第2話
戦守学園の校舎は地中深くにある。
地上にも広範囲に建造物が建立されているが、見た目だけの張りぼてだ。
MCは建造物の中や地中や水中といった場所以外の、全ての空間に転移する事が可能だ。
侵略者と戦う最前線として創設されたこの学園の中枢は、不意の転移による奇襲を防ぐ意味を含めて、地下深くに造られているのである。
逆に地上部にはMCと戦闘するための区画、幾重もの高い壁に囲まれた戦場が意図的に創られている。
また戦守学園は日本皇国全土の約9割の能力者、凡そ9千人の生徒が在籍する巨大校であり、戦闘区の近さに応じ学年別に分散して地下に校舎が建てられている。
当然猛達、高校2年生の校舎と1年生であるターゲットの校舎は別であり、地下の連絡通路を使うか、あるいは一旦地上に出て向かう必要がある。
猛達は連れ立って地上に出た。
エスカレーター式の学園に高校生になってから編入して来た彼女は、知り合いもいない。
加えて未だ戦闘部隊に属しておらず、各部隊に割り当てられた地下練習場に向かう必要もない事を事前に知っていたからである。
ターゲットは直ぐに見つかった。誰も寄せ付けない負のオーラを背負った生徒が1人、校門に向かって他人を拒絶する様に歩いていたからである。
黒と白と基調としたセーラー服に、日本人らしい艶やかな黒髪。
女性としてはやや大きめの、170cmオーバーの長身。
漆黒の髪と正反対の美しい白い肌、長い手足に均整の取れた美しい顔。
本来であれば誰もが見惚れ、虜になってしまいそうな美少女だろう。
大きな欠点が、彼女の魅力を損なっていなければだが……。
長く伸びた前髪が顔を隠し、俯き気味な恰好がより一層表情を見えなくしている。更には、おどおどとした挙動不審な態度に加えて、全身から醸し出されている陰気が全てを台無しにしてしまっていた。
よほど鬱屈とした生活を送ってきたのだろう。そのせいで卑屈になってしまっている。
猛は一緒に付いて来た厚一達に無言で合図すると、1人足早に彼女の前に回り込むと、立ちふさがる様に真正面で立ち止まった。和亜と厚一は予定通り遠目から見守るようだ。
すると彼女は大慌てで逃げようとした。
まるで小動物の様な態度に苦笑しながら大きく手を広げて通せんぼしつつ、できるだけ怖がらせないように声を掛けた。
「待った、御影境子ちゃんだね? 俺は忍雄猛、君に会いに来たんだ」
「……何の用ですか?」
精一杯返答したようだが、びくびく怯えている様子が丸分りである。これ以上近づけば、忽ちに走って逃げてしまうに違いない。これは中々の難物だと心の中で盛大に溜息を吐いた。
「俺達の部隊、第23部隊に君をスカウトしにきたんだ」
「……お断りします。私の所属する部隊は決まっています。私の入るべき部隊は――」
「第1部隊、君の兄のいる部隊に入隊するように強制されているんだろ?」
真正面から対面しても俯いていた少女の顔が、初めて驚きで上に持ち上がる。
ただし長くは続かない。驚愕から覚めると、羞恥心や卑屈さから直ぐに顔を下げてしまった。
だが、その瞳は見えた。
目は口程に物を言う。
彼女の瞳は暗く澱んでいた。
出来損ないと言われ、謂れ無き罵声や蔑みを受けてきたのだ。
卑屈になるのもある意味必然である。
謂れ無き?
その通りだ。能力者の大家である御影一族にあってもなお、彼女の固有能力は異端であり、上手く制御できていないからこそ、落ちこぼれだと、劣等だなどと蔑視されてきたのだ。
「兄の部隊に入って何になる? 純粋な御影一族の力を色濃く継いだ兄の部隊に? 止めた方がいいな。君が実家で虐げられてきた時と何も変わらない。君を導けず持て余し、冷遇されるだけだ」
「っ!? じゃあ、どうすればいいんですか!! あなたなら私を導けるとでも? あなたも戦力増強のために、私が欲しいだけなんでしょ!」
少女が血を吐く様に叫び、猛を睨み付けてきた。
初めて猛の瞳を真っ向から見つめ、悔しそうに唇を噛み強い眼差しを向けてきたのである。
彼女も本心では、今の境遇をどうにかしたいのだ。
だけど自力ではどうにもならない。
しかも、優秀な能力者を多数輩出してきた自分の一族からも見放されたのだ。
これで、どうやって抜け出せというのだ。
変わりたいと足掻き続けているが、どうしても変われない。
彼女のそんな思いが凝縮した、悲痛な叫びだった。
そんな激白を行った彼女に対し、猛はというと獲物を見つけた肉食獣の様な凄みのある顔になると、笑い声を上げながら彼女に向けて一歩を踏み出した。
「ははっ、ははははっ! いいぞ! 実にいい!! 中々見所があるじゃないかっ!!」
「ひっ!? いっ、嫌っ! 近付かないでっ!!」
猛の突拍子のない行動に少女は怯え、両手で顔の前に置くと拒絶を示した。
突然大巨漢が笑顔になると、高笑いを上げながら近付いてくるのだ。
臆病な彼女じゃなくとも恐慌状態に陥るというものだ。
「止めて! こっちに来ないでっ!!」
それでも歩みを止めない猛に対し、彼女は恐ろしさからか能力を発動してしまう。
重力姫と字名される彼女の固有能力をだ!
突然、猛の体の周囲だけ何十倍もの重力が伸し掛かった。
身長198cm体重396kgという、途方もない体重を誇る猛の重さが何十倍にも跳ね上がったのである。
全身に途方もない負荷が掛かり、猛の足が地面にめり込んだ。
だがそれでもなお猛は笑い声を止めず、歩み寄る速度も何ら変わらなかったのである。
「ははははっ。どうした、どうしたぁ!! その程度じゃ重力姫の名が泣くぞ? 俺の歩みを止めてみせろ!」
「いやあああ―!!」
本来はこんな所で能力を使ってはいけない。それも人間相手にだ。
普通なら懲罰対象になる愚行であったが、少女の未熟な技量では暴走した力を止められない。
それに加えて、全身之筋肉の塊といった風の大男の接近が恐怖を助長させ、歯止めを効かなくさせていった。
笑声を上げ何ら痛痒を感じる事無く、何か大きな塊が地響きを立てながら近付いて来るのだ。
これで怖くないという者の方が少ない、いや、皆無に違いないだろう。
恐れに支配された結果、真面に自分の力を扱えもしないはずの少女が全力を発揮できたのは、ある種盛大な皮肉であろう。
まあもっとも全力を出せてもなお、猛の歩みを止めるのには少々所か、全くの力不足であるのは否めなかったが……。
局所的な超重力場が猛を中心に発生し、大地がへこみ小さなクレータを造り出す。
歩く度に足が膝付近まで地面にめり込む程の超負荷が、猛の全身に掛かっていた。
だが残念な事に、少女の精一杯の抵抗も猛の歩みを些かでも遅くする事さえ叶わなかったのである。
猛は少女の眼前にあっさり到着してしまった。
「あっ……」
見上げる様な大男を前にして、唇が震え目に涙が溜まってきた。
彼女の唇から悲鳴染みた声が出た。これから何をされるかと、想像するだけで崩れそうになる。
そんな怯える少女に対し、猛は好戦的な笑みを引っ込め柔和な笑顔を浮かべると、驚くべき事にゆっくり怖がらせない様に少女の頭に手を置くと、優しく撫でつけ始めたではないか!!
理解不能の状態に混乱の極みに陥った少女の心境を傍らに、猛は細心の注意を払い優しく撫で続けた。
時間も経てば、荒れた心も落ち着きを取り戻す。
当初は恐怖に染まっていた感情は何処えやら、慰撫されその気持ち良さにうっとりと目を細めていた少女は、漸くにして自分の置かれた状況に気付くと、羞恥で顔を真っ赤にして慌てて距離を取ると、大急ぎで頭を下げ謝ってきた。
「すっ、すいません! 私が未熟なせいで力が暴走してしまって……」
「問題ない。何も被害は無かったしな。それに、こっちがわざと仕掛けたんだから、むしろ悪いのは俺の方だ」
「そっ、それでも、今のは罰せられるべき行動です」
「ああ、それも心配しなくていい。こういう事態になる事を想定して、事前に本部に申請してあるんだ。さっきのは勧誘に伴う能力テストとして処理されるから、君が罰せられる様な事にはならないさ」
出会ってから何度目か分からない驚きの表情を浮かべる少女に対し、猛は安心させる様に男臭い笑顔で頷いて見せた。
そんな猛の顔をじっと見つめていたが、恥ずかしくなったか顔を赤らめると一気に顔を下げた。
出会った当初は分からなかったが、この少女は実は感情豊かなようだ。
ただ、今まで置かれた環境のせいで卑屈になっている。
それだけなのだ。
「あっ、ありがとうございます?」
「どういたしまして。所で話は変わるけど、君の能力値は第1階梯のLV39。MPは、……だいたい3万ってところかな?」
「えっ!? はっ、はい、その通りですけど、一体どうして? ……あっ、MPCを持っているですね?」
自分の能力値を言い当てられて当初は面食らったたようだが、直ぐに答えを思い当たったようで、少女ははにかみながら問うてきた。
超常の力を操る能力者が表に出て約30年、科学による神秘への解明が進み、今では能力者の状態や強さを数値的に示す事が可能になったのていた。
それが階梯にLV、そしてMPなのである。
MPは個人の能力の強さを示しており、総合的な超能力者の戦闘力や武力といったものを表している。
逆に階梯やLVは超能力者の状態を数値的に表現しているのだ。
例えば火を操る能力者を例に出すと、能力が発現した当初は皆第1階梯のLV1である。
そこからLVが上がるにつれて火力や、精密性や操作性といった自分の能力を思い通りに操つる力が上昇するわけだ。
一方の階梯に関しては、個人によって千差万別といえばいいだろうか。
階梯が上がると、例えば炎だけではなく熱が操れるようになったり、あるいは光線、振動を操作できるようになったりと、それこそ何が可能になるか分からない。
ただし、階梯が上がるにつれて自由度が上がる事だけは確かであり、これまで不可能だった事が可能になるのだ。
これを戦闘で考えると、MPが同じ場合でもLVが高い者と階梯が上の者とでは、単純な強さは同じであったとしても、厄介さは全く異なる事が理解できるだろう。
これはMCに対しても当て嵌まるので、最新式のMPCはMPだけでなく階梯やLVを測定可能になったおかげで、より敵との戦闘を有利に進められるようになったのだ。
だから、自分の能力値が分かったのもMPCで測定したのだろうという問いなのだが、猛は頭を振って否定した。
「いいや、後ろで見てる2人はMPCを持っているけど、俺は持ってないよ」
「えっ!? でもそれじゃあどうやって……。あなたは肉体強化者ですよね? っ!? あっ、あなたの第2階梯の能力が、MPCと似た能力なんですね!? すごい! 第2階梯に上がれる人なんてほとんどいないのにっ!」
声を弾ませ、尊敬の眼差しを向ける少女に対し、猛は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
何十倍の重力を受けて平気で歩ける能力者など限られている。
肉体強化者はその代表的なもので、自分の肉体を強化できる能力者達の総称である。
猛は彼女の指摘通り自分の肉体の強化だけができる、極有り触れた肉体強化者だ。
もっとも、先程のじゃれ合いで自分の能力を行使したかは、彼の表情からも怪しい所であったが……。
それにしても、陰気だったはずの少女が衝撃の展開と驚きの連続で、全身を覆っていた陰気が薄れ個性豊かな表情を見せてくれる。
本来の彼女は、きっと今の見せてくれる様な天真爛漫な性格なのだろう。
また、大半の超能力者が第1階梯のまま20歳を迎え能力を喪うのが現状である。全能力者の内、年に10人階梯を上げる者が出れば当たり年で、5人にも満たない時もあるぐらいなのだ。
肉体強化者のはずの猛が、MPCを用いずに彼女の能力値を正確に把握している事から、猛が第2階梯に至っていると推測するのは至極当然である。
少女が猛を尊敬の瞳で見つめてくるのも、自然な成り行きといえるだろう。
まあ実際の所、猛は第1階梯だったのはかなり昔の事なのは事実だが、特に自分から吹聴するつもりはなかった。それより別の所が気になっていたので、指摘する事にした。
「まあ、そんなもんだと思ってくれればいい。それより、いつまであなたって呼ぶつもりだい? 面倒だろ、猛って呼んでくれよ」
「なっ、名前でですか?」
「そうだ。俺も君を名前で呼んで言いかな? 境子って」
「えっ!?」
少女はそのまま赤面して固まってしまった。
どうにも箱入り娘というか、育った環境も良くなかったのだろう。これまでの境遇から異性との付き合い所か、接する機会すらもあまりなかったに違いない。
このままでは埒が明かないとばかりに、無理矢理に話を進める。
「ほらっ、呼んでみな。猛って」
「っ!? ……。たっ、猛さんっ」
「はい、良くできました」
そして再び少女の頭を撫でつけた。
美男子がやったのなら実に絵になったであろうが、2m近い筋肉ムキムキの大男がやったせいで、一種異様な光景になってしまっていた。猛にしても口説いているという感覚はなく、どちらかというと年の幼い妹でもあやしている気分であったが……。
逆に少女はやや恍惚とした顔になっていた。
男性への免疫など皆無に等しく、優しくされた事などもほぼ皆無だったからだ。初めは反発してたはずなのに、激発させられた後に優しくされ、なし崩し的に絆されそうになっている。
チョロインと言われても仕方ない程のもろさであるが、ある種極道者が女を物にする時の手口に似ている、っといえなくもないので、弱っている彼女が急速に猛に親しみを感じていっているのも、まあ仕方ないのかもしれない。
「……強引、なんですね」
「自分の欲求に素直なんだ。俺のために境子(の才能)が欲しい。だから、勧誘しにきたんだ」
「っ!? でっ、でも私が頷いたとしても、兄や父が納得しないでしょう。私は落ち零れではありますが、これでも御影本家の人間なので……」
「そこは気にしなくていい。境子が了承してくれれば、後はこっちでやるから」
「嘘っ!? そんな事、本当にできるんですか!?」
「もちろんだ!」
力強く断言する猛に男らしさを感じ、境子は自分の胸が熱くなるのを自覚せずにいられなかった。
自分のために、兄や父を納得させると言ってくれたのだ。
あの兄と父を相手にだ!
戦守学園第1部隊隊長にして、栄えある能力者ランクキング1位に輝く優秀な兄。
そして御影一族の長にして、今では日本皇国守護の要とされる重要人物である父を、無能者の自分が欲しいがために為に、立ち向かってくれるというのだ。
例え無理であったとしても、いや嘘であったとしても、こんな自分のために発してくれた言葉としては最上のものである。
胸が熱い、鼓動が勝手に高鳴る。
日陰者の少女の心は、一気に傾いていった。
そんな少女の瞳を真っすぐに見つめ、猛は正直に思いを口にした。
「ただし、俺の所に来れば苦しむだろう。君の実家よりも遥かに厳しいと思ってくれ。俺の部隊に入れば辛いだろうが、自分の力を高め汚名を返上する機会を得られるだろう。だけど付いて行けず、境子が壊れてしまう可能性もありえる。それもまた事実だ」
「……」
2人は静かに見つめ合った。
しばらく後、猛の言葉に嘘はないと感じた境子は、静かに口を開いた。
「……正直なんですね。甘い言葉を掛けるだけでも良かったでしょうに。どうして話してくれたんですか?」
「納得して来てもらうためさ。誤魔化して来てもらっても、後で発覚したら気まずくなるし、場合によって脱隊なんて事になり兼ねないだろ?」
「それは、そうかもしれませんが……」
ある程度納得のいく理由だが、それだけではまだ弱い。
そんな少女の思いを表情から読み取ると、猛は破顔し話を補足した
「それと、余計な事は考えず全力を発揮してもらいたいんだ。ぶっちゃけると、俺に付いて来るのは本当にきつい。別の事にかまける余裕なんて無い!」
「……」
「境子にはできれば脱落してもらいたくない。それに自分で納得して決めたのなら、頑張れるだろう? だから正直に話したんだ」
「そこまで、私の事を考えてくれたんですね」
胸の内の熱い思いが溢れ体中に伝染し、瞳はこれまでにないほど輝きを増した。
猛としては正に言葉通りの意味で、只でさえ実力差が激しくついてこれない可能性があるのだから、些事に気を取られては、上手くいくものいくはずがないという思いからの言葉でしかなかった。
それ以外に他意はこれっぽっちもなかったが、受け取り手側の境子の方はというと、そうではない。
自分の事を思って忠告していくれたと、受け取ってしまったのだ。
まあ勧誘するだけなら甘言だけでもいいので、彼女の身を案じる様な猛の言葉から勘違いしてしまったのも仕方ないのかもしれない。
加えて、人に優しくされた経験が少ない事も、彼女の勘違いによる深読みに拍車を掛けてしまった。
御影境子は押尾猛を信じた。
信じてしまったのだ。
例え騙されていたとしても構わない!
初めてこの胸に抱いた感情を信じて進みたい!!
それで上手く行かなかったとしても、後悔はしないだろうと!
そんな思いに突き動かされるようにして、少女ははっきりと顔を上げたまま強い決意と輝きを秘めた瞳で猛を見つめながら口を開いた。
「あっ、ありがとうございます! 私は猛さんの部隊に入……」
「ちょーと待ったー!!」
「「!?」」
話が纏まり掛けようとしたまさにその瞬間に、謎の横槍が割って入ってきたのだった。
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