第44話
セシオラは少しずつ、大切にココアを飲んだ。
そして、七星とこうして隣り合って座っている状況を不思議に思う。この人は、自分が狙われていることを知っているのだろうか。知っているわけないか。
宇宙人であるネルハとは、もうこうして隣り合って座ってお喋りすることもできない。
でも、同じ宇宙人でもこの人ならお喋りしても良いんじゃないか、と思った。
ネルハには危険が迫るが、この人は生け捕り対象だから、だろうか。
漠然と、この人なら危険から身を守る術も持っていそうだ、という思いだろうか。
そういう曖昧なところで『たぶん大丈夫じゃないかな』と判断したのだ。
だからセシオラは七星に相談した。
「本当はその人と仲良くしたいのに、その人を遠ざけないといけない時、どうしたら良いですか?」
七星は呆気にとられてポカンとしてしまった。
口の形が『え?』で固まっている。
しまったなあ、とセシオラは思った。
事情も説明せずに核心だけ尋ねてしまった。これじゃ分からないよね。どうしよう。ネルハのことを言うのも良くない気がするし……
視線を彷徨わせどう言ったら良いだろう、と思案していると、七星が立ち直ったのか返答してきた。
「その歳で随分と複雑なことになってるんだな」
子供のくせに、と言われているみたいでセシオラは頬を膨らませてしまう。
「この歳でも複雑なことになるんです」
「ああ悪い悪い! そりゃあなるよなあ」
そうやって『大人扱いされたい子供を宥める』みたいな態度にもセシオラはもやもやしてしまう。
でも一番もやもやしてしまうのはこんな小さなことで不機嫌になってしまう自分に対して、だ。どうせ子供ですよーだ。
ムーと口を尖らせて駄々っ子みたいになってしまう。
しかし、この人には同列に扱ってほしいという気持ちがある。
そんなのは無理があるとは分かっていても、そうしてほしい、みたいな。
いったん気持ちを切り替えて、背伸びをしてみることにした。
すまし顔で大人をアピール。
「大切な友達がいるんです。でも、わたしと仲良くするとその子が酷い目に遭わされてしまうかもしれないんです。だから……その子に危険が及ばないようにするにはどうしたら良いか考えました。一緒にいると、いつどこで誰に見られるか分からない。だから会って一緒に遊ぶことはできないし、通話だって誰かに聞かれてしまうかもしれないじゃないですか。もうどうしたら良いのか全然分からなくなっちゃって……それで、わたしはその子から……逃げ……」
そこでウッと嗚咽と涙がこみ上げてきた。
最後まで言い切ることができなかった。
祝勝会でのことが悔やまれる。何であの時あんなことを言ってしまったんだろう。やめておけば良かったのに。でも、どうしてもネルハには逃げてほしかったから。
だから、祝勝会で『逃げて』と言ってしまったのだ。
巣の破壊作戦までは、その後に起こることを意識していなかった。
ネルハと楽しい日々をずっと過ごしていたいという気持ちでいっぱいで、そこまで頭が回らなかった。
しかし祝勝会になった時に、これからどうなるのか、と考えた。
そうしたら、もうネルハと楽しい日々を過ごすことが不可能だと悟ったのだ。
怖くなった。
たまらなく怖くなった。
ネルハを敵としなければならないなんて……!
そんなの嫌だ!
でも作戦はもう止められない。
焦る気持ちのまま、とにかくネルハに助かってほしくて。
だから『家族を連れて逃げて』と言った。
言ってしまった。
大人数の中で。
多くの地球人に見られてしまい、要注意人物として目をつけられてしまった。
完全に失敗だった。
その失敗が無ければまだしばらくはネルハと仲良しでいられたのに……
カップを持つ手に思わず力が入ってしまう。
涙がぽろっと零れて、カップの水面に波紋を作った。
そんなセシオラを七星は優しい目で見守った。
セシオラが落ち着くのを待って七星が口を開いた。
「辛いよなあ」
「辛いです……」
「どうしても大切な友達を守りたいなら」
「はい」
「悪役になる、という手もある」
セシオラは七星の顔を見上げた。
「悪役ですか?」
「そうだ、悪役。わざと嫌われるんだ」
七星は憂いを帯びた顔をしていた。
それは実感を伴ったような雰囲気を感じさせる。
わざと嫌われる……セシオラの胸が痛んだ。ネルハに嫌われるなんて、辛い。嫌われたくない。でも……そうしないとさっきの蚤の市の時みたいに、ネルハは声をかけてくれようとする。優しいから。それを踏みにじるなんてできない。でも、逃げていればそれは同じなのかもしれない。
だからセシオラは葛藤の気持ちを少しでも言葉という形にしてみた。
「嫌われたら、悲しくないですか?」
「そりゃ悲しいさ」
「悲しくても悪役になるんですか?」
「覚悟がいる」
七星は天井を見上げた。
天井には澄み渡った空が投影されている。
そんな空の下なのに、晴れない心をどう扱えば良いか分からないセシオラ。
「わたし……覚悟なんてできないです。大切な人に嫌われたらもう立ち直れないです。あの……怖くないですか?」
覚悟は強い人間にしかできない、とセシオラは思う。
隣に座る男は【アイギス】の救世主みたいなものだ、だからそのくらい何でもないのかもしれないけど。
すると七星は弱ったように眉尻を下げた。
「怖いさ。大切な人に嫌われたくない」
「それなのに、覚悟できるんですか?」
「いやー、実はまだできてないんだ、覚悟」
何を言っているのかよく分からない、とセシオラは首をひねった。
「できていないんですか」
「でも、大切な人がいつまでも傷つく方が怖いんだ。俺を嫌いになってくれれば大切な人は何度も傷つかないで済む。でも俺がいつまでも煮え切らないでいると、相手はその分だけ長く傷つくことになる。大切な人だからこそ、長く傷つくようなことになってほしくない」
セシオラは息を呑んだ。
大切な人だからこそ。
大切にするとは何だろう。わたしは、わたしが傷つくことを恐れるあまりにネルハのことを考えていなかったのではないだろうか。




