こうはなりたくないよな
「そこから動くなァ!クソボケ!」
半藤は叫んだ。
俺の視界は相も変わらず焦点があいまいだが、おそらく叫んでいるのは半藤だろう。
声が記憶に残っているもんだから―――こいつ、結構キンキンする声だったんだな、初めて知ったよ。
その隣にいるのは秋里さんだ。
そう、二人とも誰だかわかる。
なんとなくだが―――おそらくクラスメイトだからだろう。
この二人は一緒にいることも多いからか、並んで話している光景が容易に思い出せる。
半藤は―――手を床近くでバタバタと動かし、何かをつかむ。
床に置いてあった、腰くらいまでの高さの―――もの。
木の板と、金属製パイプと。
それを手に取る。
引き寄せる………がたがたと。
「こっち来るなバケモノ!こ、これで殴るわよ!」
何を言っているのかわからなかったが、切羽つまっている様子だった。
俺の後ろに何かいるのか?
そう思って、振り返る――――ああもう、遅いな、俺の身体。
緩慢。
教室のドアがあったが、よくわからない、それだけで―――だから、危険性はないように見えた。
俺の目からは。
そう見えた。
廊下には人影が複数いるが、いずれもただの通行人らしく、飛び込んでくるような輩はいない。走って通り過ぎた人間は、いたが。
おいおい。
よっぽどの非常時でない限り廊下は走ってはいけないぞ―――などと、先生のようなことを考えてみる。
さてさて。
まだ何か、大声を上げる女子二人。
おいおい、なんなんだよ、落ち着けよ。
喚くなよ。
まあ正確に言うならば―――半藤が主に喋っていて、秋里さんはその陰に隠れている感じだった。
ああ、可愛いよ秋里さん。
ぶっちゃけ好きだけど、言いはしない。
「―――来るな、バケモノォォ!」
尚もこちらに向かって大声を張り上げている、こいつ。
くんな、バケモノ?
さっきも女のくせにクソボケだのって―――抗議したいね、俺は。
きれいな言葉を使おうね。
女子なんだし―――と、とか考えちゃう。
いやいや、人間だからさ、いろいろ嫌なこととかあるし、失敗続きでストレス溜まっていたりすると、なんか、ついついかっとなってしまうときって、あるんだよ。
俺だってあったさ。
でもさ―――でもそれは良くないよな。
俺に向かってそういうことを言って、それで気が済むなら百歩譲っていいとしようよ。
半藤よ。
しかし、やっぱりやめた方がいい。
「く、来るなぁあぁ!」
半藤は、何かを―――構えた。
それは教室にある、持ち上げることができて、何か、棒と、木の板で構成されるもの。
つまりは椅子だった。
何のことはない、学校の、学習机………じゃあない、生徒用の机の、椅子だ。
それを、おそらく―――よく見えないが、パイプ部分を握って、持ち上げている。
おっと、持ち上げて、振りかぶった。
「こ、これで殴る!殴るわよ!近づいたら!」
確かに俺に向かってそう言ったということは、わかった。
オイオイ………。
「ぃオィ………ッ!」
ごめんな、ちょっと体調不良なのか、オレ滑舌悪いわ、今日は。
でもまあ、やっぱり抗議したい。
お前、駄目だ。
なんて言葉遣いだよ、暴力的だな。
まったく、そんな奴だとは思わなかった、見下げ果てたよ。
おそらくだけれど、育ちが悪いんだろうね。
どういう教育を受けたんだろう。
不良だったのか、お前………。
こうはなりたくないよな。
しかし腹が減ったな。
足りない。
腹に―――何かが。
ううむ。
体調不良は、俺のこの体調不良はさ、空腹からきているのかもしれない。
ならばとりあえず腹ごしらえしようか。
ああ、でも目が悪いんだ、今―――どこに食料があるか―――。
いいにおいがするな。
いいにおいがする気はする。
うん。
半藤の首が美味しそうだな。
なんだよ―――いいところあるじゃん。
美味しそうじゃん。
ああ―――早く食べないと、死んじゃう。
「ァあ………!」
自分が、唇から、顎のあたりに唾液を垂らしてしまったことは、わかった。
美味しそう。
おいおい、喚かないでくれ、半藤。
ちょっとだけ、ちょっとだけだから。
仕方ない、仕方ないんだよ。
いいんだよ。
腹が減っているんだから。
俺は彼女に手を伸ばした。