに今日はやけに広く感じられる。
外に出ると、ミシェルは真っ先に城の状況を確認した。大きな爆発音がした割に、破損個所は大きくはなく、火の手も上がっていない様子だ。とはいえ、白く美しい城が損なわれたことは間違いなく、ミシェルは眉間に皺を寄せる。
「陽動とこちらの連携を遅らせるための爆破だろうか」
騎士の一人が腹立たし気にそう呟く。本当はルカや仲間たちと共に本城へ向かいたいのだろう。悔し気に拳を握る様子をミシェルは黙って見つめることしかできない。
それからしばらくして、ミシェルの瞳は敷地のはずれにある馬舎を捉えた。
「ミシェル様はこちらでお待ちください」
騎士たちは顔を見合わせると、コクリと頷き合った。片方は剣に手を掛け馬舎へ向かって駆けていき、もう一人の騎士はミシェルを庇うようにして佇んでいる。白み始める空に漂う緊張感。ミシェルの喉がゴクリと鳴った。
「ぐあっ!」
やがて金属がぶつかり合うような音と共に、微かな呻き声が響き渡る。馬の嘶きと巻き上がる土埃、それから立ち込める土と鉄の鉄の臭いに、ミシェルは顔を歪めた。心臓はバクバクと鳴り響き、息が上手くできない。馬舎へ駆け寄ろうと身を乗り出すと、護衛の騎士がミシェルを留めた。
「ご安心を。すぐに終わります」
騎士の言葉通り、それからほんの数分後、馬舎へ向かった騎士は馬を片手にこちらへ戻って来た。
「ミシェル様、お待たせいたしました」
先ほどと何ら変わりのない涼しい表情をして、騎士はミシェルに跪く。
「先を急ぎましょう」
夜中という時間のためだろうか。まだ城の異変は伝わっていないらしく、王都は静まり返っていた。馬車が通れるほどの広さがあるとはいえ、街中では馬を早く走らせるのは難しい。騎士の誘導を受けながら、ミシェルは一人懸命に馬を走らせる。
(こう離れてしまっては、城で何が起こっているのか、全くわかりませんね)
今は丁度、アリソンの家と城の中間地点ぐらいだろうか。ミシェルは後ろを振り返りたい気持ちを必死に我慢し、そっと瞬いた。
(えっ……!)
そのとき、ミシェルの心臓がドクンと大きく跳ねた。目の前に広がる景色。それは先程まで見ていた、静まり返った王都とは違う。
(これは……城の中?)
見覚えのある調度品や家具、部屋の様子。目の前をいくつも通り過ぎていくのは人の足だろうか。そう思っていると、今度は唐突に視界が上向いた。
「あっ!」
ミシェルが思わず声を上げる。
少し距離があるものの間違いない。ミシェルの視界には彼女の幼馴染、クリスが映っていた。けれど、穏やかで優しい面影は全くなく、細く吊り上がった瞳は妖しく光り、唇は弧を描く。
「そんな……」
ルカの懸念は現実のものとなってしまったのだろうか。ブルブルと震える身体を抱き締めながら、ミシェルは再びギュっと目を瞑る。
けれどその瞬間、ミシェルの目の前が紅く染まった。スローモーションのように、鮮やかな赤が目の前を覆い、そして散っていく。やがて再び開けた視界に映るものを見て、ミシェルは叫び声を上げた。
「ルカ様!」
ミシェルのすぐ目の前に、ルカが横たわっていた。
R15指定すべき?




