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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
引きこもり魔女、森を出る
21/98

誕生日の夜に④

 月の美しい夜だった。夜風に当たりながら、ミシェルは未だ落ち着きを取り戻せずにいる。

 目の前に広がるのは壮大な王都だ。人々の営みが織りなす灯りが、まるで星空の如く輝いていて美しい。ミシェルの部屋のバルコニーからでは見下ろせない景色だった。



「良かったのですか? 」



 連れてこられた場所がどこなのか、それは説明されずともわかっていた。

 ミシェルの住まいが与えられた東の塔の一番奥。いつもは厳重な警備が敷かれていて、騎士や政務官たちですらおいそれと近づくことは許されない場所。ルカの私室だった。



「何がだ? 」



 答えながらルカは、バルコニーに身を乗り出した。きちんと閉められた襟元を崩し、ため息を吐くその様は、妙な色香を放っていて心臓に良くない。

 ミシェルはごくりと唾を呑み込みながら、そっと後ずさりした。



「ルカ様がいないのでは皆さまお困りになるのではないかと」



 ルカは一瞬何のことかわからないといった表情を浮かべたが、ややして声を上げて笑った。



「問題ないよ。俺がおらずとも、つつがなく会は始まり、そして終わる。そういうものだ」



 庶民のミシェルにはよく分からないが、ルカが言うならばそういうものなのだろう。けれど、ルカが会場を抜け出したのを皆が見ている。おまけにポッと出の魔女が一緒となれば、外聞も悪いのではないだろうか。



(そう、思うのに……)



 下手に喋ると墓穴を掘りかねない。だから、言葉選びは慎重にならざるを得なかった。



「戻られますよね? 」



 尋ねると、ルカはゆっくりとミシェルを見上げた。まるで少年のような無垢な眼差しが、真っ直ぐにミシェルを捕えている。彼が醸し出す雰囲気と妙にアンバランスだった。

 やがてルカはゆっくりとミシェルを手招きする。戸惑いながらも一歩前へ踏み出せば、ルカは一気にミシェルを引寄せた。



「ルッ……ルカ様」



 ルカの腕の中、ミシェルが声を上げる。

 心臓がうるさかった。身体がこれまで経験したことのないほど熱くなり、小刻みに震える。

 けれど、それより何より困ったのは心の方だ。ダメだと諭す冷静な自分と、嬉しいと思ってしまう自分がせめぎ合っている。

 いやいやと首を横に振ろうにも、きつく抱きしめられた身体はピクリとも動かない。辛うじて動く左腕でルカを押し返すべきなのだろう。けれどそれとは反対に、彼の背へと回してしまいたくなる衝動がミシェルを襲った。



「戻る必要なんてない」



 ルカはそう言ってミシェルを見下ろした。神秘的な瞳の奥に見え隠れする炎のような揺らめきが、ミシェルを拘束する。少しずつ少しずつ、ルカの瞳が近づいてくる。肌と肌が触れあう程、間近に迫ったその時、ようやくミシェルは我に返った。そっと顔を背けながらフルフルと首を横に振ると、ルカの指がミシェルを追う。



「ダメ、です」



 絞り出すようにそう言うのが精一杯だった。



「何故? 」



 ミシェルにはルカの顔を見ることはできない。見ればきっと、縋りたくなる。触れたくて、頷いてしまいたくなって、自分で自分が制御できなくなる。そう分かっていた。



「私ではルカ様に釣り合いません。身分も、それから人間としてもそうです。私ではルカ様を支えることはできません」



 口にしてしまえば意外なほどに、次から次へと言葉が紡ぎだされた。

 王族の結婚とは第一に国益に繋がらなくてはならい。それは、社会に疎かったミシェルですら分かることだ。

 御伽噺のように、王子様が庶民の少女を見初めて結婚するなど、現実にはあってはならない。国同士の結びつきを強めるなり、政治や軍事力、経済的に益のある者と結婚すべきなのである。

 それに、ルカは次期国王となる人だ。国を治めるため、多大な重圧を抱えて生きていくルカを支えられるほど、ミシェルは強くない。



「そんなこと、ミシェルに求めるつもりはないよ」



 ルカはハッキリとそう言い放った。ミシェルは唇をギザギザに結びながら首を横に振る。けれどルカは、ミシェルを自分に向き直らせるとコツンと額を重ね合わせた。



「ただ側にいて欲しい。それぐらい許されるだろう? 」



 甘えるように囁くルカはあまりにも魅惑的だ。けれどミシェルは、そのまま頷くわけにはいかなかった。



「今だってお側にいます」



 このままルカの側に仕えていたい。それはミシェルの願いだ。



「それは王室専属魔女としてだろう? 」



 ルカの手のひらがミシェルの頬を包み込む。鼻先が触れ合う。心臓が熟れて、ジュクジュクになっている。

 これ以上は耐え切れない。ミシェルが瞳を閉じた瞬間、唇に柔らかな何かが触れた。温かく、ドクドクと波打つ唇は、まるで自分から切り離されたかのような感覚だ。



「んっ」



 瞳を開けることなどできなかった。もしもまた、あの紫の瞳に捕らえられたら、全てを投げ出してしまいたくなるような気がした。

 例えばミシェルが貴族であったなら――――もしも何のしがらみもない普通の女の子だったならば、きっと彼の想いを受け入れることができたのだろう。



(私には無理です)



 そう思っているのに、甘やかに吸われた唇も、抱きしめられた身体も、ミシェルの心以外の全てがルカを求めていた。

 チュッ小さなと音を立てて二人の唇が離れる。名残惜しそうにミシェルの唇を撫でながら、ルカはもう一度、触れるだけのキスを落とした。



「ミシェル」



 まるでこの世界にただ一人の女性であるかの如く名が呼ばれる。



「ルカ様」



 ミシェルはルカの胸に身を預けながら、そっと名を呼んだ。

 もしかすると、これがルカに会える最後の夜になるかもしれない。そう思うと、心が軋む。ミシェルはルカの背にそっと腕を回して抱き締める。頭上でルカが嬉しそうに笑うのが、嬉しくて悲しかった。



「お慕いしています」


「あぁ」



 ルカがミシェルを上向かせた。無邪気に笑うルカの表情があまりにも眩しく、愛おしかった。



「けれど、だからこそ……私はあなたの側にいてはいけません」



 ミシェルはそっとルカの胸を押し返した。

 悲しかった。苦しかった。ミシェルの一方的な想いならばどれほど良かっただろう。そう思うほどに、心が悲鳴を上げていた。



「何故? 」


「それは私が母の……犯罪者の娘だからです」



 ミシェルはもう、ルカの顔が見れなかった。俯き、目を伏せながら、言葉を絞り出す。ルカが小さく息を呑む音が聞こえた。



「ルカ様は完璧な存在です。本当にお慕いしています。ですから、そんなあなたに私が影を落とすわけにはいきません」



 ルカは明らかに戸惑っていた。ミシェルは眉間に皺を寄せながら、必死に言葉を紡いだ。



「……もしもこのことで、王室専属魔女を辞さねばならないならば、従います。必要ならば、罰も受けましょう」



 クリスや彼の父親は、ミシェルの抱える事情を知っていた。知っていて、試験を受けても問題ないとそう話していた。けれど、決めるのはルカだ。



「ルカ様」



 踵を返しながら、ミシェルはルカを呼んだ。先程まで触れ合っていたというのに、随分と距離ができてしまった。



(ですが、これで良いのです)



 ミシェルの頬は、冷たく濡れていた。滴る涙を拭うこともせず、ミシェルは笑う。遠くに光る星空があまりにも美しかった。



「お誕生日、おめでとうございます」



 そっとそう言い残して、ミシェルはルカの部屋を後にしたのだった。 

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