動き始める物語
遠い昔、約束をした。幼馴染であり大切な友人からの、たっての頼みだった。
『頼む、アーサー』
この国でも珍しい紫色の瞳をした彼は、美しい顔を歪めながらアーサーにそう懇願した。
『仰せのままに』
逡巡するまでもない。アーサーはすぐに頷いた。
生まれ育ち、慣れ親しんだ王都を離れることにも、全く躊躇いは無かった。身重な妻へ負担を強いることすら、当然だと思った。
あれから、実に十四年の月日が過ぎた。あの頃妻のお腹にいた息子は、既に一人前と呼べるほどに成長している。
「さて、どうなることやら」
窓の外をぼんやりと眺めながら、アーサーは盃をグイっとあおった。視線の先には、先程見送ったミシェル達を乗せた馬車が薄っすらと見える。
ゆっくりと目を瞑ると、遠い昔の友人と幼い魔女の輪郭がぼんやりと重なった。
「こっ、ここが王都ですか……!」
馬車から降り立ちながら、ミシェルは思わず声を上げた。
今日は採用試験の当日。
昨夜はすぐ側の街に泊まり、つい今しがた王都に着いたのだが、ミシェルは思い切り圧倒されてしまった。
美しい石畳、聳え立つ高い建物、洗練された街並みに、行きかう人々の多さ。何もかもが、クリスと暮らしていた街を数段階上回っていた。
「ビックリしましたか、ミシェル」
クリスはミシェルをエスコートしながら、平然とした表情で微笑んでいる。彼の装いは、この街にも負けない程に洗練されていて、ミシェルは思わず自分を見下ろした。
(みすぼらしい……とまではいかないと思いますが)
いつも着ている藍色のワンピースは、この街と比べれば酷く地味に見えて、何やら落ち着かない。
(動きやすいし、気に入っているのですが……)
スカートの裾を摘まみながら、ミシェルはシュンと肩を落とした。
「ミシェルはとっても素敵ですよ。けれど、良かったら後で服を見に行ってみましょうか。きっと、気に入る一着が見つかります」
クリスはクスクス笑いながら、そっとミシェルの肩に手を伸ばす。けれど、すぐにトネールがそちら側に回り込み、鋭い視線でクリスを威嚇した。
「さて、と」
クリスは挑戦的な笑みを浮かべながら、トネールをひょいと抱き上げる。気に喰わないのか、トネールがフシャーと唸り声を上げた。
「ひとまず城に向かいましょう。買い物やお茶はその後ですね」
「お城? 」
ミシェルが首を傾げると、クリスはコクリと頷きながら、目の前にある長い階段のてっぺんを指さした。
「あの先にあるのが王のお住まいになる城、宮殿です」
「えっと……そうではなく、何故、宮殿へ?」
ミシェル達のいる場所から近すぎて、王宮の様子は良く見えない。けれど、王都の様子からすれば、とても大きく、荘厳な建物なのだろうと容易に想像がついた。
(何故、そんなすごい場所に私まで?)
貴族であるクリスだけならまだしも、一般庶民のミシェルがおいそれと立ち入って良い場所ではないだろう。ミシェルは大きく首を傾げた。
「何故って…………あそこがあなたの職場になるかもしれないから、ですが」
「へ⁉ 」
ミシェルは慌ててショルダーバッグの中から、アーサーに貰った募集要項を取り出した。
改めて求人内容に目を走らせてみても、要件にはあの日と同じように『魔女』としか書いていない。
「お城が職場になるなんて、どこにも――――――」
「ほら、勤務内容のところ。王室専属の魔女と、そう書いてあるでしょう? 」
「……っ! 本当ですね」
ミシェルは目を丸くしながら大きく息を呑んだ。
(まさか、王室専属魔女の試験だったなんて……)
興奮のあまり、要件の部分しかきちんと読んでいなかった。その事実に今さらながら愕然としてしまう。
(だって、こんな私にもできることがあるって、そう思ったから……)
心臓がバクバクと鳴り響く。身体中から血の気が引いていた。
「どっ、どっ……どうしましょう? 私、お城で使えるような高尚な魔法なんて何も……おばあ様に教わった、日常的な魔法ぐらいしか」
「落ち着いてミシェル。まずは気楽に行きましょう。初めての面接、初めてのお仕事なのですから、うまくいかなくて当然です。ダメだったら、家でこれまで通りに生活すれば良いのですから」
クリスはそう言いながら、今度こそしっかりとミシェルの肩を抱いた。
一歩、また一歩、城へと続く階段を上りながら、ミシェルの心は未だ落ち着かない。
(分不相応すぎて、眩暈がします)
ついこの間まで森の奥深くに一人で暮らしていたミシェルからすれば、地上から空の向こうまで一息に飛ばされてしまったようなもの。うまく適応できなくて当然だった。
けれどそれでも、足は着実に城へ向かって動いている。
(わざわざ求人を教えてくださったおじ様や、ここまで同行してくださったクリスのために、引き返すわけにはいきません)
ミシェルは気合を入れなおすと、心の中でそっと呪文を唱えた。
長い距離を歩くときや、向かい風の時に効く魔法。クリスの家の書庫にあった、魔術書から先日学び取ったものである。
「おっ」
唐突に軽くなった己の足に、クリスが驚きつつも笑みを浮かべる。
「さぁ、一気に行きましょう」
ミシェルは微笑み返すと、真っすぐに上を見つめ、石畳の階段を駆け上がった。
クリスも負けじと足を速める。彼に抱き上げられたままのトネールは、居心地悪そうに顔を顰めていた。
一歩、また一歩、上へと駆けていき、ミシェルの視界は光りに包まれる。最後の一段を思い切り踏みしめる。
「到着ですっ! 」
頂上へと辿り着くと、ミシェルは満足げに両手を上げた。クリスも大きく息を吐きながら、そっとトネールをその場に降ろしてやった。
「……それにしても、相変わらず美しい城ですね」
宮殿を見上げながらクリスが漏らす。
「えぇ、本当に」
ミシェルはそう返しつつ、ウットリと息を呑んだ。
目の前に聳え立つ、白と藍色を基調とした美しく大きな建物。窓や装飾には金と紫が使われ、上品かつ荘厳な印象を与える。
「幼いころ、おばあ様から貰った絵本に描かれていたお城にそっくりです」
ミシェルはそう言ってっゆっくりと目を閉じた。
まだ小さい頃、祖母がよく読んでくれたおとぎ話。
とある国の王子様が、若く美しい一人の魔女と出会い恋に落ちる。やがて魔女は、王子様との間に子を身籠った。喜ぶ二人だったが、周囲からの激しい反対に遭い、魔女はひっそりと王子様の前から姿を消す……そんなお話だった。
「そうですか。もしかしたら作者は、この城をモデルに絵本を描いたのかもしれませんね」
「そうですね」
そう答えつつ、ミシェルの心臓はドキドキと鳴り響いていた。
(何故だか今、とても不思議な気持ちです)
あれほど分不相応だという想いや、不安に囚われていたというのに、今のミシェルからはそれらが綺麗さっぱり消え去っていた。
それどころか今、ミシェルの心は期待と高揚感で満たされている。まるで、幼いころを過ごした場所に戻って来たかのような、そんな感覚だった。
(変ですね。私はおばあ様と過ごした、あの森の中の小さな家しか知らないはずなのに)
困ったように笑いながら、ミシェルはトネールを抱いた。トネールは神妙な面持ちで城を真っすぐに見つめている。
「トネールももしかして、私と同じ気持ちなのでしょうか?」
何故だかミシェルにはそんな気がしてならなかった。
美しく気高い雰囲気を醸し出すこの猫は、王城から来たと言われれば合点がいく。もしかすると、王や王妃の愛猫なのかもしれない。そんな突拍子もない妄想に、ミシェルはクスリと笑った。
「さて、そろそろ行きましょう。約束の時間に遅れてしまいます」
「そうですね。参りましょう! 」
ミシェルは慌てて踵を返すと、クリスの後へと続いた。




