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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第一章 国境、燃ゆる
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第7話 強襲

ご覧いただきありがとうございます。

 途中で切り上げる形で尋問が終わり、独房に戻ったアルヴィーは、ベッドに座り込んだままぼんやりと虚空を見つめていた。

 その脳裏には、尋問の時ルシエルに告げられた言葉が未だにぐるぐると回り続けている。


 ――自分がレクレウスに戻れば、メリエやマクセルのような末路を辿る人間が、また生み出されることになるかもしれない――。


(……ルシィの言う通りかもしれない)

 少なくとも、アルヴィーは知っていた。他の《擬竜兵( ドラグーン)》を生み出すために、最初の適合者となった自分のデータが使われていたことを。

 兵士としては、国に貢献したといえるのかもしれない。だが人としての心が、それを拒む。

(あんな……人の形も残らないような死に方をするなんて。――それに、俺たち四人が生き残った裏で、もう何百人も死んでるんだ)

 あの日、あの地下の手術室で死んでいった同期生たちの姿が甦る。

 彼らを含む数多の屍の上に、今自分は立っているのだ。

「…………!!」

 そう思い至ると、急に自分の存在そのものが恐ろしくなり、アルヴィーは両手で頭を抱えた。震える息を吐いた、その時。


『――そう恐れることはなかろう。我が主殿あるじどのよ』


 聞こえた、声。

 それは確かに、アルヴィーの耳元に囁いたようだった。


「誰だ……っ!」

 顔を跳ね上げ、室内を見回す。だが誰の姿も見つからず、隠れられるような場所もない。

(ここには俺しかいない。でもさっき、確かに声が聞こえた……)

 彼の動揺を嘲笑うかのように、またしても、声。

『外ではない。内だ』

(内……?)

 眉を寄せ、そして辿り着く。

「……ま、さか」

『その通り。わたしは主殿の内に在る』

「竜……なのか……?」

 アルヴィーは自身の右手を見つめた。封印具に包まれてはいるが、その隙間から見える肌は以前よりも深みを増した気がする、深紅。封印具を着け直される前に見たその手は普通の人間のものよりも関節の膨らみが目立つ指、爪は黒いが光の加減で金粉を塗したような光沢を放ち、腕を走る黒い筋は精緻に絡み合って肌を飾る。

『いかにも。もっとも今は、幾千にも分かたれた末のほんの欠片に過ぎんが』

 アルヴィーの中に植え込まれた、竜の肉片。だがそれほどに小さな欠片であっても、その力は人にとっては過ぎるほどに強大だ。人を狂わせ、喰い返すほどに。

 そしてアルヴィーは、初めてこの声を聞いた時の、あの言葉の意味を理解する。

(そうか……マクセルやメリエも、多分同じように自分の中の竜の欠片と争って――負けたんだな)

『その通りだ。他の宿主はおそらく、それぞれの“わたし”に魂を喰い返された』

「それぞれ?」

『我が魂は、竜玉と肉体、偏りはあるがどちらにも宿っている。もっとも、主殿以外の者を宿主とした“わたし”は、宿主と共に滅んだだろうが。そもそも、魂のほとんどは竜玉に宿っているから、多少欠片が消えたところで堪えはせぬがな』

 竜の欠片は意外に饒舌じょうぜつだった。

「……っていうか、その“主殿”ってのは何なんだよ」

『おや、これは異なこと。主殿自身が啖呵を切ったではないか。自分が主ゆえ従えと、このわたしに』

(――あれかぁぁぁ!!)

 アルヴィーは思わず頭を抱えた。あの時は自我を喰われまいと無我夢中だったが、冷えた頭で聞くとなかなかむず痒い。しかしどうやら、彼の中の竜の欠片は、その呼び方を止める気はないようだった。

『とりあえず、主殿の右腕すべては依代として貰い受けた形となる。心配せずとも、主殿の意思には従おう。わたしは主殿が気に入ったのでな。――まあ、今回のところは挨拶まで。しばらく眠ることとしよう』

 その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。

(……とりあえず、乗っ取られる心配はしなくても良くなった……ってことか?)

 気に入った、という言葉が事実なら、再びこの身体の主導権争いをしなければならない恐れは今のところない。万が一にもあんな体験は二度としたくなかったので、そこは安心できる要素だ。

(けど、あの声は俺にしか聞こえないみたいだし……声に出して話してたら、確実に変な奴だよな、俺)

 状況が状況であるし、下手をすれば正気を疑われかねない。このことは秘密にしておいた方が良さそうだ。他の騎士たちにはもちろん、ルシエルにも――。

(……どうしよう。ルシィにくらいは言っといた方がいいのか?)

 彼ならば、アルヴィーの話を信じてくれるだろう。だが、自分の中に欠片とはいえ竜の魂が宿っているなどと告げれば、それはそれで心配をかけそうな気もする。

(……まあ、いっか。時機を見て話そう)

 レクレウスに戻れることは、もうないと思っていいだろう。祖国ではあるが、アルヴィーの中にはあまりそれを惜しむ気持ちはない。ただ唯一、両親や村人たちの墓を残して行くことだけは心残りだが、故郷の村はファルレアンとの国境に近い辺境だ。その気になれば、いつか再び訪れることもできるかもしれない。

 そう思うと、心に圧し掛かる重みが少しだけ軽くなったような気がする。

(でも……この国はお袋たちの仇の国だ。――そのはずなんだ)


 ――そいつらが、《擬竜兵おまえ》のファルレアンへの敵意を煽るために虚偽の情報を吹き込んだ……その可能性がないと、どうして言える?


 あの黒髪の騎士(ジェラルド)の言葉が、頭にこびりついて離れない。

(……考えてみれば確かに俺は、軍の情報部からの情報でしか、あの事件の原因を知らない……)

 何が正しく、何が誤りなのか、今のアルヴィーには分からなかった。敵国の騎士としてルシエルが自分の前に立ちはだかり、戦友たちは騎士も民間人も構わずに何もかもを薙ぎ払ってしまった。そして自分は、レクレウスの兵士でありながら敵国の騎士(ルシエル)を助け、暴走した戦友を殺めることに確かに手を貸した――。

 自分の、そして戦友たちの認識票ドックタグを握り締め、アルヴィーは俯いた。

 そのまま身じろぎもせずにいたアルヴィーの意識を引き戻したのは、廊下を歩く靴音だ。靴音は部屋の前で止まり、そしてドアの脇の長方形の小さな戸が開くと、食事を載せたトレイが滑り込まされ、カタンという小さな音を立てて戸の前に設置された台に置かれた。

(そっか……もうそんな時間か)

 差し入れられた食事は質素ではあるが、捕虜の身には充分だ。アルヴィーはのろのろと立ち上がり、台の上に置かれたトレイを取り上げた。

 ……カサリ。

 かすかな音に、アルヴィーは「ん?」と短く呟いて目を落とす。

 トレイの下から、折り畳まれた紙片が出てきたのだ。左手で紙を取り上げ、トレイは一旦台に戻して、アルヴィーは紙を広げた。

(――これ……!)


【山猫が向かう その場で待て】


 《山猫》という言葉に、アルヴィーは覚えがあった。それはレクレウス軍内で使用される、情報部を意味する隠語だ。

(俺を奪還するつもりか……)

 やはり軍部――というより研究所は、アルヴィーを奪還して《擬竜兵( ドラグーン)》の研究を進めたいらしい。それにしても、敵国の騎士団駐屯所の地下にまで忍び込むとは、ずいぶん気合が入っている。

 一応メモの裏表を確かめ、他に何も書かれていないのを確認すると、それを足元に落とす。しばらくすると、メモは小さく炎を上げて瞬く間に燃え尽き、灰となった。情報部はこうした後に残るとまずい文書には予め魔法を仕込み、一定時間が経過すると燃え尽きて証拠を残さないようにするのが常だ。わずかな灰を踏み躙って痕跡を完全に消し、アルヴィーはトレイを持ってベッドに移動する。そのまま腰掛け、食事を口に運び始めた。

 レクレウスの情報部が自分を奪還しに来るのは、おそらくそう先ではあるまい。何しろ、アルヴィーがファルレアンの王都に護送されてしまっては遅いのだ。もちろん騎士団側もそれは承知しているだろうし、十中八九ここの警備も強化されているはずだが、それでも、あのメモはその警備を掻い潜ってここに届いた。つまり、それだけの技量うでを持つ者が、アルヴィーの奪還を企てている。

 そして。

(連れ戻されれば、また俺のデータを基に、《擬竜兵( ドラグーン)》にされる人間が出るかもしれない……)

 しゃらり、と胸元のタグが揺れる。“成功体”とされた彼らでさえ、竜の魂の欠片に屈し、理性の飛んだ殺戮兵器と成り果てた挙句、人の姿すら残せずにこの世を去った――。

「…………!」

 奥歯を噛み締め、アルヴィーは彼らの名を呼びそうになるのを堪えた。彼らが《擬竜兵( ドラグーン)》として戦場に送り込まれたことには、アルヴィー自身もその責の一端を担っているのだから。彼らは最初に適合したアルヴィーのデータを基に改良を加えた施術で、《擬竜兵( ドラグーン)》になった。

(……確かめなきゃいけないんだ。俺自身の目と耳で)

 食事を終え、トレイを台の上に戻すと、アルヴィーは封印具に包まれた右手を見つめた。

 知らなければ。この異形の腕と引き換えに得た情報の真偽、そして《擬竜兵( ドラグーン)計画》の行く末を。それがために命を落とした者たちに代わり、見定める――それが、生き残った自分にできる、たった一つのことなのだ。

 そう心を決め、アルヴィーは待つことにした。

 “その時”を。



 ◇◇◇◇◇



「――例の《擬竜兵ドラグーン》、異常ないか」

「はい、おとなしいものです」

「ならいい」

 たまたま歩いていた廊下で独房に食事を届けに行った部下に出会い、報告を聞いた責任者の騎士は頷いた。何しろ唯一生き残った《擬竜兵( ドラグーン)》だ。レクレウス軍が奪還を企てる恐れがあるため特に注意を怠るなと、上層部からも通達が来ている。

「では、失礼致します」

「ああ」

 部下の騎士は食事を届けた報告のために、食堂の方へと歩いて行く。責任者の騎士もまた、自らの持ち場へと戻って行った。

 ……食堂で報告を済ませた騎士は、さり気なく建物の裏手に回った。そこでやはり、休憩に来ている風体の別の騎士と顔を合わせる。二人は適度な間隔を置いて、並んで壁に背を預けた。

「……接触は?」

「問題ない。この後も予定通りに」

「了解した。――しかし、蒸れるのが難点だな、このマスク」

「だがそのおかげで簡単に潜り込めるんだ、多少の不便は呑み込むしかあるまいよ」

「違いないな。じゃあ、そろそろ持ち場に戻るか」

 常人であれば聞こえないであろう声量で問題なくやり取りを済ませ、先に来ていた方の騎士は建物の中に戻って行く。後から来た騎士も懐から紙煙草を出してそこで一服し、代わりに数枚の紙を煙草の包み紙に挟んで捻ったものをその場に捨てると、何食わぬ顔で口笛など吹きながら持ち場へと戻って行った。

 ――鴉ほどの大きさの鳥が一羽、そこへと舞い下りたのは、彼らが立ち去った直後のことだ。口笛に呼び寄せられた鳥は捨てられた包み紙をくわえ、再び飛び立つ。もう日も落ちたというのに、鳥は正確にある一点を目指して飛んで行った。やがて、チカチカと地上で輝く小さな光を目指して舞い下りる。

 鳥を迎え、そこにいた男はその労をねぎらった。そして使い魔(ファミリア)であった鳥を連れ歩くための鳥籠に入れると、紙煙草の包みを開け、その中に挟まれていた紙の内容に目を走らせる。

「よし、良くやった。――隊長、報告が届きました。すべて問題なく進んでいるそうです」

「そうか。そりゃ結構だ」

 報告を受けた男――レクレウス軍情報部特殊工作部隊小隊長、ブラッド・ルーサムはわずかに頷く。

「向こうに潜り込ませた連中は、疑われちゃいまいな?」

「研究所が開発した《マジック・マスク》は優秀ですよ。相手の血をほんの少し付けるだけで、顔だけですが本当にそっくりに化けられますからね。できるだけ体格の近い騎士を選んですり替わっていますし、本物が見つかりでもしない限り、ばれやしません」

「ちなみに本物は?」

「例の《擬竜兵ドラグーン》の襲撃で廃墟になった建物の一つに隠してあります。事が終わった後に始末して死体をファルレアン側に見つけさせれば、彼らが内通者だと思われるでしょう」

「よし、上出来だ。――後は《擬竜兵( ドラグーン)》のボウヤがおとなしくこっちに戻って来てくれりゃ、万々歳だな」

「そりゃ戻って来るでしょう。あの《擬竜兵( ドラグーン)》はファルレアンに対して並々ならない敵意を持ってるはずです。何しろ、例のギズレ辺境伯の失敗ポカで母親と故郷を失くしてるんですからね。もっとも、元がレクレウス(こっち)の差し金ってのは口が裂けても言えませんが」

 九ヶ月前、レクレウス辺境の小村を襲った悲劇――それは、ダリウス・ヴァン・ギズレ辺境伯に接触した情報部が供与した《エレメントジャマー》の試運転の際に起こったことだった。ダリウスが効果の程を確認するため、隣のオルグレン領との境界近くで《魔の大森林》からの魔物の召喚を試みたが、召喚された魔物に魔法士の一人がパニックを起こして攻撃。本来ならオルグレン領内に向かわせるはずだった魔物が、その攻撃に刺激されてこともあろうにギズレ領側に向かってしまったのだ。事態は立ち会っていた情報部を経てすぐにレクレウス軍上層部に伝えられ、彼らは国内の戦意高揚と共に軍部のさらなる影響力強化を図るため、そして何よりギズレ辺境伯への工作を無駄にしないために、魔物をより隠蔽が容易なレクレウス国内に引き込むことにした。魔物が通る可能性のあるいくつかのルートの内、継戦に否定的な貴族の領地が選ばれ、そこに含まれた辺境の小村は、生贄として魔物たちに差し出されたのだ。その決定を受け、情報部は魔物たちを件の村がある方角に誘導。結果、その村は地図から消えることとなった。

 皮肉にもこの時、《エレメントジャマー》は充分な性能を発揮、アレクサンドラの風精霊における情報網からもこの一件は隠し通された。無論、レクレウス国内にある報告書には、情報部の関与は一切記載されていない。表向きはファルレアンの攻撃の成功を伏せるためなどとして箝口令が敷かれたが、実際のところは、下手にファルレアンに話が伝わって早々に辺境伯の身辺を調べられると、甚だまずかったというわけだ。

「まあ、ファルレアン(むこう)への敵意を植え付けるのにちょうどいいネタではあったがな。――しかし、そんな相手にあっさり捕まったのは少々解せんが」

「もう一人の《擬竜兵( ドラグーン)》と一緒に行動していたようですし、その暴走に巻き込まれて一時行動不能にでもなってたってとこじゃないですかね。監視用の使い魔(ファミリア)も暴走に巻き込まれちまって、肝心のところが分からないのが痛いですが」

 実は《擬竜兵ドラグーン》たちには、データ収集用や監視用の使い魔(ファミリア)が、研究者側や情報部によって密かに付けられていた。もっともその使い魔(ファミリア)たちは軒並み、《擬竜兵( ドラグーン)》たちの暴走に巻き込まれて消し飛んでしまったのだが。ちなみに、アルヴィーの“進化”を掴んで来た使い魔(ファミリア)は、前の使い魔(ファミリア)が全滅したことで急遽飛ばされた二代目だ。

 ふうむ、と頷き、ブラッドは思考を切り替えた。

「まあいい。――《擬竜兵( ドラグーン)》を奪還したら、予定通りレドナ近くの例のポイントへ連れて行くぞ。例のギズレの部下の魔法士たちと、そこで落ち合うことになってる。《擬竜兵( ドラグーン)》の魔力を使って召喚術式を発動、魔物が召喚されたどさくさに乗じて魔法士は始末して、術具と魔動機器、それに《擬竜兵( ドラグーン)》を回収。ギズレ領に残った魔動機器と増幅器も、早い内に回収せんとな。そうすれば情報部おれたちの関与の証拠も消えてファルレアン国内は魔物で大騒ぎ、こっちは任務完了でめでたしめでたしだ」

「了解しました。――ですが、万が一渋った場合は、“あれ”を使っても構いませんか」

「ああ、その程度で参るほどヤワでもないだろう。必要だと思ったら使え。キーワードは分かってるな?」

「はい。では、準備に掛かります」

 部下が敬礼して作戦の準備に掛かる。ブラッドはコキコキと首を鳴らして大きく息をついた。一年以上携わっていた任務も、ようやく先が見えてきたというところか。

(しかし、あの《擬竜兵( ドラグーン)》のガキも哀れなもんだぜ……レクレウス(こっち)へ戻って来たら来たで、研究所の連中に散々弄繰り回された挙句に最前線に放り込まれるんだろうからな。まあ、そもそもそのための《擬竜兵( ドラグーン)》だと言われりゃそれまでだが)

 だがそれも、レクレウス王国の勝利のためだ。軍人である以上、それは受け入れなければならない運命である。

 《擬竜兵ドラグーン》が投入されれば、前線での味方の損害率は大きく低下する。最大多数の幸福のために、あの《擬竜兵( ドラグーン)》の少年には、生きた戦略兵器としての本分を全うして貰わねばならない。幸い――と本人が思うかどうかはともかく、件の《擬竜兵( ドラグーン)》はおそらくレドナの一件で進化を遂げ、さらに強大な力を手に入れていると思われる。戦力としても研究対象としても、レクレウス側はその身柄を絶対に奪還したいのだ。

(失敗したらこりゃ、冗談抜きで物理的に首が飛ぶな……怖え怖え)

 肩を竦め、彼は歩き出した。やるべき仕事はいくらでもあるのだ。少しでも多く情報を集め、操作し、時には自らの手で事実を作り出してでも、祖国の有利に働くように事態を動かす――それが、彼ら情報部特殊工作部隊の任務であるのだから。


 ……だが、情報のエキスパートである彼らも、さすがに知る由はなかった。

 まさにその頃、本国レクレウスの王都レクレガンで、未曽有の大事件が起こっているなどとは――。



 ◇◇◇◇◇



 レクレウス王国王都・レクレガン――その中央部、練兵学校に隣接して建てられた魔導研究所。そこは今、地獄絵図と化していた。

 研究室といわず廊下といわず、倒れ伏す人間の骸。ほとんどが首を掻き切られ、もしくは心臓を貫かれるという形でほぼ即死の状態だった。流れ出した鮮血で壁や床は真っ赤に染まり、昼夜を問わず議論の声や物音に満ちていた空間は、今や玄室のような重い静寂に包まれている。

「――やれやれ、やっと地上が終わりか。さすがに血の臭いがきついなあ」

 そんな重苦しい空気の中そうぼやきながら、唯一の生存者は手にしたサーベルを宙で振るって血を払い、懐から取り出した布で丁寧に刀身を拭う。そして、ココアブラウンの髪と翠緑の瞳の青年――ダンテ・ケイヒルは、自らが作り出した屍山血河の中を平然と歩き始めた。

 最後の部屋を出て、廊下を歩く。そこもまた、彼自身が斬り殺した人々の遺体がそこかしこに転がり、虚ろに見開かれた目を宙に向けていたが、ダンテはそれらをさっくり無視して、きょろきょろと周囲を見回した。しばらくそうしながら廊下を歩き、やがて目当てのものを見つける。

「お、あったあった」

 それは、昇降機エレベーターの扉とパネルだ。だが生憎、ダンテにはその操作方法が分からない。主に聞いた話だと、この研究所の地下は限られた者しか入れない特殊なエリアになっており、出入口はこの昇降機エレベーターしかない上に、操作方法も地下への出入りを許されたごく一部の人間にしか伝えられていないのだ。

 もっとも、操作方法が分からないならそれはそれで、他の方法を試せば良いだけだ。そしてダンテは、ためらわずそうした。

「《シルフォニア》」

 ダンテは再びサーベルを抜き、そう囁く。彼のサーベルもまた、魔剣だった。を《シルフォニア》。数多の人間を斬ったにも関わらず、血の曇りなど微塵も感じさせない銀の輝きを放つその魔剣を、ダンテは無造作に振り抜いた。

 ズバン、といっそ小気味良いほど豪快に、昇降機エレベーターの扉がいくつもの破片となって廊下に散らばる。余人が見ればただ一度剣を振るったようにしか見えなかっただろうが、その極小の時間で実は、ダンテは三度剣を振るっていた。まさしく目にも留まらぬ早業という他ない一撃だが、彼にとってはこの程度は児戯に過ぎない。恐ろしいまでの剣技の持ち主だった。

 いともあっさり昇降機エレベーターの扉を斬り飛ばしたダンテは、その中をひょいと覗き込む。上下に広がる空間の中央を貫くケーブル。乗り込むためのゴンドラは、どうやら地下に下りているらしい。

(ということは、地下に誰か下りてるってことだ。箱を上に上げておけば、多少は誤魔化せたかもしれないのに。まあ、それでも捜し出して殺すけど)

 ダンテはまず、ゴンドラに繋がるケーブルを断ち切った。これで昇降機エレベーターを使うことは不可能となる。そうしておいて、彼はひょいと中の空間に飛び込んだ。一瞬の浮遊感、そして靴底に感じる衝撃。首尾良くゴンドラの天井に下り立ったダンテは、今度は足元をぶった斬って穴を開け、ゴンドラの中に下り立つ。

 そして駄目押しに地下の扉も細切れにして、ダンテは地下の廊下に足を踏み出そうと――。


「――死ねええっ!!」

 その瞬間、魔動銃の一斉射が昇降機エレベーターに向けて撃ち込まれた。


「――危ないなあ。まあ、狙いは悪くないと思うけど」

 ただし、ダンテはその先にいない。いち早く身を躱し、魔力弾はゴンドラの内壁を穿つに留まった。

「ば、馬鹿な……っ!」

 魔動銃を抱えた三人の研究者たちが、信じ難いという顔で呻く。そんな彼らに、ダンテは柔和に微笑すら浮かべながら、

「さて、そういうわけで……そちらこそ死んでください」

「う、うわああああああ!!」

 研究者たちは必死の形相で、魔動銃の引鉄を引き続ける。だが、吐き出される魔力弾は一つたりとてダンテには当たらない。サーベルで弾き、あるいは体捌きで避け、あっという間に彼らに肉薄したかと思うと、サーベルを鋭く一閃。

 ――ギィン!

 甲高い音と共に、魔動銃の銃身が半ばから斬り飛ばされる。そして返す刃で、持ち主は左肩から一気に斬り下ろされて即死した。

「ひっ、ひいいいっ!」

 残る研究者たちが狂乱しながらそちらへ乱射するが、すでにダンテはそこにはいない。返り血すら避けて飛び退くと、先ほど斬り飛ばした魔動銃の銃身を剣先で引っ掛け、生き残りの研究者の片方の顔面目掛けて飛ばす。

「うっ!?」

 思わず顔を庇ったところへ、ダンテの剣がはしった。胴を真一文字に薙ぎ、鮮血が噴き出すより早くその脇を駆け抜ける。

「ああああああああ!?」

 最後の一人はもはや狙いも覚束ない有様で、ダンテに向けてただひたすらに魔力弾をばら撒き続ける。だが、そんな攻撃が通用するはずもなかった。

 ――バシュン!

 たまたまだろうが顔面目掛けて飛んで来た魔力弾をサーベルで斬り捨てると、それで内蔵魔石の魔力が切れたのか銃撃が止んだ。どうやら持ち主は魔法士ではないらしく、投げ付けられる魔動銃本体を軽く躱し、背を向けて逃げ出そうとするその首筋に剣を振るう。

「…………!」

 恐怖と驚愕を表情に貼り付けたまま、最後の一人の首が飛んだ。鮮血を撒き散らしながら倒れる骸をひょいと避け、ダンテはサーベルの血を払って刀身を拭う。主から賜ったこの魔剣は、ダンテにとっては相棒であり宝だ。ゆえに彼は、この剣を常に丁寧に扱うよう心掛けていた。まあ、つい先ほど銃身や魔力弾を斬り飛ばしたりしたのだが、それは戦いの上でのことなので仕方ないと割り切る。

「……さて。これで本当に終わりかな?」

 サーベルを鞘に納め、ダンテは地下の部屋を一つ一つ確認していく。途中、さらに数人の研究者が物陰で小さくなって隠れているのを発見したので、残らずサーベルの錆となって貰った。もっとも、この《シルフォニア》は賜ってからこの方、錆びたことなど一度もないが。

 すべての部屋を確認し、生き残りがいないのを確認したところで、ダンテは髪を掻き上げ左耳に触る。そこには透明な玉石を使ったシンプルなピアス。

「露払いは終わりました、我が君。どうぞおいでください」

 すると、

「ご苦労様です、ダンテ」

 唐突に、彼の眼前に主の姿が現れた。ダンテの報告を受けて転移して来たレティーシャは、惨劇の舞台となったこの場を見ても眉一つ動かさない。あまつさえ、満足げに微笑んだ。

「よくやってくれました。これで邪魔が入ることなく、資料を吟味できますわ」

「恐れ入ります」

 一礼し、ダンテは彼女の斜め後ろに控える。レティーシャは迷うことなく、部屋を回り始めた。室内の資料やサンプルを確認し、必要なものだけを魔法式収納庫ストレージに入れていく。無論、ダンテも手伝い、手分けしての作業だ。

「――《擬竜兵ドラグーン》関連だけで、こんなに資料があるんですね」

「ああ、あなたには今回の研究については、関わらせていませんでしたものね。そもそも、二十二年前に《擬竜兵( ドラグーン)計画》の原案をレクレウスに持ち込んだのは、このわたくしです。持ち込む相手はどこでも良かったのですけれど、ちょうどその頃に、レクレウスが《上位竜( ドラゴン)》を倒したことを聞き及びましたので、好都合だと思いまして。――確かあなたは、身体がまだ本調子でなかったから“あちら”に残っていましたわね」

「申し訳ありません」

「謝ることではありませんわ。不可抗力ですもの。――ここもずいぶん利用させていただきましたけど、やはり“あちら”の施設ラボの方が充実しておりますわね。今までのデータと“例のもの”を手に入れれば、もう用はありません」

「では……」

「ええ、探しましょう。おそらく、この地下のどこかに……」

 レティーシャは廊下を見回す。ダンテはふと思い付いて、昇降機エレベーター前で自身が斬り殺した研究者たちのところへ戻ると、その遺体を検めた。すると、一人の研究者の指に、研究職には似つかわしくない大きな宝石の付いた指輪を見つける。それを抜いて、主のもとへと戻った。

「我が君、これは手掛かりになりませんか。そこの研究者が持っていたものです」

「これは……」

 レティーシャは目をすがめてそれを見つめ、やがて破顔した。

「ダンテ、お手柄ですわ。この指輪には間違いなく、隠蔽と封鎖の解除術式が仕込まれています。おそらく、“例のもの”を置いてある場所への鍵ですわ。よく見つけてくれました」

「勿体無いお言葉です」

 一礼するダンテを従え、レティーシャは指輪をはめて廊下を歩き始める。すると、彼女が近付くにつれ、壁の一部がゆらりと歪み始めた。そして、片方だけで普通のドアの三倍ほどの幅がある、巨大な両開きの扉が現れる。さすがにダンテも目を見張った。

「この扉は……」

「さすがに、ものがものですからこれだけの大きさは必須ですわね。さ、参りましょう」

 レティーシャが扉に手を伸ばすと、扉はわずかに軋みながらゆっくりと両側へ滑って開いていく。二人はその間を潜り、隠し部屋へと足を踏み入れた。

 そこは隠し部屋というにはあまりにも、広大に過ぎる空間だった。広さは三十メイル四方ほど。高さも六、七メイルはあろうか。高さを補うため、部屋は下へ掘り下げられて造られており、扉からは階段が伸びている。

 そしてその部屋の中央には巨大な水盤が設けられ、その中にはこれまた巨大な肉塊がいくつも積み重なっていた。水盤を満たすのは赤黒い液体。水盤の底には魔法陣が描かれているようで、そこから発する光が赤黒い液体を透かして周囲を不吉な色に染めている。

「我が君、あれは……?」

 ダンテの問いに、レティーシャは興奮を隠しきれず頬をわずかに上気させながら、


「やはり、ここにあったのですね……! 《上位竜( ドラゴン)》の血肉……!」


 その言葉に、ダンテも驚きと共に肉塊を見つめる。

「これが《上位竜( ドラゴン)》……?」

「二十二年前、レクレウス軍は動かせる限りの人員、兵器、そして民間からも《剣聖》と謳われる凄腕の剣士を始め、多数の傭兵を募って注ぎ込み、国を襲った《上位竜( ドラゴン)》を倒したそうです。炎を操る火竜だったそうですわ。――そして、角や鱗、爪、骨、内臓などで損失の穴埋めをした後、残った血肉をこうして秘匿したのです。わたくしはその情報を耳にして、《擬竜兵( ドラグーン)》の基本理論を組み上げ、この国――この研究所に持ち込みました。研究所はその理論に強い興味を示し、わたくしを研究員として採用することで取り込みを図ったのですわ」

「そして我が君は、この研究所の設備を利用して研究を進められた……」

「ええ。設備というよりは、《上位竜( ドラゴン)》の血肉をふんだんに使えるという、その一点がこの上なく魅力的でしたから。さすがに、中途加入であるわたくしには、血肉の安置場所はとうとう開示されませんでしたけれど……ともかく、二十二年の時を経て、研究はついに実を結びました」

「《擬竜兵ドラグーン》……あの少年ですね」

「そうです。アルヴィー・ロイ……わたくしでさえ予想できなかった、《擬竜兵( ドラグーン)》の真の成功体。まさか、この段階で安定形態に至る個体が現れるとは思いませんでした。もちろん、まだ予断を許さない状況であることに変わりはありませんが……少なくとも、今日明日に自壊するようなことはないでしょう」

 階段を下りながら、レティーシャはダンテに教え聞かせるように言葉を紡ぐ。

「彼の出現で、わたくしの研究も一つの区切りが付きました。――後は、“あちら”の施設ラボでデータと理論をさらに精査し、磨きを掛けていけば良いでしょう。ですがそのためには、この《上位竜( ドラゴン)》の血肉と《竜玉》が必要不可欠なのです」

「ですが……これだけ巨大な物体となると魔法式収納庫ストレージには入りませんし、長距離転移にも莫大な魔力が必要になります。それに、あの魔法陣も気になりますし……」

「陣については、心配無用ですわ。見たところあの陣は、魔法式収納庫ストレージに使われている技術の大元で、内部に置いたものの時間経過を阻害するよう組まれた魔法陣。おそらく、帝国が滅びた際に流出した技術の一部ですわね。少しアレンジが加えられているようですが、大体の術式に見覚えがありますわ。あのような動かせない陣などより、あれをアイテム化したものをすでに用意してあります。わたくしは錬金術師でもありますのよ?」

 階段を下りきって、レティーシャは魔法式収納庫ストレージから十数本の短杖ワンドのようなものを取り出す。直径一セトメルほどの細い金属棒の頭には、内部に精緻な紋様を刻まれた玉石がそれぞれに取り付けられ、小さな光がちらちらと紋様を辿っているように見えた。

「これを挿せば、あの陣と同じ効果が得られます。ただ、わたくしの力では充分に挿し込めませんの。ダンテ、お願いできますかしら?」

「もちろんです、我が君」

「ではまず、陣を解除致しますわね」

 レティーシャはアイテムをダンテに渡し、魔法式収納庫ストレージからまた別のものを取り出す。それは、銀からそのまま削り出されたような剣だった。こちらも細かく紋様が彫り込まれ、それ自体が一つの芸術品といえるほどに美しい。

 彼女は水盤の傍に立つと、剣を逆手に捧げ持ち、そして力一杯振り下ろした。

 ガキン、と硬質な音。剣の切っ先が水盤の底の魔法陣に届いた。すると剣から光の糸のようなものが湧き出し、魔法陣の線に絡んでいく。糸が絡み付いたところから、魔法陣が明滅し始め、やがて光が消えて沈黙していった。

「ふふ……さすがにこれは、最高難度の術式ですわね。これほど解除に手間取るのは久しぶりですわ」

 だが、光の糸の侵食は止まらない。やがてそれは巨大な魔法陣をすべて食らい尽くし、そしてその光を消し去った。

 大きく息をついて、レティーシャは剣を引き上げる。その剣身にはたったこれだけの時間で、無残にひびが入っていた。

「ミスリルの儀式剣に罅が……」

「正規の手順を踏まずに強引に解除したのですもの、反動リバウンドは当然ですわ。この程度で済むなら安いものです。それより、早くこれを回収してしまいませんと」

 レティーシャは剣を魔法式収納庫ストレージに仕舞い、代わりに透明な立方体キューブを取り出した。これもまた、緻密に彫り込まれた魔法陣が美しい。彼女はそれを水盤の液体に落とし込む――と、まるで潮が引くように、液体はどんどん水位を下げていった。やがて水盤が空になると、彼女は底に残ったキューブを拾い上げる。それは液体と同じく赤黒い色に染まっていた。刻印された魔法陣が稼働して、妖しく輝いている。

「さ、ダンテ」

「はい、我が君」

 ダンテはためらいなく陣の中に踏み入ると、肉塊の上に飛び乗る。そして、主から託された金属棒を、渾身の力で肉塊に突き込んだ。鈍い音と共に、金属棒の八割ほどが肉塊の中に埋まり、頭部の玉石がほのかに光る。しかし肉というにはあまりにも強い手応えに、ダンテはわずかに顔をしかめた。

「っ……さすがに竜の肉。硬いな……」

「それだけ刺されば充分ですわ、ダンテ。次をお願いします」

「はい」

 ダンテは次々と、肉塊に金属棒を挿し込んでいく。一方レティーシャは、魔法式収納庫ストレージから自分の身長よりも長いスタッフを取り出していた。彼女の魔力を吸い上げ、杖に刻まれた紋様が一つ一つ輝き始める。やがて輝きは杖全体に及び、杖の頭にあしらわれた直径十セトメルほどもある黒い水晶球から、紫暗の輝きが迸った。その光は空中に巨大な魔法陣を投影する。

「それは……」

 すべての肉塊に金属棒を挿し込み、再び床に下り立ったダンテが感嘆の声をあげる。虚空に浮かぶ魔法陣を満足げに見上げ、レティーシャはふふふ、と笑った。

「亜空間接続の魔法陣ですわ。あれを転移させるにはさすがに少々距離と質量が大き過ぎますから、わたくしたちが“あちら”に転移してから取り出しましょう」

 レティーシャが杖を一振り。すると魔法陣がゆっくりと下降し、肉塊を呑み込み始めた。やがて魔法陣は、水盤と接触し揺らいで消える。後には、輝きを失った底の魔法陣跡が残るのみ。

「後は、《竜玉》ですわね」

 レティーシャは杖を仕舞って室内を見回し、壁の一部が重厚な扉になっているのに気付いた。大きなハンドル、金属製の重そうな扉。

「これは……扉というか、まるで金庫ですね」

「おそらく《竜玉》はここですわ。――特に魔法的な防御もありませんわね。ダンテ、お願いしますわ」

「仰せのままに、我が君。危ないですから、少しお下がりください」

 ダンテは《シルフォニア》を鞘から抜き、励起。そして一息で、扉の蝶番部分と鍵、両方を斬り落とした。

 ズシン、と重々しい音を立てて、扉が倒れる。もちろんダンテはいち早く飛び退き、主のもとに戻っていた。

「我が君、お怪我は」

「大丈夫ですわ。――やはり、ここにありましたわね。《竜玉》」

 巨大な金庫の中にあったのは、箱が一つ。両手で抱えるほどの大きさだ。

 レティーシャはためらうことなく、その蓋を取り去った。中に鎮座する、人の頭ほどもある、澄んだ暗紅色の玉石。それから感じる膨大な魔力に、彼女は思わず身震いした。

「素晴らしいわ……さすが《上位竜( ドラゴン)》の《竜玉》……」

 惹き付けられるように、彼女の白い繊手が、《竜玉》に触れる――。


「――――!!」

 その瞬間、《竜玉》から噴き出した炎が彼女の右腕を巻き込み、顔から上半身にかけてを舐め上げた。


「――我が君!!」

 ダンテが色を失って叫び、とっさに主を抱えて《竜玉》から引き離した。彼女の手が離れると、炎は幻のように消え去り、《竜玉》は元通り硬質な輝きを放つのみだ。

「……大事ありませんわ、ダンテ……」

 魔法で火を消し、レティーシャはよろめきながらダンテから離れた。だがその姿はとても“大事ない”ようには見えない。顔の右半分から右肩、腕に至るまで焼け爛れ、赤黒く変色している。ダンテも今回ばかりは、彼女の言葉に異を唱えた。

「しかし、我が君……!」

「さすがに《上位竜( ドラゴン)》の《竜玉》、人間風情が触れることは許さないというところですかしら……ふふ、そのような姿になってもまだ矜持は残っておりますのね」

 一瞬にして凄惨な姿になったレティーシャは、しかし痛みなど感じないように微笑する。

「心配は無用です、ダンテ。どの道“あちら”に戻れば、“この身体”は廃棄するつもりでしたから、この程度の損傷は問題ありませんわ。それより、蓋を閉めてください。《竜玉》本体に触れなければ、攻撃もないようですから」

 主にそう言われ、ダンテは指示通りに箱の蓋を閉めた。なるほど彼女の言う通り、本体にさえ触れなければ問題はないようだ。箱ごと金庫の外に運び出しても、何も起こらなかった。

「その程度の大きさなら魔法式収納庫ストレージに入りますわね。ひとまずあなたの魔法式収納庫ストレージにお願いします」

「畏まりました」

 ダンテが《竜玉》を箱ごと魔法式収納庫ストレージに仕舞うと、レティーシャは小さな結晶を取り出す。魔法騎士たちと相対した時にも使ったものと似た、転移と探知妨害の術式を封じ込めた結晶だ。だが、大きさは一回りほど大きい。彼女が魔法と錬金術を用いて作り上げたそれは、予め指定したポイントへ転移するためのものだった。使い捨てではなく、転移先は常に一定だが、距離に応じて魔力の消費量が変動する。

「さあ、戻りましょう、ダンテ」

「……仰せのままに」

 未だ案じるような目を向けるレティーシャの騎士に、彼女は身を預けて術式を発動させる。二人の姿は掻き消え、後には重苦しい静寂だけが残った。


 この事件はすぐに発覚したが、国内の動揺と前線に与える影響を恐れ、国王と軍上層部により関係者への箝口令が敷かれた。王都ですら、市民の大多数は事件を知ることなく、まだ遠い戦線のことをどこか他人事のように思いながら日々の生活を過ごしている。

 だが、魔動機器の開発を一手に担う研究者たちが皆殺しにされたこの一件で、レクレウス王国の国力がさらに削ぎ落とされることは疑う余地もない。軍部は秘密裏ながら血眼になって犯人探しに明け暮れたが、その痕跡は杳として掴めず、いたずらに時間だけが過ぎていくのだった。


 そして――両国は、その日を迎える。



 ◇◇◇◇◇



 その日、アルヴィーはいつものように尋問を終え、独房に戻されていた。

(もう時間もよく分かんねーな……尋問終わったし、多分夕方辺りだとは思うんだけど)

 レドナ侵攻の経緯や部隊編成については、もうアルヴィーから取れる情報はさほどないと見切りを付けたのだろう。尋問の内容は《擬竜兵( ドラグーン)》そのもののことにシフトしてきていた。どうやら、指揮所から持ち帰った資料は甚だ不十分なものだったらしい。そして現場にあった遺体の身元も調べられ、アルヴィーも照合を求められた。アルヴィーも大して詳しかったわけではないが――その中にシア・ノルリッツの名前がないことだけは確かだった。

(でも、シアが何のために、指揮所の人間を皆殺しになんかするんだ……?)

 彼女はアルヴィーたち《擬竜兵( ドラグーン)》の管理を担当していた研究者だ。“管理”といっても、彼らの行動を何から何まで逐一制限していたわけではない。むしろ彼女は、母親のように彼らに接していた。飴と鞭の“飴”を担当していたというのが正しいだろう。だがそうと分かってはいても、《擬竜兵( ドラグーン)》たちは他の研究者たちに比べ、彼女には警戒を緩めていた。アルヴィーも例外ではない。

 だからそんな彼女がこのような凶行に至った理由が、どうしても想像できなかった。

(指揮所には、レドナ侵攻の直前に俺たちから取ったデータなんかもあったはずだ。なのにここの騎士は、それについてもほとんど知らないみたいだった……シアが、全部持って行ったのか……?)

 そんなことを考えていると、靴音が聞こえてきた。音は独房の前で止まり、鍵が開けられる。

「出ろ」

 ドアを開けて促すいつもの騎士たちに、アルヴィーは目を瞬いた。

「……もう尋問は終わっただろ?」

「別件だ」

「別件って何だよ……」

 とはいえ、呼び出しというなら無視するわけにもいかない。自分一人が咎められるならともかく、ここの責任者は自分とルシエルの関係を知っている。下手な言動のせいでルシエルにまで影響が行ったら取り返しがつかない。

 アルヴィーは腰掛けていたベッドから立ち上がり、騎士たちに伴われて独房を出た。

 だが――歩き出してすぐ、アルヴィーは違和感に気付いた。

「なあ……いつもと道違わないか?」

「問題ない」

「いやあるだろ」

「我らは《山猫》だ」

 その言葉に、アルヴィーは弾かれたように騎士たち――否、レクレウス軍情報部の男たちを見る。

「いつの間に……初めから入れ替わってたのか?」

「君が思う以上に我が軍の技術は優秀だぞ?――さあ、ここから外へ」

 目立たず外へ出られるルートを予め確保していたのだろう、迷わず一階へ上がり、男の一人が建物の裏手に当たる窓を開ける。だがアルヴィーは、わずかに後ずさった。


 ――レクレウス軍はきっと、これからもアルを利用する。都合のいい兵器として――。

 ――君の戦友みたいな人たちが、今以上に生み出されることになるかもしれないんだ――。

 ――そいつらが、《擬竜兵おまえ》のファルレアンへの敵意を煽るために虚偽の情報を吹き込んだ……その可能性がないと、どうして言える?


 ルシエルたちに言われた言葉が、頭の中を駆け巡る。

(俺は今まで、軍部の言うことをそのまま信じてきた……でも今は、自分で考えなくちゃいけないんだ!)

 人を超えた力を手に入れてしまった者として――それでも、人であり続けるために。

「……あんたたちはっ」

 情報部の男たちを見据えて、アルヴィーは問う。自身が立つべき場所を、見極めるために。

「《擬竜兵おれ》を本国へ連れ帰って、どうする気だ!? 俺のデータを使ってまた、誰かを新しい《擬竜兵( ドラグーン)》にするのか!?」

「当然だろう。君は自分がどれだけ貴重な存在か、分かっているのか? 唯一生き残り、その上進化まで成し遂げた《擬竜兵( ドラグーン)》を、そのまま捨て置けるはずがないだろう。祖国のためにその力を存分に揮い、できる限り多くのデータを提供する――それが、“成功体”の陰で死んでいった者たちへ報いることとなるのだ!」

「…………っ!」

 脳裏に蘇る、あの施術の時の凄惨な光景。アルヴィー以外誰一人として生きて出ることが叶わなかった、あの地下室での惨劇。

 そして、炎の中で狂乱したメリエ。自分の腕の中で人の形すら残らず崩れ去っていった、マクセルの最期――。


 彼らのような存在を、再び生み出す。

 それが、彼らに報いること?


 その瞬間、アルヴィーの心は決まった。


「……嫌だ」

「何?」

「あんな――あんな風に死ぬ人間を、これ以上増やすようなこと、絶対に嫌だ!」

「そんな我が儘が許されると思っているのか!? この《擬竜兵( ドラグーン)計画》には我が国の威信が掛かって――」

「その計画とやらで、味方が今までに何人死んだと思ってるんだ!」

「この――!」

 業を煮やしたように、男たちがアルヴィーに掴み掛かって来る。その時。


「――何をしてる!?」

 鋭い声が、その場の空気を切り裂いた。


「……っ、あんた! 確かルシィの上官のとこの……!」

 飛び退りながら、アルヴィーはその人物を認める。ジェラルドの傍に控えていた魔法騎士の一人――確かセリオといったか。彼は騎士姿の男たちに鋭い目を向ける。

「どういうことだ!? 今日はもう尋問の予定はない! 何で勝手に彼を外に出してる!?」

「違う! こいつら騎士じゃない! いつの間にかすり替わって――」

「――なるほど、そういうことか……!」

 アルヴィーの声に、彼はすぐさま状況を理解したらしく、すぐに駆け寄りながら魔法式収納庫ストレージから短杖ワンドを取り出した。

「とりあえず事情は後で訊くよ! 戒めろ、《雷痺縛鎖パラライズチェーン》!」

 詠唱と共に男たちの眼前に魔法陣が浮かび上がり、半透明の鎖が噴き出す。対象を捕らえて電撃を食らわせ、行動の自由を奪うというなかなかえげつない捕縛用の魔法だ。だが男たちはいずれも、素早く飛び退って魔法の鎖を躱した。

 だがセリオの方も、端からこれで捕らえられるとは思っていない。むしろ牽制のために放ったようなものだ。真の目的は、男たちが魔法を躱している間に、《伝令メッセンジャー》の魔法で応援を呼ぶことだった。

「【緊急、一階北廊下で敵性存在と遭遇、応戦中】! 伝えよ、《伝令メッセンジャー》!」

 放った声は白い小鳥となり、廊下を飛び去って行く。セリオは敵とのちょうど中間地点に立つアルヴィーに手を差し伸べた。

「こっちだ!」

「あ、ああ――」

 アルヴィーは一度情報部の男たちを振り返り、そして振り切るようにセリオの方へと駆け出す。

 だが――。


「――行かせん! 《ウルニアスの鎖よ、戒めろ》!」


 男の一人が叫んだ瞬間、アルヴィーが着けた認識票ドックタグの鎖が輝いたかと思うと、ひとりでにアルヴィーの首に絡み付き、強く締め上げ始めた!

「かはっ――!」

 息が詰まり、足がもつれて倒れる。ぎりぎりと食い込んでくる鎖を引き剥がそうと、左手で必死に鎖を掴もうとするが、上手く掴めない。

「な……殺す気なのか!?」

 駆け寄ろうとするセリオだったが、男たちは魔法式収納庫ストレージから魔動銃を取り出して魔力弾をばら撒き始める。やむなく障壁を張り、身を守るセリオ。両者の間にいたアルヴィーにも流れ弾が当たるが、持ち前の超回復力で傷付く傍から治癒していく。だが当の本人は、それどころではなかった。

「……っく、あ……!」

 息が吸い込めず、アルヴィーはもがく。頭がぼうっと霞み、視野が急速に狭くなる。ざわり、と右腕が震え、肩の辺りから何かが首筋まで這い上がってくる感覚をかすかに感じた。


「――アル!!」


 その時聞こえた声に、霞みかけていたアルヴィーの意識が一瞬だけ覚醒した。

「……ル、シィ」

 だが――次の瞬間、目の前がすうっと暗くなる。落ちる、そう思ったのも一瞬で、彼の意識は闇に落ちた。

 ぐったりと動かなくなったアルヴィーを、男たちの一人が抱え上げる。もう一人は引き続き魔動銃で弾幕を張って牽制しながら、アルヴィーを連れた男が逃げる時間を稼ごうとしていた。

「アルを放せ!」

 《伝令メッセンジャー》を飛ばした時にちょうど居合わせたのか、ジェラルドやパトリシアと共に駆け付けて来たルシエルが、愛剣《イグネイア》を抜剣し風を纏わせる。

「斬り裂け――《風刃エアブレイド》!」

 セリオの障壁の脇から飛び出しながら、ルシエルが放った風の刃が、魔力弾とぶつかり合い相殺して弾け飛んだ。だが、弾幕は途切れない。内蔵魔石の魔力をすべて使い尽くさんばかりの勢いで、男は魔動銃の引鉄を引き続ける。

「なら――はしれ、《雷鞭サンダーウィップ》!」

 ルシエルが《イグネイア》を振るうと、剣先から伸びた稲妻が鞭のようにしなり、不規則な軌道を描いて男へと向かっていく。男は慌ててそちらへと魔動銃の銃口を向けた。

「こっちがお留守だぜ! 薙ぎ払え、《烈風重刃バーストブレイド》!」

 そこへ、同じくセリオの脇をすり抜けてジェラルドが《オプシディア》を振るう。振り抜かれた軌跡が《風刃エアブレイド》をも遥かに凌ぐ爆風となり、男が放つ魔力弾ごと彼を吹き飛ばした。

「がはッ――!」

 風であるはずなのに、まるで巨大な斧か何かで横薙ぎにされるような衝撃を食らい、男は吹っ飛びながら呻く。だが彼が文字通り身体を張って稼いだその時間で、もう一人は窓からアルヴィーを放り出し、自分も窓枠を乗り越えて脱出を果たしていた。

「彼はわたしが!」

 パトリシアも手近な窓を開けて身軽に外に飛び出す。男はアルヴィーを再び抱え上げ、逃走を始めた。その時、非常警報アラートが響き渡る。さすがにこれだけの騒ぎとなると、気付かれない道理はない。

 周囲にいた騎士たちが集まって来る――だがその時、空から二頭の天馬ペガサスが舞い下りて来た。その背には覆面で顔を隠した人間がそれぞれ跨り、魔法式収納庫ストレージから取り出したいくつもの小さな塊を無造作に地上へと放り投げる。

 ――閃光、そして轟音。

 塊は地面にバウンドした瞬間爆発し、爆風と飛び散った飛礫が騎士たちに襲い掛かった。

「くっ――!」

 パトリシアもさすがに足を止め、魔法障壁で身を守らざるを得なかった。その隙に、アルヴィーを抱えていた男が足を止め、アルヴィーを上空へ放り投げる。投げ上げられたアルヴィーの身体を、爆発の中地上すれすれにまで降下して来た天馬ペガサスの乗り手が見事キャッチした。乗り手は身体強化魔法を使っているのだろう、小揺るぎもせずに片手で彼を抱え、もう片手で見事に手綱を操ってその場を離脱する。もう一騎も置き土産とばかりに爆弾をばら撒き、その後に続いた。

「――待て!」

 追い付いて来たルシエルが、《イグネイア》を振るう。放たれた風の刃は、だが天馬ペガサスの乗り手の手綱捌きにより躱された。天馬ペガサスはそのまま、市街地上空を横切って壁の向こうへと消えていく。追おうとしたルシエルは、だがばら撒かれた爆弾の炸裂に、風の刃で相殺しながら飛び退るしかなかった。

「くそっ……みすみす連れて行かれるなんて……!」

 ルシエルはぎり、と愛剣の柄を握り締め、天馬ペガサスが消えた夕空を睨んだ。アルヴィーを拉致した男たち、そして彼を守れなかった自分への怒りが、身体の中を駆け巡る。そして、はっと気付いた。

「そうだ――もう一人の方は!」

 だが、彼に先んじて倒れた男の傍に屈み込んでいたパトリシアが、顔を上げてかぶりを振った。小型爆弾が炸裂する只中へ取り残された男は、すでに息絶えていたのだ。

「おそらく、逃げ切れない時は自害するつもりだったんだわ……見て。スティレットで見事に心臓を一突き」

 男は自らの胸に細い刃物を突き立て、自害していた。あの爆発の中だ。隙はいくらでもあっただろう。

「どうやら《擬竜兵かれ》はレクレウス軍にとって、よほど重要な存在のようね。これだけの物資を注ぎ込んだ上に、命まで賭すなんて……」

「二人とも! 大丈夫ですか!?」

 セリオがこちらも窓から出たのだろう、建物の方から駆け寄って来た。その後ろにはジェラルド、そしてルシエルの部下たちの姿もある。

「隊長、そちらで仕留めた男は――」

 パトリシアの問いに、ジェラルドは肩を竦めた。

「身動き取れなくしたはずだったんだがな。袖口にスティレットを隠し持ってやがった。そいつで自分をグサリ、だ」

「そちらもですか……申し訳ありません、こちらも自害されました。どうやら予め、外に仲間を待たせていたようです。天馬ペガサスに乗った新手が二人、小型爆弾で男たちを援護し、アルヴィー・ロイの身柄を受け取って街の外に逃亡しました。――それにしても、この二人、確かここに駐留している西方騎士団の……」

 パトリシアの報告に、ジェラルドはふむ、と頷く。

「ああ、その件だが。中で自害した方、妙なマスク被ってやがった。下の顔はまったくの他人だぜ。多分、予め入れ替わってたんだろうよ。いつからかまでは分からんが」

「それより! 早くアルを助けないと――」

 焦って割って入ったルシエルを、セリオが制した。手にした布切れのようなものを、ルシエルの眼前に差し出す。

「……これは?」

「彼の右腕を封じてた封印具です。あの鎖で首を絞められた時に、弾け飛びました。その後、首の辺りまで鱗みたいなのが侵食してましたから、多分命の危険を感じて無意識に右腕の力を解放したんじゃないでしょうか。――とにかく、この封印具は彼が今まで身に着けてたものですし、《擬竜兵( ドラグーン)》の魔力は馬鹿みたいに大きいですから。僕の使い魔(ファミリア)で追えます」

「よし、そっちは任せる。こっちは奪還部隊の編制だ。入れ代わられた騎士も捜さにゃならんしな。三十分――いや、十五分で出るぞ。第一二一魔法騎士小隊、準備はいいな?」

「――っ、はい!」

 ジェラルドの言葉に、ルシエルは大きく頷く。彼が“万が一”――例えば、アルヴィーの暴走――に備えて自分を奪還部隊に入れたのは薄々感付いていた。それでも、アルヴィーを救う機会を与えられたのは彼にとって僥倖だった。

(アル、待っていて。絶対に助ける)

 アルヴィーが連れ去られた方角を一度だけ振り返り、ルシエルは足どりを早めて、出撃の指示を伝えるため部下たちの方へと戻って行った。

 今度こそ、この手で彼を守るために。


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