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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
王都に戻った魔女、幸せの意味を知る
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ルカの幸せ

 涙のせいか視界が霞んで見える。何度か瞬きを繰り返すうちに、段々と視界が開けてきた。


(あれ……?ここは…………)


 先ほどまでミシェルは、自身の執務室に膝をついていたはずだった。けれど、何故だろう。今ミシェルの視界に映るのは、執務室の床ではなく、見慣れた高い天井だ。それどころか、身体は柔らかい寝具の上に横たえられているらしい。思わず辺りを見回すと、ベッドサイドには困ったように笑うルカが座っていた。


「ルカ様……どうして」


 ミシェルは思わず頭を抱えた。

 ここはルカの自室だ。けれど、自分の足でここへ来た記憶はミシェルにはない。先程のクリスとのやり取りから、左程時間が経った感覚もなかった。まるで瞬きをする間のように思えていたというのに。


「部屋に戻ったらミシェルがいなかったから、探しに行ったんだ。そしたら、ミシェルが執務室の床で蹲っていて……びっくりしたよ」


 ミシェルの額を撫でながら、ルカが眉を下げた。


「心臓が止まるかと思った。倒れているのかと思って……でも、寝息が聞こえてきたから」


 自分では気づかなかっただけで、どうやらミシェルはあのまま眠ってしまったらしい。


(あんな状態で眠れるなんて……)


 ルカのことに加えて、クリスの心配まで加わってしまったというのに。あんなにもひどい精神状態でも、人は眠れるものなのだろうか。

 心配そうに眉を寄せるルカを見上げながら、ミシェルはギュっと目を瞑った。


「すみません、ルカ様。私、どうして眠ってしまったのか、覚えていなくて……」

「良いんだ。何事もなかったのだから。…………だけど、執務室にも、その周辺にもクリスの姿が見当たらなくて」


 ルカの言葉にミシェルの心臓が大きく跳ねた。額には薄っすらと汗が滲む。


(そうだ……クリス)


 浅く息を繰り返しながらミシェルは唇を引き結んだ。


「あいつは一体何をやっているんだ!必ずミシェルを守ると、そう約束したのに」


 ルカはいつになく語気を荒げながら、腹立たし気に目を細めた。今ここにクリスがいたら、殴りかかられそうな、そんな勢いだった。


「何か処罰を考えなければ」

「……っ!?ま、待ってください」


 ルカの言葉にミシェルは声を上げた。

 クリスを執務室の中から追い出したのは他でもない。ミシェル自身だ。その後、クリスがどこに向かうのかも、彼がミシェルの側にいないことでお咎めがあることも、考える余裕すらなかったのである。


「私が、悪いのです。どうかクリスを罰しないでください」


 ベッドから起き上がり、ルカに縋りつきながらミシェルは俯いた。


(どうしよう……私のせいです)


 ミシェルを一人にした、というだけでこれだ。もしもクリスがミシェルの唇に触れたことをルカが知ってしまったら……。そんなことを思うと、ミシェルはルカの顔をまともに見ることができなかった。


「クリスは、ミシェルを危険に晒した。一歩間違えたら怪我をしていたかもしれない。命を狙われる可能性だってあった。あいつを……信頼して託したのに。許せるわけがないだろう!」

「私のことなどどうでも良いのです!どうかもう、気になさらないでください」


 思わず言葉が口を吐いた。喉が焼け付くように熱い。

 チラリと顔を上げると、ルカがひどく傷ついた表情でミシェルを見つめていた。まるで今にも泣き出しそうな、そんな表情にミシェルには見えた。


「……どうでも良いわけがないだろう。私にとって、ミシェル以上に大事なものなどないのに」


 力強くミシェルを抱き締めながら、ルカは声を震わせる。

 これまでと変わりない、真摯な声。身体から伝わってくる熱も、同じかそれ以上なのに。


「私以外にも大事なものはあるでしょう?それで良いじゃないですか」


 口にすれば辛いだけだと分かっているのに、ミシェルの唇は止まらない。けれど同時に救われるような心地がするのは、事実を受け入れれば、必要以上に傷つかずに済むからなのかもしれない。


「そんなもの、あるわけがない」

「否定……しないでください!」


 ポタっ、ポタっと音を立ててシーツにミシェルの涙が落ちる。

 ルカはひどく驚いている様子だった。戸惑ったような表情のままに、ミシェルを抱き締め続ける。

 心臓がズキズキと痛む。ルカに触れられた場所が温かくて冷たい。


(いつの間に私、こんなにも欲深くなってしまったの?一体、どうして……)


 ルカに縋りつくようにしながら、ミシェルは嗚咽を漏らす。

 ルカの側にいることができる。共に生きることができる。おまけに彼の妻にまでなれるのだ。これ以上望むことなんてない。そう思っているはずなのに。


「ミシェルがなんて言おうと、私にはミシェルだけだ。何よりも大事に――――愛しく思っている。だから、ごめん。どうしてミシェルがそんな風に思っているのか、分からないんだ」


 まるで砂糖菓子のようなルカの言葉は、甘くて脆い。けれど、それでもミシェルの心は幾分救われたのだろう。徐々に落ち着きを取り戻していく。

 その間ルカはずっと、ミシェルを撫でてくれた。おずおずと見上げる度、ルカは穏やかに微笑みかけてくれる。急かすでも強いるでもなく、ミシェルが自ずから話してくれるのを待ってくれているのだと分かった。


「……ジェーンが」


 ミシェルは徐に口を開いた。名を口にするだけで、ほの黒い感情が胸を侵食するような心地がする。けれどミシェルは意を決して大きく息を吐いた。


「もしもルカ様が、私ではなくジェーンと先に出会っていたらと……そんなことを考えました」


 ミシェルの言葉に、ルカが息を呑む音が聞こえる。今、彼がどんな表情をしているのか、ミシェルから窺うことはできない。不安を感じながらも、ミシェルは言葉を続けた。


「ルカ様がジェーンのことをすごく信頼しているように見えて……すごく羨ましくて。私がルカ様に選ばれたのは、運が良かったからなんだって――――そう感じたんです」

「そうか」


 ルカはポツリとそう漏らしながら、そっとミシェルの身体を放した。ミシェルの心臓が早鐘を打つ。


(怖い……ルカ様は今、どんな表情をなさっているの?)


 視線を落としたまま、ミシェルは眉間に皺を寄せる。するとルカは、ミシェルの顎を掬い上向かせた。

 思わぬことに、ミシェルの目じりには涙が浮かぶ。けれどルカは、困ったように笑いながら、ミシェルの頭を撫でた。


「言葉が足りなかったのは私の方だったんだね……」


 ため息を吐きながらルカが笑う。ミシェルが首を傾げると、ルカはもう一度ミシェルをギュっと抱き締めた。


「言わずとも伝わると思っていた。いや……伝わっていると勘違いしていた。ミシェルを傷つけているとも気づかずに。――――ごめん、ミシェル」


 苦しいほどに抱き締められ、身体が軋む。けれどそれとは裏腹に、心は呪縛から解き放たれていくような心地がした。


「あの、どういう?」

「ジェーンはね、間者なんだよ」

「えっ!?」


 驚きのあまり、ミシェルはルカを凝視する。けれどルカは、小さく笑いながら言葉をつづけた。


「父上は最初からジェーンのことを疑っていたんだろう。だから、あの男が逃げおおせた直後、ジェーンを私の側に置いた。侍女にしておくには勿体ない、と言ってね。私が信頼している素振りを見せたら、案外簡単に尻尾を出してくれたよ。間者と分かってからは、そのことを利用して優位に立とうと試みた。ジェーンを監視すること、それから偽の情報を握らせることが、私と父上の作戦だったんだ」


(なるほど……あれは嘘の情報を与えるためだったんですね)

 ミシェルの脳裏に、ルカとジェーンとのやり取りが浮かびあがる。あの時ルカは、ジェーンに意見を尋ねるふりをして、敢えて誤った情報を与えていたのだろう。


「だからミシェルに『ジェーンと以前からの知りあいのようだ』って言われたときも、上手く演技ができているんだって嬉しく思ったし、安心したんだ。まさかミシェルを不安にさせてるなんて、思いもしなかったんだよ」


 深々とため息を吐きながら、ルカがミシェルの手を握る。


「ジェーンは今頃、アランから拷問を受けている」

「えっ?」

「ここ数日泳がせてきたけど、早めに決着を付けたいからね。先程身柄を拘束したんだ。もしもミシェルがまだ不安に思うなら、一緒に見に行っても良い」


 思わぬ申し出にミシェルは首を横に振ると、両手で顔を覆った。


「ルカ様、ごめんなさい。私ったら事情も知らず、一人でいじけてしまって……」

「ミシェルのせいじゃないよ。私がちゃんと事情を話していれば、ミシェルに嫌な思いをさせずに済んだんだ」


 ルカはミシェルの頬に口づけを落としながら、クスリと声を上げて笑った。


「でも、いじけて貰える程度には、ミシェルが私のことを想ってくれてるって自惚れても良いのかな?」


 そう言って悪戯っぽく笑うルカは、普段よりも幼く見えるのに何故か色っぽい。ミシェルは高鳴る心臓を押さえながら、唇をギザギザにした。


「嫌じゃ無いのですか?こんな醜くて意地汚い感情」


 生まれて初めて覚えた感情。独占欲と嫉妬心。それがミシェルの心に渦巻く、どす黒いものの正体だった。

 こんな想いを抱くなど、決して褒められたことではない。けれど、薄っすら滲んだミシェルの涙を拭いながら、ルカは優しく微笑んだ。


「私は寧ろ嬉しいよ。ミシェルにそんな風に想ってもらえた。それだけ私のことを好いてくれてるってことだろう?」


 ルカはそう言って、満面の笑みを浮かべる。ミシェルの心臓がザワザワと騒いだ。


(あぁ……もう!)


 心の中で叫び声を上げながら、ミシェルはルカに抱き付いた。あまりの勢いにルカはそのままベッドに倒れ込む。


「ミシェル?」


 若干戸惑いを帯びた声でルカが呼び掛ける。けれどミシェルは、ルカをきつく抱きしめたまま目を瞑った。


「ルカ様、好きです!大好きです!本当に本当に、大好きなんです!」


 身を起こし、ルカを見下ろしながらミシェルが声を上げる。ルカは驚きに目を見開いたが、直後、泣き出しそうな笑いだしそうな顔をした。


「もう誰も……私以外がルカ様の心に近づけないように――――ルカ様が私だけを想ってくれるように、頑張ります。だから……だから…………」


 綺麗なだけでなく、ひどく醜い感情までも受け入れてくれたルカに、拙くても良い。想いを伝えなければならないと思った。そして、今後は自分の気持ちに嘘は吐かず、正直に生きていきたい。そんなことを願いながら、ミシェルは必死に言葉を紡ぐ。

 ルカは心底幸せそうに微笑むと、ミシェルを力いっぱい抱き寄せた。


(あぁ……何を不安に思っていたのだろう)


 何度も何度も唇を重ねながら、うわ言のように『好き』と繰り返す。その度に幸せそうに笑ってくれるルカに、愛しさが募っていく。

 自分を――――自分の気持ちを大事にすることで、大切な人をも幸せにできる。それはどれほど恵まれていて、幸福なことだろう。


(――――ルカ様を幸せにしたい)


 ミシェルはそう、心から願った。

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