日向に老婆 日影に向日葵あり
ふと、窓の外に目を向けた。
じりじりと太陽の光が照りつける夏の昼、屋根もない吹きさらしのベンチに一人、老婆が座っているのが目についた。
そこは先月廃線になったバス停だった。
老婆はそこから動く気配はなく、しきりに時計を気にしているようだ。
バスが廃線になったことを知らないのだろうか。少し思い悩んだが、もしかしたら人を待っているのかもしれないと、手元のスマートフォンに意識を戻した。
その後、特にその老婆のことを思い出すこともなく、家の中でゆったりとした時間を過ごしていると、バイクの音が聞こえてきた。夕刊の配達のようだ。
夕刊を取りに外に出ると、クーラーや扇風機のある室内とは違う、高い湿気と射すような日光を感じる。
夕刊を取り出し、家の中に戻ろうとすると、話し声が聞こえた。
振り返って庭の外に目を向けると、新聞配達員と昼に見たあの老婆だった。
話の内容が気になり、一歩踏み出すと、二人はお互いに会釈をして、その場を後にした。
とぼとぼと、肩を落として歩いていく老婆を見やる。
その姿が見えなくなってもなお、新聞を手にしたまま立ち尽くしていたが、ふいに大きくなったセミの声に意識を引き戻された。
家の中に入ると、せっかく取りに行った新聞を読むこともせず、玄関に座り込んだ。
あの老婆はやはり、バスを待っていたのだろうか。
自分があの時、声をかけてさえいれば、炎天下の中で来るはずのないバスを、あの老婆が何時間も待つことはなかったのではないか。
たらればを考えたところで意味はない。
それでも考えずにはいられない。
胸の奥から湧いてくる、罪悪感にも似た不快感から意識を逸らそうと周囲に目を向けると、ついさっき取ってきた新聞の天気予報欄が目についた。
明日もまた、一日中晴れるらしい。
ふと、窓の外に目を向けた。
まだ外は明るいが、かなり日が傾いてきている。
昼間は老婆にばかり目がいってしまい気が付かなかったが、庭にある数本の向日葵が少し萎れているようだ。
新聞を置いて再び外に出る。
明日の向日葵はきっと、背筋を伸ばして生き生きと咲き誇っていることだろう。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
タイトルが俳句になっているのですが、5・7・5の定型を崩した句またがりの対句表現になっているので、俳句と言われてもなかなかピンと来ないかもしれません。
俳句や小説について感想などありましたら、参考にさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。
なお、俳句に小説を添えてみました第2弾を掲載しましたので、よろしければそちらもお読みください。