王の話②【不思議な娘】
どんなに悲しくとも、辛くとも時計の針は止まってはくれない。
大きな喪失感に襲われながらも、私は何とか公務を続けていた。
「陛下、如何なさいますか?」
「それは…………」
「では、私の申しあげたとおりに」
私の意見も聞かず、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる祖父の重鎮たち。実績も信頼もない若い王など形だけの存在だから仕方がない。
けれど、彼等からはほの黒い野心や企みが透けて見えた。このままでは、祖父やゲオルギオスが大切に守って来た国を滅茶苦茶にされかねない。
(しっかりしないと……今この国には、私しかいないのに)
隣国出身の王妃を除いて、王族はもう私しか残っていない。
おまけに、身重の王妃の体調は非常に不安定だった。無理もない。最愛の人を亡くし、住み慣れた故郷を離れ、一人で出産に挑むのだ。
けれど、それを知っているのは私一人。侍女たちは、彼女の不調の原因がわからずに、医者を呼んだり、王室専属魔女に薬を頼んだりと右往左往していた。
それに無事に出産が叶っても、生まれてくる子に王位を譲れるのは、早くて十数年後のこと。それまでは、何とかして私が王を勤めねばならない。
(しんどいなぁ。私には王の素質などないというのに)
そうは思うが、アーサーや他の側近たちだって不安なのは分かっている。それなのに主の私がこんな調子であって良いはずがない。とてもじゃないが弱音は吐けなかった。
仕事を抜け出し、私は一人、膝を抱えた。王都を見渡せる自室のバルコニーは心を落ち着かせるのに丁度いい。眩い太陽の光はゲオルギオスを想い起させたし、頬を撫でるような風は頭を冷やすのにピッタリだった。
「……戻りたくないなぁ」
ボソッとそう本音が漏れた。不思議なもので一度声にしてしまうと、幾分楽になった気がする。私は一人声を上げて笑った。
「どこに戻りたくないの?」
けれどその時、誰もいないはずのバルコニーに、私以外の誰かの声が聞こえた。若く溌溂とした女性の声だ。
「なっ!?」
私は驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてバルコニーに身を乗り出した。
すると、驚いたことに、そこには若く美しい紅毛の少女が立っていた。
「ゆ、幽霊!?」
彼女の立っている場所には建物も、木の枝すらもない。ただ真っ新な宙が広がるだけだ。遥か下方に木で覆われた大地があるこんな場所に、生きた人間が立っているなど、その時の私には考えられなかった。
「えっ、幽霊!?どこどこ?私も見てみたい!」
少女は瞳をパッと輝かせ、辺りをキョロキョロと見回した。まさか自分のことを言われているとは思っていないらしい。あまりのことに、私は言葉を失った。
(この娘は一体……)
戸惑う私に少女はニカッと笑った。無邪気で明るい、太陽のような笑顔。何か、これまで覚えたことのなかった感情が私の中に芽生えが瞬間だった。
「ちょっと~~幽霊なんていないじゃない」
少女は空中で軽やかにステップを踏むと、バルコニーの中に入って来た。
私は焦った。もしもこの娘が暗殺者で、今私が殺されてしまえば、王族が絶える可能性がある。国を混乱に陥ってしまう。
(けれど)
何故だか、この娘はそういった類のものではない。そんな確信が私にはあった。
「……君は空を飛べるの?」
私は少女に尋ねた。少女はキョトンと瞳を丸くして、それから小さく笑った。
「飛ぶ?う~~ん……飛んでるっちゃ飛んでるのかなぁ?自分ではちょっと違う感覚だけど。こう、足に空気とか風とか集めて、ぶわぁぁぁって圧縮して、歩いてる、みたいな」
彼女の言う意味が分からず、私は首を傾げた。けれど、少女は自分自身のことにはあまり興味がないようで、瞳をキラキラさせながら私を見つめた。
「それより、あなたはどこに戻りたくないの?こんなところで何してるの?それからそれから――――」
矢継ぎ早に繰り出される話題。クルクル変わる表情。飾り気のない言葉や態度。私は呆気にとられた。
これまでの様子から察するに、どうやら彼女は私がこの国の王だと知らないらしい。
(――――――それなら)
私の中の何かが背中を押した。
誰にも打ち明けられない胸の内を、何も知らないこの少女になら打ち明けられるのではないか。そんな風に私は思った。
気づけば私の口は信じられない程流暢に、言葉を紡いでいた。
重圧、悲しみ、怒り、不安。それから、それらの感情に埋もれるようにして存在する、微かな希望。
少女はただ黙って私の話を聞いていた。何の固有名詞も具体性もない話を、少女はそれでも興味深げに聴いてくれた。
言葉とは不思議なもので、胸の中に留めるのと、声に出すのとでは大きな違いがある。すべて話し終えるころには、私の心は随分と軽くなっていた。
「ふ~~ん……よく分からないけど、色々大変なのね、あなた」
やがて少女は小さく笑いながら空を見上げた。私も一緒になって空を見上げる。先ほどまでと同じ空だというのに、何故だかより輝いて見えた。
「すまなかったね、私ばかり色々話してしまって」
けれど少女は首を大きく横に振った。
「私が聞いたんでしょ?何を謝る必要があるの?」
クスクス笑いながら少女は立ち上がると、大きく息を吸い込んだ。
「お城ってつまらない場所だと思ってたけど、まさかこんな見晴らしの良いところがあるなんて知らなかった!散歩に出て正解だったな」
ぐっと伸びをする少女は美しく、私の胸を打つ。トクントクンと心臓が早鐘を打った。
彼女はどこの誰なのだろう?一体どうしてここに来たのだろう?聞きたいことは山ほどあるけれど、うまく言葉にできない。
(しかし、そろそろ部屋に戻らないと……)
アーサーにはしばらく一人にしてほしいと伝えてあるが、あまりにも戻りが遅ければ心配して様子を見に来るだろう。如何にここが他からの襲撃を受けないと思われる場所であったとしても、限度はあると私は知っていた。
(現に例外がありうると身を以て知ったわけだし……)
どこからともなく現れた少女を見つめながら、私は苦笑を浮かべることしかできない。
「ねぇ!」
少女はバルコニーの手すりにぴょんと飛び乗ると、私の方へと向きなおった。太陽が段々と地平線の向こうへ沈んでいく。後ろ背に夕陽を浴びた少女はとても美しく、私の目を惹いた。
「ここに来たらまた、あなたに会える?」
少女はそう言って首を傾げた。
一瞬だったのか、それとも随分と時間が経っていたのか。気づけば私はコクコクと頷いていた。
少女はもう一度ニコリと笑うと、勢いよく下へ飛び降りた。
急いで見下ろしてみても、目下に広がる木々のせいなのか、はたまた彼女の力なのか、既に少女の姿は捕えられなくなっていて。
(……不思議な娘だったな)
そんなことを思いながら、自然笑みが零れた。




