運命を変える来訪者
「失礼いたします、ミシェル様」
ある日のこと。滅多に来客のないミシェルの執務室の戸を馴染みの侍女が叩いた。側にはマロンが控えていて、仕事や身の回りのことに何も不足はない。
(一体どうしたのでしょう?)
首を傾げながらもミシェルは侍女を出迎えた。
「ミシェル様にお客様がいらっしゃってます。応接室に御足労願えますか?」
侍女はそう言って恭しく頭を下げた。
なるほど、口のきけないマリンでは来客の取次はできない。だから、別の侍女が寄こされたのだろう。
「構いませんが、一体どなたでしょう?」
これまで、ミシェルを訪れるような客はいなかった。十四年間も森の中に引きこもって過ごしていたのだから当然だが、知り合いと呼べる人も殆どおらず、ディーナやアリソンは取次などなく、普通に部屋を訪れる。おまけにミシェルの執務室ではなく応接室へ案内したのであれば、相手は相当の身分の方だろう。
「はい。ブックリンカー家の御当主様でございます」
「……!」
侍女が告げたのは思わぬ人物の名前だった。
ブックリンカーというのはクリスの家を指す。その当主は彼の父親、アーサーだ。
「分かりました。すぐに伺います」
ミシェルは侍女に続いて執務室を出た。
案内された応接室の扉を開けると、ミシェルの顔についつい笑顔が浮かんだ。
「ミシェルちゃん、久しぶりだね」
「お久しぶりです、おじ様」
アーサーは優しく目を細めながらミシェルへと笑いかけてくれた。最後に会ったのは、もう一年近く前のことだろうか。森にいたころは割と頻繁に会っていたせいもあってか、随分と懐かしく感じられた。
「王都での生活はどうだい?少しは慣れたかな?」
侍女に促され、ミシェルはアーサーの向かいのソファに腰掛ける。マロンがいそいそとお茶の準備をしているのが視界の端に映った。
「はい!皆さんとても良くしてくださいますし、毎日楽しく過ごしています」
「そうか……それは良かった。実はずっと心配していたんだ。この仕事をミシェルちゃんに紹介したのは私だからね」
アーサーはそう言って微笑みながら、ミシェルを見つめた。
「おじ様には本当にお世話になりました。お屋敷にお邪魔させていただいたり、お仕事を紹介いただいたり……おじ様がいなかったら私、未だにあの森の中、一人で籠っていたかもしれません」
そう言って深々と頭を下げると、アーサーはブンブンと首を横に振った。
「いやいや、私は何もしていないよ。……ところで、城に来てから、王には会ったかい?」
アーサーは少しだけ改まった様子でミシェルにそう尋ねる。ミシェルはコクリと頷きながら、マロンから紅茶を受け取った。
「一度だけ。ここに来てすぐのころ、ルナリザーに出発する前にお会いしました。とても穏やかな、優しそうな方でした」
「…………そうか。それは、良かった」
ホッとしたように胸を撫でおろしながら、アーサーはティーカップを手に取った。
(王様がどうかしたのでしょうか?)
ミシェルが首を傾げていると、アーサーはハッとしたような表情を浮かべ、それから笑みを浮かべた。
「いや、すまない。あいつと私は幼馴染でね……まるで兄弟のように育ったこともあって、少し気になっていたんだ」
「あぁ、そういえば王様も、おじ様から私の話を聞いていたとおっしゃっていましたね」
遠い記憶を呼び起こしながらミシェルは笑う。すると、アーサーは目を細めた。
その時、応接室の扉が開いた。ミシェルもアーサーも思わず振り返る。
「アーサー!久しぶりだな」
そこにいたのはルカだった。アーサーは少し瞳を丸くすると、すぐに立ち上がる。
「ルカ様……お久しぶりです」
「いや、そのままで良い。本当に久しいな。王都に来るのは何年ぶりだ?」
「すみません。本当はもっとマメに顔を出したいのですが」
アーサーは王だけでなくルカとも仲が良いらしい。ミシェルはしばらく二人のやり取りを笑顔で見守っていた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「あぁ……そうでした。今日はね、ミシェルちゃんの誕生日プレゼントを持ってきたんだよ。当日は領地で仕事があって来れそうにないから……少し早いのだけど」
「えっ!?そうだったのですか」
アーサーはそう言って、ルカではなくミシェルの方に向かい合った。
「うん。顔も見たかったからね。直接足を運んでよかったよ」
そう言ってアーサーは、綺麗に包装された小さな箱をミシェルへと手渡す。
「ありがとうございます、おじ様」
ミシェルはそれを受け取りながら、朗らかな笑みを浮かべた。
物心ついたころから、アーサーは毎年ミシェルへ誕生日プレゼントを渡してくれる。家族は祖母だけ、友人と呼べる存在もクリスだけであったミシェルにとって、アーサーからのプレゼントはまるで父親からのそれのようで、とても嬉しいものだった。
「良かったな、ミシェル」
「はい。嬉しいです」
ルカはミシェルの隣に腰掛け、まるで自分のことのように嬉しそうに瞳を細めている。肩を抱きよせ、頭を撫でるその手のひらが温かい。ふと目を遣ると、アーサーは少し驚いたように目を見開いていた。
「二人はとても……仲が良いんだね」
途端にミシェルの頬が紅く染まる。
(そういえば、おじ様は私たちのこと、知らないですよね)
ミシェルとルカが恋仲であることを知るものは城で働く人間ですらも極一部だ。普段ルカの腹心や、事情を知る人間としか触れ合っていないため、すっかり失念していたのである。
「……そうだな。アーサーには先に話しておくか」
ルカはミシェルの顔を見ながら穏やかに微笑むと、アーサーへと向き合った。アーサーは先程までのおおらかさはどこへやら、今はどこか緊張した面持ちでごくりと唾を呑んでいる。
「結婚するんだ、私たち」
「け……………結婚!?」
余程驚いたのか、アーサーは目を大きく見開き、ミシェルとルカを凝視している。その表情は喜びというよりも寧ろ、絶望感に満ちているように見えた。
(おじ様?)
こんな様子のアーサーを見るのは、ミシェルにとって初めてだった。小さく首を傾げながら、ミシェルはアーサーを見つめる。
「あいつには……王にはもう、話したのかい?」
まるで救いを求めるかのように、アーサーが尋ねる。ルカはアーサーの様子には気づいていないようで、穏やかな面持ちのまま首を横に振った。
「いや、これからだ。あれこれと外堀を埋めている所で」
「あぁ……あの男の話なら、私も小耳にはさみましたが」
アーサーの言うあの男とは、軍事の要職についていたという貴族の男の話だ。ルカは箝口令を敷いているようだが、さすがにクリスの父親には情報が渡っているらしい。
「そうだ!アーサー、一つ頼まれごとをしてくれないだろうか?」
「はっ……はぁ。どのようなことでしょうか?」
唐突に瞳を輝かせたルカに対し、アーサーの顔色は悪い。ミシェルは二人をそっと見比べながら、例えようのない不安に襲われた。
「ミシェルをおまえの養女にしてくれないか?」
「養女、でございますか」
ルカが切り出したのは思わぬことだった。ミシェルは首を傾げながらルカを見上げる。アーサーはダラダラと汗を流しながら、眉間に皺を寄せていた。
「私自身は王族の結婚に利益も身分も、何も必要ないと思っている。しかし、今のままミシェルを妃としてもまた、あの男のような輩が寄ってくるとも限らない。それに国民の理解を得られづらい部分は確かにあると思う。けれど、もしもミシェルがアーサーの養女となれば話は変わるだろう。おまえ以上に国の王の信頼を得ているものは他にいないし、国民からも祝福される。悪くはない話だと思うんだ」
きっとルカは、ミシェルと共にある未来のために何が一番最善なのか、色んなことを考えてくれていたのだろう。これはそのうちの一つなのだ。そう思うとミシェルは胸が熱くなった。
「そ、そんな恐れ多いことで」
「いや、どう考えてもおまえが最適だ。元々魔女試験の時の後見人もアーサーだったし、幼いころからミシェルを見てきたのだろう?頼む……一度、考えてみてくれないか?」
ルカはそう言って深々と頭を下げた。
「ルカ様!そんな!どうか顔を上げてください」
今までこんなこと――ルカから何かを頼まれることも、頭も下げられた経験もなかったのだろう。アーサーは相当慌てたようで、手元のティーカップを倒してしまった。幸い中身は空だったが、それを拾い起こすアーサーの指は、カタカタと震えていた。
「…………わかりました。一度、考えさせていただきます」
しばしの逡巡の後、アーサーはポツリとそう答えた。
「ありがとう。よろしく頼む」
ルカは満足そうに微笑むと、ソファから立ち上がった。ルカは名残惜しそうにミシェルを撫でながら、アーサーへ向き直った。
「すまない、私はそろそろ仕事に戻る。つもる話もあるだろう。ミシェルとアーサーはこのまま、ゆっくりしていってくれ」
ルカを送り出すべく立ち上がろうとする二人を、彼はそっとその場に留めると、手を振り応接室を後にした。
(ルカ様)
既に姿は見えないというのに、ミシェルは応接室の扉を見つめ続ける。幸せだった。こんな短いやり取りの中でも、ルカの愛情を感じずにはいられない。ミシェルはウットリと目を細めて笑った。
するとその時、先ほどまでは気丈に振る舞っていたアーサーがガクリと肩を落とし、頭を抱えた。ミシェルは慌ててアーサーの元へ駆け寄ると、マロンに追加のお茶を指示する。
「おじ様、大丈夫ですか?どこか具合が悪いのでは……お医者様をお呼びしましょうか?それとも、何か薬をご用意した方が……」
けれどアーサーは首をフルフルと横に振って、何度も深呼吸を繰り返した。顔が先ほどよりも真っ青だ。ミシェルはアーサーの顔を覗き込みながら、妙な胸騒ぎを覚えた。
「ミシェルちゃん、そっちに座ってくれるかな?……大事な話があるんだ」
そう言ってアーサーは先ほどまでミシェルが腰掛けていたソファを指さした。ごくりと唾を呑みながら、ミシェルは小さく頷く。耳の奥で、まるで警報のように鳴り響く心臓の音が聞こえた。




