第2話-疑心の虚像︰心理幻像-
会社へ向かう途中に昨日飛び降り自殺のあった現場を通り過ぎ、またあの時の音と悍ましい光景が脳裏に蘇る。
会社へ向うには必然的にこの大通りを通る事になる、と言う事はこれから毎日自殺現場の前を歩かないといけないのだ。
幸いな事に会社は自殺現場の反対の通りで、すぐ真横を通過る事はない。
自殺を通り過ぎる時に横目でチラッとみると、白いや赤い花が備え付けられ痛ましい気持ちになった。
──結局助けられなかったけど、何で死と言う選択をしたのだろうか。それ程に追い詰められたのかな。でも周りの迷惑かえりみず自殺するなんてやっぱ同情はできねぇな。
会社のあるビルへ着くと入ってすぐ正面にあるエレベーターへ乗り8階のボタンを押す。
表示灯が8階になるとドアが開きエレベーターホールへ出ると、○○商社と書かれた表札が入り口のドアに掲げられ、厚い観音開きガラスのドアを開け中へと入った。
「おはようございます」
中に入るなり誰へ向けてか挨拶をすると朝から熱心に仕事をする社員が何人か既に仕事をしている姿が目に入る。
6列ある長いデスクにパソコンが並び資料や私物の乗った普通のオフィス。
──まだ7時50分くらいなのにやる気満々だな。まぁ俺も早く仕事しないと定時には帰れないんだよな……
すれ違う度に挨拶をして自分のデスクに座りパソコンの電源を入れると、隣から茶化すように同僚の佐久間正吾が俺の左肩を叩いた。
「おっす、相変わらず机の上きったねぇな。もう部屋片付いたのか?」
佐久間正吾は俺が元いた千葉支店の営業所で同期だった同僚である。一年前に佐久間は千葉支店から東京本社へ転勤しており、千葉支店にいた時はよくはしご酒をして朝まで飲み歩いたものだ。
「るせぇな、後でかたずけんだよ」
「三上そういや知ってっか? 昨日近くのビルで飛び降り自殺あったらしいぜ」
佐久間の言葉にビクッさせ思わず俺は佐久間を見ると、変な冷や汗をかき小刻みに体が震えだす。
「おい三上大丈夫か? 顔色いし二日酔いか?」
「いや……その話だけだよ。俺見ちまったんだよ」
佐久間はあっけらかんな顔をしていたが、俺の様子がいつもと違う事から真剣な顔つきになる。
「見たって何をだ?」
「飛び降り自殺だよ……」
俺は包み隠さず昨日あった出来事を佐久間に話すと静かに聞き優しい言葉をかけてくれた。
「それは大変だったな。余計なことかもしれんが何かあったら家に泊めてやるからいつでも来いな。そろそろ仕事の時間だぞ」
そう言うと佐久間は自分のデスクに戻り仕事を始める。俺も立ち上げたパソコンに向かい仕事を始めた。
****
仕事を終わらせ椅子で背伸びをしていると、オフィスの壁掛け時計が目に入りと時刻は午後17時15分になっていた。
うちの会社は朝8時から午後17時までが定時で、ちゃんと残業代も出るホワイト企業と言いたい所だがその他の面でブラックなのでしいて言えばグレー企業である。
佐久間はもう少し仕事があるみたいなので先に上がることにした。昔みたいに飲み歩きをしたいがお互い時間が合わないことが多い。
「じゃあ佐久間俺も先に上がるわ」
「おぅ! お疲れ!」
****
夏場ということもあり日が沈むのは早い。
仕事からの帰り道耳をつんざく様な蝉の鳴き声は和らぎひぐらしの鳴き声や虫の鳴き声が夜道に響いている。
しかし蒸し暑さはまだ残り、じめじめとまとわりつくように体温を上昇させていく。
願わくば家に帰って暑さと喉の乾きを癒やしたい。
──そういや、そろそろビール無くなるし飯も買わないとな。
そんなことを思い出すと、帰り道を少し変え自宅から徒歩10分程の場所あるコンビニへよる。
店内へ入ると不可思議なチャイムの音と共に俺の体を包み込む涼しが出迎えてくれた。
──うほっ! いい涼しさ。
ブラザーマートと言えば海外展開もしている大手チェーンで品揃えや、他コンビニよりも味や品質が高い。
入り口にあるカゴ置き場からカゴを取ると雑誌のエロ本コーナーに立った。
どれもこれも興味なさそうな雑誌だが一つ俺の気を引くタイトルが書かれたものがあった。
タイトルは『SMスナイパー』で表紙に書かれた記事の一つに『アドミラル軍曹炸裂する巨乳の谷間に何をぶち込んでやろうか、』である。思わず俺は生唾を飲んだ。
雑誌を取ると十字にビニール紐で結ばれており立ち読み出来なくなっているではないか。
立ち読みだけに勃たせないつもりなのか、店側は全力で阻止しているようにも思える。
──ちっ……俺にはこの雑誌を買う勇気がないぜ。
雑誌を元の場所に戻すと、飲料コーナーへ行きいつも飲んでいるビールを6本カゴに入れた。そのままカップ麺コーナーに行き苦悶な表情を浮べるながら今日の晩飯を選定する。
──今日は『月進UHO!』にするか。この焼きそばはそこそこ腹に貯まるしソース焼きそばの中では一番うまい。
カゴをゆらしレジまで行くと店員の男がが淡々と商品をバーコードリーダーで読み取っていく。
会計が終わり袋を渡されるとチラッと袋の中身が見えた。
よく見ると割り箸が入っておらず店員に割り箸が入ってない事を言うと、面倒くさそうに割り箸を渡し少し俺は不快に感じ店を後にする。
──大手だからきっちりしてると思ったけど、案外接客なってねぇな。
再びまとわりつくような暑さの中帰路に付いていると、まるで誰かに見られているようなそんな感覚がして咄嗟に背後を振り返った。
──誰もいない……気のせいか?
暗がりに切れかけた電灯がチカチカと不気味についたり消えたりしている。
時間もそうだが田舎と言うこともあり誰一人として見かけない。
ひぐらしの鳴き声が鮮明に耳に入ってくるよえになると、俺の心臓はバクバクと破裂しそうなくらい高鳴った。
再び歩きはじめると直ぐにまた視線を感じ振り返る。しかし先程と同じで何もいない。
──まさかな……
そして俺は見たのだ。
前を向こうとしたほんの一瞬電信柱の影に人影らしきものが少し顔を覗かせだけ目ぎょろりと動かすとこちらを凝視している。
全身の毛が総毛立ち頭の中が真っ白になって無我夢中で自宅へと走った。
自分の部屋につくと急いでポケットから鍵を取り出し、震える手でガシガシと鍵穴へ鍵を入れようとするが中々入らない。
満身創痍になりながら鍵穴に鍵をやっとの思いでさすと左へ捻り鍵をあけ、滑り込むように中に入た。急いで鍵をかけ玄関にへたり込んだ俺は恐怖のあまり失禁寸前だ。
念のためドアスコープから覗いてみるとグニャっと魚眼レンズ特有の端のぐにゃりと曲がった風景がみえる。
暫く見ていない事を確認するとほっとため息を着いてリビングダイニングキッチンにある冷蔵庫を開けるとぽつんと缶ビールが一本だけ残っていた。
──昨日のたしか全部飲みきっていたと思ってたけど一本だけ残してたんだっけか。昨日はベロンベロンに酔っ払ってたし何本残ってたなんか覚えてなくても不思議じゃないか。
そう思い冷蔵庫にあったビールを取り出し買ってきたビールを冷蔵庫にしまう。
ビールのプルタブを起こし少し飲むと、ビールを片手にシンクに置いてある電気ケトルに水を入れるスイッチを入れた。
カップ焼きそばの封を切り開けてかやくとソースを取り出しビールをまた一口。
「やっぱ夏場ビールだな」
お湯が沸くとパチンという音がなり自動的にケトルの電源が切れ、カップ焼きそばにお湯を注ぐと3分経過するまでビールを飲む。
ビールをシンクに置くと寝室へと歩きながらワイシャツのボタンを外し、エアコンのリモコンを見つけるとスイッチをいれた。
そして、ボタンの外れたワイシャツを脱ぎ捨て、ズボンのベルトを緩めズボンも脱ぎ捨て、パンツ一丁で再びリビングダイニングキッチンへと戻る。
お湯を捨てている時に気づいてしまった。
──かやく入れるの忘れたわ!
起きてしまった事はしょうがないと諦め、続いてソースをいれ割り箸で混ぜていく。
ほんのりと芳醇なソースのいい香りが漂い思わず顔がにやけ、カップ焼きそばの容器を手で持ったし時に事件は起きた。
食べることに焦った俺は手を滑らると、出来たばかりのカップ焼きそばは、宙を舞い容器がゆっくりと回転しながら麺を拡散していく。
見事に流しの中へ麺が吸い込まれ、パイ投げでパイが顔にヒットした時のような悲しい音を奏でた。
「俺のUHOがあぁ…… くそがぁ!」
しかし悲嘆する間もなくビールを一気に飲み干すと、この虚しい思いを発散すべく風呂に入る事にする。
脱衣所へ入ると脱衣所の電気を付け、鏡を見た瞬間、リビングダイニングキッチンを黒い影が横切ったように見えた。
──見間違えか? 今何か通らなかったか?
少しの間鏡から目が離せない。
何故なら振り返った瞬間そいつが真裏にいるかもしれないからだ。手に汗を握りよくわからない汗が湧き出てくる。
──どうする、このまま見ていてもらちがあかない。一か八か……
俺は心を決め一気に後ろを振り返りった。
「いない……俺疲れてんのかな」
疲れやストレスが幻覚を見せる事もあると何かの雑誌で読んだ事がある。まさか自分がそのような体験をするなど思っても見なかった。
俺はもともと幽霊だの霊界だの信じない質で、霊感ゼロで今まで幽霊の類は見た事はない。
風呂を済ませると冷蔵庫からビールを取り出し、居室へ移るとベッドに座ってテレビをつけチャンネルをくるくると回した。
──おっ! ドラマやってんじゃん。たしか佐久間が今ハマってるやつで古川任三郎シリーズだっけ。有名な探偵ドラマだし見とくか。
狂気女の嫉妬と言うテロップが流れ淡々とビールを飲みながらドラマを鑑賞した。ドラマが終盤になると古川がトリックを暴き真相を突き詰める。するとメンヘラの女が嫉妬心を爆発させ家に他の女を連れ込んで殺害したと供述した。
「やっぱメンヘラ女って何するかわからんよな……」
その時ベッドに置いてあったスマホがブブブと振動しながら着信の表情を出していた。
見てみると電話の主は山田紀子と出ていた。
俺には付き合っている彼女がいる。交際して2年くらい経つけどそろそろ潮時だと思う。
山田とは出会い系サイトで出会い興味本位でいい人を演じていたらまさか重度のメンヘラだとは思いもしなかった。
長い黒髪でぱっちりとした一重の目に優しい口元でメンヘラと言う事を除けばかなり可愛い部類に入る。
──別れようなんて口が避けても言えない。
古川任三郎のドラマみたいに別れ話を持ちかけたらきっと俺は殺されるんじゃないのかとそう思う。だから今は自然消滅を狙って向こうから連絡が無くなるのを待っている次第だ。
──でもこのまま電話無視し続けてても何されるか分からないし出るか。
俺はスマホを手に取ると恐る恐る着信のボタンを押し耳に当てる。
「あっ! 照くん紀子だけど元気?」
「まぁ……ぼちぼちかな」
「……でさぁ……な……ちょ……てる?」
──あれ……おかしいな声が遠く感じるぞ。酔っ払い過ぎたかな……それより通話しないと……
俺はスマホを持ったまま布団へ倒れ視界はブラデックアウトした。通話口で山田が話しているみたいだがもはや聞き取ることはできない。
俺は深い眠りについた。