ティータイムと夜会
穏やかな日常が戻って来た。小さな執務室にはミシェルとトネール、それから教育係のディーナが座っている。
机には歴史書や地図、それから新聞といったものがあるが、それらを押しのけて鎮座するのは、豪華なティーセットだ。先程クリスが休憩用にと持ち込んでくれたものだった。
真面目なディーナは一瞬渋ったものの、ホカホカと湯気を立てているティーポットや神々しい美しさを誇るケーキを無碍にすることもできず。結局は優雅なティータイムを楽しむに至っている。
あの試験の日から、二人は随分と打ち解けた。面倒見の良いディーナは、根気強くミシェルへ知識を授けてくれたし、ほんの少し目つきが悪いだけで、根はとても優しい少女だ。ミシェルだけでなく、トネールともすっかり打ち解けてしまった。
「ミシェルさぁ」
フォークで苺を突きながら、ディーナがミシェルをそっと見上げる。何やら普段とは異なる雰囲気にミシェルは小さく首を傾げた。
「ルカ様となんかあったでしょ」
「えっ⁉ 」
ディーナはなおもミシェルの前にフォークを突きつけ、真っ直ぐに見つめてくる。ミシェルは一瞬目を見開いたものの、すぐに穏やかな微笑を浮かべた。
「なんか、とは? 」
「そりゃぁ当然、互いに気持ちを確認し合ったとか、キスしちゃったとか、そういう系の――――」
「だったらディーナの勘違いです。何にもない……というか、最近は私、ルカ様にお会いしてもいませんし」
「そりゃぁ、まぁ……不在にしていた間も仕事が溜まってたらしいから、執務室を出る暇がないんでしょうよ」
ミシェルの返答にディーナは不満げな表情を浮かべた。トネールはディーナの膝に飛び乗ると、一緒になって咎めるような瞳をミシェルへと向けてくる。
(トネールまで……)
ミシェルは苦笑いを浮かべつつ、紅茶を一口啜った。
ここ最近、ルカは本当に多忙を極めているらしい。頻繁に訪れていたミシェルの執務室に立ち寄らなくなったし、騎士たちの練武場にも、城内の図書館にも姿を見せていない。まるでその代わりが如く、クリスの来訪回数は日に日に増えていた。
「そうじゃなくて、私が言ってるのは、ミシェル達が会談から帰ってくるまでの間の話なの! 」
唇を尖らせたディーナを見つめながら、ミシェルは小さく笑った。
「本当に、ディーナが期待しているようなことは何もありませんよ。こう見えてリアリストなんです、私」
「あっそ。だったら良いけど? ミシェルったら最近なんだか元気がないし」
ミシェルの言葉にディーナは首を傾げる。トネールを撫でながら「ね? 」と同意を求めていた。
「そんなこと有りませんよ。どちらかと言えば絶好調です。ほら、次の地方遠征も決まってますし! 農村のお手伝いなんて初めてで緊張しますけど」
それは紛れもない事実だった。
ここ最近のミシェルは、少し纏まった時間を貰えたこと、実務経験を積んだことで気分が高揚していたし、自信も付いてきていた。今度訪れる農村では不作が続いているというので、天候や植物に関する本を読んだり、魔法で何ができるかを考えるのも楽しかった。
「それも良いけどさ……その前に夜会が控えてるでしょ? その時に久々にルカ様に会えるんじゃない? 」
片目でミシェルを見上げながら、ディーナが含み笑いをする。思わぬ返しにミシェルはそっと机の引き出しへ目を遣った。数日前、クリスを通じて届けられた、ミシェル宛の招待状だ。
「私は行きませんよ」
「そんなこと言って! 言っとくけど、私たちにとっちゃ夜会への出席だって仕事の内よ! 出なかったら逆に問題になるんだからね! 」
「そっ、そういうものなのですか? 」
確かに招待状を届けられた時、クリスはやけに畏まった様子だった。ミシェルとしては出席する気もなかったため、碌に中身も確認していなかったのだが。
「まぁ、委縮してしまう気持ちは分かるけど。正直、私たち庶民には縁のない世界だものね」
「はい……。私じゃ礼儀作法も、どんな服装で行けばよいのかすら何もわかりませんし。周りは貴族の御子息や御令嬢ばかりなのでしょう? そんな中にこんなチンチクリンが混ざっていては皆さまが気分を害されるのではないかと」
「チンチクリンってあんた……」
本当はマナー等のあれこれはクリスが面倒をみてくれるらしいが、今のところミシェルは出席するつもりがないため断っている。
「全く。他の誘いならまだしも、今回はルカ様の誕生日を祝う会だもの。王族側のスタッフとして、出席を求められたなら諦める他無いでしょう? 」
そうなのだ。
今回の夜会は、王子――――ルカの十八回目の誕生日を祝うためにあるらしい。中にはお祝いなどそっちのけで、ただ会を楽しむものもいるのだろう。けれど、ミシェルにはそんな余裕はあるはずもない。
何より、折角しばらくの間ルカと顔を合わせずに済んでいたのだ。
(お蔭でここ最近は平穏に――――心揺さぶられることなく日々を過ごせてきたのです)
しかし、さすがのルカも自身が主役の会に全く姿を現さないということはないだろう。ミシェルとしては気が重かった。
「でも、そうですね……。諦めるしかないんでしょうか……」
「ミシェルったら……普通は夜会に顔を出せるってだけで喜ぶものなのよ。だって、雲の上の世界を覗き見出来るんだもの」
「そういうものなのでしょうか? 」
「そういうものなの! ねぇ、いい加減私にぐらい何があったか教えてくれても良いんじゃない?」
浮かない顔のミシェルに、ディーナがずずいと身を乗り出す。その表情は好奇心と少しの不満が混ざり合っている。
「どう足掻いてもディーナは、ルカ様と私に何かあってほしいのですね」
そう言ってミシェルが唇を尖らせると、ディーナは小さく声を上げて笑った。
「そういうわけじゃないけど! でも……もしもさ、一人で抱えきれなくなったら言ってよね。話位は聞くからさ」
ディーナはそう言って穏やかな笑みを浮かべる。まるで彼女に同調するかの如く、トネールがミシェルへと頬擦りした。
(あっ……そうか。そうだったんですね……)
ここまで来てようやくミシェルは気づいた。ディーナは純粋に、ミシェルのことを心配してくれていたのだ。
ミシェルはクシャクシャになった表情を引き締めてから、ディーナに向き直った。
「ありがとうございます、ディーナ」
「どういたしまして! さっ、そろそろ仕事に戻りましょう? 」
ディーナはカップに残った茶を飲み干しながら、ニカッと明るい笑みを浮かべる。ミシェルもつられて笑みを浮かべた。
(ディーナが側にいてくれて良かった)
誰かが自分のことを気にかけてくれるのは、純粋に嬉しいことだ。
数日後に迫りくる夜会に想いを寄せながら、ミシェルはそっと目を瞑ったのだった。




