第96話
奇妙な静けさが機関室には漂っていた。
セシオラたちがこの部屋に死の風を吹かせたのはついさっきのはずだ。
そんな作戦の最中なのに、まるで作戦が終わってしまったかのような錯覚を覚える。
戦場にぽっかり空いてしまった空白地帯もこんな感じなのだろうか。
機関室ということでもう少しごてごてしたものを想像していたが、高度に発達した技術は点検用の計器を残し、手作業を必要とする部分は排除されていた。
セシオラたちは専門の知識を持たない。
それでもできることといえば、一番大きな画面をいじってみることだった。
幸いにして操作者に優しく、オートで動いているものをマニュアルに切り替えるボタンがでかでかと表示されていた。
知識がなくともマニュアルに切り替えれば機関室からも操作できるようになるであろうことは分かる。
それを試し、艦艇の制御を一時的に奪った。
しかし奪ったのもつかの間、すぐに奪い返されてしまう。
機関室からの操作は無効とされてしまったらしい。
ここからの電子戦なんてスキルもセシオラたちには無い。
ここでできることはもはやなくなってしまっていた。
だが、その瞬間こそがセシオラの待ち望んでいたものだ。これでネルハに会いに行ける。あの子はちゃんと脱出艇格納庫の前にいただろうか。既に脱出艇の確保も終わっているから、そこに捕らえられているはず。
この部屋でできることがなくなれば、次は『ブリッジから脱出艇格納庫までの道の確保』である。
メルグロイたちは作戦の成功失敗に関わらず、最後は脱出艇格納庫にやってくる。
彼らが孤立しないよう道を押さえなければならない。
セシオラは真っ先に脱出艇格納庫へ向かうことにした。
他の二人は戦闘機格納庫の方が劣勢なので支援に向かうと言ったので、機関室を出た所で別れた。
セシオラは誰の目もなくなると息を切らせて走った。
通路には誰もいない。この状況下で出歩くバカはわたし達くらいだ。でも警備ロボットだけは気を付けないといけない。
でも〈EN〉で見る限り警備ロボットは戦闘機格納庫付近とブリッジ付近に集結していた。
もうブリッジ付近にも警備ロボットが集まっているのは若干の違和感を覚えた。敵の対応が思ったより早い……メルグロイたちは一気に突破することはできなかったのかな。
だが、そんな思いもすぐに忘れ去る。
脱出艇格納庫が見えてきたのだ。
他のことはどうでもいい、とにかくネルハの無事を確認しなければ。
仲間たちに挨拶して、中に入る。
薄暗かった。
明かりが夜の設定になっているようで、全てがぼんやりしている。明かりの設定ミスだろうか? いや、普段使わない場所だからこんなものなのかも。
正面には脱出艇の尻が見え、右手側には大きな壁。
その壁には幾つかの窓がついており、壁の向こう側に黒く大きな機体が鎮座しているのが見えた。
あれは何だろう。
近くにいる仲間に聞いてみたが新型機じゃないかということだった。
余裕があれば奪っても良いかもしれないが……それは状況次第だろう。
これもさっさと忘れ去り、脱出艇へ乗り込んだ。
捕虜は機体の前の方に固められていた。
それらの顔を順々に見ていく。
鼓動が早くなる。ここまで耐えたのだ、もうこそこそする必要も無い。一緒に地球へ帰るんだ。
だが全員を確認してみて、セシオラは固まってしまった。
いない。
ネルハがいないではないか!
愕然とした。あれほど言ったのに……いや、直接は言ってないか。まさか、言った通りにしなかったの? それとも、ジェシカさんが伝え忘れた?
それとも……誰かが殺してしまった?
セシオラは野獣のような目つきになり、見張りの仲間を問い詰めた。
だがネルハの特徴を伝えてもまともな回答は返ってこない。
そんな娘がいたかどうかは覚えていないという。
セシオラは癇癪を起こしたように苛立った。なんなの、なんなのこれ!
予定と全然違う。他はどうでもいい、ここだけはうまくいってほしかったのに。
他が失敗したら、最悪見捨てて脱出艇を発進させてしまえば良い。
だがネルハを見捨てて発進は、ない。絶対にないのだ。
ああもう、とセシオラはドスドス歩いて脱出艇を降りた。
捜さなければ。
この広い艦内のどこに行けば出会えるのか。
分からない。
だが居ても立っても居られない。
セシオラは本能の赴くままに走り出した。
ブリッジには異様な光景が広がっていた。
どこからか調達してきた【アイギス】保管の銃が大人たちに配られている。
その銃は片手で持てる小型の物で、実弾入りだという。
慎重に扱うようあちこちで説明がなされていた。
またその一方で、地球への通信準備も続けられているのだった。
こんな非常事態に、通信準備をしている場合なのだろうか。
電志はそう思いながら隅の方で眺めている。
大人たちは銃を受け取り、説明も受けると次々部屋の外へ出て行った。
地球生まれと戦うのだろうか。いや、それ以外にないのだが。
でも部屋の中ではカメラの位置調整なども行われていて。
だから、異様な光景なのだ。
もう七星も忙しいらしく電志たちの相手はしていられない模様。
電志は愛佳の背をさすってやりながらひたすら待機していた。
ブリッジから見える静かな宇宙に目を向けていると、通話要請が入ってくる。
すぐに応じた。
相手はエリシアだった。
『電志、大丈夫?』
その表情、声には緊迫感。
「こっちは大丈夫だ。いまブリッジにいる。そっちは?」
『いま〈DDCF〉にいるんだけど、何人か撃たれたわ!』
「〈DDCF〉に朝早くから人がいたのか」
電志は驚愕した。普段なら朝七時に〈DDCF〉には誰もいない。巣の破壊前なら徹夜する者もいたが、今は徹夜するような仕事が無いのだ。
『みんな他から逃げてきた人よ。わたし達は通路を歩いているところだったんだけど、いきなり誰かが襲撃が起きたって騒ぎ出して。最初みんなよく分からなくて、でもヤバそうだからこの部屋に入ったの。それで蚤の市とか襲撃を受けたらしいとか話している内にここにもやつらがやってきて……これはいったい何の悪夢なの……?』
よく聞くとエリシアの周囲からはすすり泣きも聞こえてきた。
そこにはブリッジに無いリアリティが存在していた。
エリシアが無事というのは喜ぶべきことなのかもしれない。
だが何人かは撃たれたという。
『知り合いは無事で良かった』と感じてしまうのは、エゴだろうか。
電志は複雑な気持ちを抱えながら言った。
「……とにかく入口にロックをかけて、部屋から出るな。通路は危険だ」