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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十二章 レクレウス動乱
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第91話 祖国への路

 “彼ら”が生まれ育ったのは、国ですらない土地の中の小さな村だった。

 時折村近くまでやって来る魔物や獣に怯えつつも、慎ましく暮らしていた“彼ら”のもとに、だがある日、一人の青年が現れたのだ。

 ふらりとやって来たその青年は、村人たちに向かってにこやかに告げた。


「――君たち、この村を出て大きな街に行く気はないかい?」

 と。


 少し年を取った大人たちは、その話をいぶかしむのと今さら村の外では暮らせないという緩やかな諦めで、その話には乗らなかった。だが“彼ら”を始めとする若者たちは、小さな村での暮らしに満足するには若過ぎたのだ。

 若者たちは大人たちの制止を振り切り、村を出ることを決意した。

 そして――彼らは今まさに、その旅の目的地に辿り着こうとしている。


「……しかし、凄えなあ。村からこんな立派な道を……」


 一人が自分の足下をしげしげと見つめながら呟いた。彼らがここまで踏み締めて来た道は、ある程度きちんとならされて石なども取り除かれ、何より充分に締め固められた上等なものだ。こんな道を造ろうと思えば、おそらく気が遠くなるほどの労力と資材が必要だろう。

「あの人、もしかして凄え偉い人なんじゃ……」

「けどよ、そんな人がわざわざあんなちっぽけな村まで来るかあ?」

「だよなあ……」

 そんなことを話しながら歩いていた若者たちは、だがしばらくして、行く手の彼方にぼんやりと見える影を認めて思わず立ち止まった。

「――何だ……あれ」

 それはずいぶん遠いが、自然の造形でないことは分かった。どこか規則性を感じさせる、いくつもの角張った影。歩みを再開し、それに近付くにつれ、彼らの顔には驚きの色が浮かんでいく。


 それは、街だった。


 もはや遠目にも、それが人工的な建築物だと分かる。村で一番大きな建物だった村長宅など比較にもならない、巨大な建造物だ。それがいくつも連なり、若者たちの目を釘付けにした。

「す、凄え……も、もしかして王様の城とかか?」

「分かんねえが……あれだけ大きな街なら、俺たちも一旗揚げられるかもしれねえぞ」

 期待を含んだ声に、他の面々も顔を輝かせる。

「そうだな!」

「よし、そうとなりゃ早く行こうぜ!」

 若者たちは今や先を争うように、彼方へと伸びる道を駆け出した。



「――帝都も大分、形になってきましたわね」


 《薔薇宮ローズ・パレス》の中でも最も高い塔の屋上、長い銀髪を風になびかせながらレティーシャは微笑む。その視線の先には、決められた区画ごとに建物が整然と建ち並ぶ、立派な都市の姿があった。

「我が君、こちらにおられましたか」

 歯切れの良い足音と共に、屋上に姿を現したのはダンテだ。彼もまた、屋上から望む帝都のたたずまいに目を細める。

「見事なものですね……まるで、百年前を見ているようです」

「あの時よりも区画整理を徹底致しましたし、建物の規格も統一しておりますわ。自分の思う通りに街を造れるなんて、素晴らしいことですわね」

 楽しげに笑い声をあげたレティーシャは、何かを思い出すような眼差しになって帝都を眺めた。


「……それでもやはり、完全に同じとは参りませんけれど」

「それは致し方ないことかと」

「そうですわね」


 言葉ほど残念がってもいないのだろう、彼女は小さく笑うと身をひるがえした。

「後は、帝都に民が集まるのを待つばかりですわ。どれほどになっていまして?」

「現段階では数百人ほどかと。やはり距離の問題がありますので、街の規模に見合う人口となるまでには、相応に時間が掛かると思われます」

「構いませんわ。別段急いでいるわけでもないのですし。――住む場所、仕事、そしてお金。それがあると分かれば、人は自然と集まって来ますものね。資金の方はまだ充分に余裕があります。生産数を絞って値を上げても、ポーションの売れ行きは好調ですわ」

 現在、サングリアム産のポーションの売却益の内かなりの部分が、クレメンタイン帝国に流れ込んでいる。以前はサングリアム公国として必要な歳出分を差し引いても多額の余剰利益が出ており、それらは大公家やそれに近しい貴族たちの遊興ゆうきょう費となっていたのだが、それをごっそりいただいた格好だ。かつての受益者たちはすでに帝国の傀儡かいらいと成り果てており、文句など出ようはずもない。

「ですがやはり、減産を受けて他のルートからポーションを手に入れようとする動きも出ているようです。いかがなさいますか」

「捨て置いて構いませんわ。サングリアムのものより高品質で効きの早いポーションはありませんもの。需要がなくなることはありません。一度味わった便利さを容易く捨てられるほど、人間は物分かりが良くありませんものね」

かしこまりました」

 一礼し、ダンテはポーションの話をそれで切り上げた。

 彼のエスコートを受け、屋内への階段を下りながら、レティーシャはふと思い出したように、


「ああ、そういえば。――そろそろ、満月になりますわね」


 彼女の声音が、わずかに変わった。

「では、我が君……」

「ええ、“実験”を開始致します。ダンテ、人造人間ホムンクルスの教練の方は進んでいまして?」

「滞りなく。ですが、さすがに実戦は勝手が違いますので、普段通りの成果が出せるかどうかは未知数です。人型合成獣(キマイラ)は出されますか?」

「そうですわね……それは少々勿体無い気も致しますわね。今のところはオルセルたちが上手く育ててくれているようですし、彼らについては今しばらく本運用は控えましょう。通常の人造人間ホムンクルスで充分です。――それに、“彼”もおりますもの」

 レティーシャはどこか冷たく笑う。付き合いの長いダンテ以外には、あまり見せない顔だった。

「せっかくの“里帰り”ですもの。きっと喜んでいただけますわ」

 くすくすと笑って、レティーシャは最後の数段を下りきる。

「そうですね。――では、そちらには彼とメリエ、それに人造人間ホムンクルスと新型魔動巨人(ゴーレム)を?」

「ええ。後はあなたも、あちらで監督をお願いできますかしら。“やり過ぎて”も困りますもの。わたくしの方にはゼーヴハヤルを出してくだされば、戦力的にも充分ですし、わたくしも自分で自分の身を守るくらいはできますわ。留守はベアトリスとラドヴァンに任せます」

「承知致しました……ですが、くれぐれもお気を付けくださいますよう」

「大丈夫ですわ。そちらで予定通りに事を運んでくださっていれば、わたくしの方には見向きもされないはずですもの」

 くすくすと笑い、レティーシャは軽やかな足どりで回廊を歩き始めた。ダンテも影のように、その数歩後ろに付き従う。

 二人の姿は長い回廊に呑み込まれるように、すぐに消えてしまった。



 ◇◇◇◇◇



 輝月夜ルミナリーズ・バルを終えて三日後、アルヴィーは捕虜護送及び外務副大臣と文官たちの護衛任務のため、同じく任務に就く小隊と共に王都ソーマを出発した。

「――けど、まさかルシィたちもこっち来るとはなー。っていうか、彼女いいのかよ」

 もっともその中に親友の小隊が含まれているとは、アルヴィーも予想していなかったが。てっきり、王都で婚約者のティタニア嬢と共に社交に励むと思っていたのだ。

 だが、ルシエルの答えはあっさりしたものだった。


「メルファーレン伯も、あまり王都での社交に熱心な方ではないんだ。それに舞踏会バルのあの一件で、むしろ社交の場に出さない方が彼女を守ることになるとお考えになったらしいし」

「あー……まあ、嫌がらせされるよりはな」

「だから、僕が騎士団の任務で王都を離れることになっても、それほど不都合はなかったみたいだ。特に夜会の類には、“パートナーが不在なのでまたの機会に”って言い訳が使えるからね。まさか婚約したての令嬢に、“別の男性をパートナーに立てて是非参加を”なんて無遠慮なことを言う人間はいない。騎士団の任務が理由なら、角も立たないしね」

「へー……って、部隊編成したのそんなギリギリだったのか? 輝月夜ルミナリーズ・バルの後なんて、寸前もいいとこじゃん」


 妙に部隊編成と舞踏会の前後関係の辻褄つじつまが合わない気がして、アルヴィーが首をひねる。

「さすがに、部隊の編成はもっと前だよ。元々、僕の隊も今回の部隊には決まってたからね。それでも輝月夜ルミナリーズ・バルには出られるからってことで、ティタニアやお父上にも任務の件は了解して貰っていたんだ。舞踏会バルの一件はその後」

「あ、なるほどな」

 納得が行って頷くアルヴィー。

「そもそも、結婚前の令嬢が社交界に出るのは、半分以上が結婚相手を探すためだからね。その必要がもうない以上、社交の意味は半減するんだ。後は人脈作りと噂話なんかの情報収集かな……でもそれも、どちらかというと令嬢というよりは、奥方たちの方が上手いかな」

「へえ……ロエナ小母おばさんも?」

「もちろん。というか、貴族の妻の仕事の大半は、そうやって夫の助けになるよう独自の人脈を作ることだよ。特にうちは、父上が財務副大臣だろう? その関係で母上も意外と、経済や金融の方面に知り合いがいるんだ。金融ギルドの幹部の奥方とかね。時々茶会なんかも開いてるよ」

 ロエナは立場上は第二夫人だが、第一夫人であるドロシアが領地から出て来なかったため、王都での社交を一手に担っていたそうだ。彼女自身、一時は村人として暮らし、平民の生活も知るゆえか、平民層を見下すこともない。そのため、金融ギルドの幹部や有力商家の妻女など、平民富裕層との関係も良好だという。

 そんな話を興味深く聞くアルヴィーに、滑るように近付いて来た影が一つ。


「なになに、なーんか面白そうな話してるっすねー」


 ニヤニヤしながら首を突っ込んでくるのは、第一三八魔法騎士小隊所属のカシム・タヴァルだ。人並み外れた聴力を持つ彼は、普段は耳当てをして余計な音を聞かないようにしているのだが、どうやら二人の会話を耳当て越しにも聞き付けたらしい。

「こら、カシム。あまり余所の内幕話に首を突っ込むな」

 そんな彼をいさめるのは、第一三八魔法騎士小隊長であり、カシムの主でもあるシルヴィオ・ヴァン・イリアルテ。彼は遠慮のない従者をたしなめ、ルシエルに目を向けた。

「そういえば、婚約したそうじゃないか。おめでとう」

「ありがとう」

舞踏会バルで噂の婚約者殿を拝見できるかと思ったけど、残念ながら機会に恵まれなかったんだ」

 そう言ってシルヴィオは肩をすくめる。

「……ともあれ、馴染みの顔が多いのは有難いな」

 彼の言う通り、選抜された魔法騎士小隊には一二一小隊と一三八小隊の二小隊が含まれていた。国境線でも共同戦線を張っただけあって、この二小隊はそこそこ連携が取れる。護衛という難しい任務に際して、それは利点だ。

 アルヴィーも両方の小隊員と面識があるので、いざという時にまごつくことはないだろう。もちろん、“いざという時”がないに越したことはないのだが。

 一方、騎士小隊の方は基本的に、アルヴィーやルシエルたちとは面識がなかったが――何しろ小隊数がべらぼうに多いので仕方ない――その中にごく一部、知己ちきが混ざっていた。


「――特別教育の講義の時以来になりますか。さほど前でもないのに、妙に懐かしい」


 そうアルヴィーに声をかけてきたのは、淡い栗色の髪をベリーショートにした女性騎士だった。彼女はダニエラ・イズデイル三級騎士。アルヴィーがジェラルドの従騎士エスクワイアとして王都ソーマに移った際、騎士団に所属するために他国出身の騎士候補生のための特別教育を受けたのだが、その際に講師を担当した騎士である。

「イズデイル三級騎士?」

「覚えていていただけて光栄です」

「……別にそんなに畏まって貰わなくてもいいんですけど」

「ではお言葉に甘えて……何せ君は今や、押しも押されぬ男爵閣下だからね。あまり無作法に応対するわけにもいかないのさ。――君も敬語は要らないぞ。もう講師と生徒ではないのだしね」

 ということで、アルヴィーも有難く敬語は撤廃することにした。

「じゃあそうさせて貰うけど……イズデイル三級騎士も、今度の任務に?」

「ああ。うちの小隊長殿も乗り気でね。実のところ、君に紹介してくれとも言われてる。悪い人じゃないんだが、何しろ流行に乗るのが好きな人なんだ」

 ダニエラは苦笑する。

「すぐにというわけではないんだが、休憩のときにでも一度、顔合わせくらいはしてやってくれると有難い。一度話をすれば、多分満足してくれるだろうからね。多少騒がしいかもしれないが、そう面倒な人じゃない」

「まあ、それくらいなら」

「ありがとう」

 これも一種の“社交”というやつかと思いながら了承すれば、ダニエラは微笑する。そして居住まいを正した。


「――それと遅くなったが、ニーナのことでも礼を言わせて欲しい。よく、あのを立ち直らせてくれた。彼女の父上にはわたしが若い頃世話になってね。あのままであれば、申し訳が立たないところだった」


 真摯しんしに自分を見据えるダニエラに、アルヴィーはかぶりを振った。

「……ニーナを立ち直らせたのは俺じゃない。本当に立ち直るきっかけになったのは多分、イズデイル三級騎士の言葉だ。俺はただ、それを伝えただけだよ」

 アルヴィーが祖国レクレウスを捨て、ファルレアンへと移るきっかけとなったレドナでの戦い。そこで彼女ニーナの父は戦死したと聞いた。そしてその死は、《擬竜兵( ドラグーン)》――アルヴィーの僚友りょうゆうの誰かによってもたらされたということも。

 そのため、出会った当初の彼女は、アルヴィーに対して憎しみに近い感情を抱いていた。それを利用され、一度呪詛(カース)で操られたこともある。

 だがそれゆえに、アルヴィーは彼女ときちんと向き合い、そしてダニエラの言葉を伝えることができたのだ。


 ――いつまでも憎しみ(それ)すがり続けるほど弱い娘ではないと、わたしは信じている――。


 アルヴィーを介してニーナに伝わったダニエラの言葉は、確かに彼女の心を動かし、自身を操る呪詛カースを跳ね除けるきっかけとなった。

 そう告げれば、ダニエラは小さく笑って首を横に振る。

「それだけではないよ。――あの後ニーナが言っていた。君の“自分の足で立ち上がれ”という言葉こそが、自分を立たせてくれたのだとね」

 そう言うと、ダニエラは馬を操り、アルヴィーから離れ始める。自分の小隊に戻るのだろう。

 そして去り際に、こんな一言を落としていった。


「そうそう、今回の任務、ニーナの隊も参加している。身分は違ってしまったが、これからもあのを多少は気に掛けてやってくれないか」

「え?」


 振り返った時には、ダニエラはもう後方へと下がってしまっていた。アルヴィーは首を傾げたが、

(……まあ、今じゃ会えば話くらいはする仲だしな)

 現在は良い友人である――少なくとも彼はそう思って、ダニエラの一言は額面通りに受け取ったのだった。


「……ねえ若様。あれってどう聞いても、“そういう意味”っすよね?」

「まあ、貴族の男に女の子を気に掛けてくれと言えば、な……」

「……アルがそんな匂わせる程度の含みに気が付くくらいに鋭ければ、とうに一人彼女ができてると思うけどね……」

「なにそれ詳しくお願いしまっす!」


 少し離れたところでこそこそと交わされる会話は馬蹄ばていの音に掻き消され、幸か不幸か、アルヴィーの耳には届かずに消えていくのだった。



 ◇◇◇◇◇



 レクレウス王都レクレガンの一画。高位貴族の別邸が建ち並ぶそこに、一軒の邸宅が出現したのは、つい一月ほど前のことであった。

 薄い灰色の石材で組み上げられた地上三階、地下一階の邸宅は、外から眺めるとまさに城だ。基本的な形は直方体に近いが、その四隅には半球型の屋根をいただく塔が設けられ、良いアクセントとなっている。館の東西には渡り廊下で繋がる別棟も建っており、西側の建物は一階が厩舎ステイブルとなっているところを見ると、使用人たちのための宿舎であろう。

 正面の馬車寄せ(ポルト・コシェール)を経て玄関から中に入れば、玄関エントランスホールの向こうは吹き抜けの広間サルーン。壁には森や泉を浮き彫りにした見事な彫刻が施され、床は継ぎ目も見えないほどの滑らかな石造りだ。天井にはシャンデリアではなく、水晶の群生クラスターのような透明の鉱石が一面に輝き、南面に唯一ある窓から射し込む光を増幅しているかのようだった。

 そんな広間サルーンの真ん中に立って天井を仰ぎ、フィランは感嘆の声をあげる。


「――はー、凄いなあ。これ、姫様が建てたんだろ?」

「正確には妖精族が力を貸してくれたからだがな」


 ユフレイアは満更まんざらでもなさそうに胸を張る。ここはオルロワナ公爵邸、つまり彼女の王都における別邸だった。

 戦争における政変によって、ようやく陽の当たる場所に足を踏み入れることが叶った彼女は、だが公爵という身分にありながら、王都に別邸を持っていなかったのだ。そこで、家ごと取り潰され絶えた高位貴族の屋敷を土地ごと手に入れ、一から自分好みに上物うわものを建て直したのである。普通なら年単位で時間が掛かる大仕事だが、彼女は地の高位元素魔法士ハイエレメンタラー。友人たる地の妖精族たちは喜び勇んで、彼女の望む通りに建物を造り上げてくれた。

 もっとも、少々張り切り過ぎて、ところどころ人間では建造不可能な代物に仕上がってしまったのだが。広間サルーンなど、まさにその最たる例である。

 この館の建造のために、ユフレイアは社交時期シーズンを待たずして、フィランたちを伴い王都へとやって来たのだ。さすがに公爵である彼女が、王都に別邸を持たぬままというのは、色々と差しさわりがある。

 ほんの十日ほどで館が建ってしまうと、注文しておいた家具や調度品なども急いで運び込まれ、大舞踏会グラン・バル前には何とか体裁を整えることができた。後はこの社交時期シーズンの間にでも、ちょっとしたパーティを開いてお披露目の予定である。

 そして、フィランはこの館の“客人”第一号であった。


「……それで、どうだった? クィンラム公に話をしてきたんだろう?」


 無論、彼が王都にまで伴われたのは、単にユフレイアの護衛というばかりではない。彼が持つクレメンタイン帝国に関する知識を、ナイジェルが求めたこともあった。

「話っていっても、俺だってそう色々知ってるわけじゃないしさ。それこそ、サイフォス家(ウチ)おこりとか、俺のご先祖が仕えてた騎士の話とか、そんな感じだよ」

 肩を竦め、フィランは天井の鉱石の輝きを眩しがるように、わずかに目を細めた。

「そうか」

「まあ、向こうも割と興味持ってる感じではあったけどさ。――俺にとっては、それこそ物心付く前から聞いてた子守唄みたいな話だし。正直、眉唾もんだと思ってた話もあるしなあ」

「眉唾物?」

 ユフレイアが眉をひそめると、フィランは視線を天井から戻して首を傾げる。


「だってさ、信じらんないだろ?――帝都にはまだ、皇帝の城が残ってるなんてお伽噺とぎばなしはさ」


 ――それはもう何十年も前、好奇心からかつての帝都・クレメティーラに向かった一族の者が語ったという話だ。

 残骸だらけとなって荒れ果てた大地の中、ただ一つ孤高にその姿を保ち続ける、白亜の壮麗そうれいな宮殿――。


「……帝都は原因不明で壊滅したと聞いたことがあるが」

「だろ? 俺たちもあんまり信じちゃいないんだけどさ。だって、帝都が壊滅したのに城が無事なわけないじゃん。大体、城なんて真っ先に狙われるとこだろ。まあ、実際にあるんなら行ってみたくはあるけど。でもあの辺もう魔物の巣窟って聞いたことあるし、さすがに単独じゃ難しいかな」

 《剣聖》とうたわれ、ほぼ身一つで各地を流れ歩いて来たフィランは、だがそれゆえに単独行の危険をよく承知していた。魔物が闊歩かっぽして久しいという場所に単独で踏み込むなどというのは、彼に言わせれば単なる無謀だ。

「……ま、とりあえず知ってることは話してきたし、もうお呼びが掛かることはないだろ。こっからはまた護衛に専念だよ」

「そうか……」

 ユフレイアは何となく安堵あんどして、息をついた。

 彼はいずれまた、自分のもとから旅立って行く人間だ。それは分かっている。だがそれでも、何度となく危地を救われた経験が、無意識の内に彼の傍が最も安全だとささやく。


(それでも……いずれその時が来たら、何でもないように見送らなければ)


 鳥が空を舞うように、魚が海を泳ぐように。

 彼にもまた、彼に相応しい世界があるのだから。


「――閣下、館のお披露目についてですが。ご招待する賓客ひんきゃくの方々の名簿ができましたので、お目を通していただきたく」

「あ、ああ、分かった。すぐに行こう」

「じゃあ俺は裏庭辺りで鍛錬しとくよ。いざって時になまってちゃ笑えないし」

 ひらりと手を振って、フィランは広間サルーンを出て行く。それを少しだけ見送って、ユフレイアもまた仕事をこなすために歩き始めた。



 ◇◇◇◇◇



 戦後処理のためにファルレアン側の文官が拠点とするのは、かつてはこの国で権勢を振るった大貴族の館である。戦争責任を問われて当主は自決という名の処刑、家族も悲嘆と将来への悲観により毒杯をあおったという、いわくがてんこ盛りの館であるが、王城に程近く広さも相応にある好物件ということで、特別に借り上げているのだ。

 その館の中、本来であれば当主の書斎だった部屋で、ヨシュア・ヴァン・ラファティーは最後の書類の決裁を済ませたところだった。

(やれやれ……ようやく帰国か)

 戦後の混乱の中、交渉の責任者が現地に留まっていた方が都合が良いとの判断から、彼はファルレアンを離れ、こうして王都レクレガンに駐留していた。もっとも、本国ファルレアンでの執務は外務大臣始め同僚たちが担ってくれるし、領地の方はそもそも代官に任せきりなので、多少長めに国を空けたところでさしたる支障はないのだが。

 ともあれ、レクレウス側の情勢も落ち着き、貴族議会の運営も軌道に乗りつつある。貴族議会は代表たるナイジェルがファルレアン側に好意的だ。よほどのことが起きない限り、講和が反故ほごにされる可能性は低いだろう。そこで、ファルレアン上層部は、これ以上ヨシュアをレクレウスに留まらせる必要はないと判断し、彼を召還することを決定したのだ。

 それからは引き継ぎのための仕事に追われたが、それも粗方あらかた片付き、ヨシュアと一部の文官は晴れて、ファルレアンへと帰国できることになったのだった。


「――閣下、失礼致します」

「ああ、入りたまえ」


 書類をまとめていると、扉の向こうから声。促すと、文官が入室して来る。

「どうした?」

「執務中に失礼致します。実は、クィンラム公爵閣下がお見えに……」

「クィンラム公が? それは無下にはできないな。応接間にご案内を。わたしもすぐに行こう」

「畏まりました」

 文官が一礼して退室していく。ヨシュアは別の文官を呼んで決裁を済ませた書類を渡し、自らも書斎を後にした。


「――これはラファティー伯。お忙しいところへ急に押し掛けて申し訳ありません」


 応接間に足を踏み入れると、ソファに座っていたナイジェルが立ち上がった。

「いえ、ちょうど引き継ぎも終わったところですよ」

 ヨシュアもそれに応じて会釈し、対面のソファに腰を下ろす。

 紅茶で一息つき、ヨシュアは口を開いた。

「……それにしてもクィンラム公、今日はどういったご用向きで?」

「ラファティー伯がもうすぐ発たれるということで、ご挨拶をと。伯には今回の件で、ずいぶんとご尽力いただきましたので」

「それはご丁寧に。――ですがこちらも、クィンラム公が政治の実権を握ってくださったおかげで、まあ、楽をさせていただきましたよ」

 ヨシュアのそれは世辞でも何でもなく、純然たる事実だ。戦争状態にある二国が講和を結ぶにおいて、両国の首脳が講和に乗り気なのとそうでないのとでは、難易度に格段の差がある。ナイジェルが政変を起こして国の実権を握っていなければ、二国間の講和はもっと遅れていたに違いなかった。下手をすれば、レクレウス軍が再起不能になるまで戦争は続いていたかもしれない。その間に失われていたであろう人命の数を思えば、ナイジェルが多少強引に政権を引っ繰り返したことなど何ということもなかった。

「そうおっしゃっていただければ有難いですな」

 ナイジェルは微笑し、優雅な所作しょさで紅茶のカップを傾ける。貴族議会の代表として国の舵取りを担い、情報戦の指揮も務めているはずの彼だが、少なくともその役目の重さに疲れた様子は見受けられなかった。


「……それで、いつこちらを発たれるので?」

「引き継ぎも終わりましたし、交通手段あしの手配も済みましたので……後は、捕虜となっていた我が国の者たちの準備が整えば、すぐにでも」


 そう言って、ヨシュアは苦笑する。

「……王城の方にも一応、ご挨拶には上がったのですがね。国王陛下にはお会いできずに終わってしまいました。まあ元敵国の、しかも戦後処理の責任者ともなれば、顔を合わせたくもないのは無理もありませんが」

「それは……失礼を致しましたようで、まことに申し訳ありません」

 ナイジェルは眉をひそめた。特使であるヨシュアの挨拶を特段の理由もなく断るなど、外交上言い訳のしようもない非礼である。しかもこちらは敗戦国側であるのだ。

「いえ、お気になさらず。――実のところ、謁見えっけんの拒否は陛下のご本意ではないでしょう。漏れ聞こえた話を聞くに、どうやら王太后陛下が強硬に反対なされたようです」

「王太后陛下ですか……」

 ナイジェルの表情が、今度こそ苦々しいものになった。

 彼やユフレイアへの襲撃のかどで、戦後ただでさえ低下した王太后の権力は、より一層制限されるようになった。だが彼女は国王の生母という立場を最大限に利用し、何とか宮廷での影響力を取り戻そうとしている。国王その人が貴族議会にとって都合の良い、いわば傀儡かいらいの王であることからは必死に目を逸らし、彼女は努めて尊大に振る舞っているようであった。

「……お互い、面倒なものですね。派閥争いというのは」

「まったくです」

 互いに視線と苦笑を交わし、彼らはほぼ同時に紅茶を飲み干した。

 ――しばらく歓談してヨシュアのもとを辞し、馬車に乗り込んだナイジェルは、揺れる客車キャビンの中で目をすがめた。


(王太后陛下は、意外としぶといな……名家から嫁いだ苦労知らずのご婦人かと思いきや、どうしてなかなか)


 やはり母は強いということだろうか。彼女が自分の血を色濃く継いだ前王ライネリオを溺愛していたのは、貴族たちの間では割合知られた話である。彼が幽閉され、襲撃の件で彼や自身に対する監視の目がさらに強くなっても、彼女は未だ足掻あがいているようだ。

(それに、前王の行方も依然として掴めない。――いっそのこと、自分から出て来てくれれば苦労もないのだが)

 まあ、そんなことはあり得ないだろうが。

 自身の都合良過ぎる考えを嘲笑し、ナイジェルは座席にもたれかかると、大きくため息をついた。


 ――だが、その都合良過ぎる考えは、程なく叶うこととなる。

 ただしそれが、王都レクレガンにとってとてつもない厄災の幕開けとなることなど、情報の専門家である彼をもってしても、さすがにあずかり知らぬことだった。



 ◇◇◇◇◇



 王都レクレガンの郊外、ヴィペルラート帝都ヴィンペルンへと伸びる街道の入口に程近い、とある場所。

 そこに、二つの人影が唐突に現れたのは、ナイジェルとヨシュアの非公式会談から数日後の夕刻のことであった。

「――おお……」

 間近に見る王都に、人影の片方――かつてその主であったレクレウス先代国王・ライネリオは思わず感嘆の声を漏らす。

「まことにこれが、レクレガンなのか……」

「はい。陛下は王都を外からご覧になった経験はお持ちではないのですか?」

「わたしは王だぞ。玉座に座し、高みより国を導くのがわたしの役目だ。なぜ王都の外などというひなの地に行かねばならん」

 鼻を鳴らし、ライネリオはそれでも、初めて外から見る王都の景色に目を凝らす。

「……ふん、薄汚い平民がうろついておるな。我が膝元たる王都に、何と不似合いな者どもだ。わたしが玉座に返り咲いた暁には、あのような者たちこそ我が王都から一掃してしまわねば」

 傲岸ごうがんにそう言い放ったライネリオは、だが平民たちを見下し優越感に浸っていたせいで、見過ごしてしまった。


 “薄暗い中、街道入口から王都を眺めてその先にいる平民の風体が分かる”という事実の異常さを。


「……それはそうと。まさかこのわたしに、ここから王城まで自分の足で歩けとは申すまいな?」

 眉を寄せるライネリオに、もう一人――ダンテは穏やかに微笑んだ。

「ご心配なく。陛下に相応しい“乗り物”を、只今ただいまご用意致します」

 彼が自身の魔法式収納庫ストレージから取り出したのは、魔法陣が縫い取られた真新しいタペストリーだ。ダンテはそれを地面に広げ、周囲に術具や魔石を置いていく。

「危険ですので、少しお下がりください」

 興味を引かれたように近寄ろうとするライネリオを制し、ダンテは通信用のピアスを弾いた。


「我が君、準備が整いました」

『では、参りますわね』


 短い主の返答から一拍置いて、光が生まれる。術具、そして魔法陣へと伝播でんぱした光に、ライネリオは思わず目を覆った。

「な、何だこれは……!?」

「ああ……陛下はじかにご覧になるのは初めてでいらっしゃいましたね」

 ダンテがそう言った時、魔法陣から湧き出るように生み出された巨大な影に、ライネリオはまばゆさに目を細めながら絶句した。

「――ば、馬鹿な……これは」

 呆然と見守る彼の眼前で、影――新型魔動巨人(ゴーレム)が次々と魔法陣から出て来る。その数八体。いずれも鎧を纏う騎士のような佇まいで、主に仕えるかのごとく片膝をついて命令を待つ。その動きは、従来の魔動巨人ゴーレムとは比較にならないほど滑らかで、まさしく巨大な人間のようだった。

 魔法陣から出て来たのはそればかりではない。続いて姿を現したのは、銀髪と金の瞳を持つ男女の一団だった。いずれも簡素な胸鎧ブレストプレートを身に着け、ハーフパイクと呼ばれる槍を手にしている。彼らは一様に無表情で、かつよく似通った顔立ちをしていた。

 彼らは一言も発することなく、整然と魔動巨人ゴーレムの後ろに並ぶ。その奇妙な隊列に、ライネリオが息を呑んでいると、ダンテがそっと彼に囁いた。


「――我が主が、陛下のご帰還のためにご用意なさった兵でございます。どうぞ彼らをともない、堂々とご帰還なさいませ」

「おお……!」


 ライネリオは歓喜の声を漏らし、新型魔動巨人(ゴーレム)を振り仰いだ。

「我が国の最新のものなど、及びも付かぬ性能ではないか……! そうか、これがわたしに与えると言った“力”か! ははははは! 素晴らしい!」

 天を仰いで狂ったように哄笑こうしょうした彼は、魔動巨人ゴーレムに向けて両手を広げる。

魔動巨人ゴーレムよ! わたしを乗せよ! そして王城まで運ぶが良い!」

 すると――魔動巨人ゴーレムはその命令を聞き入れたように、ライネリオの眼前に手を差し伸べたのだ。彼が乗り込むと、魔動巨人ゴーレムは彼を手に乗せたまま立ち上がった。一気に高くなった視点に高揚しながら、ライネリオは王都を指し示す。


「行け、魔動巨人ゴーレムよ! 真の王の帰還を、王都の者どもに今こそ示すのだ!」


 と――ライネリオを乗せた魔動巨人ゴーレムが一歩を踏み出す。他の魔動巨人ゴーレムもそれに続き、そして銀髪金目の一団も付き従うように歩き始めた。

 それを見送り、ダンテはひっそりと呟く。


「……“帰還のために用意した”とは言ったけど、あれを“やる”とは一言も言ってないんだけどな」

「何一人でぼそぼそ言ってんのよ?」


 背後からの声に振り返れば、魔法陣からメリエが歩み出て来たところだった。ダンテは肩を竦める。

「いや。――幸せな勘違いをした御仁ごじんのことを、ちょっとね」

「ふうん。まあいいけど」

 メリエが長い髪を背中に流す。ほぼ同時に、魔法陣の光が弱まり、やがて蝋燭ろうそくの火が消え入るように掻き消えた。役目を果たしたタペストリーと術具たちを、ダンテは元通り魔法式収納庫ストレージに仕舞い込む。

「さて……僕たちもそろそろ行こうか」

「やーっと暴れられる! もう、待ちくたびれるとこだったんだから!」

 すみれ色の双眸そうぼう爛々(らんらん)と光らせるメリエに、ダンテはすかさず釘を刺した。

「まだだよ。君の出番はもう少し後だ」

「えーっ!」

 抗議の声をあげる彼女に、ダンテは微笑んだ。


「心配しなくても、そう待たされることにはならないよ。――君の戦場は、彼が作ってくれる」


 そう言うと、彼は自身の愛剣を抜き放ち、それを地面に突き刺す。

「おいで、《トニトゥルス》」

 広がった魔法陣から飛び出してきた翼ある大蛇の顔を撫でると、ダンテはメリエを振り返った。

「それまでは、特等席で観覧と行こうじゃないか」

「……分かったわよ」

 肩を竦め、メリエは一息で大蛇の背に飛び乗る。ダンテも軽やかにそれに続いた。

 大蛇が飛び立った空は、もう夕陽の残光だけが残り、急速に夜のとばりが下りようとしていた。


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