王の話⑤終話【人の心を変える魔法】
「――――最近、少し元気になられましたね」
セレーネの死から数か月後。アーサーが私にそんなことを言った。
「やはりあの頃の私は元気がなかったかい?」
落ち込んでいた自覚はあったものの、傍から見た自分がどんなだったのかは分からない。それにあの頃は自分のことだけでなく、周りのことだって全く見えていなかったのだ。
「今にも消えてしまいそうで冷や冷やしていましたよ、私は」
アーサーは小さく笑いながらため息を吐いた。長い付き合いの彼にはきっと、相当心配を掛けていたのだろう。私は静かに目を瞑った。
「すまなかったね。きっともう大丈夫だ」
「……もしかしてマリアのおかげですか?」
思わぬ言葉に私はドキッとした。私からマリアとの関係について誰かに打ち明けたことは無い。一番の側近であるアーサーに対しても、それは同じだった。
「――――――そうだね」
未だ妃の喪が明けたわけではない。そんな状況で関係を認めるような発言はすべきではなかったのかもしれないが、マリアとのことで嘘は吐きたくなかった。
「再婚、なさるのですか?」
アーサーはそう尋ねた。私は小さく笑いながら首を横に振った。
「しないよ。ルカがいるからね」
そうは言ったけれど、法的にはマリアと再婚することは何ら問題ない。けれど私は、ゲオルギオスとの約束のためにルカを王の子として育てる責務がある。そのためには今、マリアと再婚するわけにはいかないと思っていた。
「そうですか」
「……アーサー、マリアとの関係に気づいているのは君だけだと思う?」
「いえ、恐らくは違うでしょう。どちらかというと女性の方がこういったことには敏感ですから」
「そうか……」
私は小さくため息を吐いた。
本当にゲオルギオスのことを思うなら、マリアとの関係を断ち切るべきなのだろう。けれど、私にはマリアが必要だった。公に愛情を示すことが出来なくても、側にいてほしかった。
けれどその頃、マリアはセレーネの侍女達に私との関係を疑われていた。セレーネが心を患ったのや亡くなったのもマリアのせいだと口汚く罵られていたようだ。セレーネの妊娠時にあれほど尽くしたというのに、まるで戦犯かのような扱いを受ける。そんなこと、私には想像もできなかった。
けれど噂はそれだけじゃなかった。
セレーネは病死したのではなく、マリアに殺された。セレーネのために作っていた薬に毒を混ぜたのだろうと、侍女たちはそんなことを噂したのだ。
その間マリアは噂のことを一言だって私に言わなかった。いつもと同じように笑い、ただ私の悲しみに寄り添ってくれる。
本当は自分の方がよっぽど悲しかったろう。苦しかったろう。それなのに私は、マリアの悲しみに全く気付いてやることができなかった。
私が事態に気づいたのは、それらの噂が侍女たちの間だけでなく、政務官や騎士たちの間にまで広まりきった頃で。ついには大臣や政務官たちを集めた諮問の場が設けられた。
「君がセレーネを殺したわけがないと、私は知っている。けれど……」
事態がここまで大きくなってしまった以上、王として私がすべきことは一つだった。
(ごめん、マリア……本当にごめん)
次の言葉はすぐには出てこなかった。心臓から血が噴き出すような痛み。これを口にすることは、自分の心を殺すも同じだ。それでも私は大きく息を吸い込むと、最後の言葉を放った。
「これ以上君を、この王城に置いておくことはできない」
城からの追放。それは私たちがもう、一緒にいられないことを意味していた。
「……御意」
マリアは表情を変えぬまま一言、呟くようにそう言う。穏やかで美しい、いつも通りのマリアだった。それが私がマリアを見た最後になった。
私はアーサーに彼女を護るよう伝えた。都を去り、彼女の故郷で彼女を見守ってほしいと。王の側近から一転、地方へ向かわせる人事は本来ならば左遷と受け取られるだろう。けれどアーサーは私の頼みを聞いてくれた。すぐに身重の妻を連れて、マリアを追ってくれた。
けれどその数か月後、マリアは消えた。
マリアの住んでいた森には結界が張られていて、彼女がどんな風にして過ごしているのかアーサーは窺えなかった。
けれどある日、唐突に森への入り口が開いた。森の奥にある家を訪ねると、そこには年老いた魔女と、生まれたばかりの赤子がいたのだという。
「娘はいなくなりました」
魔女はアーサーにそう言った。
「あの子は、『人の心を変える魔法を見つける』と……そう言って姿を消しました。この子を置いて」
輝く金色の髪の毛に紫色の瞳をした、小さな女の子。それがミシェルだった。
私はその話を聞いた時、涙が止まらなかった。
マリアはちっとも平気じゃなかった。心を喪ってしまった。私のせいで。
自分はあんなにもマリアに助けてもらったというのに、彼女のために何もできなかった。それどころか深く深く傷つけてしまった。それがあまりにも悔しかった。
私はアーサーからの手紙を置き、そっと執務室を抜け出す。そして、マリアといつも会っていたバルコニーへ向かった。
いつも温かく幸せな空間だったバルコニーはもう、空虚で冷たい、私だけの空間へと変貌を遂げていた。けれど遠く手の届かない空に輝く紅い夕陽は、まるでマリアのように美しくて。私はしばらくそこから動くことができなかった。




