第77話 送り火
ポルトーア砦で生者と死者の戦闘が繰り広げられていた、まさにその頃。
ルシエルはいつもの空き家となった元子爵邸で、ローブの人物と向かい合っていた。
「――まずは受勲の件、めでたいことだ」
「ありがとうございます」
「だが……一番の手柄を立てた人間が、どうにも不当に評価されておるようだな」
「……はい」
ルシエルが頷くと、得たりとばかりに身を乗り出し、
「やはり貴殿もそう思うか。これが《女王派》のやり口だ。あれだけの手柄を立てながらあのように冷遇されては、彼もほとほと嫌気が差したであろうな」
フードの下で、その口元が笑っているのが見えた気がして、ルシエルは不快感を抑えながらにこやかな表情を作ってみせた。
「アルは富や名誉なんかには興味がないので、今回のこともあまり気にしていないんですが、それに付け込むようなことは確かに、止めて貰いたいものですね」
「ほう……ま、《下位竜》の素材を惜しげもなく献上してしまうくらいだ、確かに金には恬淡としておるのだろうな」
そちらの方面からアルヴィーを取り込むのは難しいと見たのだろう、ローブの人物はそれ以上の言及を止めた。
「――それはそうと、一つ、よろしいですか」
そこへルシエルは揺さぶりを掛けるべく、話を切り出す。
「ふむ、どういった話かな?」
あくまで余裕の態度を崩さないローブの人物に、ルシエルはズバリと切り込んだ。
「僕の異母兄が起こした、例の魔剣騒ぎですが。――騎士団が相当調べを進めているようです」
「何……!?」
目深に被ったフードに隠されていても、その顔色が変わったのが分かるような声音だった。
「それはまことか」
「はい。どうやら、あの剣を盗んだ実行犯の盗賊も見つけ出したようです。僕は当事者に準ずると看做されて、あまりそちらの案件には関われていませんが、同じ騎士団、情報はそれなりに入って来ます」
「何と、そこまでか」
表情が分からないので断定はできないが、ローブの人物は本当に驚いているように、ルシエルには感じられた。
(……もしかしたら、彼は大まかな指示を出しただけで、細部の画を描いたのは別の人間なのかもしれない。例えばあの付き人の裁量に、こちらが思った以上の部分が任せられていたのかも)
そんなことを考えていると、
「……すまぬが、今日はこのくらいにしておこう。少しばかり用を思い出した」
ローブの人物がそう言って立ち上がる。もちろん、ルシエルに否やはなかった。ローブの人物を見送り、入れ替わりに部屋に入って来た連絡役の男に、ルシエルは世間話の体でひそりと話しかける。
「そういえば、例の魔剣を盗んだ盗賊、騎士団に目を付けられているようだぞ」
「…………!」
その顔がこわばったのを見て取り、駄目押しとばかりに言葉を継ぐ。
「気を付けた方が良い。ああいった裏社会に半分足を突っ込んだような連中は、依頼人がいくら自分の素性を隠しても、驚くくらいに鋭く嗅ぎ付けるものだ」
「……ご忠告、有難う存じます」
丁寧に頭を下げ、男はルシエルをいつものように馬車に招じ入れ、適当な地点で降ろした。そのまま走り去る馬車が見えなくなったのを確かめ、ルシエルは魔法式収納庫から取り出した紙に何事か書き付けると、折り畳んで細く巻き、小さな筒に納める。そして頭上に手を差し伸べると、それを目掛けて三つ目の小鳥が舞い下りて来た。セリオの使い魔である《スニーク》だ。
「よし、良い子だ。少しおとなしくしていてくれよ」
ルシエルは《スニーク》の片足に先ほどの筒を取り付ける。これは鳥などに文書を運ばせるために使われる通信筒だ。《スニーク》は言われた通りおとなしくそれを受け入れ、ルシエルが手を上げるのに合わせるように飛び立つと、王城の方角へと消えていった。
(さて……連絡はこれで良い)
《スニーク》を見送ると、彼は少し考えて街の方へと歩き出した。
――言うまでもなく、先ほどの景気の良い情報漏洩は上司公認である。ルシエルの役目は、相手方の切り崩しだった。
捜査の手が思った以上に自分たちの近くまで伸びていると気付けば、相手も何とか自分たちに繋がる糸を切ろうとする。今回の場合その“糸”は、剣を盗んだ盗賊だ。
(盗賊の周辺は小隊二つで密かに固めてある。そこへ手を出してくるなら好都合だ)
誰かが網に掛かればそれで良し、掛からなくとも圧力は掛けられたはずだ。そこから崩れてくれればしめたものである。
まあ、ここから先は相手の出方次第なので、ルシエルの仕事はひとまずここまで。報告も――使い魔経由ではあるが――済ませたし、差し当たって急ぐ用はなかった。勤務も終わっているので、後は帰宅するだけだ。
(……レディ・ティタニアに贈るものを、何か見繕うか)
そう考え付いて、ルシエルはそういった類のものを扱う店が軒を連ねる通りへと足を伸ばすことにした。
行き付く先は紛うことなき政略結婚ではあったが、別段他に心に決めた相手がいるでもなし、婚約者となったティタニア・ヴァン・メルファーレンに対して不満などもない。そもそも貴族にとって、結婚も家同士を繋ぐという義務の一環である。家督になど縁のない三男坊だった頃ならまだしも、家を継ぐことが確定した身である以上、その義務を放棄することも憚られた。
だが、結び付き方が政略結婚であろうとも、彼女との関係を良いものとする努力を惜しむ理由もない。
そのために彼女に何を贈ろうかと、ルシエルは傍からすれば贅沢な難問に頭を悩ませ始めた。
◇◇◇◇◇
砦の方角から聞こえてきた咆哮に、アルヴィーは目をすがめた。
「……何だ、あれ。魔物でもいたのか?」
『気を抜くな、主殿。あちらの方角で、それなりの規模の魔法が発動したぞ』
「魔法?――死霊術か!?」
返ると思わなかったアルマヴルカンの答えに、アルヴィーがはっとする。
その時だった。
「――あ、あれはっ……!?」
物見役のリシュアーヌ兵が、砦の方に双眼鏡を向けたまま、呻くような声をあげる。
「どうした!?」
指揮官の鋭い声に、彼は震える声で答えた。
「と、砦に巨大な影が……ま、魔物と思われます……!」
「何っ!?」
全員の目が砦の方向に向けられた、その瞬間。
“それ”は姿を現した。
「――あ、あれは……まさか……!」
もはや用をなさないほどに破壊された砦の門と壁を、さらに完膚なきまでに蹴り壊して現れた“それ”は、人間とは比べ物にならないほど巨大だった。そのまま地響きのごとき足音と共にこちらに向かって来る“それ”の正体を、兵士の一人が裏返った声で絶叫する。
「嘘だろ!? 何でベヒモスが出て来るんだよ!?」
それはアルヴィーも見覚えのある魔物、ベヒモスだった。といっても、今までにアルヴィーが倒してきたものたちに比べれば小柄な方だ。おそらくは、成長しきる前の若い個体なのだろう。
だがそんな呑気なことを考えていられたのは、その場では彼だけのようだった。
「ひいっ、む、無理だ! あんなもん、どうにかできるわけない……!」
「逃げろっ! 撤退だあっ!」
「ま、待て! 落ち着くんだ!」
パニックに陥った兵士たちを、まだしも冷静さを残していた指揮官が何とか落ち着かせようとするが、大して効果は見られなかった。何しろ、生半可な攻撃など微風ほどにも堪えない相手だ。頼みの綱の魔動兵装も、ベヒモスの強靭な外皮にはほとんど通用しないことを、彼らは知っている。
だが――。
「《竜の咆哮》」
騒ぎを無視してアルヴィーが撃ち放った光芒が、こちらへと突き進んで来るベヒモスの頭部を捉え、爆音と共にその大部分をあっさり吹き飛ばした。
「……何か、生きてる時より脆いな?」
『死体だからな』
「まあそうか」
端的にして明快な説明に、アルヴィーも納得する。兵士たちの顔が喜色に溢れたが、それはすぐに絶望に塗り替えられた。
「ば、馬鹿な……!」
頭部を半分以上失ったベヒモスが、しかしそれを何とも感じていないように、再び歩みを進め始めたのだ。そのグロテスクな光景に、兵士たちは恐慌状態に陥り、アルヴィーはげんなりと顔をしかめた。
「……気色悪いな」
『仕方あるまい。死体だからな』
「それはもういい……」
がくりと肩を落として、アルヴィーはため息をつく。右腕を伸ばした。
「……とりあえず、動けなくなるまで吹っ飛ばせばいいよな?」
その右手から再び、《竜の咆哮》が撃ち放たれた。
やることは魔動巨人の時と同じ、ただひたすらに力押しだ。《竜の咆哮》の連射がベヒモスの足を薙ぎ、半身を削ぎ、胴体を貫く。続けざまに超高温に曝されれば、死してなお強靭な体躯を持つベヒモスといえども耐え切れず、その骸が発火して爆発的に燃え上がり始めた。
「おおっ」
「さ、さすが……!」
燃え盛りながら崩れ落ちたベヒモスに、今度こそ歓声が弾ける。アルヴィーは息をついて右腕を下ろし、そして漂ってくる異臭に眉を寄せた。魔物の骸だからというわけでもないだろうが、人間の骸のそれとはまた違う異臭だ。とりあえず、こんな動く死体しか出て来ない戦場に、フラムを連れて来なくて正解だったと思うアルヴィーだった。ちなみにフラムは、後方に下がって怪我の治療を受けている兵士たちに預けてある。このところ味方以外は死体しか見ていなかったということで、心和む小動物の派遣はとても歓迎された。
「……もう後続はないよな?」
「はっ、見た限り砦に変化はありません!」
呟いたのを聞き付けたのか、兵士が双眼鏡で砦の様子を確かめ、そう声を張り上げる。その時、アルマヴルカンの声がアルヴィーの耳を打った。
『――主殿、来るぞ! 砦からだ!』
疑問に思う間もなく、アルヴィーは反射的に《竜の障壁》を展開する。そして次の瞬間、砦の方角から発射された一条の光芒が、《竜の障壁》に激突して爆炎を巻き起こした。
「なっ、こ、これはっ!?」
「ひいっ!?」
うろたえる兵士たちが口々に叫ぶ中、アルヴィーは右腕の《竜爪》を伸ばす。嫌な予感しかしない。
果たして。
「――せー、のっ!!」
「……っ!」
頭上に影が差したと認識するが早いか、アルヴィーはとっさに《竜爪》を掲げる。ほぼ同時に、この場には不似合いなほどの軽い掛け声と、それと反比例するような重い一撃が、彼の頭上から急襲した。
竜の鱗同士を打ち合わせた、鋭くも澄みきった音が辺りに響き渡る。常人ならば膝が砕けていたであろう一撃を受け止め、力任せに弾き返すと、アルヴィーはその主を鋭く見据えた。
弾き飛ばされた方は、だが宙で身軽に一転し、猫のようにしなやかな身ごなしで地面に下り立つ。
「やっほー、アルヴィー。来たよっ」
満面の笑みでひらひらと右手を振る彼女――メリエ・グランは、だがその笑みのままで、《竜爪》を伸ばした左腕を振りかぶった。
「……とりあえず、そいつら邪魔だからやっちゃうね?」
「! 下がれ!」
アルヴィーが《竜の障壁》を展開するとほぼ同時、メリエの放った《竜の咆哮》が空を薙ぐ。
――爆音と閃光、そして灼熱の炎が、一瞬にして辺りを包み込んだ。
◇◇◇◇◇
その男は、主にヴィペルラート国内で活動していた暗殺者だった。
国内の裏社会では剣の使い手としても、そこそこ知られた男だ。《灰狐》の通り名を持つ彼は、その噂を聞き付けたとあるレクレウス貴族の誘いを受け、現在国境を越えて密かにレクレウス国内に入っていた。
(大貴族で高位元素魔法士ということだったが……そういう相手を首尾良く仕留めれば、俺の名前にもますます箔が付く)
今はまだ、彼はヴィペルラートの裏社会でこそそれなりに知られてはいるが、国を股に掛けるほどの“大物”ではない。しかし今回の仕事を上手く果たせば、レクレウスの貴族に繋がりができることになるのだ。
《灰狐》は期待に胸を膨らませながら、依頼人から指示のあった場所に向かった。
そこはレクレウスとヴィペルラートの国境近くにある、小さな町だ。現在そこは、元王女でもある女性公爵が訪れているということで、警備も厳しかったが住民たちはそれなりに沸き立っていた。何といっても、件の女性公爵が若い美人だというのが大きな理由だろう。町中は彼女の話で持ちきりで、《灰狐》は近隣の村からやって来た行商人という体で町に入り込むと、人々の話から情報を集めた。もちろん、標的である彼女の素性や能力などの情報は依頼人から受け取っているのだが、現在の状況などは現地で聞き込むしかない。
それによると、彼女は現在若干名の護衛を連れて行動しており、北の領地に戻る途上で、休息を兼ねて町の視察をしているそうだ。ヴィペルラートの侵攻を防ぐために大急ぎで街道を封鎖して回ったが、戻りはそれほど急ぐ旅でもないため、普段は見られない南部から西部にかけての辺境の暮らしぶりを見たいと、公爵その人が望んだという。
「ふん……となると、移動中が絶好の機会というわけか」
「しかし、護衛が周囲を固めているのでは」
「町の警備は領主が付けたもので仰々しいが、公爵本人が連れた護衛はさほど多くない。行きが急ぎだったせいで移動の効率を求めたんだろうが、失敗したな」
「なるほど」
依頼人の貴族から付けられた、補佐のための人間たちにしたり顔で説明し、《灰狐》は一行に潜り込む算段を考え始める。
(……幸い、公爵の身辺を護衛する近衛兵は、揃いの鎧と兜を支給されていて、体格が似た人間なら入れ替わってもばれ難い。それを狙うのが一番確実か)
そう結論付けた《灰狐》はまず、宿に戻って来た公爵一行を見張った。そして護衛たちが休息に入ったのを見計らうと、その内の一人が酒場に入ったのを良いことに、上手く同じ店に入り込んで護衛を酒と薬の力で潰し、装備一式を手に入れてまんまと入れ替わったのだ。
本来の護衛は補佐の人間たちに始末を任せ、《灰狐》は何食わぬ顔(兜で顔は隠れるが)で公爵一行に潜り込む。そうとは露知らず、公爵一行は行程に関する簡単な打ち合わせを済ませた後、次の町に向かうために出発した。
途中、天馬を休ませるために、一行は山中のちょっとした草原に下り立つ。周囲に魔物除けの魔法陣を構築し、魔法を使える人間が水を作り出して、天馬に水を飲ませ草を食ませた。乗り手の人間の方も、緑の匂いの濃い高原の爽やかな空気を堪能する。
「――北とはまた趣が違うが、悪くないな」
ユフレイア・アシェル・オルロワナ公爵が満足げに目を細めた。天馬に乗るのに便利なため戦装束のままだが、華やかな意匠の白い上着の裾が風に翻り、まことに絵になる。
……その彼女を密かに狙い、《灰狐》は目立たぬよう努めてさり気なく、撹乱用のアイテムを取り出した。衝撃を与えると光と大量の煙を出すもので、ユフレイアと他の護衛たちの動きを制限するのが目的だ。
(護衛たちが混乱している間に、公爵を一撃で仕留める……魔法を使う隙さえ与えなければ、高位元素魔法士といえど普通の女と変わるまい。仕留めさえすれば、後は逃げるだけだ)
さらに万全を期し、《灰狐》は二重三重に策を巡らせてある。たとえば、使用する剣には予め毒を仕込んであった。彼は剣士ではあるが、剣に誇りを持っているわけではない。暗殺者である以上、標的を確実に仕留めるのが第一であり、剣の腕はあくまでもそれを果たすためのものに過ぎないのだ。ゆえに剣に毒を仕込むという、剣にすべてを懸ける人間であれば外道と罵るようなことも、彼は躊躇なく行う。
そして、事前の打ち合わせで知ったこの休憩場所に、補佐の人間たちを急行させていた。彼らは魔動銃を携帯してすでにこの周囲に潜んでおり、《灰狐》が公爵を仕留めると同時に、周囲の護衛たちを掃討する手筈となっている。
《灰狐》は慎重に、護衛たちの緊張が解れてくる瞬間を見定め――動いた。
(……今だ!)
《灰狐》が投げたアイテムが護衛たちのど真ん中で炸裂し、閃光と煙を噴き上げる。
「うわっ」
「な、何だこれは!」
慌てふためく声が聞こえる中、《灰狐》は素早く剣を抜き放ちざま地を蹴る。ユフレイアの位置は頭に叩き込んであった。ぎりぎりまで目を細め、煙の中に躍り込むと、白い人影に向かって剣を振り抜く!
(……殺った!)
そう脳裏によぎった、まさにその瞬間。
――キィン、と空気を貫く甲高い音。
《灰狐》が放った必殺の一撃は、突如突き込まれたもう一振りの剣によって、辛くも受け止められていた。
「やっと仕掛けて来たか。待ちくたびれた」
その剣を握るのは、周囲の護衛の一人だった。兜を被っているため顔は良く見えないが、声からするとまだ年若い。こんな若造が――と信じられない思いで、《灰狐》は跳び退く。
「……年に似合わず、やるようだ。が……」
《灰狐》は相手に見えないように、周囲に控える味方に合図を出す――と、護衛の青年が鋭い声をあげた。
「妖精、近くにいるんだろ! 姫様を守れ!」
すると、
『言われずとも』
『ユフィ、さがって』
「何、どうして――」
思いがけない展開にユフレイアが戸惑っている間に、彼女の周囲に土の壁がそそり立つ。しかしそれよりも、護衛の青年の声に、ユフレイアは聞き覚えがあった。
「待ってくれ! まさか――!」
だが土壁に遮られ、彼のもとへは辿り着けない。ユフレイアはもどかしさに、土壁に拳を叩き付けた。
その向こう側で、青年――フィランは邪魔な兜を脱ぎ捨て、改めて剣を構える。
「すり替わったのはさっきの町辺りか? まあ、そっちは俺の仕事じゃないけど。あんたもそうだけど、周りの連中、殺気隠すのあんまり上手くないね」
「……貴様、何者だ」
「見れば分かるだろ? 姫様――じゃないか今は。公爵様の護衛だよ」
まあ“依頼人”は違うけど、と胸中で呟き、フィランはごく自然体で一歩を踏み出す。対峙している相手にすら警戒心を起こさせないほどに自然な、攻撃の起点。サイフォスの一族ならばまず最初に叩き込まれる、基礎中の基礎の動きだ。そしてそこから、視認も難しいほどの速度で繰り出される一閃。
「――ぐっ!?」
辛うじて受け止めた、《灰狐》の剣が半ばから折れ飛ぶ。その威力に慄然としながらも、彼は懐から取り出した小さな瓶を、フィランの顔を目掛けて投げ付ける。反射的にそれを剣で斬り払ったフィランは、だが次の瞬間吐き捨てた。
「……くそ!」
瓶の中身は、金属を腐食させる作用を持つ薬品だ。それも結構な高濃度で、剣の刃のように薄い部位は、瞬く間にボロボロになってしまう。自らも剣の使い手である《灰狐》は、剣士の弱点をよく知っていた。それはつまり、剣だ。剣がなくては、どれほど手練の剣士であろうとその実力を発揮できない――それが彼の持論だった。
「はははっ、いくら腕が立とうと、肝心の剣がなくてはな!――やれ!」
哄笑した《灰狐》が腕を振るうと、周囲の木立の陰や茂みから、魔動銃の連射が襲い掛かる。フィランは地面を一転してそれを逃れざま、剣で地面すれすれを薙いだ。剣先で弾き飛ばされた石飛礫が弾丸となり、襲撃者の一人を直撃。狙いを付けるため顔を出し気味だった彼は、石をまともに顔面に喰らい、短い悲鳴と共に銃を取り落とした。
「何っ――!?」
思いがけない逆襲に、襲撃者たちが一瞬唖然とした隙を突き、素早く起き上がったフィランは別の襲撃者に向かう。
「うわっ、うわあああ!」
標的となった襲撃者が銃を乱射――しようとした時には、すでにフィランがその懐に飛び込んでいる。そしてその剣が閃くと、襲撃者は腕の腱を断たれて絶叫をあげる破目となった。
「ちっ……化け物か!」
鮮やかな手並みを目の当たりにし、《灰狐》は舌打ちする。だが数の優位は動かない――そう確信し、残る襲撃者にフィランへの集中攻撃を指示した。
「怯むな! 多少腕が立とうと、数で押し包めばどうとでもなる!」
その時。
「――数ならこっちの方が上だけどね」
フィランとは別の、少年の声。その言葉の最後に、多数の虫の羽音のような騒がしい音が重なった。
そして次の瞬間、襲撃者たちの方が続けざまに悲鳴をあげることとなる。
「な、何だこれは! 虫――!?」
「蜂か!」
「ひいっ、何だこのでかさは!?」
魔動銃を構えた襲撃者たちに、人間の拳ほどもある巨大な蜂の群れが襲い掛かったのだ。襲撃者たちはもはやフィランどころではなく、とにかくその化け蜂の群れを追い払うため、魔動銃を乱射し始めた。
「うおっ、危ね!?」
巻き添えを食らわないよう慌てて地面にダイブしつつ、フィランは愚痴を零す。
「おい……もうちょい周りの状況考えろよ!」
「もうすぐ終わるよ」
蜂を操る《魔獣操士》クリフは、ちゃっかり木立の陰で自身の安全は確保しつつ、涼しい顔で笛を吹く。その言葉の通り、蜂の群れは程なく姿を消した。後には、蜂に刺されたのか顔色を真っ青にした襲撃者たちが、死屍累々(辛うじて死んではいないが)といった様子で倒れている。その中には《灰狐》も含まれていた。
「……おい、これ死んでないよな?」
胡乱な目でフィランが問うと、クリフは肩を竦めた。
「あいつらの毒は強めだけど、即死するほどじゃないからね。ただ、前に蜂に刺されたことがあったら危ないかもだけど、まあそうなったらお気の毒ってことで」
「そうか……」
息をついて立ち上がると、フィランは愛剣を見やってため息をつく。
「あーあ……良い剣だったのに」
刃は薬品に侵されてボロボロになり、なおかつそれで石を弾いたりしたため、いつ折れてもおかしくないような状態になっていた。こうなればもう、一度熔かして新しく剣身を打ち直すしかないだろう。
使い込んで手に馴染んだ愛剣の惨状に、フィランが落ち込んでいると、その足下の地面が突如ボコボコと盛り上がった。
「うわ、何これ!?」
クリフがドン引いて見守る中、フィランを取り囲むように現れたのは土でできた小人たち――地の妖精族だ。
『よくぞ我が友ユフレイアを守ってくれた』
『もう大丈夫だよ!』
きゃわきゃわと騒ぐ妖精たちの中、立派な髭を生やした老小人が進み出る。
『その剣、使い込まれた良い剣じゃの。勿体無いゆえ、報酬の追加で直してやろうぞ。以前に渡した鉱物を出すがええ』
「え、ああ、これ?」
フィランは天馬に括り付けた荷物の中から、妖精族に貰った鉱物の塊を引っ張り出す。魔法式収納庫のような便利な代物は持っていないので、こうして持ち歩いているのだ。
折れる寸前の剣と鉱物を地面に並べさせ、地の妖精族たちはその周りを取り囲んで踊り始めた。
すると、確かに鉱物だった塊がどろりと形を崩し、フィランの剣に巻き付いていく。剣身を砕き、取り込みながら、鉱物は新しい剣身として形を成し、最後に淡い金色の光を放った。周囲には薬品で侵されたと思しき黒ずんだ部分だけが、わずかな欠片となって散らばっている。
『無事な部分を取り込み、その“記憶”の通りに新しい剣身を作ってみた。どうじゃの、試しに持ってみい』
促され、フィランは引き寄せられるように、その剣を手に取る。銀の輝きの中にわずかに金色が宿るその剣身は、以前のそれと寸分違わぬ長さと重さで、彼の手にもしっくりと馴染んだ。試しに振ってみても、まったく感覚が変わらない。
「すごいな……全然別物だって分かるのに、前のとそっくり同じだ」
フィランが感嘆の声を漏らすと、老小人はふんぞり返った。
『ほっほっほ、そうじゃろ。じゃが前の剣よりずっと頑丈じゃぞ。何せ魔剣じゃからな』
「魔剣!?」
フィランはまじまじと、自分が手にした剣を見つめる。
「じゃあこれ、他の魔剣みたいに振ったら魔力の刃飛ばすとか、そんな代物になったわけ?」
すると、老小人はちっちっと指を振る。
『おまえさんみたいな剣士の剣に、そんな無粋な真似はせんわい。――その剣に与えた特性は二つだけじゃ。一つは決して折れぬ強靭さ。そしてもう一つは、すべてを斬り裂く鋭さじゃ。その刃の部分を良く見るが良い。薄いじゃろう?』
「おお……本当だ。人間じゃここまで刃を薄くするのは無理だな」
指先で触れただけで切れそうな、極薄の刃。あらゆる物質にするりと入り込み斬り分けていくような、空恐ろしいほどの鋭さだ。
『その刃は何であろうと斬り裂く。物も、魔法も、霊魂さえもな。扱いには重々気を付けるのじゃぞ』
そう言い置くと、地の妖精族は形を崩し、地面に溶けていった。
「……何か、凄いもん貰っちゃったな」
しみじみそう呟き、フィランは指で生まれ変わった愛剣の剣身をなぞる。魔剣となれば銘が要るだろう。何か良いものを考えなくてはならない。
と、
「――フィラン!!」
叫びと共に、何かが壊れるような轟音が響く。ぎょっとしてそちらを見やると、杖を持ったユフレイアが崩れた土壁を踏み越えて出て来たところだった。彼女は青筋でも立っていそうな笑みを浮かべ、元王女にして女性公爵というやんごとなき身分の貴婦人には似つかわしくなく、大股で歩み寄るとフィランの胸倉をガッと掴む。
「……色々と事情がありそうだが……とりあえず、洗い浚い吐いて貰おう」
その迫力に、諸手を上げてハイと頷くしかないフィランだった。
◇◇◇◇◇
その瞬間、兵士たちは自分が死んだと思った。それほどに凄まじい爆炎と轟音だったのだ。
だが――目を開けてみれば、そそり立つ炎の壁は自分たちの眼前で、ぴたりと止まっていた。
彼らの前で《竜の障壁》を展開し、危ういところで兵士たちを守ったアルヴィーは、燃え盛る炎の向こうを見透かすように、その朱金の瞳をすがめる。
「――んもう、せっかくお邪魔虫を焼き払おうと思ったのに」
やがて炎が下火になると、焼け爛れた大地のその向こうで、熱風に髪と服をなびかせながら口を尖らせるメリエがいた。
「……おまえが来たってことは、やっぱこれってシアの差し金か」
「あたしとしては、こっちはどうでも良かったんだけど。あの変態から、アルヴィーがここにいるって連絡があったんだって。たまにはいい仕事してくれるよねー、変態だけど」
あは、と笑って、メリエは顔に掛かりかけた髪を払う。
「ホント、あんな気持ち悪い砦で平然としてられるなんて、どうかしてるよね。あんなとこより早くアルヴィーのとこに来たかったから、シアから借りたアイテム使って飛んで来ちゃった」
砦からの《竜の咆哮》の後、頭上から急襲してきたのはそういうカラクリだったようだ。
メリエはうんざりしたようにため息をつくと、
「ま、あの変態はどうでもいっか。――それより、アルヴィーを連れて帰る方が大事だもんね!」
菫色の瞳を爛々と光らせ、左腕を振り翳す。アルヴィーはとっさに地を蹴ると、ひと跳びで一気にメリエとの距離を詰め、《竜爪》でその左腕を跳ね上げた。同時に放たれた《竜の咆哮》が、空の彼方に消えていく。
「……っ!」
跳び退り、メリエはぺろりと唇を舐めた。
「いいなぁ、やっぱ。アルヴィーの攻撃って何かこう、ビリビリ来るよね!」
「勘弁してくれ……」
こちらはげんなりと、アルヴィーはため息をつき、メリエの足下の地面を《竜の咆哮》で薙いだ。
「きゃあ!?」
さらに跳び退るメリエを追うように、アルヴィーは駆け出す。
「あいつは俺が何とかする! 撤退してくれ!」
リシュアーヌ兵たちにそう言い置くと、《竜爪》を振るった。メリエが体勢を立て直したところに、朱金の光を滲ませた刃が迫る。彼女も《竜爪》を翳し、何とか応戦した。
「やっぱさぁ、甘いよね、アルヴィーって!」
「何とでも言え!」
二振りの竜鱗の刃がぎりぎりと噛み合う。だがそれも一瞬で、二人はすぐに弾かれたように離れると、メリエがアルヴィーに向けて躊躇なく《竜の咆哮》を連射。だが彼もまたすぐに駆け出しており、《竜の咆哮》は彼を追って空しく地面を爆ぜさせただけに終わった。
(……まあいいけどさ、あたしたちの邪魔さえしなかったら、あいつらが生きてようと死んでようと)
アルヴィーは砦の方へと向かっていた。明らかに、リシュアーヌ兵たちからメリエを引き離そうとしている。それを見て取った上で、彼女はあえてそれに乗った。
(せっかくアルヴィーが付き合ってくれるんだもん、逃す手はないよね!)
長い榛色の髪をなびかせ、メリエもまた砦に向かって駆け出した。
(――よし。俺を追っかけて来たな)
メリエが自分を追って来たのを一瞥して確かめ、アルヴィーは前方の砦に向き直る。近付くと余計に、その惨状が目に付いた。さっきのベヒモスに蹴り破られたせいもあろうが、城壁や門は見る影もなく破壊され、建物そのものもところどころが崩落している。城壁の上の方に、点々と見える黒ずんだ染みは血痕だろうか。その血を流したであろう骸は、すでに屍兵として動員されたのだろうが、それでも痕跡だけで充分に禍々しい。
(……それに、臭いもひどい)
砦そのものに染み付いたような異臭に、アルヴィーは顔をしかめる。
『……ふむ。ここで大分、人が死んだな』
「分かるのか?」
『人死にが多い場所には、独特の気配というものがある。そういった場所は、人を“呼び込む”ぞ』
「そっか……」
アルマヴルカンの言葉に眉を寄せ、そしてアルヴィーは地を蹴って飛び上がる。その足先を掠めるように《竜の咆哮》。彼を捉え損ねた光芒は、砦の城壁を直撃して爆砕させた。
追撃を躱し、アルヴィーは城壁の上に下り立つ。程なく砦に辿り着いたメリエも、こちらは器用に城壁を駆け上り、アルヴィーから少し離れたところで足を止めた。
「ここで戦るの? あたしは別にいいけど」
メリエは楽しげにそう言って、ひらりと手を振る。
「あの変態を探すつもりなら、無駄だよ。あたしがこっちに来た時、もう帰り支度してたもん。もうクレメティーラに戻っちゃってると思うけど」
「そうか」
まあ、あわよくば実行犯を押さえられればと思っていたのは事実だが、どうしてもそれが必要だというわけではない。そもそもここはリシュアーヌ領内だ。事件の真相究明はリシュアーヌ側が行って然るべきだった。メリエが来た時点でこれがクレメンタイン帝国絡みなのは確実なので、その情報があればアルヴィーとしては充分な収穫なのだ。
だが――それとは関係なく、アルヴィーの胸で静かに燃える怒りがある。
(……人を道具扱いするにも、程がある)
非業の死を遂げた上になお、その魂と骸まで利用された死者たち。そしてそんなかつての仲間を、炎でしか弔えなかったリシュアーヌの兵たち。
それは、あの日魔物に殺された母を含めた故郷の村の人々と、アルヴィー自身にも重なった。
もし、彼らが同じように、アンデッドとして操られて目の前に現れたとしたら――自分は彼らを、焼き尽くせるだろうか。
「…………!」
右手を固く握り締め、アルヴィーは《竜爪》をメリエに向ける。
「おまえら……シアは、何がしたいんだよ。また戦争でもしたいのか!」
燃えるような朱金の眼を真っ向から見返し、メリエは肩を竦める。
「さあ? あたしはシアの考えることなんか分かんないし、どうでもいい。――ただ、アルヴィーがいれば良いの!」
振り抜かれた左腕。城壁を蹴り、アルヴィーはそれを躱した。背後で建物が爆砕された轟音が巻き起こるが、それに気を配っている場合ではない。空中に創った足場で強引に方向転換し、そのままメリエに斬り掛かる。
二振りの紅い刃が、激突と共に玲瓏たる音を奏でた。
「うわっ……とっ!」
その勢いにバランスを崩したメリエの身体が大きく泳ぎ、城壁の外へと投げ出される――!
「……なぁんて、ね」
だが――彼女は平然と、城壁の外の中空に“下り立った”。
「良いでしょ、これ? シアに借りたの」
メリエが得意げに、ブーツの踵で足下の空間を“叩く”。それに合わせるように、小さな光の波紋のようなものが生まれた。よく見ると彼女のブーツの踵には、拍車と呼ばれる馬具に似た金具が装着されている。
「アルヴィーだけ空が飛べるんじゃ、不公平だもん。だから何か良いのないかなってシアに相談したら、これ貸してくれたんだ」
「……マジックアイテムか。さっき使ったのも」
砦に誘い込めば、メリエの動きが制限できると思ったのだが、当てが外れた。舌打ちしたい気分のアルヴィーに、メリエはにこりと笑う。
「そ。ちょっとコツが要るけど……でもこれで、お相子だよね!」
彼女は空を蹴り、アルヴィー目掛けて斬り掛かる。それを受け流すと、アルヴィーは左手でメリエの右腕を掴み、力任せにぶん投げた。
「きゃあ!?」
軽々と宙を飛んだ彼女は、だが虚空を蹴り、体勢を立て直す。
「行っけえっ、《竜の咆哮》!」
そして撃ち放たれる、灼熱の光。続けざまに撃ち込まれるそれを、アルヴィーは飛び退いて躱した。一瞬の後、彼が立っていた場所に《竜の咆哮》が吸い込まれ、噴火のごとく爆炎が噴き上げる。砦の屋上が豪快に崩落、炎が砦の一角を包み込んだ。
叩き付ける熱風を背に、アルヴィーは《竜爪》を伸ばす。彼の身の丈よりも遥かに長く、朱金の炎を纏ったそれを、ためらうことなくメリエ目掛けて振り下ろした。
「わっ――!」
慌てて飛び退く彼女の髪を掠め、炎の刃は石造りの床を容易く斬り裂く。傷跡が赤熱し、その熱量を沈黙の内に物語った。
二人の攻防で、砦は今や一角から明るい炎を噴き上げ、火の手は建物内の空間を渦巻いて、各所に広がろうとしていた。床や壁に残るどす黒い血痕も、骸から腐り落ちたと思しき人体の一部も、そして砦中に染み付いた死臭でさえも、炎に呑まれて燃え尽きていく。崩落した床材に纏わり付いた炎が、さらに階下へと火種を運び、そこでも炎が広がり始めた。
「このままじゃ全部燃えちゃうね。いいの?」
「……ここはどの道破却予定だって聞いた。――それに多分……全部燃えた方が良いんだ」
惨劇の跡も、怨念も、すべて燃えてしまえばいい。
自分には、炎で弔うしかできないから。
瞳をわずかに細め、アルヴィーはせめて、死者たちの魂が解放されることを願った。
二人が対峙する間にも、炎は砦を舐め尽くす勢いで広がり続け、荒れ狂う熱風が容赦なく二人を襲う。もっとも双方とも、火に対しての耐性はずば抜けて高いのだが。
感傷は一瞬で、アルヴィーは再び《竜爪》をメリエに向け、《竜の咆哮》を連射した。
「……っ!!」
火線を躱して駆け出しつつ、メリエは一部を《竜の障壁》で防御する。
だが――その足下が突如、轟音と共に崩れ落ちた。
「――きゃあっ!?」
メリエが体勢を崩す――次の瞬間、その真下から炎が噴き上げ、彼女の姿を呑み込んだように見えた。
「うわっ」
崩落はアルヴィーの方にも及び、慌てて空中に飛び上がることで難を逃れる。そして見下ろした先、さっきまで二人がいた辺りは完全に崩落し、メリエの姿はどこにも見えなかった。
「……あいつは……?」
『一瞬だが、魔法の発動を感じた。そこそこの規模だ。おそらく、転移か何かで逃れたのだろう』
「そっか……」
アルヴィーは複雑な思いで、彼女がいた辺りの空間を見つめた。
――しばらくそこで警戒と共に留まったが、メリエが再び姿を現すことはなく、退却したと考えてアルヴィーは警戒を解いた。
ポルトーア砦の炎は今なお衰える気配もなく、巻き上がる熱風が彼の髪や服をはためかせる。
アルヴィーは何となく、その行方を追うように空を見上げた。
見上げた空はいつしか、炎が燃え移ったかのように、赤々と染まり始めていた。




