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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十章 世界への雄飛
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第75話 対価

 その知らせはごく自然に、だが確実に彼らの耳に入り、慌てた彼ら――レクレウスの旧強硬派貴族の注進により、前王ライネリオのもとにももたらされた。

「――何だと?」

 ワイングラスを傾けていた手を止め、彼は注進にせ参じた哀れな貴族、トビアス・ルーグ・フォルネスを鋭い目でにらみ据えた。

「貴様、今何と申した」

「は、はい……貴族議会が速やかに手を打ち、西の国境地帯の主な街道を軒並み封鎖したと……そればかりか、ある程度の道幅がある道は、街道でなくとも封鎖された模様にございます」

「それでは、ヴィペルラートの侵攻はどうなる」

 ライネリオの目が据わりかけていることに、そこはかとない恐怖を感じながら、それでもトビアスに答えないという選択肢は与えられていなかった。

「は……まことに申し上げにくきことながら、今の状況では……難しくなったかと……」

 瞬間。


「――ふざけるなっ!!」


 顔のすぐ横を何かが恐ろしい勢いで飛んでいき、背後の壁にぶつかって澄んだ破砕音を響かせる。見ると、ライネリオの手の中にあったはずのワイングラスが消えていた。恐る恐る振り返ったトビアスは、無残に砕け散って床に散らばるグラスに青ざめる。

「へ、陛下、」

「貴様、これがどういうことか分かっているのか! ヴィペルラートの侵攻が不可能となれば、我々が返り咲く機会も潰れるのだぞ! ええい、封鎖など早急に解かせるのだ! 命令を偽造すれば良い、容易いことであろうが!」

「そ、それが、恐れながら……“封鎖”というのは検問などという程度のものではなく……巨大な壁によって文字通り、道を塞いでいるとのことに、ございます……」

「何だと……!?」

 ライネリオが眉を寄せ――そして思い当たったように顔を歪ませた。

「……あの下賤げせんの女かっ……!」

 彼にとっては異母妹――もっとも、互いに相手を身内とは認めていないが――である彼女、ユフレイア・アシェル・オルロワナ公爵が地の高位元素魔法士ハイエレメンタラーであることを、ライネリオも知っている。彼はぎりぎりと奥歯を噛み締め、今度はテーブルの上のワインボトルを取り上げて、憤怒ふんぬのままに床に叩き付けた。

「ひっ……!」

 ボトルが割れる音に、トビアスの小さな悲鳴が重なる。早くも報告したことを後悔し始めた彼の胸倉を、ライネリオが掴んだ。


「……始末しろ」


 地の底から響くかのような声に、トビアスは震え上がった。あえぐように喉を震わせる。

「し、始末……とは……」

「あの汚らわしき下賤の者を始末しろと言っている!」

「ですがっ……そのような腕利きの暗殺者アサシンは、もうおりませぬ……っ!」

 ファルレアンとの戦争時、あちら側に寝返った《擬竜兵ドラグーン》を奪還、あるいは暗殺するため、レクレウスは幾人もの腕の立つ傭兵や暗殺者アサシンを送り込み、そして一人として戻って来なかった。また、貴族議会発足後、オルロワナ公爵やオールト元公爵のもとに放った刺客も同様である。今の彼らは、そういった汚れ仕事を任せられる人材が払底ふっていしている状態だった。

「ええい、役に立たぬ……!」

 ライネリオは舌打ちして、トビアスを放り出す。

「使える者がおらぬなら、国外からでも探し出して来い! 金に糸目は付けぬ!」

「は、ははっ……!」

 ワインで汚れた床にしたたかに腰を打ち付ける破目になったトビアスだったが、服が汚れるのも構わずその場に平伏する。思わずそうしてしまうほどに、ライネリオの怒りの形相は凄まじかった。

 不運な彼にはもはや目もくれず、ライネリオは苛々と室内を歩き回る。

(王族を名乗るもおこがましい下賤の女が、どこまでもわたしの邪魔をしおって……!)

 地位、富、そして権力。今の自分が失ってしまったすべてのものを、血筋で劣る妾腹の娘が手にし、我が世の春を謳歌おうかしている――そう考えるだけで、膨れ上がった嫉妬と憎しみが炎のように胸を焼いた。

(そうだ、そもそもはあの女の領地は我が王家のもの。本来であれば、あの地はわたしのものであるはずだったのに……!)

 元はといえば王家がユフレイアを北の辺境に追いやったことも、かの地の豊かさをもたらしたのが彼女と地の妖精族の友誼ゆうぎであることも、そしてかの地を横取りしようとして失敗したことも、この時の彼の頭からは都合良く消え去っていた。ヴィペルラートの侵攻に乗じて復権し、豊かな鉱物資源を持つオルロワナ北方領をも手にすれば、そこから生み出される莫大な利益が自分の懐に転がり込み、自分を追い落とした貴族たちを見返してやれる――彼の頭にはもはや、そんな考えしかなかったのだ。

「そ、それでは陛下……わたくしめは早速、仰せの通りに使えそうな者を探して参りますゆえ、これにて御前失礼致します……」

 びているつもりか、引きつった笑みを浮かべ、トビアスがもごもごと辞去の挨拶らしきものを呟いて、そのまま逃げるように立ち去る。それを見送ることもなく、ライネリオはベルで使用人を呼び、紙とペンを持って来るよう言い付けた。

(母上に資金援助を頼まねばな……だが、母上とてあの女とその母親を嫌っている。嫌とは仰るまい)

 金さえ積めば、国外から腕の立つ暗殺者を探し出して雇えるだろう。そしてユフレイアの暗殺が叶えば、ヴィペルラートの侵攻も再開し、オルロワナ北方領は自分のものになる――。

 そんな甘美な妄想に酔いながら、ライネリオは抑えきれない笑い声を漏らした。


「――聞いた?」

「うん、聞こえた」


 建物の外の木立の中、密やかにそう交わされた会話など、知るよしもなく。



 ◇◇◇◇◇



 対レクレウス戦に駆り出された部隊のほぼすべての帰還が終了し、二十日ほどを挟んだその日。

 ファルレアン王国王都ソーマにおいて、戦後の論功行賞ろんこうこうしょうが執り行われた。

 戦役に動員された騎士たちにはそれぞれ小隊単位で、手柄に応じた褒美が与えられる。財源は大暴走スタンピードで得られた魔物の素材を、オークションで売却した利益だ。ほとんどの隊は報奨金だが、一部目覚ましい功績を挙げた小隊には、報奨金に加えて勲章の授与もあった。


「――第一二一魔法騎士小隊及び第一三八魔法騎士小隊、小隊長、前へ」


 進行役の文官の呼び声に、ルシエルとシルヴィオは整列する騎士たちの間を縫って前に出る。揃って一分の隙もない敬礼を見せた二人に、文官は朗々と告げた。


「第一二一魔法騎士小隊及び第一三八魔法騎士小隊は、旧ギズレ領攻防戦において、レクレウス軍魔動巨人(ゴーレム)部隊の侵攻を阻止し、領地防衛と我が方の勝利に大きく貢献しました。よって、両小隊長に青銀盾章オーダー・オブ・ザ・スキュータム、小隊員全員に十字剣章オーダー・オブ・ザ・クロスを授与します」


 青銀盾章オーダー・オブ・ザ・スキュータムは騎士として国の防衛に貢献した貴族出身者に授与される勲章で、ファルレアン王国が授与する勲章の中でもランクは上の方になる。一方十字剣章オーダー・オブ・ザ・クロスは意味合いは同じだが、青銀盾章オーダー・オブ・ザ・スキュータムの一段階下とされる勲章だ。身分による授与の区別はなく、貴族・平民どちらにも与えられるが、平民出身の騎士に与えられる勲章としては最高位に近かった。

 青みがかった銀色の、盾をかたどった勲章が、専用の盆に載せられ別の文官によって運ばれてくる。そして授与役は王妹アレクシア・レイラ・ヴァン・ファルレアンだ。国内でも女王アレクサンドラに次いで高貴な身分の姫君は、その白い指先で慎重に勲章を取り上げ、ひざまずいた二人の騎士の左胸にややぎこちない手付きで装着した。

「この度の働き、見事でした。これからも我が国のため、その力を存分に発揮してください」

 アレクシアの言葉に、二人は跪いたまま深くこうべを垂れた。この場で授与されるのは小隊長のみだが、小隊員たちにも後ほど、大隊長執務室において授与が行われる。

 彼ら二隊の他にも、いくつかの小隊がまた別の勲章を受けた。旧ギズレ領の攻防戦で手柄を立てた者たちや、レドナでの戦いで市民の救助や避難誘導などに特に貢献した者たちだ。一部、全滅した隊にも勲章が授与され、それらは遺族のもとに届けられるよう手続きが取られる。

 騎士団全員となるとさすがに王城といえど手狭になるので、この場に整列しているのは何らかの手柄を立てて、通常の報奨金以外の褒美を授与される者たちばかりだ。だがそこに、やはりレドナで《擬竜兵( ドラグーン)》一人を討ったジェラルド始め彼の直属の部下たち、そして誰よりも戦果を挙げたアルヴィーの姿はなかった。


「――そこんとこ、なーんか納得行かねっすけどね」

「確かに、今回の戦争で一番手柄立てたのって、あの子よねえ」


 論功行賞が終わり、先ほど省略された小隊員たちの勲章の受章のため、大隊長執務室に向かう途中。カイルがふとぼやき、ジーンもそれに同意する。アルヴィーと行動を共にすることが多かった第一二一魔法騎士小隊の面々は、今回の論功行賞でアルヴィーの名が一度も出て来なかったことに、もやもやしたものを抱えざるを得なかった。

「戦況変えてるし、十字剣章クロスは固いと思ってたけどなー」

「ねえ、シャーロットもそう思うわよね?」

 水を向けられ、シャーロットはため息をつく。

「それはそうなんですが……彼の場合、“それならそれでまあいいか”なんて済ませそうなところが、何とも……」

「ああ……想像付くわあ」

「金銭に関しては無欲だからな」

 容易に想像できる図に、一同納得してしまった。

「……そういえば、大隊長も来てなかったですよね」

「勲章は授与されてたけど、何で来てなかったんだろ」

 ジェラルドと彼の部下たちには、同じく十字剣章オーダー・オブ・ザ・クロスが授与されている。本来なら先ほどの論功行賞の場で授与されていても、何らおかしくはないはずなのだが。

 彼らは頭を悩ませたが、その疑問は執務室で解けた。


「ああ、面倒臭かったからな、授与式なんぞ。それに昇級蹴って早々、わざわざ嫌味言われに上層部おえらがたと顔合わせる必要もないと思ってな」


 あっさりとそう言ってのけたジェラルドに、彼らは絶句する。

「は……」

「昇級蹴った、って」

 唖然とする部下たちに、彼は肩を竦めてみせた。


「特級上がれって言われたから断っただけだ。特級騎士なんざ将軍職か、でなきゃ名誉職じゃねえか。俺は王都に釘付けで書類仕事に埋没するのは御免だぜ」

「わたしも隊を持たないかと打診はありましたが、お断りしました」

「僕も嫌ですよ、二級になんて上がったら小隊任されるじゃないですか。まとめ役なんて僕には向いてませんし、貴族の養子とか肩が凝る気しかしないです」


 どうやら揃いも揃って昇級を蹴ったらしい。セリオに至っては貴族への養子話まで出たようだが、それも蹴るとは剛毅ごうきな話である。二級以上は貴族出身者でないと上がれないため、そんな話も出たのだろうが、彼にとってはさほどの価値もないらしい。

「ま、俺たちのことはいいだろ。これが初めてじゃないしな」

「……昇級の話が出るたびに蹴ってるって噂、本当だったんですね……」

「良いことを教えてやる。地位ってのは一つ上がるたびに、面倒事が倍になってし掛かってくるんだ」

 しかつめらしくそう言うと、ジェラルドはパトリシアに目配せした。心得た彼女が、盆に載せた人数分の十字剣章オーダー・オブ・ザ・クロスを運んで来る。十字の一辺が剣身となって下方に伸び、中心には紅い玉石が嵌め込まれた、装飾性の高い勲章だ。それを各々の左胸に着けて貰う。

 部下たちの胸元で揺れるそれを一瞥し、ルシエルはジェラルドに向き直った。

「……一つ、お訊きしたいことがあります」

「受勲対象にアルヴィーの名前が挙がらなかったわけ、か?」

 予想していたのだろう、ジェラルドは即座にそう答える。ルシエルが「はい」と頷くと、彼は息をつきながら椅子に身を預けた。

「……まあ、今回の戦役でズバ抜けて手柄立ててんのは確かにあいつなんだがな。平たく言っちまえば、これも政治ってやつだ」

「政治?」

「色々とややこしい事情があるんだよ。まあ第一は、あいつがレクレウスからの亡命者だってことだが。それを理由に、《保守派》の連中が大分ごねた」

 論功行賞の褒賞を査定するのは財務部門の役目だが、選考担当者は《女王派》《保守派》両派閥からほぼ均等な人数が当たるよう調整されたという。しかし皮肉にもそのせいで、《女王派》ともくされているアルヴィーへの評価がかなり割れたらしい。そこで、元レクレウス兵という彼の経歴も執拗しつようにつつかれたというのだ。

「後は予算の問題だな。褒賞にも予算枠はある。あいつを対象に入れちまうと、他の対象者に充分な褒賞が出せない」

「基準の問題、ってやつですね」

 セリオが補足を入れた。アルヴィーの功績が“大き過ぎた”ことが、かえって問題となったのだ。彼を基準にすれば他の対象者の評価が相対的に下がり、かといって他の対象者を正当に評価するならば、アルヴィーへの褒賞は破格になってしまう。財務部門としては頭の痛い問題だったわけだ。

「そこを《保守派》の連中に突かれると、《女王派》も強くは出られなくてな。――それにあいつはそもそも、その戦闘力を買われて高位元素魔法士ハイエレメンタラーに認定された部分もある。要するに、“戦場で手柄を立てるのは当然”ってわけだ」


 ――“生ける戦略兵器”。

 アルヴィーがそう呼ばれる存在でもあることを、ルシエルは今さらながらに思い出した。


(……でも、アルは兵器なんかじゃない、人間だ。何度も傷付いて、それでもこの国のために戦ってきた……!)

 それを知るからこそ、納得できるわけはない。割り切れない思いは変わらず、ルシエルは固く拳を握り締める。

 と、ジェラルドが何かを企むような笑みをひらめかせた。


「そうむくれるな。その分の埋め合わせは、そう遠くない内にされるだろうからな」

「埋め合わせ?」

「他国の目もある。今回明らかに割を食わせた以上、それに見合う埋め合わせも必要だ。冷遇し過ぎて他国に引き抜かれちゃ目も当てられん――とまあこんな感じで、《女王派》の連中が上手いことそれなりの対価を分捕ぶんどったらしい。まあ俺たちから見ればこじつけもいいとこだが、上層部うえの誰もがあいつの戦う理由を知ってるわけじゃないからな。人間誰しも、自分を基準にしか他人ひとを計れんもんだ。損得ばかり見てる奴は、大体他人もそうだと思ってる」

 少々皮肉げにそう結ぶと、ジェラルドは話は終わりとでもいうように手を振った。

「ま、発表を楽しみにしてるんだな。今は、俺の口からはこれ以上のことは言えん」

「……分かりました。ありがとうございます」

 どういうルートで聞き込んできたのかは知らないが、ジェラルドはそこそこ今回の裏事情に通じているようだ。アルヴィーを無視しきったような今回の措置そちに、ルシエルたちは納得するまいと考え、必要最小限の情報をわざと漏らすことで不満を和らげたのだろう。

「悪いが、次が押してるんでな。今はここまでだ」

 そう言われてはこれ以上居座るわけにいかず、ルシエルたちは執務室を辞す。他にも受章者はいるのだ。

 廊下を歩きながら、シャーロットがため息をついた。


「……面倒なものですね。“政治”なんて」

「俺らには遥か彼方の話だもんなー。けど隊長は他人事でもないんじゃないっすか?」

「不本意ながらな」


 ルシエルもため息をつきたくなった。継嗣けいしとなることが本決まりとなってからこっち、やらなければならないことが次から次へと湧いて出る。領主としての仕事だけでも荷が重そうなのに、さらに財務副大臣の椅子すら志した父はどうやらよほどの物好きだったらしいと、遠い目になるルシエル。その椅子が世襲制せしゅうせいでなかったのはせめてもの救いだ。

(……もっとも、家を継ぐ前に“あの連中”の尻尾を掴まないと)

 何度か彼らと接触し、手応えらしきものはあるのだが、向こうも警戒しているのだろう。なかなか懐深くまでは入り込めていない。もっとも、ルシエルが潜入捜査をしている間に騎士団の方が働いてくれて、あの呪いの魔剣騒ぎはギルモーア公爵が糸を引いていたと、ほぼ確信が持てるところまで漕ぎ付けたそうだ。もうひと押しすれば事態は動くだろうと、ジェラルド辺りは見ているらしい。

 自分の考えに沈むルシエルに、ディラークが声をかけてきた。

「隊長、何か気掛かりなことでも?」

「そういうわけでもないんだが……例の件でな」

「ああ……」

 ディラークも心得たように頷いた。人通りのある廊下なので詳しい言及を避ける辺り、さすがにベテランである。

「だが、そろそろ動くかもしれない」

「と、言いますと?」

「今日の件をどこかから聞き込めばな」

 アルヴィーとルシエルを纏めて《女王派》から引き離したい彼らだ。今回の一件を耳にすれば、ここぞとばかりにルシエルを抱き込もうと接触をはかってくるだろう。


(そうなれば願ってもない機会だ。逆に釣り上げさせて貰おう)


 獲物を狙う猫のように、ルシエルはそのアイスブルーの瞳を鋭く細めた。



 ◇◇◇◇◇



 自分はなぜここにいるのだろう、とアルヴィーはぼんやり考える。

「どうかしたかね」

「あ、いえ」

 問われて取り繕いつつ、通された室内をこっそり眺め回した。

 以前にも訪れたことのある、財務副大臣――つまりはルシエルの父ジュリアスの執務室。さすがにあの時のように部屋中が書類に占拠されるような惨状ではないが、机の上に束になった書類を見るに、やはり忙しい身ではあるのだろう。正直、こちらに構っている暇などなかろうと思うのだが。

 しかしジュリアスにとっては、そこそこ重要な要件らしい。

(……そういや今日って、論功何とかってのがあるんだっけ)

 アルヴィーにはお呼びが掛からなかったが、ルシエルやシルヴィオの隊は受勲の対象になるらしく、内々に話があったそうだ。もちろん素直に祝ったが、当のルシエルたちには何とも複雑な顔をされた。

(別に、ルシィたちが気にすることじゃないのになあ)

 ルシエルたちはアルヴィーが受勲の対象にならなかったことが引っ掛かっているようだが、アルヴィーとしてはこれ以上変に目立ちたくもなかったので、受勲対象から漏れたことはまったく気にしていなかった。


(大体、勲章貰うために戦ってたわけじゃないしな)


 ただ、ルシエルの隣に立つために。

 アルヴィーが剣を振るう理由は、以前も今も変わりなどないのだから。


「――さて」

 執務机の向こうから向けられた顔と声に、アルヴィーははっと我に返った。

「はい」

「忙しいところを呼び立ててすまないな。だが、さすがにこれは時が来るまで、外には漏らせん話でね」

「はあ……」

 何だかややこしいことになりそうな雲行きだ。正直、回れ右して帰りたい。だが親友の父とはいえ、まさかそれを実行するわけにもいかず、相槌あいづちのようなものを打ってみたり。

 そんなアルヴィーに、ジュリアスは話し始める。

「例の、君が見つけた島の件だが」

「はい」

「リトラー男爵から提出された報告書、及び採取したサンプルの精査が終了した。それにより、島に眠る資源を金額に換算した場合の概算ができたのだが……聞きたいかね?」

「……いえ、いいです……」

 げんなりとかぶりを振るアルヴィーに、ジュリアスは肩をすくめる。

「ふむ。まあ良いだろう。――ひとまずあの島は我が国の領土として登録、周辺国にも宣言する。だが実際の所有権は君が持つこととなるだろう。これは女王陛下や閣僚たちからも了承をいただいている。どの道、精霊に認められているのは君だけだ。我々だけで行ったところで、島に辿り着く前に船ごと沈んで、周辺の難破船の仲間入りするのが落ちだろうからな」

「そういえば……あの沈んでた船、どこのか分かったんですか?」

「騎士団の方で、行方不明になった船の記録は拾い出しが終わったらしい。もっとも、詳しい照合は沈んだ船を引き揚げてからの話になるだろうが。近年はあの一帯に近付く船もないという話だから、沈んでいる船はある程度昔の船ということになるだろう。そうなると記録の方も抜けが多いものでな、現物を引き揚げて調べるしかない。――ただ、引き揚げられるかどうかは分からんがね」

「ああ……」

 確かに島の周辺があれでは、引き揚げ作業もままなるまい。だが見つけたのに放っておくのも何だか寝覚めが悪いので、またあの島に行く機会があれば、シュリヴかマナンティアルに頼んでみようと思うアルヴィーだった。


(……陸地に還りたい人だって、いるかもしんないもんな)


 騎士団に記録が残っているなら、調べれば船に乗っていた人々の遺族やその子孫は分かるだろう。遺品くらいは届けられるかもしれない。

 それをしっかりと頭の片隅に書き留めて、アルヴィーは話の続きを聞くことにした。

「――とにかく、あの島の所有権が君にあるということになった以上、君には島での採掘権、そしてあの周辺を通る船の航路を設定する権利も与えられることとなる」

「え……」

 また面倒そうな話に、アルヴィーは顔を引きつらせる。採掘権云々(うんぬん)は、シュリヴの意向もあるのでアルヴィー自身は積極的に使う気はないのだが、航路の設定の権利など聞いたこともない。それが顔に出たのか、ジュリアスは小さく頷いた。

「貴族の領地と同じことだ。沿岸部に領地を持つ領主には、近海の航路を設定する権利があるのだよ。あの島もそれと同様の措置が認められた。もちろん、島に宿るというかの地精霊の力が及ばない範囲でのことではあるがね。――それでも、あの一帯が“霧の海域”であった頃は、補給もなしに大回りをいられるか、陸地に程近い限られた航路を細々と使うしかなかった。大型船が航行できるほどの水深がある航路も限られていたため、航行が制限されることも珍しくなくてね。それがなくなるだけでも、我が国への利益は計り知れない」

 大陸と島の間の航路が広がれば、どの船もそこを使いたがるだろう。誰だって、補給もできない大回りの航路より、こまめに港に立ち寄れる大陸沿いの航路を選ぶに決まっている。補給もできるし、万一船内で急病人が出たり、船が損傷したりという時に、比較的すぐに港に入れるというのは大きな利点だ。

 そしてそれは、ミトレアをようするランドグレン伯爵領を始め、沿岸部に位置する領地にとって、絶好の商機になり得た。

「島の件を知って、沿岸部に領地を持つ各領主たちから、大陸と島の間に航路を設定して欲しいとの要請がすでに届いている。今はこちらに来ているが、正式に君の所有が認められたと知れれば、そちらにも行くだろう」

「ああ……そういえば、この間ミトレアに行った時に、ランドグレン伯爵からもそんな感じのことを言われた気がします」

 あの、伯爵邸への招待を受けた時だ。夕食前にエイブラムと話をする機会があったのだが、これからも息子と親しくしてやって欲しいという世の大半の親と同じような話と共に、航路の話もちらりと出たように記憶している。ちなみに、その後はウィリアムと共に、伯爵邸の料理人が腕によりを掛けた夕食をご馳走になった。テーブルマナーは不安だったが、ウィリアムのそれを盗み見ていたこともあり、何とかボロは出さずに済んだ……と思いたい。

 アルヴィーの話に、ジュリアスは思案げな顔になる。

「ふむ。さすがはランドグレン伯……というところか。――まあ、会食程度で買収だなどとは言わんよ」

 冗談なのかどうなのかはかりかねる一言に、アルヴィーは何とも言えず黙るしかなかった。

「ともあれ、そういうことでな。島の件については以上だ」

「……島の件について“は”?」

 含みのある言葉に気付いてそう尋ねれば、ジュリアスは面白そうに眉を上げる。

「ふむ。気付いたかね」

「…………」

 何だか嫌な予感がしてならないが、聞かないという選択肢はなかった。逃れようがないのなら、せめて情報は持っておかねばならない。

「……どういったことでしょうか」

 恐る恐る尋ねると、ジュリアスは小さく笑みを浮かべた。


「喜びたまえ。今回の島の発見、及びそれに伴う我が国の領土領海の拡大と資源獲得の功績を認め、この度君に爵位を授けることとなった」


「…………は?」

 たっぷりとした沈黙の後、アルヴィーは間の抜けた声を漏らす。ジュリアスはその驚愕を楽しむように目を細め、

「まだ内示の段階ではあるが、ほぼ確定だ。爵位は男爵位となる。もっとも、あの島には領民がいないため、あくまで所有地であって領土ではなく、爵位も栄誉爵となるがね」

「え……いや、でも俺は平民で、それにこの国に来てまだそんなに――」

 あわあわとうろたえるアルヴィーに対して、爆弾を落としたジュリアスは平然たるものだ。

「確かに、あまり例のないことではある。が、君がこれまでにやってのけたことを列挙すれば、本来この程度では収まらんものだとは思わんかね?」

「いえまったく!」

 もはや冷や汗すら浮かべつつ、アルヴィーはぶんぶんとかぶりを振る。ジュリアスはため息をついた。

「無欲も行き過ぎると考えものだな。――良いかね、栄誉爵をたまわるには、国に非常な貢献をしたと女王陛下、及び我々閣僚が認めなければならない。君は十二分に、その条件を満たしているのだよ。対レクレウス戦役で戦功を挙げ、《下位竜( ドレイク)》素材を惜しげもなく国に献上し、非公式ながらも《上位竜( ドラゴン)》を説得して国土を守り……そして今回の島の発見だ。我が国の領土と領海が広がるなど、建国以来初のことになる。領土を増やすというのは、それだけ難しいことなのだ。それこそ、戦争でもしない限りは」

「それは……そうなのかもしれないですけど」

「それに、あの島の湖から採取した水は、ポーションの材料として非常に優れているそうだ。サングリアム公国からのポーション供給が細りつつある今、ポーションの自国製造は必須課題。この点でも、国への貢献が大きいと認められた」

「えええええ……」

 どんどん大きくなる話に、もはやおののくしかないアルヴィー。彼にしてみれば、戦争での戦果以外はどれもこれも、貰い事故のようなきっかけなのだ。対処しなければならないからそうした、ただそれだけの話に過ぎない。それがまさかこんな事態に繋がろうとは。

 頭を抱えたくなった彼に、ジュリアスは追い討ちを掛ける。


「言っておくが、これは断れるたぐいの話ではない。――ある意味この叙爵じょしゃくは、対価のようなものだ」

「対価……ですか?」

「今回の論功行賞、君は対象から外されたが、それは国の都合と貴族同士の小競り合いの結果だ。《保守派》の中には、君がレクレウス出身で元レクレウス兵だという経歴をつつくやからも多くてな。だが戦争で最も戦功を挙げた高位元素魔法士ハイエレメンタラーをあからさまに冷遇し続けては、外聞がよろしくない。そこでその分も含めての叙爵だ。条件は文句なく満たしている以上、《保守派》も表向き文句は言えまい」


 遠慮なく暴露される裏事情に、アルヴィーは何とも言えない気分になった。

「……そういうの、“政治”っていうんですか?」

「その通り。“政治”だ」

「俺にはよく分からないです。学がないんで」

「恥じることはない。学があろうと馬鹿な人間は一定数いる」

「…………」

 下手に同意もできないような返しに、アルヴィーは無難に沈黙を守った。

「――ともあれ、これはまだ他言はしないで貰いたい。まあ、近い内に発表はあるが」

「え……じゃあどうして今、俺にこの話を?」

 どうせなら正式な発表まで待って欲しかった。同じ驚くにしても、堂々と驚けるのと発表まで秘密を抱えなければならないのでは、雲泥の差である。

「何しろ、話が話だ。心の準備というものが要るだろう? そもそもこういう話は、事前に根回しをしておくものだ」

 そう言って、ジュリアスはふと、含みのありそうな薄い笑みを浮かべた。


「……そうそう、爵位を賜れば、王都に屋敷を下賜かしされる。爵位持ちが騎士団の宿舎住まいでは締まらんだろう。何なら、良さそうな物件を紹介するがね?」

「……お気遣い、ありがとうございます」


 げんなりとそう答えるアルヴィーに、ジュリアスは目を細めると退室を促す。アルヴィーは敬礼して、執務室を後にした。

 その背を見送り、椅子に背を預けたジュリアスは、一つ息をつくと、机の上に残った書類を再び捌き始める。

 彼の仕事はまだしばらく、終わりそうになかった。



 ◇◇◇◇◇



 大陸北部、ロワーナ公国とリシュアーヌ王国の国境付近。そのリシュアーヌ側にある砦は、名をポルトーア砦といった。リシュアーヌ軍の国境守備部隊が駐留し、二国の国境を隔てる門の役割も果たすその砦は、しかし今、壮絶な戦いの舞台と化している。


「――魔動兵装、放て!」

「物理攻撃はほとんど効かん、距離を置いて魔法で焼くか、火矢を射掛けろ!」

「くそっ、駄目だ! 生半可な火力じゃ止まらんぞ、あいつら!」


 リシュアーヌ側の兵士たちが対峙たいじするのは、砦からさまよい出て来たものたちだった。兵士たちと同じリシュアーヌ兵の装備や、旅人のような服を身に着けてはいるが、それらはどす黒く汚れ、吐き気をもよおすような腐臭を放っている。皮膚は腐り落ち、骨が見えるほどに全身が崩れかけてもなお、彼らはその窪んだ眼窩がんかで生きた兵士たちをにらみ、骨が露出した手に武器を持って襲い掛かってくるのだ。


 ――ポルトーア砦に向かった者たちが、次々と消息不明になっている。


 そんな知らせがリシュアーヌ王国の王都に届いたのは、少し前のことだった。砦を経由して国境を越えようとした旅人や商人が、それきり消息を絶ったという事件が相次いだのだ。砦に連絡を取ろうとしても、駐留しているはずの兵士たちの応答もない。事態を重く見た国によって、砦に調査部隊が派遣され、そして彼らはそこで死者たちに占拠された砦を目の当たりにしたのだ。

 驚いた調査部隊は急いで王都に連絡を取り、部隊の追加派遣を要請したのだが――それに応えて現地に辿り着いた部隊を迎えたのは、蹂躙じゅうりんされた宿営地と調査部隊の兵士たちの遺体、そして物資の荷車の下に隠れて何とか難を逃れたという、調査部隊の生き残りだった。

 彼らの話によると、砦の有様に驚いた調査部隊は、ひとまず砦から少し離れた地点に宿営地を設置、砦に近寄る者が出ないよう警戒すると共に、原因を調べようとしていたのだという。だが、その日の夜に砦から出て来た屍兵たちが宿営地を襲撃。凄惨な状態の屍兵たちにパニックになった兵士たちを、屍兵たちは容易く殺していった。何しろ屍兵は、剣で斬り倒そうが槍で突き通そうがまったくこたえず、逆に身の毛もよだつような声をあげながら、兵士たちに襲い掛かったというのだ。

 話を聞いた部隊は、近隣の町や村に死者たちが流れ込んでは一大事と宿営地跡に陣を張り、そして屍兵たちとの戦いに身を投じたのだった。


「――魔動兵装は効くようですが、一発につき仕留められるのが数体では、あまりに効率が悪過ぎます!」

「仕方なかろう! 魔法で焼くにしても、人間が放つ程度の魔法では、体表が燃えるくらいで奴らの動きは止まらんのだ!」


 部下の裏返った声に、部隊長が怒鳴り返す。屍兵たちの強靭きょうじんさは、彼らの想像を絶していた。炎の魔法で身体を焼かれても、燃え盛る身をそのままに襲い掛かってくるので、かえって生者の方が手痛い反撃を食らう破目になることも少なくなかったのだ。だが、武器での攻撃はさらに無力で、まったくと言って良いほど効果がない。そもそも彼らは、アンデッドと戦った経験などなかった。

「魔動兵装が効くだけでも救いだが……」

「しかし砦の中には、まだ残りがいると思われます。魔動兵装では、砦ごと破壊することになりますが」

「構うものか。――どの道あんなことになっては、あの砦はもう使えまいよ」

 部隊長がそう吐き捨て、砦を睨み据える。死者たちに占拠されているせいか、その雰囲気はどこか暗く、禍々しいものに思えた。ここにいるだけでも、襲ってくる屍兵たちの腐臭が漂うほどなのだ。砦の中はどうなっているか、考えるまでもない。

「それもそうですが」

「もうこの際、気兼ねなく壊してしまった方が良いというものだ。王都の方に報告はせねばならんだろうが……大体貴様、死臭が染み付いた砦などに入りたいか」

つつしんで辞退致します!」

 打てば響くような即答に、部隊長はこんな時ながら小さく笑いを漏らした。


 ――だが、そんな砦に好きこのんで入る奇特な人間が、ここにはいたのだ。


「……ふむ。さすがに魔動兵装の火力で吹き飛ばされれば、ひとたまりもないか」

 そうひとりごち、死霊術士ネクロマンサーラドヴァン・ファーハルドはその緑灰色の瞳をすがめる。戦場から吹いてくる、肉の焼ける臭いと死臭がかすかに混ざった風が、窓辺に立つ彼のくすんだ金髪を揺らした。

 彼はポルトーア砦(名前など彼は知らなかったが)の防衛のため、この地を訪れていた。砦内部では死者たちが徘徊はいかいしていたが、彼らの主たるラドヴァンがおびやかされることはない。陰鬱いんうつな砦から悠々と戦況を眺めていた彼は、おもむろに愛用の杖を手にした。


(さて……少してこ入れをして来るか)


 ラドヴァンは魔法式収納庫ストレージから、転移魔法が封じられた水晶を取り出す。それに魔力を込めると、彼の姿はその場から掻き消えた。

 そして次の瞬間、彼が姿を現したのは何と、リシュアーヌ側の陣内だ。もっとも、兵士たちは襲い来る屍兵との戦いに手一杯で、自分たちの背中にまで注意を払う余裕はないようだった。

 ……ましてやここ、調査部隊の遺体が安置された一角には。

(ふむ……状態は悪くないな)

 袋に入れられて安置されていた遺体をざっと調べ、満足に足るものだと見て取ったラドヴァンは、その場で魔法陣の構築を始める。遺体安置所など誰も近付きたくないようで、人がやって来る気配すらなかったため、彼は周囲を気にすることなく準備を終えることができた。

 魔法陣を描き終えたラドヴァンは、杖を無造作に地面に突き立てる。


「――蘇れ。《操屍再生カーカスリヴァイヴ》」


 次の瞬間、描かれた魔法陣に蒼黒の光が走る。すると、どこからともなく漂ってきた弱々しい光。それらは魔法陣に吸い寄せられると瞬く間に同じ色に染まり、安置された遺体に吸い込まれていった。


 ……ごそり、と。


 袋に包まれた物言わぬ遺体たちがうごめき始める。袋の口から血の気を失った手が突き出し、頭が見え、胴が現れた。新たな屍兵となった彼らは、自分たちを包んでいた袋から脱け出すと、ぎこちない足どりで歩き始める。

 それを確かめると、ラドヴァンはもうその場に興味を失い、魔法陣の跡もそのままに再び転移して姿を消した。


 ――屍兵と戦っていたリシュアーヌ兵たちが、背後から屍兵に襲われて甚大じんだいな被害をこうむったのは、それから程なくのことだった。


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