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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
引きこもり魔女、森を出る
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at the crack of dawn

 深夜、ミシェルはトネールを懐に抱いて眠っていた。

 夜中に目を覚ますことなど滅多にないというのに、その日はいつもと違っていた。妙な胸騒ぎと共に、ミシェルがゆっくりと目を開ける。



「――――一体どうしたのでしょう」



 返事はないとわかっているのに、そう呟かずにいられない。耳を澄ませてみれば、木々たちがざわざわと騒いでいるのが聞こえた。ミシェルの背筋に緊張が走る。トネールがミシェルの頬をそっと舐めた。

「ごめんなさいトネール、少し様子を見てきても良いですか?」

 ミシェルはそう言って、ゆっくりとベッドから立ち上がる。けれどその途端、これまで感じなかった違和感がミシェルを襲った。



「これは……」



 パチパチと何かが弾ける音に、焦げ臭い香り、身体を熱風が包んでいた。



「ミシェル! ミシェル起きてる⁉ 」



 その時、ドンドンドン、と戸を叩く音がした。次いで聞こえる酷く慌てた声。ミシェルにはそれがソフィアのものだとすぐに分かった。

 ミシェルは杖を片手に戸口へ急ぐと、すぐに鍵を開けた。



「ミシェル! あぁ、良かった! 森から煙が上がっているのが見えたの。ミシェルが心配で来てみたら、この辺一体が燃えているんだもの! この家にももう、火が燃え移っているわ! ミシェル、早く外に出ましょう! 」



 ソフィアはそう言ってミシェルを抱き締めた。カタカタと小刻みに身体が震えている。



「私は……」



 ミシェルは呟きながら、手のひらにグッと力を込めた。



「ミシェル、急いで。トネールも! ほら、あっちの方には、火の手がまだ回っていないから」



 ソフィアはそう言って森の出口の方を指さしている。ミシェルは大きく息を吸うと、ソフィアを真っ直ぐに見つめた。



「ソフィア――――この火事、起こしたのはあなたですよね?」


「え……?」



 風が強く吹いている。木枝が揺れ、火の粉がミシェルの家に降り注ぐ。けれど、ミシェルはその場を動かなかった。



「こんな真夜中に、森から上がる煙に気づくなんて普通は無理ですよね?ここは森の真ん中ですし、入り口は街からかなり離れているってクリスが話していましたもの。本当に火事に気付いてから駆けつけたなら、森の中は火の海に包まれていて、中に入ることすらできなかったでしょうから」



 怒るでも笑うでもなく、ミシェルは淡々とそう口にする。

 ソフィアはしばらく押し黙っていたが、やがて大きなため息と共に、ミシェルを睨みつけた。



「…………確かにこの火事は私が起こした。それが何? 」



 冷たい眼差し。トネールがミシェルの肩に爪を立て、喉を鳴らした。



「どうしてこんなことを? 」



 そう言ってミシェルは目を伏せた。けれどソフィアは何も答えようとしない。

 こうしている間にも火は燃え広がっている。ミシェルの家も炎に包まれ、轟々と音を立てていた。



「森を開拓したい? 魔女が疎ましい? そのどちらもでしょうか」



 この火事をソフィア一人で企んだとはミシェルは思っていない。

 数か月前に森で見かけた数人の人間。ソフィアは彼等の縁者なのだろう。



「そうね。ミシェルの言う通りよ」



 ソフィアは小刻みに震えていた。顔は青ざめ、今にも崩れ落ちそうに見える。けれどミシェルは身動ぎすらせず、真っ直ぐに彼女を見つめていた。



「ここは、私にとって大事な場所なんです」



 ミシェルはそう言って穏やかに微笑む。



「――――そうね。だけど、守りたい場所ではないのでしょう?」



 ソフィアは躊躇いながらそう口にした。



(守りたい場所じゃないか……ソフィアの言う通りなのかもしれません)



 ミシェルは小さく笑いながら、真っ赤に染まった生家を顧みた。

 祖母が大事に守ってきた家――――ミシェルや顔も知らない母が育ったこの場所は、ミシェルにとって唯一の居場所、世界の全てだった。

 けれど、ここがあるからこそ、ミシェルは先に進むことができない。大事な場所であることは間違いないが、守りたいわけではなかったのかもしれないと思い至った。



「ソフィアは全部気づいていたんですね。私がソフィア達の計画に気づいていることも、それでいて、全てを受け入れようとしていたことも」


「……当然でしょ」



 いよいよ炎は激しさを増していた。トネールの金色の毛に炎が反射する。翠の瞳がメラメラと波打ち、光を放っていた。熱くてたまらないだろうに、トネールは文句も言わず、ミシェルの肩の上でじっと佇んでいる。



「ねぇ、消さなくて良いの?」



 そう尋ねたのはソフィアだった。

 こんな事態に陥っても、ミシェルは怒らないし、悲しみもしない。それはソフィアの想定通りだった。

 けれど、逃げ出すこと、火を消そうとすらしないことは予想外だった。

 ソフィア自身、本当は今すぐ逃げ出したいのだろう。ガクガクと足を震わせている。



「ソフィアは早く逃げてください。熱いでしょう? 怖いのでしょう? 逃げ出したくて堪らないのでしょう? 」


「そっ……そんなの当然じゃない! 」


「だったら、私のことなど放っておいてください。あなたはここに火を放ち、火が燃え広がるのを見届けた。それで良いんです。そこに住む私を逃がすことまで計画の内容に入っていないでしょう?」



 まるで何の感情も持たないかのように、ミシェルは淡々と言葉を連ねる。ソフィアはブンブンと首を横に振った。



「そんなこと、できるわけないでしょう⁉ だって……だってミシェルは――――ミシェルは私の…………!」


「そうですね。それが分かっていたから、私は迷っていたのです」



 その瞬間、燃え盛る炎が一気に鎮火した。いや、寧ろ最初から火の手など上がっていなかったかのように、森の木々もミシェルの家も、原型を留めているように見える。



「なっ……⁉ 」


「ごめんなさい。火事に気づいた段階で火は消しました。ソフィアとお話する必要があったので、燃え広がるように見せていたのです」



 ミシェルは小さくため息を吐きながら、家の外壁を撫でた。ミシェルが気づくまでの間に燃えた部分はさすがに無事ではなく、ほんのりと焼け焦げている。



「なんで……どうしてそんな風に平然としていられるの?」



 ソフィアはペタリとその場に座り込むと、堪えきれなかったのだろう。瞳いっぱいに涙を溜めた。



「私は祖母に、『心を持たないように』と育てられました。母が心を喪って壊れてしまったから」



 ミシェルはトネールを撫でながら、そっと目を伏せた。



「母は私を産んですぐ、家を出て行ったそうです。そんな母を見ていた祖母は、私に初めから心が無ければ、何があっても辛くないと思ったのでしょう。感情が揺れ動かないよう教育しましたし、森から私を出しませんでした」



 それこそが、ミシェルが今、平然としていられる理由だった。



『人を信じてはいけないよ。裏切られたと思うから傷つくんだ』



 そう祖母に聞いていたから、ミシェルは初めからソフィアを信用していなかった。彼女の行動の裏にある何かを見るようにしていたし、何があっても悲しむことも憤ることも無いよう、己を律してきた。



「私が傷つくのを見たくない――――それは祖母の愛情だったのだと、私は思います」



 元々の祖母は、きっと感情豊かな魔女だったのだろう。日常の端々で、ミシェルはその片鱗を感じ取っていた。

 けれど祖母は、ミシェルのために己も心を殺し、厳しく接してきた。それはどれほど辛いことだっただろう。



「だけどミシェル! 私はあなたに心が無いなんて思えないわ」


「…………言わないでください」



 そう言ってミシェルは泣きそうな表情で笑った。

 祖母の前ではずっと、ミシェルは理想の孫娘を演じてきた。そうしなければ、祖母の努力が報われないからだ。

 けれど、祖母の目の届かない所、彼女亡き後、ミシェルはずっと心があった。

 例えようのない孤独感。未来への不安や迷いがずっと心を占拠していた。

 そして、ソフィアやトネールと出会えたことが、とても嬉しかったのだ。



「これから私はここに魔法を掛けます。もう二度と、あなたや他の誰かがこの場所に辿り着けることはありません」



 悲しみに蓋をするかのように、ミシェルはソフィアに背を向ける。祖母のためにも、これ以上こんな泣きそうな顔を見せるわけにはいかなかった。



「ミシェルは……ミシェルはこれからどうするの?」


「私は……」



 その時、ミャウ、とトネールが鳴き声を上げた。翠の瞳を煌めかせ、真っすぐに外を――――森の出口の方を見つめている。



「そうですね。私のこの、小さな小さな世界はもう壊れました。だから」



 ミシェルは力強く微笑みながら、トネールを抱き上げた。



「そろそろ次の世界へと向かいます。そうしたいのです」



 ソフィアは大きく目を見開くと、静かに息を呑んだ。

 月が沈み、日が昇り始めている。金色に輝く太陽の光を受けて、まるで世界までもが新しく生まれ変わっているかのような、そんな錯覚をミシェルは覚えた。



(さようなら)



 まぶたの裏で、偽物の笑顔を浮かべた小さな女の子が佇んでいる。

 ミシェルは目を閉じながら、先ほどまでの自分にそっと、別れを告げたのだった。

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