焼け焦げた家
小鳥の囀りと、木々が風で揺れる音が耳に優しい。ミシェルは少し焼け焦げた自宅を撫でながら、そっと微笑んだ。
目を瞑ると、幼い頃から今までの記憶が鮮明に浮かび上がる。形は損なわれていないものの、まるで何か別物に変わってしまったかのようにミシェルには思えた。
「ミシェル! 」
己を呼ぶ声に、ミシェルはそっと顔を上げる。馬を走らせながら険しい表情を浮かべたクリスが、こちらへと向かってきていた。
「クリス! おはようございます」
「怪我は⁉ どこか痛むところはありませんか? 」
クリスはそう言って馬から滑り降りる。
「平気です。見ての通り、ピンピンしてますよ」
穏やかに微笑みながら、ミシェルはクリスを見上げた。
余程急いできたのだろう。クリスは息を切らしながら、上から下までミシェルを眺める。やがて、ミシェルの無事を確かめると、心底ほっとしたように笑った。
「良かった……! ミシェルが無事で」
けれど、クリスがミシェルに腕を伸ばしたその時、どこからともなく猫のトネールが現れた。トネールは鋭い視線をクリスへ浴びせ、フンと鼻を鳴らしている。
「ははっ、随分小さなナイトですね」
クリスは小さく笑いながら、トネールを抱き上げた。
「しかし、あなたからの手紙を見たときはビックリしました。慌てて馬を飛ばしてきたのですよ」
「すみません、昨日の今日で」
「何を仰います! ミシェルのためならいつでも何処でも、喜んで駆け付けますよ」
「ありがとうございます。やっぱりクリスは頼りになります」
そう言って屈託のない笑みを浮かべるミシェルに、クリスはそっと頬を染めた。
「家は……無事とは言い難いですね」
咳ばらいをしながら、クリスはポツリと漏らした。ミシェルは困ったように笑いながら、「はい」と小さく呟く。
「もっと早くに気づけたら良かったんですが、こればかりはどうしようもありません」
昨夜ミシェルは、家と森を守るために魔法を使った。けれど、既に燃えてしまった部分を元通りにすることはできない。損なわれたものを元に戻す魔法というのは、ミシェルの知る限り存在していなかった。
「このままここに住めないことも無いんですけど」
ミシェルはそう言ってクリスを見た。太陽の光を受け、いつになく神秘的に煌めいたミシェルの瞳に、クリスは息を呑む。
「本当に、外へ出られるのですね」
「はい、そう決めました」
クリスの手には、ミシェルが朝一番に彼へ飛ばした手紙が握られていた。
そこには昨夜の出来事と、森を出て暮らすというミシェルの決意が綴られている。
「私はその方が嬉しいですが……どういった心境の変化ですか?」
クリスはそう言って小さく首を傾げた。
何年もの間、クリスはミシェルを外へ連れ出そうとしてきた。けれど、ミシェルは祖母の想いを裏切れないと、頑なに彼の誘いを断って来たのである。
「その……心境の変化といいますか――――心を取り戻したいなぁと、そう思ったのです」
ミシェルの言葉にクリスは目を見開いた。長い間ずっと、望んできた言葉だ。
力強く笑みながら、クリスは大きく頷いた。
「分かりました。行きましょう! どこへでもお供しますよ」
「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」
ミシェルはクリスを見つめながら、朗らかに笑った。
「ところで、ミシェルにはどこか行きたい場所がありますか? 外に出てやってみたいこととか」
「それが、私は本でしかものを知らないので……とりあえずは森から出て、クリスが暮らす街へ行ってみたいなぁって。その後のことは、実は何も考えてなくて」
そう言ってミシェルは困ったように首を傾げた。
「そうですね。後のことは追々考えていきましょう」
「はい。お言葉に甘えさせていただきます」
ミシェルはそう言って、トネールと共にペコリと頭を下げた。
「この家はどうするのですか? 」
「そのことなら心配ありません。ここはもう、私とクリス、それから強い魔力のある人間しか見つけられないよう、結界を張っています。他の人がこの辺りまで迷い込んでも、とびきり大きな木が立っているようにしか見えないのす」
「そう、ですか」
ミシェルが言うと、クリスは顎に手を当て、何事かを考え込むような仕草を浮かべた。
彼には、ミシェルがどうしてそんなことをしなければならないのか、見当がついているのだろう。ミシェルはクスリと笑いながら、そっと焼け焦げた家に手を伸ばした。
「クリスが聡いことは知っています……ですが家のことも火事のことも、もう気になさらないでください。おかげで私は、新しい一歩を踏み出そうと思えたのですから」
「……そうですね」
ミシェルが良いというならば、クリスがこれ以上追及するのは野暮だろう。小さくため息を吐きながら、クリスは穏やかな笑みを浮かべた。
「さてと、私はまだ準備が残っています。もう少しだけ待っていてくださいますか?」
金色の三つ編みを靡かせながら、ミシェルはグンと背伸びをした。その表情に迷いも憂いもない。心をなくすよう育てられてきた、これまでのミシェルとは違うのだと、本当に変わろうとしているのだと、クリスはそう思わずにはいられなかった。
「待ちますよ、何時間でも」
これまでの月日を想えば、数十分掛かろうが、数時間待とうが、クリスにとっては些細な時間だった。
「ありがとうございます。行ってきます」
穏やかに笑うミシェルを見送りながら、クリスは大きな木の根へと腰を下ろした。
ふと視線を落とすと、トネールがもの言いたげな表情でクリスをじっと見つめていた。
「おまえが言葉を喋れたら良いのだがな」
クリスは眉間に皺を寄せ、目を細めながらポツリとそう漏らすと、そっと天を仰いだのだった。