秋雨と春と夏風邪と
その症状は、僕のバイト中に襲ってきた。まず手始めに、いつも通りに働いていた僕の頭に、そいつは痛みという形でアピールをしかける。最初はそこまで酷い痛みでもなかったけど、じわじわと酷くなる頭痛。そこに追い打ちをかけるように、僕の身体は僕の意志に関係なく、吐き気や寒気といった感覚を覚えさせる。
バイトが終わる頃には、立っているのも厳しい状況にまで追い込まれていた。帰る前に職場の体温計を使うと、僕の平熱を完全に超えている。完全に風邪の症状だ。今日は、作業を中止してゆっくり休むとしよう。
「大丈夫ですか、雨夜先輩? なんだか調子悪そうですけど」
バイト先から出ると、春里陽菜が僕を待ち伏せしていた。
「大丈夫……とは言い難いかな。夏風邪みたいだ」
移すといけないから、今日は離れろ。と、僕が口に出す前に、彼女は僕を肩で支える体勢になった。
「……春里さん?」
「雨夜先輩が歩きづらそうなので、それに夫を横で支えるのが良い妻だと言いますし」
僕と君の関係はまだそこまで進んでいない。なんなら彼氏彼女ですらない。大体、君の中学生のような体格で、成人男子の僕の体格を支えるのは無理があるだろう。と、ツッコミを入れてやりたかったけど、バイト終わりで、しかも風邪で衰弱した僕にそんな体力は残っていなかった。
結局、彼女に僕が支えきれるはずがなくフラフラと歩く人間が一人から二人になっただけだった。それでもなんとか、部屋にたどり着く……ってあれ?
「待っていて下さい、すぐに何か作りますね」
「……春里さん……何で入ってきているの……?」
「だって、雨夜先輩の看病が出来ないじゃないですか。雨夜先輩はちゃんと寝ていて下さい」
そう言うと彼女はキッチンで調理を始めた。それにしても、風邪で寝込んでいるところに看病に来る彼女とは、随分とありふれたシチュエーションだ。
「出来ましたよ、雨夜先輩」
酷くなる頭痛と寒気にうなされていたら、彼女がお椀を持ってきた。中身は、さも当然の様にお粥が入っている。
「ありがとう……」
お互い様ですと言いながら、彼女はお粥を匙ですくって僕の口元に向けた。どうやら僕に食べさせようとしているみたいだ。どこまでベタなんだと思いながら、僕は彼女の好意をありがたく口に含む。
「……おいしい」
「よかった。ちゃんと食べて、早く元気になって下さい」
全て食べ終わると、今度は睡眠薬でも盛られたかと思うような眠気が僕を襲う。
「片付けておきますから、雨夜先輩はゆっくり寝て下さい」
キッチンから聞こえるカチャカチャという音をBGMに、僕は眠りの世界へと誘われる……直前に、何やら妙な感覚が、僕の右隣にまとわりついた。なんだろう、この柔らかい感触は。
横を見ると、片付けを終えた彼女が、僕に添い寝している。
「なんで……」
「人肌で温めた方が早く温まるって、むかし何かで聞いたことがあるので」
それは雪山とかでやる方法で、風邪の温め方じゃない。というかその笑顔、どう考えても君が横で寝たかっただけだろう。と、いつもの僕なら言ってやったと思う。だけどこの時は、頭がぼんやりとしていたせいか、あるいは風邪で心が弱っていたせいか。そのまますんなりと、彼女の添い寝を受け入れて、眠ってしまった。
次の日の朝、彼女の看病のおかげか、僕の熱は引いていた。うん、僕の熱は。
「すいません……雨夜先輩」
「病人の横で寝るからだ。今日は一日、大人しくしてなさい」
「あい……」
看病した結果風邪を移されるなんてベタにも程がある。僕はお粥を作りながら、ため息を漏らした。