第6話
「そろそろ始まるようだね。モニターを見てごらん」
VIPルームは九つあるリングの中で中心にあり、かつ他と一線を画す程の巨大さを誇るメインコロシアムを側面から望める様に、側面の隔壁上部に設けられている。ただし、メインコロシアムは周囲より掘り下げられており、かつ周りに設置された観客席とは分厚い透明な超硬化ガラスで隔てられていた。内部の音声や映像は、何十台も設置されたカメラや集音マイクによって外部に伝えられているのである。
「レディース、アンドジェントルメーン! 今宵もこの時間がやって参りました。御来客頂いた皆様にお喜び頂くために、血沸き肉躍るイベントをご用意しております。司会はお馴染み熱血ヴォイス、ジェントル佐藤と」
「鋭い言葉で一刀両断! 容赦ない言葉で闘技者を裁く、ポイズンガールが務めるよっ!!」
観客席の一角に設けられた司会席で2人の男女が威勢の良い声を上げると、周囲の観客から大きな歓声が上がった。観客達も本日のメインイベントを心待ちにしていたのである。
「メインイベント1発目は、エキジビジョンマッチ! なお挑戦者の意向により、賭ける事はできませんので、予めご了承ください!」
「まあ、結果の分かり切っている勝負だからね。本番前の余興と思っておいて。それと、事前の説明通り、ここで見聞きしたものはお互いの今後のために、秘密だよ? 撮影は一切禁止だから、怖いお兄さん達に連れていかれないように、気を付けてね!」
「それでは、挑戦者に登場して頂きましょう~! 挑戦者は現日本能力者ランキング1位の若き俊英! 護国の盾、御影一族の長子、御影聖也だ~!!」
司会の言葉に後押しされるように現れたのは戦守学園の学生服を身に纏い、腰に2本の刀を差した端正な顔立ちの長身の青年であった。顔には渋面を浮かべており、不快な様子を隠そうともしていない。
この場にいるという事が、よほど不本意なのだろう。
「……司会者も君と同じ考えのようだが、私の息子では相手にならないと?」
「ええその通りです。過日申し上げた通り、御子息では本番前の余興も務まるかどうささえ、怪しいレベルだと考えております」
御影総帥の鋭い言葉と圧力を伴った眼光に射貫かれても、剛毅は怯む所か余裕磔磔といった態度のまま扱き下ろした。
いや、この場合は自分達の下した評価をありのまま伝えたといった所だろうか。
御影一族の長を前にして、よくもまあ平然と言えるものである。
海千山千の相手と渡り合い、伸し上ってきた経験のなせる業という事だろう。
だが相手もさる者。息子への酷評に御影剣護は激昂する所か、静かに言葉を返してきた。
「……その言葉が正しいかどうかは、じきに解かる。私の鍛えた息子に勝つ、それが境子を預ける事を認める条件だからな」
「勿論、約束を違える心算はありません。我々に境子さんをお預かりするに足る実力がある事を、お確かめください」
剣護と剛毅の会話を他所に、ようやく事情を察した境子は顔に両手を当てて覆い隠した。
猛が兄や父と納得させてみせるといったのは、この事だったのだ。
つまり、境子のためにあの兄と闘い、なおかつ勝ってみせるというのだ。
こんな自分のために!
紅潮した顔を見せない様にしていると、隣でお菓子をパク付いていた美華が元気な声を掛けてきた。
「境子の家族を説得するために闘うなんてやるじゃない! ランキング8位のあたしも手も足も出なかったんだから、良い勝負になるんじゃない?」
「えっ、ええ、そうね」
「あはははっ、良い勝負ねぇ。まっ、見てればすぐに解かるんじゃない」
「ここで結果を口にするのも無粋だな。どうなるか、よく見ていてくれ」
友人であるはずの厚一や和吾は、強敵と猛が闘うというのに心配すらしていない。
明確には口にしていないが、言葉の端々から猛の勝利を疑っていない。
いや、厚一にいたっては、相手にすらならないと考えているようだ。
現ランキング1位を相手にするというのにだ!
美華が問い質そうとしたが、コロシアムの方で動きがあった。
「挑戦者を迎え撃ちますのは、チャンピオン! 常勝不敗、向かう所敵無し! まさに絶対無敵の言葉こそ相応しい、偉大なチャンピオンですっ!!」
「速さも、技も、力も、全てが違う! 人類を超越した圧倒的な強さをもって、今宵もまた挑戦者達の無残な屍の上に、更なる勝利の山を積み重ねる事でしょう! それでは紹介しましょう! 我らがチャンピオン!!」
「「マッスルシャドー!!」」
メインコロシアムの天頂、数十mの所に張り巡らされたスポットライトの間から巨大な影が飛び降りた!
何か圧倒的な質量を持つ物体が高速で地面に激突すると、強烈な砂埃を舞い上げる。
しばらくして煙が治まった後には、袖のない赤い忍者装束に鎖帷子、顔の上半分を覆う仮面を被った巨漢の人物が立っていたのである。
むき出しの丸太の様な太い腕に加え、鎖帷子を下から押し上げる、これでもかという程に発達した筋肉を搭載した大男である。
全身之筋肉とまで表現できる程の巨漢は、世界広しといえどそうそう居るものではない。
言うまでもないが、この怪しいチャンピオン、マッスルシャドーの正体は猛である。
猛は観客の大声援の中隠されていない口元を盛大な笑みを形作ると、いっそ慇懃無礼とも取れる程の仰々しさで挑戦者に礼をして見せた。
「HAHAHAHA! あなたが本日の挑戦者でーすね? ようこそ、コロシアムに!」
「こんな不快な場所にようこそだと! 貴様を降し、早々に辞去させてもらう!!」
「ふ~……。強い感情に捕らわれれば判断を誤りまーすよ? 少しは期待していましたが、どうやら期待外れの未熟者が相手のようでーす」
「貴様っ!!」
激昂する聖也を他所に、マッスルシャドーはこれ見よがしに肩を竦め盛大に溜息まで吐いた。
大げさなジェスチャーに加え、外人が忍者の真似事をしている様な怪しさ満点の口調や態度が、あからさまに挑発しているようで、なお一層聖也を苛立たせた。
増々ヒートアップする挑戦者の姿を余所に似非忍者風のチャンピオンは余裕綽々であり、いかにも闘い慣れた様が見て取れる。
「さーて、このまま舌戦を見ていても面白しろくないから、さっさと試合に移りましょうか! 闘う者なら自分の実力で相手を黙らせなさい、ってね!」
「むっ……」
実況のポイズンガールの声が闘技場内に届き、聖也も少しは落ち着きを取り戻したようだ。
軽く息を吐きだし勢い良く頭を振ると、腰に差していた2刀を抜き放った。
眼前で不敵な笑みを浮かべこちらを見下す大男に、日本の防衛の要である御影一族の者を未熟と侮蔑した、その愚かさを直接身体に解らせてやるために!
聖也の準備が整ったのを機に、ジェントル佐藤が大声を張り上げた。
「それではいってみましょう! エキジビジョンマッチ! 始め!!」
「疾っ!!」
開始の合図が鳴り止まぬ内に速攻を仕掛ける。
一足飛びで間合いを詰めると2刀を同時としか思ねぬ程の速さで左右から振り下ろし、構えもせずに無防備で立ちっぱなしの大男に斬り付けたのである。
これで決着と判じていた聖也の思いとは現実は乖離し、HAHAHAというこちらを挑発しているとしか思えない高笑いと共に刃が空を切ったのである。
その後も同様だ。袈裟切り、唐竹、左薙ぎ、腹への刺突と聖也が矢継ぎ早に連撃を繰り出すも、忍者のコスプレをしたとしか思えない筋肉マッチョに、悉く回避されてしまったのである。
観客や実況が盛大な歓声を上げる中、VIPルームでは困惑が広がっていた。
「マッスルシャドーって……、猛さんですよね?」
「あんな肉体を持つ奴が他にいるわけがないだろ」
「でっ、でもさっ、変なコスチュームだし、それにあの口調……、何かおかしくない?」
「変装して演技しているんだよ」
厚一や和吾の説明を受けて、戸惑っていた境子や美華も一応の理解を示した。
猛の裸体はひょんなことからつい数時間程前に拝んでいるし、2m近い身長にあれ程の筋肉を持っている人物はちょっと思い付かない。美華達もマッスルシャドーが猛で間違いないと思っていたが、話し方も態度もまるで違うから少し混乱していたのである。
「そんな事よりちゃんと試合を見なよ。御影の坊ちゃんが力を出すみたいだからさ」
「えっ!?」
厚一の指摘を受けて境子達が慌ててモニターに目を移すと、聖也の全身が半透明な白い膜の様なものに覆われていた。
「御影一族、またの名を万能なる一族。あれが御影の代名詞、気か……」
護国の盾と持て囃されている、御影一族を象徴する能力がこの気である。
境子等の例外を除けば御影の直系が能力に目覚めると、皆一様に気と呼ばれる他に分類できない力を身に着けるのだ。
気の効果は全体強化。肉体だけでなく己の持つ武器や防具にまでその効果は及ぶ。
つまり、肉体強化者以上に攻守の強化が可能になるのだ。
この力が万能の一族と呼ばれる所以の1つなのである。
白い気を纏った聖也が、マッスルシャドーに刃を突き付けながら宣言した。
「色物の様な外見に騙されたが、確かにお前は強い。私も能力を行使する必要があるようだ!」
「HAHAHA! 気を使ったとしても、あなたでは私の相手は務まりませーんよ?」
「その減らず口を、今すぐ黙らせてやるっ!!」
言うや否や聖也の姿が掻き消えた。気の身体強化による目にも止まらぬ高速移動で猛に突撃したのだ。
更には振り下ろす刀にも隈なく気で包み、切れ味も向上させている。
この刃にはさしものチャンピオンといえど、ただでは済まされないだろう。
もっとも、真面に当たりさえすればであるが……。
マッスルシャドーは初めて構えを取り臍辺りに両手を置き中腰になると、するするとまるで氷の上を滑る様な不思議な移動を見せ、聖也の斬撃を巧みに躱していったのである!
「おおっと、挑戦者が猛攻を仕掛けたようですが、チャンピオンがいとも簡単に躱していきます!」
「水蛟流の技、水蛇だね。超重量を誇るチャンピオンが水面を泳ぐ蛇の様に、音も発てず滑る様に華麗に回避しています! どうしたー、挑戦者! 少しは根性見せろ! まだ一回も当たってないぞ!!」
「くっ!!」
司会からの野次が耳に入り思わず悪態を付き様に不用意な攻撃を仕掛けたのが運の尽き、掠らせる事すらできずに懐に侵入されると、聖也は筋肉忍者に軽く胸を押されてしまう。
いや、押された所までは辛うじて視認できたといった所が正解だろう。
緩やかで流麗な動作とは裏腹に、マッスルシャドーの突き出した掌の威力は激烈だった。
聖也は一瞬の内に、10m以上の距離を水平に吹っ飛ばされてしまったのだ!!
地面に墜落しても勢いが止まらず、コロシアムの周囲を覆う透明な壁に激突するまで受け身を取る事すら叶わず転がされ、壁に当たった後も立ち上がれずに全身を苛む激痛にのたうつ醜態を衆目に晒してしまったのである。
「おおっと!? 挑戦者の不用意な攻撃を逆手に取った、チャンピオンの手痛い反撃だ~!!」
「苦しそうに呻いていますね~。情けないぞ~挑戦者! お前は口だけの軟弱者かぁ~!!」
「嘘っ、聖也兄さんが一撃も当てられないなんてっ!?」
「ちょっ、ちょっと強すぎじゃない!? それに水蛟流って……」
「私が義息子に教えたんだよ」
「えっ!?」
涼やかな笑みを称えた剛毅が、猛の圧倒的な強さに戸惑いを禁じ得ない境子達に説明し出した。
「私もお嬢さんと同じく、古き力を受け継ぐ一族の一人なんだよ」
「我らと同じく、忍雄一族は歴史の陰より日本を守ってきたのだ……」
VIPルームに訪れてから初めて剣護が娘に向かって口を開いた。
ただし、その視線はモニター越しに不甲斐無い姿を晒す息子に向けられたままだったが……。
「もっとも、私は能力が全く発現しない落ち零れだったけどね。辛うじて忍雄の姓を名乗る事だけは許されたけれど、勘当同然で放逐されこうして好き勝手やっているのだよ」
剛毅の独白に境子は胸を締め付けられた気持ちになった。
御影の象徴たる気以外の能力が目覚めた程度でも蔑まれてきたのだ。
全くの無能力であったとなら、想像するのも恐ろしい事態になっていたに違いない。
だが目の前の壮年の男は、艱難辛苦を乗り越え成り上がったのだ。
裸一貫、身一つで国際企業を作り上げた自負と矜持が、剛毅の深みのある笑みに表れていた。
「本来なら水蛟流は水を操る流派だけど、私は無能力者だから体術しか会得できなかった。だから義息子には体術しか教えていない」
「でっ、でも、マッスルシャドーは肉体強化者ですから、体術を学べたのはプラスになりこそすれ、マイナスにはならないんじゃないでしょうか」
「プラスにねぇ……」
剛毅を慮った境子の言葉に対して、何とも言えない返答が返ってきた。横に座る美華も剛毅の真意が読めず思案顔のままだ。訳知り顔なのは猛の友である2人だけであった。
境子達の疑問に答える様に厚一が口を開く。
「まっ、押尾CEOには悪いけど、水蛟流はマッスルシャドーにとって準備運動というか、手加減以外の何物でもないけどね」
「てっ、手加減って、御影先輩をあんなに圧倒してるじゃない!? 能力者ランク1位を相手にさ!」
「いや、厚一君の発言は残念ながら正しい。義息子は剣護殿の御子息に重傷を負わさない様に、手加減に手加減を重ねているのだよ」
「そこまで、差があるっていうの……」
美華が半ば呆然としながら口を開いた。猛に出会ってから、今までの基準や価値観といったものが全く通じないのだ。例え嘘だと批判しても、目の前の現実が否定するのだ。
彼らの言葉こそ真実なのだと!
何度目かの驚愕覚めやらない少女達を他所に、闘技場で動きがあった。
漸くにして、呼吸を整えた聖也が決意を瞳に滲ませ立ち上がったのである。
「……認めよう。お前は強い! いやっ、強過ぎる!! 私の剣がこうまで通用しなかったのは初めてだ」
「HAHAHAHA。随分殊勝な態度じゃないでーすか。先程までの強気は何処に行ったんでーすか?」
「戦士として、相手の強さに敬意を払うのは当然の事だ。例え、この様な場所で能力を使って金稼ぎをする不埒者であってもな!」
「……」
闘技場に入場した時点から聖也が不機嫌だったのは、御影一族という超能力者の規範となる者としての誇りに触れたからだったのだ。貴重な能力を金稼ぎの道具にしているのが気に入らないのだ。
逆に猛達にしたらその思想事態が噴飯ものであったが……。
「それで、降参でもしまーすか?」
「まさかっ! お前の強さは認めるが、私は負けるわけにはいかないのだ! 護国の盾たる御影一族を継ぐ者としてな!!」
「なるほど、逆転の手をあるんでーすね? HAHAHAHA! それは楽しみでーす!!」
「ちっ、あくまでふざけたままか! それなら見せてやる! これが正真正銘私の奥の手! 万能の名を冠する御影一族の力だ!!」
宣言と同時に聖也を覆っていた気が消失した代わりに、全身が爆炎に包まれたのだった。
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