招かれざる客
それからしばらくの間、ミシェルは忙しくも充実した日々を送っていた。
日中はクリスの助けを借りながら魔女たちの調査をしたり、古い文献を読み漁って歴史や他国の状況を学んだり、魔法の特訓や実践をしながら、王室専属魔女としての自分の在り方を模索する。
夜はルカの時間が許す限り、一緒に過ごすよう心掛けていた。
とはいえルカも忙しく、そんなに長く時間が取れるわけではない。夜も遅くまで文机に向かい、仕事をしているらしい。せいぜいが一緒に食事を取るだとか、お茶をする程度の時間しか一緒にはいられなかった。
(せめてこのぐらいは許されるでしょうか)
誰にも気づかれないよう、少しずつ少しずつ食事用のテーブルを魔法で小さくしていく。それが、ここ最近のミシェルの密かな楽しみだった。元が大きいので、数日ではとてもルカに触れれるほどに縮小することはできない。けれど、少しずつ近づいていく距離が、ミシェルの心を優しく温めた。
「しっかし、ルカの奴、何でそんなに忙しいのかしら?」
そう口にしたのはアリソンだ。
ミシェルの執務室、向かいのソファに座り、訝し気な表情で首を傾げる。
「と、仰いますと?」
立派な装丁の分厚い本に目を通しながらクリスが答える。アリソンはマロンが運んでくれた紅茶を啜りながら、唇を尖らせた。
「だって普通はね、王子ってのはこんなにも働かないというか……政治に口出ししないと思うのよ。ほら、王様なんて普段何してるかちっとも分からないじゃない?それなのに、地方だとか貴族だとか軍とか福祉とか魔女がどうとか――――全部ルカが関わってるみたいだし」
「それは、まぁ」
クリスは顎に手を当てながら、思案顔を浮かべる。
「あいつの働き方は、王子というより出世を急いでる政務官とか大臣とかその辺の働き方って感じ。今でも国のナンバー2なのよ?ただ立ってるだけで十分なのに、あくせく働いてて変だなぁってずっと思ってたの」
「そう、なのでしょうか?」
これまで読んで来た他国の資料には、王家の在り方というものは特に記されていない。だから、ミシェルにはルカのスタンスが変わっているのか等分からないのだが。
(私は素敵だと思うんですけどね、ルカ様のお仕事してるところ)
理想を語るその瞳も、それに向かって誰よりも自分が動き、努力し続ける所も、憧れて止まない。ミシェルも彼のようにありたいと思うものの、まだまだ自分の与えられたことをこなすので精いっぱいだ。
「ルカ様は自分で仕事を増やしにいってますからね。おかげで私もアランも毎日大忙しです」
「そうでしょう?まぁ、国民からしたら王子が仕事熱心なのは良いことだろうし、その姿勢はすごいと私も思うんだけどね。……折角できた恋人なんだし、もう少し、ミシェルとの時間を優先しても良いんじゃないかなぁと思うのよ」
「わっ、私ですか?」
思わぬタイミングで自分の名前が飛び出し、ミシェルは目を丸くする。
「そう!せめて正式に婚約が成立するまではさ、仕事セーブして、そっちに注力しても良いじゃない?ね、あなたもそう思うでしょ?」
アリソンは首を傾げながらマロンに同意を求める。
「……っ!…………!」
マロンは指をもじもじ動かしながら、困ったように眉を曲げる。
「何?正直に言っていいのよ。言いつけやしないから」
「すみません、マロンはお喋りができないのです」
ミシェルはマロンに下がるよう指示を出しながら、アリソンに笑いかける。
「あら、そうだったの?寡黙な子だなぁとは思ってたけど」
今日がマロンとは初対面のアリソンは、目を丸くしてマロンの後姿を追う。クリスはルカの側近であるが故、マロンの事情についてよく知っているらしい。困ったように笑いながら、ポリポリと頭を掻いていた。
「原因は?何とかしてあげられないの?」
「母親を亡くしたことによる精神的なもの、というのが侍女たちの通説ですが……聊か長すぎる気はしますね」
彼女が母親を喪ったのは数年前。その間一度も声を上げていないらしく、皆が彼女を心配していた。
「……実は、本当に微かなんですが、彼女から魔力を感じるんです」
「え?」
「本当ですか、ミシェル」
ミシェルは膝の上のトネールを撫でながら、ゆっくりと目を瞑った。マロンが部屋を去った後も微かに残る魔力に、ミシェルは小さく身体を震わせる。
「マロン自身にも魔力があるのか、それとも誰かが彼女に魔法を放ったのか――――それは分かりません。けれど、側にいる内に理由が分かるかもしれない。そう思って、そういった事情は伏せてマロンを侍女に付けて貰ったのです」
トネールは首を小さく横に振りながら鈴の音を鳴らす。アリソンはへーーと声を上げながら、天を仰いだ。
「なぁんだ、案外ミシェルも魔女っぽいことしてるのね」
「はい。自分でも時々忘れがちですが、これでも王室専属魔女なので」
これまであまり魔法を使うだとか魔女として何かをするという機会に恵まれなかったものの、出来る限り自身の能力は活用していきたい。そんなことをミシェルは思う。
「まぁ、古今東西、国に雇われる専門職の仕事というのは、ほぼほぼ政務官のそれですよ。国に医師として採用された人間は、治療をすることは殆どなく、基本医療に特化した仕組みづくりや民間の監視機能に終始します。他の専門職も同じで、技能を活かすというよりは専門的観点から社会の基盤作りをすることがお仕事ですから」
「そうか……そう言われるとそうかもね。王室専属魔女ってのがしばらく空白の地位だった、ってだけで、他の専門職と同じなのか」
クリスの説明にアリソンはコクコクと頷く。ミシェルはすんなりと理解ができなかったものの、トネールの顎を撫でながら誤魔化した。
「…………!」
その時、ミシェルの身体に違和感が走った。少し離れた場所にあるドアをチラリと見遣りながら、ゆっくりと深呼吸をする。トネールを膝からおろし、神経を研ぎ澄ませた。
「……?ミシェル、どうかした?」
怪訝な表情を浮かべ、アリソンが尋ねる。
ミシェルは何も答えないまま、普段出番の殆どない杖を取り出した。そのまま静かに腕を振ると、バンと大きな音を立てて執務室のドアが開く。
「なっ、わわっ……!」
素っ頓狂な声を上げ、黒々と立派な髭を蓄えた、恰幅の良い壮年男性がミシェルの執務室へと勢いよく倒れ込む。その後ろには数人、筋肉質な色黒の男性が慌てた様子で控えている。けれど、部屋に入るつもりはないらしい。男のことをで固唾を飲んで見守っていた。
「えぇっ⁉」
「び、びっくりした!何なの、一体」
クリスとアリソンも突然のことに目を丸くして驚いている。
(どの方も見覚えがないですね)
ミシェルは一人一人の顔をまじまじと観察しながら口を噤む。
ドアの側で聞き耳を立てていたらしい恰幅の良い男性は、その派手な身なりから、大層な身分の人物だとすぐに分かる。けれど、これまでミシェルは、城の中でこの男を見たことが無かった。
(ルカ様のお誕生日の際にもいらっしゃらなかったし)
未だ何も言わないミシェルに業を煮やしたのか、男性は徐に立ち上がると、不機嫌そうに顔を赤らめ、グッと拳を握った。
「何なんだね、一体。いきなりドアを開けたら危ないだろう?」
「いえ。この部屋のドアは内開きなので、外にいらっしゃる方には当たりません。通常危ない目に合うことは無いかと存じます。――――ドアに身体を預けたりしていない限りは」
普段は温厚なミシェルも、今はあまり気分が良くない。少しばかり口調がきつくなっていることを自覚していた。
「この城は広いから、移動するのに疲れたんだ。少しドアに凭れ掛かっていた。そういうことだって、十分あるだろう?」
眉間に皺を寄せながら、男性は忌々し気に吐き出した。
(あるわけないじゃないですか)
普通、どこかに凭れ掛かるならば、不安定なドアではなく、壁を使うものだ。大体この男は、実に十分近くもの間、執務室の前で聞き耳を立てていた。お喋りに夢中になって気づくのが遅くなったが、そんな言い訳がまかり通るはずもない。
ミシェルは唇を尖らせながら男性を睨みつけた。
「とにかく、私は失礼するよ。この後用事があるのでね」
高そうなマントを翻し、男は逃げるようにミシェルの部屋を後にした。下品なオーデコロンの香りが部屋に残っているのが気持ち悪い。ミシェルは杖で風を起こしながら、嫌な匂いを四方に散らした。
「……なんとも、嫌な男が来たわね」
そう口にしたのはアリソンだった。苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、救いを求めるようにクリスの顔を覗き見る。
「えぇ。恐らくあの男がこのタイミングで城に来た理由は――――」
クリスは気づかわし気にミシェルの顔を見ながら、そっと眉を寄せた。
「あの……どういう方なのですか?」
ミシェルが知らずとも、貴族の二人はきっと顔なじみだろう。そう思ってミシェルが尋ねる。
「あの人はこの国の軍事を司る、重要人物なの。普段は国境付近の領地にいるから、城には王様のご機嫌を取るためにたま~~に顔を出す程度だって、兄さんが言ってた。見栄っ張りで欲の塊。悪い貴族の見本のような男よ。家来のことも、国民のことも、自分の娘ですらも、自身を盛り立てる駒ぐらいにしか思っていないわ」
余程嫌いなのだろう。アリソンは男の去っていった方に向かって、思いっきりあっかんべーをする。
「そう。そしてあの男の欲は、今の地位に留まることを良しとしない」
クリスの言葉に、ミシェルはゴクリと息を呑んだ。親友たちの神妙な面持ちに、心がざわめく。
「臣下としてはこれ以上ない地位にいるあの男が目指す場所は、あと一つしかありません。長年、あの男が虎視眈々と狙ってきた、たった一つの場所です」
遠回しなセリフではあるが、ミシェルにはクリスが言わんとしたいことが分かる気がした。トネールが足元で、不安げに鳴く。
(ルカ様……)
薬指に光る指輪を撫でながら、ミシェルはギュッと目を瞑った。




