第76話
機体の格納庫には小さいながら見晴らし台がある。
それは主に子供などの見学者が来た時に格納庫を紹介するためのものだ。
通常は床、それから床と天井の中間くらいの高さにある空中回廊しか使わない。
見晴らし台は空中回廊よりも高い位置に、ベランダみたいに壁からせり出していた。
普段は使われない見晴らし台に、今は二人の男が佇んでいる。
一人は電志でポケットに手を突っ込んでいて、もう一人はシゼリオで柵に両腕を載せ庫内を眺めていた。
庫内は磨き上げられた機体でひしめいていた。
つい最近まではまだ修理班が忙しく駆け回っていたが、全ての機体の修理が完了したようだ。
いまは祭りのあとのように静かになっている。
「それで、話って……?」
シゼリオが下を眺めたまま問うてくる。
電志は緊張した面持ちでいた。
ここにシゼリオを呼び出したのは他でもない、説得するためだ。
この場所ならめったに人が来ないし、外ではエリシアが見張りもしている。
誰かに話を聞かれてしまう心配は無い。
果たしてシゼリオはこちらの願いを聞き届けてくれるだろうか。
ただ、彼ならば説得に応じてくれるだろうという希望もある。
自分が人を殺めるために戦闘機に乗せられると知れば、それを良しとしないだろうから。
誰かに聞かれてしまう心配は無いが、小声で話し始めた。
「七星さんの地球侵攻計画は、最初は単なる噂だと思っていた。俺達と地球では軍の規模が違い過ぎる。きっと数に押し潰されてしまう。それは俺にだって分かることだった。だが……」
そうして電志はシゼリオの隣まで歩を進め、片腕を柵に載せて続ける。
「……違った。信じられないことに、噂は本当だったんだ。七星さんは日記に記していた。巣の破壊が成功したその日から、地球侵攻計画は始まっていたんだ。シゼリオ……もうこの極秘任務から手を引け。このままじゃお前、本当に人殺しにされちまうぞ。そんなの嫌だろう?」
シゼリオは眼下に広がる静けさと同じように、特に表情も変えずに聞いていた。
話を咀嚼しているのか、しばらく間が空く。
何度目かの瞬きの後、彼はさらさらの銀髪を揺らし首を振った。
それは縦ではなく、横に、だった。
彼は重い扉を開くように口を動かした。
「電志……噂は噂だよ。地球侵攻計画なんて、にわかには信じられない。僕はあくまで地球であの機体が運用できるのか、ということでシミュレーションしている。実際に人と戦うことなんてあり得ないよ」
それは根元からの拒否・拒絶だった。
電志は焦りを覚える。
シゼリオなら応じてくれると思っていたのに、想定と全く違う。真逆だ。何で。どうして。
「でも、日記には確かにそう書いてあったんだ……!」
「日記というのは誰にも見られる心配が無いから、ついつい感情的に書きなぐってしまうことがある。それは『気持ち的にはそうしてやりたい』というだけであって、実際に行動に移すとは限らないよ。どう書いてあったかは知らないけど、気にすることはないんじゃないかな」
「いや、そうかもしれないけど! 書いてあった以上は可能性が高いだろう?」
「可能性はどうであったって捨てきれないさ」
まるでよくできた彫像を相手にしているようだった。
全然言葉が届かないことに電志は苛立ち、手振りが大きくなる。
「シゼリオ、お前こないだは噂に対して一定の理解を示していたじゃないか。七星さんを題材にしたアニメでは七星さんが地球を憎んでいた、それは取材に裏付けされていたって言ってなかったか?」
確か秘密の部屋で噂について話していた時、そんなようなことを言っていた気がする。
その時のシゼリオは確かに『地球侵攻計画もあり得ない話じゃない』という立場に見えた。
それが今はどうか。
『全くあり得ない』という立場に変貌してしまっているではないか。
シゼリオは苦い顔をして応えた。
「あれは……気の迷いだよ。噂の雰囲気というか、そういったものに流されていた。僕は七星さんを信じる、電志は信じないのかい?」
「えっ……?」
電志は思わずたじろいでしまった。
シゼリオの言葉が重くのしかかる。
七星さんを信じないのか……?
俺は、七星さんを信じていないのか……?
気持ちが大きく揺さぶられる。いや、信じていないわけじゃない……信じていないわけじゃないんだ。あくまで日記があったから客観的に見て……
何だか胸中で渦巻く言葉が全て言い訳に聴こえてくる。
積み上げてきたものが不確かなものに感じる。
シゼリオは柵から離れ、電志に顔を向けた。
「それに……僕らが戦いたくなくても相手が攻めてきたら防衛線はしなくちゃならない。地球は武装解除して来いと言ったけど……武装解除した僕達を攻撃してくる可能性だってあるんじゃないのかい?」
ミリー先輩も同じようなことを言っていたな、と電志は思った。
地球は確かに信用できない。
騙し討ちだってあり得るかもしれない。
そのままシゼリオは出口へ向かって歩いて行った。
説得は諦めるしかなさそうだった。
「駄目だったな……」
電志はぼやきながらエリシアに報告した。
「顔を見ただけで分かったわ」
エリシアがそう言って迎えてくれる。
二人は歩き出した。
「シゼリオなら分かってくれると思ったんだがな。想定外だ」
正直、あそこまで拒絶されるとは思っていなかった。見込みが甘かったのだろうか。
「何て言ってたの?」
「日記に何て書いてあろうと、信じられないってさ」
「それは……ずいぶん頑なね」
「ああ、もう全然取り付く島もない状態だった」
「あなたの説明が下手だったんじゃないの? 口が上手くない方でしょう」
「それを言われると自信は無いが……」
電志は憮然とした表情になり、エリシアは苦笑して肩を叩く。
「精一杯話して駄目だったのなら、しょうがないわ。彼もあまり柔軟じゃないところはあるしね」
歩いていくと、通路にぽつぽつと人が見え始める。
するとエリシアはこの話題をやめたようだった。
電志もそれにならい、口を結ぶ。
次の話題を求めて言葉を探っていると、穏やかでない光景が見えてきた。
四人組の男女が一人の少女に絡んでいるようだ。
『あんたも地球生まれでしょ? 地球からのメッセージ、どう思うわけ?』『お前もあいつらと一緒で【アイギス】のことを見下してるんだろ?』
【アイギス】生まれが四人組で、絡まれている少女は地球生まれ、という構図に見えた。
少女は壁に追い詰められ、俯きながら応えている。
『わたしも……地球からのメッセージは酷い、と、思いますけど』
すると四人組の内の一人の女の子が怒りを載せて言った。
『じゃああんたも協力しなよ、地球倒すの!』
通路には、遠目から見て我関せずを決め込んでいる者が一人二人いるだけだ。
電志はエリシアと顔を見合わせる。
互いに頷きあい、止めに入ることにした。




