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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
王都に戻った魔女、幸せの意味を知る
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Visitor and Returnee

 暗くジメジメと湿った狭く細い通路。その入り口がどこにあるのか、そして通路がどこへ続くかを知っているのは、城に仕える人間の中でもごく一部だ。男は小さな灯りを頼りに、通路を突き進んだ。


(もう十分に機は熟しただろ?)


 心の中でそう呟きながら、男はそっとほくそ笑む。自分は準備万端だというのに、随分と長い間、お預けを喰らってきたのだ。ついつい浮足立ってしまう。

 やがて通路の最奥まで辿り着くと、男は足を止めた。目の前には頑丈な素材で作られた牢がある。中には一人の中年男が、虚ろな瞳で座っていた。


「…………誰だ?」


 顔も上げぬまま、牢の中にいる方の男が尋ねた。牢の来訪者はクックッと喉を鳴らして笑うと、灯りを顔の辺りで掲げた。


「僕ですよ。まさか、覚えてないなんて言いませんよね、閣下?」

「おまえは……っ!」


 中年男は目を真ん丸にして驚いたかと思うと、すぐに眉間に皺を寄せ、顔を真っ赤に染めながら来訪者を睨みつけた。


「私のことを笑いに来たのか?」


 先ほどまで生きる屍の如く覇気のなかった男の顔に見る見る生気が蘇る。その原動力は憎悪と恨み、憎しみといった感情だ。来訪者は至極楽しそうに首を横に振ると、手のひらの中で金属のぶつかり合うような音を響かせた。


「まさか!その逆ですよ」

「……なに?」


 来訪者はそっと身を屈めた。かちゃりと音を立てて牢の鍵が開く。投獄された男は信じられないといった表情のまま身を乗り出した。


「まさか……!おまえが、なぜ?」

「さぁ?何故でしょう?」


 意味ありげに細められた瞳、弧を描く唇に、中年男はブルりと身を震わせる。自分の知っているはずのこの男は、もっと違う表情をしていた。少なくとも、こんな裏切り行為をするような男ではないはずだ。とはいえ、考えた所で答えは出そうもないし、理由を聞いたところで教えてもくれないだろう。


「……まぁ、良い。助かった」

「はい!これであなたは自由の身です」


 来訪者はなおもニコニコと笑い続ける。


「――――――ですが、どうでしょう?私と手を組みませんか?」


 訪問者からの思わぬ申し出に、中年男はゴクリと唾を呑んだ。

 自身が持っていた領地も臣下も、ここに入れられた時点で奪われてしまっている。せっかく脱獄が叶ったところで、男一人では復讐することも、生きていくことも難しいだろう。当然、来訪者はそれを分かったうえで男を逃がそうとしているし、そこに打算がないわけがない。


「良いだろう」


 けれど男は来訪者の手を取った。これから男はきっと、この来訪者の良いように利用されるのだろう。けれどそれはお互い様だ。男はニヤリと笑った。


「さすが閣下。そうこなくては」


 来訪者は満面の笑みを浮かべるとクルリと踵を返した。中年の男は来訪者の後ろにゆっくりと後に続く。数か月間ろくに動いてこなかったので、随分と身体がなまっていた。使い物になるまでにはしばらく時間が掛かるだろう。


「大丈夫ですよ。あなたの準備が整うまで僕たちは待ちますから」


 まるですべてを見透かすような瞳で来訪者は笑う。数分後、めでたく『脱獄犯』となる男は、小さく笑いながら心の中でため息を吐いた。


◇◆◇


(眩しい……)


 瞼を閉じたままでも分かる眩い陽の光にミシェルはそっと寝返りを打つ。いつもは冷やりとした肌と布団が、今朝はとても温かかった。


(こんなに寝たのはいつぶりでしょう)


 重い瞼をそのままに、ミシェルは思わず微笑む。

 ここ数か月、まともに眠れたためしがなかった。目を瞑ってみても、頭の中には考えても仕方のないことばかり浮かび上がって、かえってミシェルを疲れさせる。ようやく眠れたと思っても、変な夢を見ては目を覚ます。そうして気がづけば朝、という繰り返しだった。


(もっとずっと、こうしていたい)


 身体をすっぽりと覆う温もりにミシェルは擦り寄る。温かく優しく、太陽のように包み込んでくれる存在。ミシェルが求めて止まなかった人が目の前にいる。恐ろしいほどの幸福感に包まれて、ミシェルは唇を綻ばせた。


「こんなに寝たのはいつぶりだろう?」


 ふと耳元で聞こえる掠れた声。そっと顔を上げると、ルカが穏やかな顔をして笑っていた。


「……ずっとずっと朝を迎えるのが怖かった。ミシェルがいなくなったことを嫌でも実感したから」


 ルカはそう言って、ミシェルを力いっぱい抱きしめた。ミシェルの胸が甘く、苦く疼く。

 ルカを残しこの部屋を抜け出した夜のことを、ミシェルは今も鮮明に覚えている。

 あの夜もルカはミシェルを抱き締めてくれていた。意識がなくともずっと、ミシェルを抱き締め、温めてくれていたというのに。そんなルカを一人残して、ミシェルは城から消えた。


「でも、それだけじゃなかったんだ。朝起きたら、ミシェルが帰って来てるんじゃないかって期待もしてた」


 ミシェルはルカを抱き返しながら眉を下げた。ごめんなさい、と。そう口にしようとして、そのままルカに塞がれる。甘く蕩けるような口づけは、ルカが謝罪の言葉なんて求めていないことを明確に表していた。


「おかえり、ミシェル」


 あるべきところに帰って来たと――――ミシェルの帰る場所はここなのだと示すかのように、ルカはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……ただいま、ルカ様」


 もう何度目になるのか分からない『ただいま』の言葉。けれどルカは至極嬉しそうに微笑みながら、何度も何度もミシェルに口づけた。

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