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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十章 世界への雄飛
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第79話 導く者

 リシュアーヌ国王、マクシミリアン・エリク・ドゥ・リシュアーヌは困惑していた。

 よわい六十を超えた彼は、この大陸の国家群の君主の中では最も年長となる。そろそろ息子である王太子・クロードに王位を譲るべきかと考えてもいるのだが、積み重ねたその経験や老練な手腕が、まだ臣下や民から求められているのも事実だ。

 しかし今回ばかりは、そんな手腕も役立ちそうになかった。


「――おねがい、おじいさま。ぼく、みんなの言うことちゃんと聞いて、いい子になるから!」


 そう懇願こんがんするのは、クロードの息子であるセルジュ・ジスラン・ドゥ・リシュアーヌだ。マクシミリアンにとっては直系の孫に当たる。容貌も性格もまことに愛らしいこの孫は、城内でも人気者だった。ただ、少女とも見紛うばかりの見目にそぐわずなかなか活発な子供で、侍女たちを何かと振り回しているようだったが。まあ、男子たるものそれくらいの闊達かったつさがなくてはいかんと、マクシミリアンは爺馬鹿全開で思っていたりする。周囲も大体セルジュには甘いので、たまにいさめたり叱ったりはしても、基本微笑ましく見守っているのだった。この幼い王子に“お願い”されれば、マクシミリアンを筆頭に、大抵の者が聞き入れてしまう。

 しかし――今回ばかりは、いかに可愛い孫のお願いでも容易く叶えられるものではなかった。


「む……しかし、それはの。――さすがに、《擬竜騎士ドラグーン》を我が王室の近衛に、というのは」


 そもそも彼は、他国ファルレアンの騎士である。アンデッドの巣窟と成り果てたポルトーア砦の一件を何とか解決するため、かなりの無理を言って呼んだのだ。他国の高位元素魔法士ハイエレメンタラーを借り受けるだけでも通常あり得ないことなのに、その上自国に引き抜きを掛けるなど、相手国に喧嘩を売るようなものである。

 渋い顔になる祖父に、セルジュは目を潤ませた。

「……ダメなの?」

「うむ……彼はな、もう他の国の騎士なのだよ。我が国の臣にはなれぬ」

「なんで?」

「む……」

 孫の容赦ない“なぜなに”攻撃に、マクシミリアンは言葉に詰まった。まだ一桁の年の幼子に、いわゆる“大人の事情”は理解できまい。


(――我が国には今、高位元素魔法士ハイエレメンタラーがおらぬ。引き抜けるものならそうしたいが……)


 現場から上がってきた報告によると、彼はアンデッドの群れを容易たやすく焼き払い、果てはベヒモスまでもあっさりと消し炭にしたという。死霊術ネクロマンシーで操られていた可能性が高いとはいえ、桁外れに強靭きょうじん体躯たいくを誇るベヒモスをである。その戦闘力の高さに、マクシミリアンが魅力を感じたのも当然ではあった。

 隣国ファルレアンには元から、風の高位元素魔法士ハイエレメンタラーである女王アレクサンドラがいる。それに加え、新たに炎の高位元素魔法士ハイエレメンタラーまで現れたのだ。ひるがえってリシュアーヌには現在、高位元素魔法士ハイエレメンタラーはいない。十数年ほど前までは在籍していたが、高位元素魔法士ハイエレメンタラーといえども人間、寿命には勝てず逝去してしまった。

 そんな状況であるので、《擬竜騎士ドラグーン》を自身の側付きに欲しいとせがむ孫の言葉に、マクシミリアンの心が多少なりとも動いてしまったのは無理からぬことであった。

 それにしても、彼とはほんのわずかの邂逅かいこうであったはずなのに、ずいぶんと懐いたものだと、マクシミリアンは少しばかりの驚きをもって孫を見やる。何でも、最初は《擬竜騎士( ドラグーン)》が連れていたカーバンクルが目当てだったらしいが、彼と話をしたり、滝に落ちそうなところを庇われたりして、彼自身のこともすっかり気に入ったようだ。しまいには一緒に帰るなどと言い出し、侍女たちを困らせたという。

(……やはり、“兄”が欲しいのやもしれぬな)

 王太子夫妻の嫡男ちゃくなんであるセルジュだが、本来であれば上にもう一人、兄がいたはずだった。しかしその長男は幼くして病没してしまい、その後に生まれたのがセルジュだ。会ったことこそないものの、兄の存在については知っており、無意識の内にその存在を求めているのかもしれなかった。


「――もういいもん、おじいさまのいじわる!」

「これ、セルジュ……!」


 答えを返さない祖父にれたのか、セルジュは癇癪かんしゃくを起こして走り去ってしまう。マクシミリアンはため息をつくと侍女を呼び、セルジュの行動に注意するよう命じた。

 ――その頃、祖父のもとを飛び出したセルジュは、その勢いのままで王城内を走り回っていた。


(なんでダメなの!? おじいさまは王さまなのに、なんだってできるはずなのに!)


 まだ幼いセルジュは、国王の何たるかはまだ分からないが、祖父が“この国で一番偉い人”だということは何となく分かっていた。それゆえに、祖父に頼めば何だって叶えてくれると思っていたのだ。

 感情に任せて駆け出したはいいが、まだまだ体力のない子供。すぐに息を切らせてしまい、セルジュは足どりを緩めて歩き始めた。それでも足を止めないのは、目的地があるからだ。

(……あそこに行けば、また会えるかな)

 身の回りの世話をしてくれる侍女たちが、行ってはいけないと口煩く言う場所だったが、それがかえって幼いセルジュの好奇心を刺激した。他国の文官や武官が逗留とうりゅうする場所だからという理由など知るはずもなく、彼は自身の好奇心のおもむくままにそこに向かい、そして“彼ら”に出会ったのである。

 今まで城内では見たこともない可愛らしい生き物、そして呪文もなしに炎を操る年上の少年に。


(……あの火、きれいだったなあ)


 赤とも金ともつかない、不思議な色合いの炎。熱くはあったが決してセルジュを焼くことはなく、美しく輝きながらひとしきり渦巻いて消えたあの炎の色が、その操り手の少年の瞳の色によく似ていたことを、セルジュは思い出した。

 それに――と彼は思う。


(父上や母上のほかに、ぼくとあんなふうにお話してくれた人、はじめてだ)


 この城にいる人々は、もちろんセルジュのことを知っている。ゆえに、彼に対しては誰もが、一線を引いたように丁重に接した。遊び相手兼将来の友人として城に呼ばれる貴族の子供たちさえも、セルジュを敬称付きで呼ぶ。

 だから、初めてだったのだ。家族以外からあんな風に、“ただの子供”として扱われたのは。

 そしてそれは意外なほどに、セルジュにとって心地良いものだった。

(ぼくは会ったことがないけど……兄上がいたらあんな人だったのかなあ)

 自分が生まれる前に病気でいなくなってしまったという兄。無論セルジュは会ったことなどないのだが、もしその兄が健在であれば、あんな風に優しくセルジュを諫め、転びそうになれば庇ってくれたのではないだろうか。

 いつも周りにいる侍女たちは優しいけれど、その彼女たちのものとは少し違う、だが確かな優しさが、あのひと時にはあったように思えた。


(……おじいさまがダメなら、お兄ちゃんの方におねがいしてみよう。お兄ちゃんがこっちに来るって言ってくれれば、おじいさまだってきっといいって言ってくれるよね)


 どうしても諦めきれずに、セルジュはそう心を決めると、ぱたぱたと可愛らしい足音を立てながら、廊下を小走りに急ぎ始めた。



 ◇◇◇◇◇



『――なるほど、そういうわけだったか』

 鏡の向こうで得心が行ったように頷く相手に、ナイジェルは慇懃いんぎんこうべを垂れる。

「結果としてオルロワナ公を危険に晒すこととなり、まことに申し訳ございません」

『それはもう良い。こちらの被害としては、刺客が使ったマジックアイテムで、少しの間視界が利かなくなったくらいのものだからな』

「寛大なお言葉、心より感謝致します」

 ナイジェルの礼に、ユフレイアは小さく肩をすくめた。

『それはともかく……まさかあの前王バカがまだ玉座に返り咲けると思っていたとは、そちらの方が驚きだ。しかもヴィペルラートの侵攻を利用してとはな。つくづく、国にとって害にしかならない連中だ』

「ともあれこれで、前王陛下と旧強硬派貴族はほぼ完全に息の根を止められました。少なくとも、表舞台に戻れることはもはやございますまい」

『それでまた、貴族議会の影響力が強くなる……か?』

「そうなれば有難い限りですな」

 ナイジェルはしれっとそううそぶく。

「そういえば今回の一件、王太后陛下も一枚噛んでおられたようです。現陛下のご生母とはいえ、さすがにまったくの無傷とはならないでしょう」

『それは、わたしにとっては朗報だな』

 ユフレイアはにやりと笑みを浮かべた。

 彼女にとっては、自分と母をいじめ抜いた首魁しゅかいである。その失脚は彼女の溜飲りゅういんを下げると同時に、彼女自身と母の安泰をも意味した。笑みの一つも零れようというものだろう。

『だが、よくそんなことが分かったな』

「実は、議会を開いている途中に襲撃を掛けられまして。もっとも、幸いなことに未遂に終わりましたが」

『“終わらせた”の間違いじゃないのか? けいのことだ、あらかじめ罠を張って待ち構えるくらいはやりそうだが』

 ユフレイアに即座にそう返され、ナイジェルは微笑をもってその答えとする。それだけで彼女は察したらしく、やれやれといった様子で首を振った。

『つくづく、卿のような相手を敵に回したくないな』

「それは、お褒めいただいたと捉えても?」

『政治家には褒め言葉だろう? 一般人としてはともかく』

「政治家、ですか。そうありたいものですが」

 ナイジェルは自身のことを、謀略家ではあっても政治家ではないと思っている。政治家というものは十年二十年、果ては百年先を見据えて、国を導ける者のことを言うのだ。

「わたしはこうして、悪巧みを巡らせるのがせいぜいですよ」

『別に構わないと思うがな。要はそれが国や領地領民のためになるかどうかだ。戦争で敵国を滅亡に追いやった国王がいたとして、その王は敵国から見れば憎んでも憎み足りない仇だろうが、自国民から見れば名君かもしれない。何が正義かなど、立場一つで簡単に変わるものだ。わたしとて、有難いことに領民からは支持を得ているが、他領の領主からすれば、豊富な鉱物資源を抱え込んで出し渋るいけ好かない女だろう』

 ユフレイアはそう苦笑したが、その豊富な鉱物資源のおかげで、レクレウスは敗戦国となりながらも、まだしも最低限のまともな生活はできる程度で済んでいるのだ。確かに戦費の補填ほてんやファルレアンに対する賠償金などで、各領地の税は重くなったが、国民が飢え死ぬほどの重税は紙一重で避けられていた。それは、オルロワナ北方領から産出される鉱物資源と、ユフレイアが予めたくわえておいた資金が供出されたからだ。

 まともな頭があれば、今や一国を支えているといっても過言ではない彼女の命を狙うなど、骨頂こっちょうと分かりそうなものだが――まあ、それを理解できる人間ならば、そもそもこんな状況になる前に手を打ち、早期に停戦なり何なりに持ち込んでいただろう。自分の虚栄心のため、あるいは私腹を肥やすために継戦へとかじを切り、結果として危うく国を滅ぼしかねなかったのだから、彼らは所詮しょせんその程度の器でしかなかったのだ。

「言いたいやからには言わせておけば良いのですよ。そうやって他人に文句を付ける人間ほど、人の役には立たないのが世の常です」

 身も蓋もなくばっさりと切って捨てるナイジェルに、ユフレイアは思わずといったように笑ってしまった。

『なるほどな。――それはともかく、一つ訊きたいことがある』

「どういったことでしょう?」

 ナイジェルが問い返すと、彼女は先ほどまでの笑みが嘘のように、その表情を引き締める。


『ならば遠慮なく。――フィランのことだ』


 がらりと変わった雰囲気に、ナイジェルもわずかに目を細める。

「……公が一時期、手元に置かれていたという《剣聖》ですか」

『なぜフィランがあそこにいた? 一緒にいた虫使いともども捕まえて事情を訊いたが、少なくとも虫使いの方は卿の差し金だろう。本人は口を割らなかったが、あの時点でわたしが狙われていることを知り得たのは、卿しかいない。それにわたしに付けられた護衛は貴族議会からの派遣だ。そこへ追加人員を突っ込むのに、卿があずかり知らぬということはあり得まい』

「ふむ……」

 さすがに、一時期ナイジェルと組んでいただけあって、彼女の分析は確かだった。明かすべき情報とそうでない情報を一瞬で弾き出し、ナイジェルは口を開く。

「……確かにご賢察けんさつの通り、公のおっしゃる“虫使い”はわたしが送り込んだ者です。しかし《剣聖》に関しては、本当にわたしの与り知るところではないのですよ。彼はこちらの思惑とは何ら関係なく、公のお命を狙う者たちを一蹴し、そしてわたしの部下と現場で鉢合わせた。その際、現有戦力に不安のあった部下が彼を勧誘し、彼がそれを受けた――それがわたしの知るすべてです。彼が“なぜ”その場にいたのかは、おそらく彼しか知り得ないでしょう」

 それは掛け値なしの事実である。クリフがフィランを味方に引き入れ、その素性を知った際、ナイジェルもきっちり調査を掛けたのだ。だが、彼の経歴やこれまでの足どりをいくら洗っても、後ろ盾になるような存在やどこかの勢力との繋がりといった情報は、欠片たりとも出て来なかった。《剣聖》が権力とれ合わず、孤高を貫き大陸を流れ歩いているという通説は、どうやら真実のようだ。

 ナイジェルの弁明に、ユフレイアは小さくため息をついた。

『そうか……すまないな、クィンラム公。少し勘繰かんぐり過ぎたようだ』

「いえ、お気になさらず」

『考えてみれば、あれは野生動物か何かのように気紛れなんだ。また修行に出るとは言っていたが、気が変わって逗留を伸ばしていてもおかしくないか……』

 酷い言い様だが、ナイジェルはツッコミを控えた。

「……では、わたしはこの辺で失礼させていただきます。議会襲撃未遂の後始末もございますのでね」

『ああ、わたしもそろそろ仕事に戻ろう。卿ほどではないが、こちらもそれなりに書類が山積みだ。では』

 各々が挨拶を交わして、鏡の映像は途切れる。鏡の片付けは使用人たちに任せ、ナイジェルは腹心ともいえる部下たちを呼び出した。


「おまえたち、この間はよくやってくれた。おかげで王太后陛下の首根っこも押さえられそうだ」

「それはおめでとうございます、閣下」


 《人形遣い(パペットマスター)》ブランとニエラ、そして元暗殺者のイグナシオ。彼らは一様にひざまずき、ナイジェルへの忠誠を示す。

「連中の尋問も進んでいる。黒幕は王太后陛下で間違いないだろうが、実際に人を集めたのはその下の人間だろう。まあ、薬も使っている。連中がすべて吐くのは時間の問題だ」

 えげつないことをさらりと言ってのけ、ナイジェルはイグナシオに目を向ける。

「イグナシオ、連中の持ち物を調べたいと言っていたが、何か分かったか」

「は、あの連中、閣下や議会の出席者を捕らえる際に、王家の命であると知らしめるつもりだったのでしょう。王家の紋章と王太后陛下の署名の入った告発状を隠し持っておりました。これで、王太后陛下が無関係であるという言い分は、通らなくなりましたな」

「そうか、良くやった」

 ナイジェルが満足げに頷き、ブランとニエラは不安げな表情になった。


「……それって、偉い人の命令ってことですよね……?」

「そんなの持った相手を捕まえて、旦那様、立場が悪くなったりしないんですか?」


 少女たちの心配を、だがナイジェルは笑い飛ばした。

「心配は要らん。そもそもその告発状に効力はない」

「……何で、ですか?」

「告発状の発行においては、証拠や証言の提示が必要だ。だが、こちらは前王陛下や旧強硬派貴族の企みの証拠や証言には困らないが、あちらはわたしの策について何ら証拠になるようなものは持っていない。そもそもそんなものは残していないからな。客観的に見れば、王太后陛下は何の効力もない告発状に署名しただけで、確たる証拠もなしに議会を襲撃させようとしたことになるんだ。もっとも、王太后陛下もそうだが、やんごとなきご身分の女性はえてして社交以外の方面にはうとい。彼女が詳しいことを知らず、告発状だけで相手を告発できると思い込んだのも無理はないが」

「へえー……」

 少女たちは感嘆の声をあげた。もっとも、それがレクレウスの貴族女性の標準スタンダードなのだが。むしろユフレイアのように、自身が領地を運営し政治に明るいという貴族女性の方が珍しい。レクレウス貴族の間では昔から、社交的で容姿が美しく、政治や経済には疎い女性が好まれてきた。政治経済は男の領分だという、男性上位の考え方が根底にあるからだ。

 そこへ、イグナシオが補足を入れる。

「むしろ、王太后陛下の署名の入ったその告発状自体が、議会襲撃の黒幕というまたとない証拠品になりますな」

「その通りだ。――ちなみに、その告発状には何と書いてあった?」

「それが、王家を不当におとしめ、貴族議会なるものを勝手に発足させて人心を惑わし……だそうですよ。あまりに長い無意味な文章ばかりで、細かいところは忘れてしまいまして、申し訳ございません」

「ははははは!」

 仮にも王太后その人が発行した書面に対して、イグナシオの言い草もなかなかに酷い。ナイジェルは大笑いした。

「……ともあれ、向こうから証拠をくださったわけだ。有難く活用させていただこう。――それはそうと、クリフの方はどうなっている?」

「閣下のご命令があり次第、いつでもこちらに戻る準備はできているとのことです。ただ……《剣聖》の方は我々の与り知るところではありませんが」

「そうだな。彼はあくまでも“協力者”に過ぎん」

 ナイジェルにしても、《剣聖》たるフィランを手駒に加えるつもりはなかった。人生すべてが剣のかて、剣に生き剣に死ぬことこそ本望などという相手は、ナイジェルにとって異質に過ぎる。御しきる自信が持てない相手など、最初から手勢に組み込むべきではないのだ。

 彼についての話題はそれきりに、ナイジェルは部下たちに次の指示を出す。


「ここからは王太后陛下の影響力を削げるだけ削ぎ落とすぞ。現王陛下のお母上ではあるが、その立場を盾に国庫に再々手や口を出されるようではたまらんからな。これからは完全に籠の鳥になっていただこう。おまえたちにはそのために引き続き、わたしの周辺警護と情報収集をして貰う」

「分かりました!」

「わたしたち頑張ります!」

「は、お任せください」


 三者三様に頭を垂れ、命令を受領する。ナイジェルは満足げに笑みを浮かべ、これから自身がどう動くべきかを脳裏で組み上げ始めた。



 ◇◇◇◇◇



 宛がわれた部屋で報告書を書いていたアルヴィーは、コツコツという小さな音にふと振り返った。

(……何だ?)

 不審に思いつつも、まあ仮にも他国の王城内で危険もないだろうと、さほど警戒はせずに部屋の扉を開けた。そしてぎょっと目を見張る。


「えへへ、やっと見つけた!」


 部屋の前に満面の笑みでちょこんと立っている客人――それはこのリシュアーヌ王国王太子夫妻の嫡男、セルジュ王子に違いなかった。


「…………え、っと……殿下。どうしてここに……?」

 たっぷりとした沈黙の後、何とかそう声を押し出すと、セルジュはむうっと不満げに頬を膨らませた。

「その呼びかたはイヤ! あの時みたいにふつうにお話して!」

「ええー……」

 あの時は詳しい素性など知らなかったので、ごく普通に子供に接する態度で話したが、今はこの子供が王族だとしっかり聞いている。仮にもファルレアンの国名を背負ってここを訪れている以上、常識を疑われるような言動はできないのだ。

 アルヴィーが困り果てていると、ベッドでぷすーぷすーと爆睡していたフラムが、話し声に目を覚ました。

「……きゅ? きゅきゅー」

 ベッドから飛び下り、とてとて走って来るフラムに、セルジュが目を輝かせる。

「あ、いた! あの時のふわふわ!」

「きゅっ!?」

 それがこの間自分を無遠慮に捕まえた子供であることを悟り、フラムが急いで逃げ出そうとしたが、時すでに遅し。子供特有の思いがけない瞬発力でセルジュは部屋に飛び込み、がっしと小さな身体を捕まえた。

「きゅーっ!?」

「あはは、やっぱりふわふわだっ」

 一応アルヴィーの注意は覚えていたようで、最初の時のようにもみくちゃにはせず、つたないながらも背中を撫でてやっている。フラムもそれが分かったのか、手足をばたつかせるのをすぐに止めた。時折ぴこりと長い耳を動かし、撫でられるのを享受きょうじゅしている。

「あ、おとなしくなった!」

 喜ぶセルジュに、アルヴィーはため息をついた。

「……お付きの人たちは?」

「おいてきちゃった! ぼく、かくれんぼ上手いんだよ!」

 得意げな顔に、再びため息。今頃城内は大騒ぎになっていることだろう。もっとも、セルジュがここに来たこともすぐに見当が付くだろうから、捜しに来るのも早いだろうが。

 と、フラムを構って笑顔だったセルジュの表情が、ふと真剣なものに変わった。立ち上がると、じっとアルヴィーを見上げる。

「……何か?」

 アルヴィーが首を傾げると、セルジュはまたしても爆弾発言をかましてくれた。


「お兄ちゃん、帰らないでこのままここにいて!」


「…………は?」

 ぽかんと呟くと、セルジュがぎゅうぎゅうと服の裾を握り締めてくる。

「だって、おじいさまにおねがいしても、ダメだって……ぼく、お兄ちゃんにずっとここにいてほしいのに」

「いや……それは王様の方が正しいと、」

「なんで!? やだやだやだ!」

 駄々をねるセルジュに、アルヴィーは天を仰ぎたくなった。まあ、子供というのは往々にして理屈の通用しない生き物である。アルヴィー自身もかつては通った道だ。


(……そういや俺も、ルシィがファルレアン行っちまった時は、おんなじように思ってたよなあ)


 理屈では理解できた。あのまま村に残るより、新天地ファルレアンに行って貴族として迎えられる方が、ルシエルは母ともども幸せになれる――そう思って、あの時アルヴィーは手を離したのだ。それでも感情は納得せず、ぽかりと穴が開いたような寂しさが、長くアルヴィーに付きまとった。

 アルヴィーとセルジュが出会ってからの時間はほんのわずかだが、友情というものはえてして、出会ってからの時間ばかりで決まるものではない。一目で意気投合することもあれば、長年顔を合わせていてもなぜか馬が合わないこともある。ここまで気に入られた理由はよく分からないが、何かセルジュの琴線に触れるものがあったのだろう。

 ……とはいえ、その望み通りにここに留まることはできないのだが。

 そっとセルジュの手を服の裾から離させると、アルヴィーは膝を屈めてセルジュと目線を合わせる。その小さな頭を、そっと撫でてやった。


「ごめんな。――俺はファルレアンの騎士で、あの国で生きていくって決めてるんだ。大事な人もいる。だからここには残れない」


 セルジュの顔がふにゃりと歪んだ。

「……ダメなの?」

「うん、俺はファルレアンに帰る。あそこが俺の帰るとこなんだ。俺が、そう決めた」

 誰かに強制されるわけではなく、何かのしがらみがあるのでもなく、アルヴィー自身がそうしたいと決めたのだと――それを、セルジュに伝える。その瞳を、真っ直ぐに見つめながら。

「ふぇ……」

 それをセルジュもあやまたず受け取ったのだろう、大きな瞳からぽろりと涙が零れた。

「やだぁ……だって、だって、お兄ちゃん、兄上みたいなんだもん……」

 ぎゅうう、と首にかじり付くように抱き付いてくるのを抱き留め、アルヴィーは立ち上がる。

「そっか。――でも俺は、兄上にはなれないよ。俺は俺だ」

 アルヴィーが聞いた限りでは、王太子夫妻の子供は現在、セルジュ一人だと言う話だ。――つまりは、そういうことだろう。

 だがアルヴィーは、セルジュの兄にはなれない。自分はあくまでも“アルヴィー・ロイ”という人間でしかないのだ。

 右腕でセルジュを抱きかかえて安定させると、扉を開けて外に出る。足元をちょろちょろするフラムを左手ですくい上げて肩に乗せ、城の方へと歩き出した。もちろん、セルジュを城に帰すためだ。

 と、セルジュがぽつりと呟いた。

「……もう一回おじいさまにおねがいしても、ダメかなあ……」

「そうだな、無理だな」

「なんで? おじいさまは王さまだよ、一番えらいんだよ」

 むくれるセルジュの頭を、アルヴィーは左手でそっと撫でてやった。


「……王様っていうのは、国の人をできるだけたくさん幸せにする方法を考えて、選んで、決めていく人だって、俺は思ってる」


 ファルレアンの女王アレクサンドラや、国の運営にたずさわる貴族たちの一部、そしてジェラルドのような騎士団の上層部と関わることで、アルヴィーはそう思った。できる限り多くの国民を守るために、彼らは進むべき道、取るべき手段を決めていく。たとえ、少数を切り捨てることになっても――それを呑み込み、最大多数の人々を明日に連れて行くために。

 彼らが選び続け、導き続けて、そして国は未来へと続いていく。


「ここの王様も、きっとそうだ。だから、王様は国と国が喧嘩になるようなことはできない。それは、すごくたくさんの人を不幸にする」


 アルヴィーの立場を、セルジュは知らない。だから、自分の望むものを声高こわだかに求めるのも仕方のないことだ。そして、国王がそれを叶えられないことも、また。

「…………?」

 首を傾げるセルジュを抱え直し、アルヴィーは眼前の空間に魔法障壁の足場を創る。さすがにいつものようにひょいひょいと飛び移るわけにはいかないので、階段のように少しずつ上る形で、何十もの足場を経由してアルヴィーは空中に上って行った。そして、適当な高度で足を止める。

「――ほら、あっち見てみな」

 促され、セルジュはアルヴィーが指し示す方向を見る。そして歓声をあげた。


「――うわあ……!」


 そこには、王都の街並みが広がっていた。

 遥か遠くまで建ち並ぶ家々、その合間を彩る鮮やかな緑と色とりどりの花。セルジュにはアルヴィーほどの視力はないため、そこまで細かくは見えなかったが、それでも街の大きさを知るには充分だった。

「あれが、王様が守ってるものだ。けどそれは、すごく大変なことだと思う」

「……そうなの?」

「俺もあんまり学がないから、難しいことは分かんないけどな。――でも、国を治めるって、そういう難しいことなんだよな、多分」

「すごいなあ……」

 街並みに目を奪われたまま、セルジュは思わずといったように呟いた。

「――っし、じゃあ下りるか」

「えーっ、もっと見たい!」

「あんまり高いとこにいたら危ないだろ。――それに、大きくなったらまた見られるよ」

「……ほんと?」

「ああ」

 順当に行けば、セルジュはいずれ玉座に座すこととなる。そして、理解するだろう。今この時、祖父が背負っていたものを。

 セルジュを連れて地上に下りて行きながら、アルヴィーはふと考えた。


(……シアも、クレメンタイン帝国ってとこの王様みたいなもんなんだよな。――シアは、自分の国をどうしたいんだろう)


 一度滅びた国をよみがえらせ、世界を動かそうとしている彼女は、自分の国をどこに導こうとしているのだろうか。


 真意をうかがわせないその笑みを思い出しながら、アルヴィーは地上に下り立った。セルジュを下ろし、左手を子供の小さな右手と繋いで歩き始める。

 まるで、弟を導く兄のように――。



 ◇◇◇◇◇



 そこは王都ソーマの片隅、どこにでもある裏路地の一つだった。

 古びた建物が建ち並び、何となく薄暗ささえ感じるそこを、数人の男たちが密かに見張り出したのは、ここ最近のことだ。彼らは服や髪型を変え、入れ代わり立ち代わり、一軒の家を監視していた。

「――報告です」

 その内の一人が、隣にいても聞き取れないほどかすかに呼び掛ける。しかしそれは、彼が装着した魔動通信機インカムのおかげで、仲間たちに遅滞なく届けられた。

『どうした』

「どうやら、動きがありそうです」

『よし、総員、すぐに飛び出せるように準備をしておけ』

「了解」

『了解しました』

 各自、了解のむねを返して態勢を整える。

 彼らが視線を注ぐ先、やがて家の戸が開き、男が一人姿を現した。男は目を伏せ気味に、足早に歩き始める。

『やはり動いたな』

「先ほど家の前で、子供が何かやっていました。おそらく誰かに頼まれて、家に投げ文でもしたのでしょう」

『二人残って周辺を警戒。残りは奴を追うぞ』

『はっ』

 歩いて行く男に続き、一人また一人とその場を離れる男たち。彼らはさり気なく入れ替わりながら、付かず離れずの距離で監視対象の男を追跡する。

 監視対象の男はしばらく歩き、ある建物の前で足を止めた。素早く周囲を確認し、建物の中に入って行く。建物は誰も住んでいないのか、人の気配もなくしんと静かだった。


「――おい、来たぜ。追加報酬くれるんだって?」


 建物の中に入った男は、奥に向かって呼び掛けた。先ほど家に投げ込まれた手紙では、先にこの中で待っているということだったが――。

 そこまで考えた時。


 パッと音でも立てそうな勢いで、炎が燃え上がった。


「何っ――!?」

 慌てた男は外に出ようとしたが、出入口もすでに炎に巻かれていた。どうやら予め仕掛けをしてあったのか、火は驚くほどの速さで燃え広がっていく。

「く、くそっ……!」

 男がいよいよ追い詰められた時――。


「――押し流せ、《水渦ヴォーテクス》!」


 詠唱と共に出入口から迸った水が、炎を圧する勢いで建物内を蹂躙じゅうりんした。

「ぶわっ!?」

 男は水流でもみくちゃにされたが、焼け死ぬよりはずいぶんマシだろう。水は火を消し止め、建物の中をひとしきり水浸しにした。

「……た、助かった……」

 大きく息をつく男を、その時建物内に踏み込んで来た男たちが確保する。

「な、何だあんたら!?」

「我々は魔法騎士団の者だ」

 男たちは皆、一般人と同じような服装をしていたが、男を取り押さえる手付きは手慣れており、極め付けに一人が懐から騎士団の徽章きしょうを取り出して示した。真っ青になる彼を尻目に、彼らはてきぱきと現場の処理を始める。

「おまえがオークション会場から盗み出した魔剣の一件について、本部で話を聞かせて貰おう。――おとなしく付いて来る方が、身のためだと思うがな」

 何しろつい今しがた、焼き殺されかけたばかりである。男は力なく頷いた。

 彼を騎士の一人が拘束していると、家に残って警戒していた組から連絡が入る。

「ああ、どうした?――そうか、押さえたか! 良くやった」

 魔動通信機インカムの向こうからの報告に、騎士は喜色を浮かべると、他の騎士たちに指示を出した。

「今、この盗賊シーフの家に侵入を試みた男を取り押さえたそうだ。人相からして例の男に間違いないと」

「やりましたね!」

「ああ、急いで大隊長に報告だ」

 騎士たちはきびきびと立ち働き、ものの十分ほどで男――民間オークションから魔剣を盗み出した容疑の濃い盗賊シーフを、騎士団本部へと連行して行った。


「――よし、公爵の付き人と盗賊シーフを押さえたか。良くやってくれた」


 報告を受け、ジェラルドはすぐさま動いた。取り調べの準備を整えさせ、騎士団長に報告を入れると、司法大臣への面会予約を取り付ける。司法大臣は彼の実父でもあるので、幾許いくばくかの時間節約にはなるだろう。取り調べで証言を得て、すぐさま司法大臣に申請を上げ、ギルモーア公爵に対しての捜査令状を出して貰う腹積もりだ。

「さて、ここから忙しくなるぞ。パトリシア、記録を頼む。セリオはすぐ現場に飛んで空間封鎖だ」

「はい」

「了解しました」

 パトリシアが準備を始め、セリオは部屋を後にした。現場の騎士たちと連絡を取って現地の座標を聞き、転移で飛ぶつもりなのだ。

 自身も取り調べに立ち会うべく支度を整えながら、ジェラルドはにやりと笑った。


「さあ――今度は公爵閣下に踊って貰うとするか」



 ◇◇◇◇◇



 セルジュの突撃訪問を受け、何とかさとして城に帰したその晩。

 アルヴィーが使う部屋に、またしても訪問者があった。


「――夜分に申し訳ありません、《擬竜騎士ドラグーン》殿」


 ただし今度は、れっきとした成人男性――ベルナール・ドゥ・ラファルグ秘書官だった。


「ええと……何か?」

「実は、セルジュ殿下の一件で、陛下より内密にお言葉を預かって参りました」

「い゛っ……!」

 絶句するアルヴィーに、ベルナールは笑って手を振る。

「いえ、ご心配なく。陛下からは感謝のお言葉をお預かりしております。上手く殿下を諭していただいたと」

「はあ……上手かったかどうかは、分からないですけど」

「大臣閣下より伝え聞いたお言葉ですが、セルジュ殿下は殿下なりに、王族たる者の自覚が芽生えられたようだと。陛下も王太子ご夫妻も、大層お喜びでいらしたそうですよ」

 何でも、アルヴィーなりの“王”の話とあの時見た王都の光景が、セルジュには強い印象を与えたらしい。国王の責務に関しても、興味を持ったようだとのことだった。母である王太子妃などは、息子の成長に涙ぐむほどの感激ぶりだったそうだ。

「この度の《擬竜騎士ドラグーン》殿の功績に関しては、相応に報わせていただくとのお言葉もたまわっております」

「ど、どうも……ありがとうございます」

 セルジュに対してのタメ口や、彼を連れて空中散歩などやった件はどうやら不問に付されそうで、アルヴィーは内心ほっと胸を撫で下ろすのだった。

 ――ベルナールが辞去すると、アルヴィーは大きく息をつき、ベッドに寝転がった。


「何とか上手く纏まりそうで良かった……なあ、フラム?」

「きゅっ」


 アルヴィーの心境を知ってか知らずか、フラムはぐいぐいと頭を頬に擦り付けてくる。そもそもはセルジュがフラムに目を付けたことで巻き起こった騒動だったが、ひとまず大きくはならずに収まりそうなのはめでたいことだった。

「砦の件も片付いたし、後は帰るだけだな」

「きゅ?」

「あー……でも帰ったら帰ったで、色々面倒事があんのかあ……」

「きゅきゅっ」

 げんなりとため息をつく飼い主(アルヴィー)を慰めるように、フラムがまた擦り寄ってきた。それに心癒されながら、アルヴィーは天井を見上げる。

(でも、説教かました手前、俺がへこたれるわけにもいかねーしな)

 はらを括ることにして、アルヴィーは自分に気合を入れる。

「――うっし! じゃあとりあえず、報告書仕上げちまうか」

「きゅっ」

「あ、おまえは寝てろよ。ぶっちゃけ机に乗られたら尻尾が邪魔」

「きゅっ!?」

 言葉を理解しているのか、何だかショックを受けたようなフラムを一撫でして、アルヴィーは書き物机に向かうと、中断していた報告書作成を再開するのだった。


 ファルレアンへの帰還は、もうすぐそこに迫っていた。


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