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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
森を出た魔女、王都に生きる
32/98

自身と自信とオレンジ色の空

「すみません、私がもっとしっかりしていれば……」


 全ての試験が終わり、受験生たちが家路へと帰っていく中、ミシェルは他の試験官たちの前で、ただひたすらに頭を下げていた。


「ミシェルが悪いわけじゃないでしょう?ほら!もう、そんな顔しないで」


 ディーナはミシェルの肩を叩きながら、朗らかに笑う。本当にそう思っているのだろう。ディーナの瞳に偽りはない。けれど、ミシェルは自分の犯した失敗が許せなかった。


「あの時ちゃんと、左手だけじゃなくて全身を押さえていたら……あんな風に受験者たちの手を止めずに済んだのに。本当に、すみません」


 ミシェルの瞳には涙が浮かんでいた。

 ルカの役に立ちたいと、そう願った矢先にこの失態だ。自分自身が情けないと、そう思うことは致し方ないだろう。


(情けないです……。このままじゃ自信を付けるどころじゃありません)


 ルカとの約束は、母親のことなど関係ないと胸を張れるようになることだ。けれど、そのためには、ミシェルが確固たる自分を持つこと――――自信を持つことが必要不可欠だ。

 しかし、こんなことでは、ルカとの約束を果たせる日は訪れそうもない。待つと言ってくれた彼の期待を裏切ることは避けられないだろう。


(ごめんなさい、ルカ様!私ではやっぱりダメです。合わせる顔がありません……)


「あなたじゃなかったら、見つけられてなかったんじゃないの?」


 背後から聞こえた声に、一同が一斉に振り返る。そこにいたのはアリソンだった。不機嫌そうな表情で佇んでいる。


「アリソン、さん……」


 思わぬことに、ミシェルの涙が止まった。ディーナも驚きに目を見開いている。

「……っていうか、あんな形で不正を暴けたのもあなただけだし、そもそも悪いのはあの男でしょう?」


 アリソンはそう言って唇を尖らせる。ミシェルは何と返したらいいか分からないまま、ひっそりと息を呑んだ。

 まさか、ミシェルを目の敵にしているアリソンに庇われるとは夢にも思わなかったのである。


「なっ、なによ!私の顔に何かついてんの!?」

「い、いえ……。そうじゃないんですが」

「てっきり私たちのこと、嫌ってるのかと思ってたわ」


 言葉を濁すミシェルとは裏腹に、ディーナの言葉は一切オブラートに包まれていない。アリソンとしては思わぬ返しだったのだろう。カッと目を見開くと、それから頬を紅く染めた。


「そっ、そんなの……当たり前じゃない!嫌い!嫌いよ!嫌いだけど!……あぁいう輩を放っておくのはもっと嫌いなの!それに自分に嘘吐くのも」


 アリソンはそう言うと、クルリと踵を返した。

 先ほどまでのモヤモヤした気持ちが少しずつ晴れ渡っていく。ディーナはミシェルの隣へ移動すると、クスッと小さな笑い声をあげた。


「何よ。あいつ、案外良いところあるじゃない?」

「はい!」


 去り行くアリソンの背中を見送りながら、ミシェルは満面の笑みを浮かべる。

 次の試験は約一か月後。筆記試験の成績が良かったものだけが進める。けれどミシェルは、アリソンとはまた会うことになる――そんな確信があった。



 受験者たちの去ったガランとした会場で、ミシェルはトネールと二人佇んでいた。

 あの後は気を取り直して、試験官達みんなで片づけや掃除を行った。先程の失敗を取り戻すため、ここぞとばかりにミシェルは張り切った。机の運搬も掃除も、魔法の力でお手の物だ。

 とはいえ、身体を動かさないのも他のメンバーに申し訳ないので、魔法のコントロールが可能な程度に作業も行う。


「そんなに働かなくても大丈夫なのに」


 そう言ったのは馴染みの政務官の一人だった。汗を拭きながら忙しそうに走り回っている。


「いえ、働きたいのです!働かせてください!」


 そう頭を下げて身体を動かす。

 焦ってはいけない。そう思ってはいるものの、心と身体はちぐはぐだ。

 元々心というものを持たぬよう育てられたせいか、精神に負荷がかかることや、心情の急激な変化に対応が出来ていないことは自覚していた。

 アリソンの励ましで、罪悪感は軽減していたものの、ふとした瞬間に思い出しては凹んでしまう。


(なんて、こんなに弱いのは私だけかもしれませんが)


 もしかすると、比べることでもないのかもしれない。けれど、ミシェルは酷く気になったし、重要なことのように思えた。

 小さな世界から飛び出したばかりのミシェルには、こういう時、どんな風に想いを消化すればよいのか分からない。


「トネール、おまえならどうします?」


 夕陽差し込む空っぽになった広間で、ポツリとミシェルが漏らす。トネールは何も言わぬまま、そっとミシェルの手のひらに自らの前足を重ねた。

 モノ言わぬ小さな友達が、ミシェルの心を癒す。もしも今トネールがいなかったら、ミシェルは一人、崩れ落ちていただろう。


「本当に、あなたがいてくれて良かった」


 弱弱しい声だった。けれど、ミシェルの心からの想いだ。

 トネールは真っすぐにミシェルを見上げると、パクパクと口を動かした。まるで言葉を失った人魚姫が、何かを訴えかけるかのような、そんな仕草だった。

 

「いつかきっと、あなたの言葉が分かる魔法を探し出します」


 誓いを立てるかのように、ミシェルはそう言って笑う。トネールが瞳を潤ませながら、そっと首を伸ばした。


「良かった」


 凛とした声がミシェルを捕えた。一瞬、トネールの声かと思ったミシェルだったが、すぐに違うと気づく。振り返ると、そこにはルカが立っていた。


「ようやく見つけた。ずっと、探していたんだ」

「ルカ様!」


 ミシェルは涙の跡の残った頬を拭きながら、ルカへと向きなおった。けれど、ルカは目ざとい。小さく笑いながら、ミシェルの頬をそっと撫でた。


「あっ、あの!すみませんでした、私……とんだ失態を」


 政務官試験で起こったことは、既にルカの耳に届いているのだろう。ミシェルは説明もそこそこに深々と頭を下げる。


「何でだ?ミシェルは存分に働いてくれた。私が期待した以上だ」

 

 そう言ってルカは、ミシェルの頭にポンと手を載せた。

 ミシェルの見える範囲にルカの護衛達は見当たらない。きっと、部屋の外に待機させられているのだろう。


(私は本当にダメな人間です)


 本当は今すぐルカの胸に飛び込みたかった。ルカに縋って、自分の至らなさを全部吐き出してしまいたかった。


(そんなこと、許される立場ではないのに)


 それに、自分に自信を持つと約束した側からそんなことでは、ルカに愛想をつかされてもおかしくない。それでも、ルカにありのままの自分を晒してしまいたい。彼の温かさに包まれたいと願ってしまう自身が存在していた。


「おいで」


 ルカは穏やかに微笑むと、ミシェルをそっと抱きしめた。ミシェルの胸が悦びと戸惑いで跳ねる。ふわりと漂うルカの香がミシェルの涙を誘った。


「良いんだ。一人で抱え込まなくていい。辛かったことも、悲しかったことも、悔しかったことも……私に吐き出してくれていい」

「ですが!私、自信を持てるように頑張るとルカ様に約束しましたのに!失敗して、格好悪くて、情けなくて」


 気が付けば、言葉が堰を切ったかのように溢れ出していた。ルカは微笑みを浮かべながら、黙ってそれを受け止めている。トネールはいつの間にか二人から距離を取ったかと思うと、そっと窓の外を眺めていた。


「ミシェルはそのままで良いんだ」


 ルカはもう一度、そう言った。膝を折り、まっすぐにミシェルの瞳を見つめている。息を呑むほど美しい紫色の瞳が、ミシェルを捕えて離さなかった。


「私はそう思っている。けれど、ミシェル自身がそれを許せない……だから待つと言った。私のことは気にしなくていい。ミシェルが自分は自分だと、そう言えるその日を待っている」


 ミシェルは流れ落ちる涙をそのままに、ルカを見つめていた。あまりにも美しく、あまりにも愛おしい、ミシェルの想い人。そんなルカがミシェルへと与える言葉の一つ一つが、まるで魔法みたいだった。身体の隅々にまで拡がって、ミシェルを強く元気づける。


「だけど、あまり長く待たせないでくれよ?本当はすぐにでもミシェルを私のものにしてしまいたいんだ」

「……っ!」


 ルカはそう言って恥ずかし気に視線を逸らす。差し込む夕陽のせいだろうか。その頬は鮮やかな紅色に染まっていた。


(はい!きっと……)


 ミシェルはそっとルカの背に腕を回しながら、心の中でそう呟いた。

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