第18話
電志は朝六時三〇分に起きると洗面台へ向かう。
二段ベッドが二つ置かれた四人部屋では二番目に起床したようだった。
昔の襲撃で両親がいない子供は多く、住居というのは与えられた共同物、というのが普通だった。
トイレは部屋についているが、風呂は無い。
台所も無い。
半分瞼を落としながら洗面台に立つ。
蛇口を捻る。
顔を洗う。
それから伸びをして、腹を掻く。
別に痒いわけではない。何となく。
ベッドに戻り、しばし呆然とする。
徐々に覚醒していく。
それから朝食。
ブロックタイプの総合栄養食。
パックのジュースで流し込む。
まだ登校まで一時間以上ある。
洗面器やら一式を持って近くの銭湯へ向かった。
部屋を出る時、最初に起きていた者がランニングから帰ってきた。
〈DPCF〉の三年で、毎朝のランニングが日課らしい。
軽く挨拶を交わし、すれ違う。
外に出ると、今日も快晴だった。
【アイギス】に雨は無い。
季節も無い。
快適な温度と湿度を保ち続けている。
道行く人には電志と同じように洗面器を持っている人がぱらぱらいた。
銭湯に入り、男子の脱衣所に向かう。
番台はいるが、金を渡す必要は無い。
入口をくぐった時点で勝手に認証され、料金が支払われている。
人口密度の低いところを選び、服を脱いでいった。
電志は男同士であってもあまり見られたくない性分だ。
前を全開にして騒ぐ集団からはなるべく離れるようにしている。
浴場に入るとまずは体を洗い、シャワーを入念に浴びる。
これでようやく意識がはっきりしてくる。
湯船にはちょっと入るだけであがった。
戻ってきて服を着て、銭湯を出た。
腕をぐるぐる回す。
肩がほぐれる、気がする。
ちゃんとしたストレッチはやらない。
ゆっくり歩いて家に戻り、〈コンクレイヴ・システム〉でニュースやら気が向いたことへの検索・閲覧をして、それから登校した。
道に出るといくらもしない内に声をかけられた。
「やあ電志おはやう、あいかわらず不良ぶった態度が可愛いね」
愛佳がてててっと掛けてきて隣に並ぶ。
どうやら登校時間が大体同じらしく、いつも一緒になる。
「おはよう。普通にしてるだけだ、不良ぶってない」
「じゃあ普通ぶってるわけだね?」
「何で無理矢理俺を貶めるんだ」
「電志が貶めて欲しそうにしているからだよ。欲しがりだなあもう」
「俺が欲しがっているものがあるとすれば、それはまともな会話なんだが」
「電志がいつも脱線するからまともな会話にならないんだよ」
「お前は何で自分に当てはまるものを人に押し付けるんだ」
「ボクは不良ぶってなんていないよっ」
「会話が戻りすぎだろーが。脈絡を考えろよ」
「人はそんなに脈絡があって生きているもんじゃあないよ」
「急に悟った風を装ったことを言うな」
電志は何となくこの会話も日常の一部になっているのを不思議に思う。あって当たり前のはずは無いのだが、あって当たり前になっている。本当に不思議だ。
〈DDCF〉に到着すると始業時間を待つ。
この時間もだらだらと話すのが日常だ。
しかし最近はこれに変化があった。
「電志、おはよう。愛佳もおはよう。あなたのペットをお借りしても良い?」
エリシアが頻繁に話し掛けてくるようになったのだ。
態度も変わった。
以前はとにかく敵視してきて鋭く攻撃的だったのが、今では会話を楽しんでいるように見える。
表情も柔和になった。
「ボクのペットは噛みつく癖があるから直してくれたまえ」
愛佳が得意気に返すが、エリシアは余裕の笑みで受けた。
「良いわ、あなたではロクに躾もできないものね。じゃあ今から電志は私のペットね。私が責任を持って調教しておくわ」
そう言ってエリシアが電志を椅子ごと拉致していく。
電志は驚いた。おいこら何をする。とは言えどうせ連れていかれるのはサントス班か。設計で訊きたいことでもあるのだろう。
しかし成り行きに身をまかせようとしたら、愛佳が止めに来た。
「調教ならボクがするよっ……エリシアさんに任せると電志がドMになってしまいそうだからね。ドSじゃないと電志じゃない」
何だかエリシアにあしらわれるのが気にくわないらしい。
電志の見た感じでは愛佳よりもエリシアの方が一枚上手。
それが気に入らないらしく、愛佳はよくエリシアにつっかかっていくのだった。
「あらなに言ってるの? 電志はMよ。あなたまだ電志のこと分かってないわね」
「なっ……違うよ、電志はSだよっ」
「Mよ」
「Sだよっ」
「どっちでもねえ」
電志は彼女達に綱引きされてガタガタ揺れる椅子で抗議の声を上げた。
座っているので視線は低い位置にあり、真正面に愛佳の胸が迫っている。
後頭部側にはエリシアの胸があると思われ、彼女達が顔を突き合わせて言い合いをしていると挟まれそうだった。
「愛佳がどうしても電志と離れたくないならここでも良いのだけれど」
「え……? そんなわけないじゃあないか。エリシアさんはすぐボクと電志をくっつけようとするんだから」
「じゃあ私がもらって良いのね。じゃ、そういうことで」
「待て待て、それとこれとは話が違うだろう!」
「何が違うの? 電志を私のものにしてもあなたには何も問題ないでしょう?」
「問題はないけど、ないけどおおおぉううぅっ……」
何だか見ていられないので電志は口を挟んだ。
「エリシア、結局用件は何だ? 設計のことで質問とかだろう?」
「ああ、そうね」
ぽんと手を打つエリシア。
彼女が椅子から手を急に離したことで愛佳の引く力だけが残り、愛佳と共に電志がすっとんでいった。
いつの間にか愛佳を中心に電志はジャイアントスイングされて、軽く酔った。
けっこう乗り物には弱かったりする。
「いきなり手を離したら危ないじゃあないか!」
ムキーと怒る愛佳をスルーしてエリシアは自身の腕輪を触る。
彼女の腕輪は鯱だった。
画面が出てきて、そこにはいくつかのメモがされていた。
「それでね、【落ちないくん1号】についてなんだけど……」
【落ちないくん1号】はこないだ設計した全翼機の愛称だ。結局正式採用されて命名権が与えられたので、電志は愛佳に一任した。それが失敗だった。大失敗だった。人生最大の失敗と言って良いだろう。ここまでネーミングセンスが壊滅的だとは思わなかった。
ネーミングには不満があるものの、エリシアの質問は真剣に聞いた。
エリシアはあれから熱心に【落ちないくん1号】の解析をしている。
そこで現状の分からないことや改良点の提案などを、こうして話してくれるのだ。
元々設計思想が違うだけで彼女は優秀な設計士だったのでスジも良い。
「ふん、それならボクがぱぱっと答えてあげようじゃあないか!」
愛佳が意気込んで答えようとするが、だいたい半分くらい答えるのがやっとだ。
それ以降はもごもごし始める。
その様子を見たエリシアは嗜虐的な笑みで迫るのだ。
「答えてくれるんじゃないの? 自分が設計した機体なのに」
そうすると愛佳は電志に助けてと目で合図をする。
口には出さないのが見栄っ張りだ。
電志は苦笑して残りを答えるのだった。
何だか賑やかになった。それが一番の変化だな。
襲撃を報せる館内放送があると、公園に行く。
てきとうに木の幹に背を預け、園内を見回したり共同墓となっている石碑を遠目に眺める。
電志にとってシュタリーはどんな存在だったか。まだお互いよく分からず、話をして互いを知り合おうという段階だった。だから好きとかそういう段階までいっていない。ただ……ただ帰ってきた後の約束が果たせなかったのは、心の底に棘みたいに残った。約束なんかするから駄目だったのか。それとも、約束をしていなければ運命は変わっていたのだろうか。
そこは悩みどころだし、もはや悩んだところで何かが変わるわけでもない。せめてシュタリーの事件が無駄にならないように、これからのことを考えていくしかないのだ。そして、忘れないこと、時々思い出すこと……それがせめてものはなむけになるんじゃないだろうか。
エリシアはクローゼのことがあってから、止まってしまっていた。『これからのことを考えて』ではなく『どうせ死ぬんだから』となってしまった。『どうせ○○』は思考を停止させ、時間も止めてしまう。時間を止めるのは過去に縋り、留まることだ。現在というのは過去の積み重ねの結果だ。過去には手の出しようがない。だから過去は取り返せない。現在で取り返すしかないのだ。取り返しがつかないなら、せめてできるところまで。
エリシアも今回の事件でそれが分かったのか、随分変わった気がする。止まっていた時間が、動き出したようだ。これでクローゼも安心して眠れるんじゃないだろうか。
変わったといえば、と電志は隣に視線を移す。
愛佳が最近公園についてくるようになった。
「電志、そういえば小中学校では落書きばかりしていなかったっけ?」
「ああしてたな。夢満載の機体を思い付くそばから描きまくっていたよ」
「それ見せて」
「嫌だよ」
「何で?」
「恥ずかしいから」
「じゃあ見せて」
「その『じゃあ』はどこにかかってるの?」
「この宇宙のどこかだよ、ていっ」
愛佳が電志の腕輪に触れ、画面を出す。
だが電志は余裕だ。
「どこに落書きがあるか分かるのか?」
「検索する」
「ふん、検索のキーワードが分からないだろう」
小学生の時勢いで『最強の機体を作る!』という題名で作成したメモだ。『機体』だけで検索してもヒット数が多すぎて見付からないだろう。
そう電志は踏んでいたが……最初の検索で『最強の機体』で愛佳が検索したので愕然とする。小学生の発想が何故分かるんだ……!
「あ、これっぽいね。開いてみようじゃあないか」
「……開けるならな」
電志はまだ余裕だった。
パスワードロックがかけてある。単純な『1111』とかではないので絶対解けないだろう。
「あれ、パスワードかかってるよ電志」
「かけたからな」
「もーしょうがないなあ」
「だからあきらめ……え、おおおいおいおいっ」
意外にも愛佳がすらすらとパスワードを入力していく。
しかもそれが合っている。
電志は背筋が寒くなった。こんなの解けたらおかしい。こいつは天才ハッカーなのか。
「いつも隣の席にいるんだから手元を見ていればパスワードくらい覚えるよ」
「この犯罪者がっ」
天才ハッカーでも何でもなかった。
最後の一文字が入力される前に電志は愛佳の手を掴み阻止する。
「ちょっ電志何故邪魔をするんだいっ」
「何故邪魔をされないと思っているんだ! どんだけ都合の良い頭してんだよ」
「痛いよ電志、もっと優しく」
「あ、ああ悪い」
「隙ありっ」
「てめえ騙したなっ」
ぎゃーぎゃーやりあっている内に電志が仰向けになり、愛佳が馬乗りになっていた。
そこで愛佳は唐突に声のトーンを落とし、尋ねてきた。
「未練は……ある?」
未練とは何か。落書きのことか。いや違う。ここはどこか、公園だ。何をしにきた、石碑を見に来た。石碑を見て感じる可能性のある未練とは何か……シュタリーだ。
未練。
「…………どうだろうな」
分からないというのが正直なところ。気持ちの整理がついていないとかじゃない。知り合ったばかりという微妙な立ち位置が全ての原因だ。全く知らないか、もしくはもっと深く親交があったなら、気持ちももっとはっきりしていたかもしれない。
「ねえ電志、エリシアさんとの勝負なんだけど」
「ああ」
「結局コンペの優勝ではエリシアさんの勝ちだけど、その後を考えれば電志の勝ちだよね。だからさ、キス……しても、良いよ」
潤んだ瞳を向けてくる愛佳に電志は顔が熱くなるのを感じた。
「何言ってるんだ」
「だって、コンペの結果発表の時電志に一日言いなりになってもらっちゃったし。本当は電志の勝ちなんだから、それだとマズイよ」
確かにあの時は荷物持ちとか使いっぱしりとか新たな課題の手伝いとか、本当に一日言いなりになった。
その分を返すというのなら話の筋は通っている。
だが、電志は視線を逸らした。気を遣われているのが分かったから。シュタリーのことで傷付いているんじゃないか、と気を遣ってくれているのだ。
遠まわしだが、愛佳の優しさが分かる。それは嬉しい。でもキスはやりすぎだ。俺なんかのためにそこまでしなくて良い。
しかも、愛佳は微かに震えているのだ。無理しやがって。
「……自分を大事にしろよ」
「でも」
「ファーストキスは?」
「まだだよ」
「なら、なおさら大事にしろ。俺はもう充分立ち直っているさ」
この言葉で愛佳は理解したのか、ゆっくり頷いた。
愛佳の気持ちを電志が察し、電志の気持ちを愛佳が察する。
そんなことがいつの間にかできるようになっている二人の距離感もまた、微妙だった。
帰還挨拶で〈DPCF〉の面々が顔を見せる。
ナキの景気の良い声でただいまが叫ばれ、〈DDCF〉の全員がお帰りと迎える。
これは変わらない。
ナキもシゼリオも絶好調のようで、戦果も上々だ。
新しい機体が行き渡り、一年生達も徐々に慣れてきているとのことだった。
ただ、少々気に病んでいることがあるらしい。
「ねえねえ、今度地球から大量のパイロット補充があるって話聞いた?」
ナキが不満に眉を怒らせている。
電志は頷いた。
「【火星圏奪還作戦】用に補充するらしいな」
作戦は次の段階へ移った。
電志班の作った新機の量産化が済み、【アイギス】のパイロット達には行きわたった。
次は増員と訓練の段階。
今まで地球からパイロットが補充されることは無かった。
【アイギス】は見捨てられていたから。
でも〈コズミックモンスター〉に対し一大反攻作戦をするとあって遂に人を送り込んでくるのだ。
地球側も本気であるのが窺える。
だがこれには難点があって、地球側のパイロット達は地球内部の操縦経験しかない。
よって人が増えても【アイギス】側で育成しなければならないのだ。
「人増やすだけ増やして教育はお願いねって何それって感じ!」
ナキがぷんすか怒るのも分かる。一年生達がようやく実戦に出られる程度になったところでまた新人が入ってくるようなものだ。教育も楽ではないのである。
「しかも地球生まれだとうまくコミュニケーション取れるか不安だな」
【アイギス】生まれにとって地球生まれは未知の生物みたいな不気味さを感じる。きっと向こうもそうなんだろうけど。
これにはシゼリオが生真面目に応じた。
「僕らは言われた通りにするだけさ。地球生まれが僕らを下に見ていようと従ってもらう。そうしないと死ぬのは彼らになるからね」
地球は【アイギス】を見捨ててからも命令だけはしてくるので、【アイギス】を同じ人間と思っていないような、下に見ているような、そんな感覚が伝わってきていた。果たしてそれは地球のお偉いさんだけの感覚なのか、地球人の普通の感覚なのか。それは補充人員と接してみるまで分からない。うまく馴染んでくれれば良いのだが。
ナキやシゼリオとの会話に区切りがつくと、イライナがやってきた。
「電志さん、わたし今日は先頭で突撃して、三体やっつけました」
イライナは現在【プラチナ・スター】のエースにのぼりつめようとしている。心を入れ替えられたかどうか、完璧には分からない。だがシュタリーの分も背負って、これからも生き抜いてほしい。
彼女のしたことは決して許されるものではないし、電志も全く腹が立たなかったわけではない。最初は顔も見たくないくらいだった。
でもイライナが変わっていくには電志の存在が必要だったのだ。イライナがこうして報告にくるのは彼女なりの償いだ。彼女にはこうした償う相手がいなければ押し潰されてしまうだろう。
だから電志は自分でもイライナを見守っていかなければならないと自覚している。
「良い調子じゃないか。でも無茶はするなよ」
それに、と電志はイライナの隣に目を向ける。
そこにはシャバンの姿があった。
こうしてイライナとシャバンが帰還挨拶の時よく顔を見せるようになったのも変化だ。
イライナとシャバンは二人で手を取り合って再出発しようとしている。二人とも今は心が不安定な状態だが、この様子なら近い内に安定するんじゃないだろうか。
コスト低減コンペは色々な変化をもたらした。
良い事も悪い事も。
そして変化もいずれ日常に溶け込んでいく。
それからまた新たな事象と出会うのだ。




