君がほしい…
また春が巡ってきて、三年生になる前の春休み。あの桜並木の花びらの絨毯を二人で散歩していた時のことだった。
並木の中でもひときわ大きな木の陰で、隠れるように抱きしめられた。そして、何度目かのキス。いつもにも増して長く深いキスに、私はいつもと違う彼を感じ取った。そのキスの後で、彼がその心の内を切り出した。
「君がほしくてたまらない…」
彼の思いつめた目を見て、何のことを言っているのかはすぐに分かった。
私の中に、迷いなんてなかった。怖いとも思わなかった。彼のためなら心も体も、この命さえ捧げられると思った。そしてそれは、彼のみならず私自身も望んでいたことだった。
初めて訪れる彼の家は、古い日本家屋だった。介護が必要になった彼のお祖母さんの家に、彼は母親とともに同居していた。
「昼間の時間は、祖母ちゃんはデイサービスに行ってるし、母さんも空いてる時間で仕事してるんだ」
「……お母さん、日本でも仕事?」
「うん、国際弁護士なんだ。日本では友達の事務所を手伝ってるって言ってた」
それを聞いて、やっぱり彼は、平凡なサラリーマンを親に持つ私の、想像もつかない環境で育った人なんだと思った。
彼の部屋の二階の一室は、勉強机とベッドがあるだけのシンプルな部屋だった。でもそこは、全国模試で五十番以内に入ってしまう頭脳が生み出される場所だった。
そこで、私たちは何も飾ることのない姿になって、お互いの想いを確かめ合った。
「俺、初めてで……よく分からないから。イヤだったら我慢しないで」
途中でそう言ってくれた彼に、私は笑ってみせた。
「尊くんでも、分からないことがあるんだね」
〝嫌〟どころか、彼が求めてくれるものには、私のすべてを投げ出してでも応えたいと思った。
そこには彼を特別視したり、私を敵対視したりする目もなければ、お互いの生い立ちの違いや漠然と見えない未来もなかった。存在してたのは、ただ目の前にいるお互いだけ――。
その日、夕暮れ時にあの桜並木まで、彼は私を送ってくれた。
傾いた日の淡く柔らかい日に照らされ、舞い散る花びらの中で、彼が並んで歩く私の手を取って言った。
「……君を一生、大事にするよ。この桜に、誓うから」
まるでプロポーズのような彼の言葉に、私は心がいっぱいになって、頷くだけで精いっぱいだった。
だけど、やっぱり私たちは、そんな約束をするにはまだ幼すぎて……。
それでも、一緒に生きていける〝未来〟、彼も私もそれを信じて疑わなかった。
私はそれから何度か彼の家へ行って、そのたびに彼の想いに応え、彼に愛してもらった。一途な想いばかりが先走って、その行為本来の悦びなんて知らなかった。
ただ彼と繋がれることが本当に嬉しくて、いつもこのまま時が止まってくれればいいと思った。
「……どうして尊くんは、こんな私を好きでいてくれるの?」
ある時、彼と一つになった後、横たわったまま彼の腕の中で、尋ねてみたことがある。
彼は、〝なんでそんな分かり切ったことを訊くんだ?〟というふうな顔をして見せたが、ニッコリと笑って答えてくれた。
「それは……、小晴が小晴だからだ。理由なんてないよ。俺たちが出会ったあの日、あの桜並木で自転車に乗ってたら、突然君が目の前にいた。君だけは予測できなかった。不意打ちを食らった俺は、君を意識から消せなくなって、気づいたら好きになってた。もちろん君はとても可愛いし、頑張り屋なところも好きだけど。そんな目に見える部分だけが、理由じゃないよ」
彼の言おうとしていることが、私には響き合うようによく分かった。
「うん、私も同じ。尊くんを好きな理由なんてない」
私がそう言ったのを聞いて、彼は嬉しそうに微笑んで私の頬を撫で、キスしてくれながら呟いた。
「……こうなる運命だったんだ。きっと、前世から決まってたことなんだよ」
いつもは理路整然と現実を見据えてものを言う彼なのに、そんな非現実的なことを言った。
だけど、理由もなくこんなにも彼を好きなのは、本当にその通りだからだと思った。
私は、彼のその言葉に同意するように、彼の背中に腕を回して彼を抱きしめ返し、キスに応えた。