第74話 権謀のゆくえ
「――失礼します。ギルモーア公爵邸の使用人についての調査結果をご報告します」
「ああ、頼む」
騎士団本部、中央魔法騎士団第二大隊長執務室。その主であるジェラルドは、入室して来た部下の敬礼に首肯し、報告を促した。
――ルシエルの異母兄であるディオニス・ヴァン・クローネルと、その母ドロシアに呪い付きの魔剣を売り付け、結果セルジウィック侯爵邸での惨劇を引き起こした“謎の男”を捜し出すため、ジェラルドは密かに《保守派》の重鎮・ギルモーア公爵に狙いを絞って捜査を進めていた。元々その魔剣は、民間のオークション会場から盗まれたものでもあり、その意味でも捜査は進められていたので、その事件に投入していた小隊をそのまま、ギルモーア公爵の調査に回したのだが。
「……以上、公爵邸の使用人の調査結果となります。クリストウェル氏の証言を基にした似顔絵も加味しますと、魔剣を持ち込んだ男は、公爵閣下の付き人の一人である可能性が高いと思われます」
報告を終えた騎士が差し出した報告書にざっと目を通す。複製して捜査に当たった小隊に配った似顔絵と共に、その人物の調査結果が添えられていた。それによると、“謎の男”である可能性が最も高いのは、ギルモーア公爵の側近くに仕える付き人の一人で、名前はバリー・ラービン。平民ながら公爵の覚えもめでたく、重要な使いなどを任されることも多いらしい。
「分かった。引き続きこの男に的を絞って調査しろ」
「はっ。――しかし、一つ気掛かりなことが」
「何だ?」
「実はこの男のことを探るべく何度か尾行しておりましたが……一度クローネル二級魔法騎士と接触したことが」
「ああ……そのことか。それは問題ない。こっちでも承知の上で、クローネルには“餌”になって貰っている。連中、どうやらクローネルにご執心らしくてな。というわけで、クローネルは“中”に潜り込んでの調査中だ」
「は、理解致しました。それではクローネル二級魔法騎士への接触は、警戒しなくてよろしいのですね」
「構わん。だが、尾行は継続しろ。むしろ、向こうに気付かれても問題はない。ギルモーア公爵がその使用人を切るも良し、使用人が保身で何か小細工をするならそれも良し、だ。それを押さえられれば最良だがな」
椅子に背を沈め、ジェラルドは両手を腹の上で組み合わせる。
「相手がギルモーア公爵ほどの大物となるとな……下手に崩れられる方が、宮廷のパワーバランス的にも厄介だ。向こうが致命的に崩れない程度に、だがこちらが首根っこを押さえて事を収められるのが、一番の理想ということさ」
そう言って、ジェラルドは大袈裟にため息をつく。
「まったく、厄介なもんだぜ。政治ってのは」
「は……同感であります。我らも武辺者なもので」
「下手に政治なんぞに関わるよりは、そっちの方が気楽で良いさ。俺もできればそうありたいが、こんな椅子に座っちまうと、どうにもな。――ま、今後もその調子で頼む」
「はっ! 了解致しました!」
敬礼し、部下は退室して行く。彼が残していった報告書を取り上げ、ジェラルドは信頼する副官の名を呼んだ。
「パトリシア、聞いての通りだ」
「魔剣の捜査を続けている小隊からも、報告を受けています。盗難の際、鍵を開錠したと思われる盗賊を、ほぼ特定できたそうです」
「よし、上出来だ。そいつの身柄は?」
「確保はできていませんが、居場所は掴めているそうです。現在は、その盗賊が口封じのため襲われる可能性も考え、二小隊が監視に当たっていると。隊長からのご指示があれば、即座に踏み込めるそうですが」
「そうだな……そっちはまだ泳がせておくか。公爵側から口封じに行けば、これ以上ない証拠が掴める。――セリオ、公爵邸の動きはどうだ」
「まだ動きはありませんね」
騎士たちの監視とは別に、セリオも自身の使い魔である《スニーク》を公爵邸に張り付けていた。何しろ見た目が小鳥なので(三つ目ではあるが)、騎士たちよりもよほど間近で監視できる。
「でもまあ、使い魔越しに何を見聞きしても、証拠としては弱いですし。やっぱり、証人を押さえたいですね」
「そういうことだな。――公爵が例の使用人を“切る”にしても、息の根ごと切られたら厄介なことになる。生きてる内に押さえたい。となるとここは、クローネルに期待したいところだな。今のところ、クローネルとの仲立ちをしてるのもあの男だ。上手く離反させてくれれば、ギルモーア公爵の首根っこを押さえられる」
報告書を指で弾き、ジェラルドはニヤリと笑うと、パトリシアに声を投げた。
「パトリシア、クローネルに連絡を取れ。――公爵側に揺さぶりを掛けるぞ。作戦会議だ」
◇◇◇◇◇
島へ上陸した調査団は、一夜を島で明かし、翌日の昼頃まで粘って一通りの調査を終えると、充分な量のサンプルを携え島を後にした。
「――いや、素晴らしい発見ばかりだった! まさか、これほどに豊かな資源があの島に眠っていたとは」
調査団リーダーのダリルは興奮気味に、調査結果を纏めている。揺れる船上であることなどものともせずに、凄まじい勢いで報告書を書き綴っていく姿は、傍から見ると少々近寄り難いものがあった。
魔法も併用して行われた今回の調査で、島に人間が立ち入った痕跡は見当たらず、代わりにミスリルの原料になる魔力を含んだ銀鉱脈や、同じく魔力を帯びた鉄鉱石の鉱脈が多数発見された。同時に《アンバー号》によって島の周囲の調査も行われ、周辺の海に沈む船の残骸を確認。この海域で行方不明となった船舶の情報は、ミトレア支部に捜索記録が残っている可能性があるとかで、戻り次第記録を当たることとなっている。
そしてシュリヴとマナンティアルに別れを告げ、アルヴィーも調査団と共に帰途についていた。
「――すっげー、眺めいーなあ、ここ!」
「きゅっ」
潮風を身体中に浴びながら、目を輝かせるアルヴィーがいるのはメインマストの上だ。魔法障壁の足場でどこにでも登れる彼は、報告書の作成をウィリアムに丸投げし、ここに退避しているのだった。もっとも、彼にも言い分はある。この間貨物船に便乗した時に二体もクラーケンが出現したため、視力と攻撃力を兼ね備える自分が見張り(自主的)をすれば、万一またクラーケンが現れても、見つけた傍から殲滅できるというわけである。
常人なら目が眩むような高さだが、アルヴィーの場合落ちてもどうとでもなるため、その辺の木にでも登る感覚で、マストの一番上にある横支柱に腰掛けていた。
「きゅきゅっ」
使い魔としての術式を解除されても、フラムは相変わらずの甘えっぷりで、アルヴィーに抱っこされてご機嫌で胸元に頭を擦り付けてくる。どうやらアルヴィーに甘え倒していたのは、使い魔だったからではなく、元々の性格だったようだ。よくこれで自然界を生き抜いてこれたものだと呆れたが、もしかしたら使い魔とするために早くから飼い馴らされたのかもしれない。
「あんまうろちょろすんなよー、揺れるし、その辺の木の上とはわけが違うからな」
「きゅっ」
マストの天辺近くともなればさすがに揺れが大きく、フラムを肩に乗せるわけにはいかなかったので、左手で抱きかかえ、右手で念のためマストを掴んでおく。この程度の揺れなど目ではない空中戦も経験があるので、船酔いとも無縁である。
眼下の海は見渡す限り蒼くきらめき、今のところクラーケンらしき姿は見えない。まあ、クラーケンが出現する時には、風が弱まるだとか海面が泡立つとかいう前兆があるそうなので、それさえ見逃さなければ先手は取れるだろう。
「……ん」
と、遥か遠くの海面に何か動くものを見つけた気がして、アルヴィーは目を凝らした。
「……船?」
それは細長く、そしてこの《アンバー号》と同じように複数のマストを持っているように見えた。しかもその影は一つではない。どうやら二隻いるようだ。
(……こないだの貨物船みたいなのかな)
そう思った次の瞬間――かすかながら潮騒とは明らかに違う音が、アルヴィーの耳を掠めた。
(何だ……? 波の音じゃない。何かが破裂するみたいな……)
そこまで考えて、はっとした。
――砲撃の音!
その音は、あの貨物船がクラーケンに襲われていた時に、対抗するために撃っていた大砲の砲声に良く似ていた。
「船同士で大砲撃つって、戦闘かよっ!?」
アルヴィーはフラムをしっかり持つと、横支柱から飛び下りる。創った足場を経由してものの数秒で甲板に下り立つと、たまたまそこに居合わせてあんぐりと口を開けていた騎士を捕まえた。
「なあ! 向こうの方に船がいて、砲撃みたいな音聞こえたんだけど!」
「何!?」
呆気に取られていた騎士の顔が見る間に引き締まり、船室に駆け込むと伝声管の送話口を引っ掴んでがなり立てた。
「緊急連絡! 沖合にて船影と砲撃音を確認! 海賊の可能性あり! 至急現場に急行されたし!」
「海賊!?」
聞き慣れない言葉に思わず尋ねると、騎士は伝声管の蓋を閉めながら、
「隣国のソルナート王国の沖合には群島があってな。そこを根城にする海賊がいるんだ。滅多にこっちには来ないんだが……今はオークション目当てであちこちから商人が船で来てるから、それを狙って遠征して来たんだろう。この間の貨物船は、出くわさずに済んで運が良かったな」
「……いや、海賊に遭わずに済んでもクラーケンに襲われてるんだし、運がいいかどうかは……」
思わずそう突っ込んでしまったアルヴィーだったが、騎士たちがわらわらと甲板に飛び出して来たので、慌てて邪魔にならないように脇に避ける。騎士たちはマストに殺到すると、魔法騎士と思しき十数人が身体強化魔法を駆使してマストに登り、驚くような速さで帆を畳み始めた。
「――おい! 貴様こんなところに」
様子を見に来たらしいウィリアムが、アルヴィーを見つけると眦を吊り上げて突進して来たが、その彼をちょうどいいとばかりに捕まえ、アルヴィーはマストを指差す。
「なあ! 何で帆を畳んでんだ!? 急がなきゃいけないんだろ!」
「ああ……急ぐからこそだ。駆動機関での航行に切り替えるんだろう。帆を張っていれば、かえって邪魔になるからな。――見ていろ」
ウィリアムが落ち着いた様子で作業を見守っているので、アルヴィーもそれに倣う。すると、ややあって艦体が身震いするような振動が、足元に伝わってきた。
「わ! 何だ、揺れてる……」
「駆動機関が動き出したんだ。ここから増速するぞ」
ウィリアムの言う通り、《アンバー号》は徐々に速度を上げ始めた。同時に舵が切られたようで、艦体がやや傾ぎながら向きを変える。その時、艦長を務める騎士が駆け寄って来た。
「――《擬竜騎士》! 君は確か、単独で飛行できたな!?」
「え、ああ、はい」
「物見に上がった騎士からの報告で、沖合の船の片方は海賊船と確認が取れた。だがここからは少し距離がある。そこで君に単独で先行して、海賊船を牽制していて貰いたい。我々もすぐに追い付く」
「了解です!」
アルヴィーは敬礼と共に即答すると、フラムをウィリアムにパスする。
「お、おい!」
「そいつ頼む!」
言い置いた時にはすでに駆け出し、甲板を駆け抜けながら右腕を戦闘形態に。右肩の翼に目を見張る騎士たちが慌てて道を開ける中を突っ走り、艦首を蹴って空高く舞い上がる!
(――見えた、あれだ!)
一瞬でマストよりも高い空中に翔け上がり、アルヴィーの朱金の瞳が船影を捉えた。砲弾のような勢いで大気を斬り裂き、彼は見る間に海戦の場に肉薄していく。海賊船が一隻、そしてそれに追われる船が一隻。追われる方は被弾したのか、甲板の一部が抉り取られたようになっている。海戦というよりは、肉食の獣が獲物を追っているような状況だ。
緩やかな坂を滑り下りるように、だが高速で降下しながら、アルヴィーはそこまで見て取ると、右腕を伸ばした。
(海賊船でも、沈めちゃまずいよな。だったら――)
追われる船と追う海賊船のちょうど中間の上空を翔け抜けながら、斬り上げるように右腕を振り抜く!
迸る光芒。
そして次の瞬間、その軌跡をなぞるように、海面が一直線に爆発を起こした。
「――よっし!」
狙い通りの結果に、アルヴィーは声を弾ませる。爆発的に膨れ上がった水蒸気が追う者と追われる者を強引に分断し、追われる船には強い追い風に、そして追う海賊船には強烈な逆風となった。
それを横目に、空中に足場を連続展開して、降下の勢いを殺しながら“着地”。すぐさま足場を蹴り、船を追いかける。アルヴィーが起こした水蒸気爆発で、追われる船と海賊船との距離は広がっていた。
「……何だあの化物は!?」
海賊船の方からそんな声が聞こえて、アルヴィーはため息をつく。それはまあ、自分でさえ人間離れしている芸当だとは思うが、少なくとも他人様に狼藉を働く連中には言われたくないものだ。
「だぁーれが化物だっ!」
イラッとしたので《竜の咆哮》をもう一発、海賊船の前方の海面にぶち込んでやった。
「ぶわっ! な、何も見えねえ――!」
「ひいっ」
巻き起こった水蒸気が海賊船を包み、海賊たちが慌てふためき始める。そこへ、《アンバー号》が追い付いてきた。
「良くやった、《擬竜騎士》! 総員、掛かれっ!」
海賊船にほとんどぶつからんばかりの至近距離で横付けされた《アンバー号》から、海賊船に梯子が渡され、騎士たちがそれを足場に海賊船に乗り込んで行く。魔法騎士ともなると、梯子すら使わず身体強化魔法でひとっ跳びだ。瞬く間に海賊船の甲板は大乱戦になったが、さすがに騎士の方は練度が違い、海賊たちは次々と取り押さえられていった。……何だか騎士たちの方も海賊並みに手慣れた乗り込みっぷりだったが、まあそれも海の男の嗜みというやつなのだろう。多分。
とりあえずアルヴィーの出番はなく、舳先に下り立って大捕り物を眺めることにした。
「――貴様っ、何をさぼっている!」
鍛えて間もない魔剣で海賊の剣を捌きつつ、なぜか乗り込み組にいたウィリアムが怒鳴るが、アルヴィーが下手に介入する方が危ないので肩を竦める。
「俺がそっち入ったら、勢い余って船ごとぶった斬りそうだから任せる」
「ぐぬぬ……!」
ウィリアムは唸ったが、紛れもない事実なので言い返せない。腹いせにか、斬り結んでいた海賊のカトラスを魔剣でへし折ると、止めに殴り倒して沈めた。
――やがて、海賊たちは全員が捕縛され、甲板に集められた。船内もくまなく捜索され、他の船から奪ったと思しき財物や物資が、騎士たちによって押収・記録される。そして海賊船は《アンバー号》乗組員の一部が操船のため移乗し、《アンバー号》に追随する形で、共にミトレアに向かうこととなった。
「……あ、そういや、追っかけられてた船は大丈夫かな」
ふと思い出してアルヴィーが訊くと、《アンバー号》がこちらに向かう途中にすれ違ったので、ミトレアに向かうよう指示したと近くの騎士が教えてくれた。船体を損傷していたので、どの道ミトレアで修理するのが一番安全で確実だ、とも。確かにその通りだろう。
折しも風向きも変わってきたので、駆動機関を停止して帆走に切り替える。海辺の気候に疎いアルヴィーは、海上の風向きは変わりやすいのだろう、くらいに思っていたのだが、何と風の精霊が気紛れに風向きを変えてしまうことも珍しくないそうで、世の中にはまだまだ知らないことが山ほどあると痛感した彼であった。
《アンバー号》に戻り、フラムと再会したところで、艦長の計らいで船室を一つ使わせて貰えることとなったので、そこで軽く身体を拭いておくことにする。何しろ海水で盛大に水蒸気を巻き起こしたので、何だか肌や髪がべたついているような気がするのだ。真水を少し分けて貰い(水は魔法で出せるのでそこそこ潤沢に使える)、浸して軽く絞った布で髪や上半身をざっと拭いた。
そして、右肩の辺りを拭いかけ――ふと、その手が止まる。
「……きゅ?」
いきなり動きを止めたアルヴィーに、フラムが問いかけるように首を傾げたので、その頭を軽く撫でてやってから、再び手を動かし始めた。
(……気のせいだよな)
拭き終わった布を水洗いして絞り、再び服を着直しながら、アルヴィーはそう片付けて後始末のため船室を後にした。
……そう、気のせいに決まっている。
右腕から肩に掛けて、深紅に染まった部分が、以前よりわずかに広がっているように見えたことなど――。
◇◇◇◇◇
《夜光宮》謁見の間。
偵察部隊からの報告を取りまとめた情報が、武官のトップである将軍を通じて皇帝ロドルフに奏上される。彼はわずかに目を細めそれを聞いていたが、しばしの沈黙の後に口を開いた。
「――では、纏まった兵が通れそうな道は、軒並み封鎖されたのだな?」
「は……仰せの通りにございます。恥ずかしながら、完全に先手を打たれました」
「しかし、ほんのわずかばかりの時間で、街道を完全に封鎖するほどの防壁を築くとはな。さすがに高位元素魔法士というところか」
自国の作戦に支障をきたす報告にも関わらず、ロドルフはむしろ楽しげにそう言って、傍らに立つユーリに問う。
「おまえの力なら防壁を抜けるか、ユーリ?」
「やってみないと分かんない。けどできるとして、俺が防壁壊して回っても、向こうが作り直したら意味ないでしょ。追いかけっこになって終わらないよ。向こうはそれができると思うけど」
「ははは、それもそうだ!」
軽やかな笑い声をあげたロドルフは、居並ぶ重臣たちを見渡し、そして告げた。
「聞いての通りだ。どうやら簡単には、レクレウスに侵攻はできんらしい。――ゆえに、以前に申し渡した通りだ。レクレウスへの侵攻は中止、現時点で集まっている兵力をエンダーバレン砂漠の開墾及び、周辺の魔物の討伐に転用する」
ざわり、と場の空気が揺れた。
「し、しかし……! ユーリ殿に防壁を破っていただき、そこから兵力を送り込めば!」
「その後に防壁を作り直されれば、送り込んだ兵力は退路を断たれ、大部分がそのまま捕虜だな」
「む……!」
大臣の一人が思わず述べた意見は、ロドルフにあっさりと論破された。反論できず黙り込む。
「今回は初めから我が国の負けだ。実際の戦争ではなく、その前の情報戦の段階でな。どうやらレクレウスには、この手のことが得意な専門家がいるようだ。我が国も、情報管理を徹底するべきだろうな」
「は……肝に銘じまする」
実際、今回の情報戦ではレクレウスの方が一枚上手であったことは、軍部も認めざるを得なかった。巧妙にこちらの国内に諜報員を紛れ込ませていたのだろうが、ファルレアンとの戦争時とは別の国かと思うような手腕だ。そう考えたところで、将軍は気付いた。
(そうか……もはや、別の国なのだな)
レクレウスの王家が権力をほとんど失い、代わりに貴族たちによって運営される貴族議会が国を動かしていることは、彼らも聞き及んでいる。今まで王家に頭を押さえ付けられていた有能な人材が、その力を発揮し始めているのだろう。名前こそ同じでも、レクレウスは今、その国の在り方すら変え、生まれ変わろうとしているのだ。
そしてこのヴィペルラート帝国も、今までの拡大路線とは違う方向に舵を切り始めた。
(これが、時代が変わる……ということか)
感慨めいたものを覚えながら、将軍は深々と一礼して主君の前から下がる。
そんな彼の姿を見やり、そしてロドルフはユーリを一瞥した。
「エンダーバレン砂漠に水脈が通ったとはいえ、それだけでは人は住めん。適当に水場も造ってくれ。過去の文献を見れば、川の位置や流れも分かるだろう」
「ええ、めんどくさい……分かった」
一瞬嫌そうな顔をしたユーリだったが、ロドルフにぎろりと睨まれて肩を竦める。
「けど、前に川が流れてたって、長い間水が流れなきゃ風化するよね」
「ならば地魔法の使い手も付けてやる。まずは水場がなければ、兵員の休息場所も造れんからな」
「……しょうがないね」
というわけで、まずは生命線である水を手っ取り早く確保するため、ユーリが再び現地に飛ぶこととなる。どうせならこの間やっときゃ良かった、とぼやきながら、彼は謁見の間を後にした。
それを見送り、ロドルフは臣下たちに向き直る。
「エンダーバレン砂漠の開墾には、手間暇が掛かるだろう。――だが俺は、外から奪うよりも、百年先のためにあの地に種を蒔いておきたい」
三百年もの間呪われ続けていた土地だ。再び肥沃な土地になるまでには、それなりの時間が掛かるだろう。それでも。
「……それに俺は、戦争してばかりの国を弟たちに渡したくはないのでな」
ロドルフは元々、まだ年若い弟たちが成長して帝位を継げるようになるまでの繋ぎのつもりで、この玉座に座っている。若くしてこの《夜光宮》を飛び出し、本来なら戻るつもりもなく他の兄弟たちに面倒な皇帝の椅子を任せたはずが、何の因果かこうして皇帝などやる破目になっているのだが――それでもこの玉座という椅子に座っている限りは、皇帝として兄として、後の世代に少しでも良い国を託せるよう、力を尽くすことが自分の責務だと彼は考えていた。
「レクレウスは国の形を変え、生まれ変わろうとしている。ならば、我が国がそれに倣ってはならんという法もあるまい。――外へと打って出るばかりでは、いずれ限界が来よう。肥大し過ぎた国は、いずれ内部から分裂して滅びる。そうならぬように、俺はこの国の基盤を固めておきたいと思っている」
幸い、エンダーバレン砂漠という広大な土地が呪いから解き放たれた。今こそが違う方向に舵を切る、絶好の機会なのだ。
「諸侯には反発もあろうが、そもそも他国と戦ってまで領土を奪わねばならなかった理由は消えた。これからは、外ではなく内へ、国力を集中したい。その第一歩が、エンダーバレン砂漠の開墾だ。皆、協力してくれるな?」
「は……陛下の仰せのままに」
重臣たちが頭を垂れ、ロドルフへの賛意を示す。それをもって、今後の国の方針は決定した。
偶然の邂逅が、巡り巡って大国を動かし始める。
きっかけとなった当の本人が、露ほども知らぬ間に。
――その因果関係が明るみに出るには、今しばらくの時間が必要だった。
◇◇◇◇◇
国境の主立った道の封鎖が完了したという連絡に、ナイジェルは満足げに笑みを刻んだ。
「何とか間に合ったようだな」
「は、オルロワナ公爵閣下のご協力により、侵攻経路の候補として挙がっていた道はすべて封鎖が完了。両国の一般民の行き来のために小規模な門は開放していますが、有事になればすぐに閉鎖できます」
「それで良い。――ヴィペルラートの動きは?」
「今のところ、目立った動きはありません」
「分かった。引き続き監視を」
「はっ」
報告を終えた部下が退室すると、ナイジェルはその情報を巧妙にぼかしつつ、ライネリオを旗頭とする旧強硬派に流すよう、別の部下に命じた。
「――おまえたちにも、また働いて貰うことになる。準備は良いか?」
「はい、旦那様」
「いつでも大丈夫です」
ナイジェルの腹心――というには少々年端が行かないが、信を置いているには違いない《人形遣い》の少女たちは、気合充分で頷いた。彼女たちの操る魔力の糸は、移動補佐から盗聴まで幅広く使える便利な道具だ。
「わたしたちはまた、お城で何を話してるか聞いてくれば良いんですよね?」
「そうだ。ヴィペルラートの侵攻が難しくなったと聞けば、連中も焦るだろう。内通を試みようにも、肝心のヴィペルラートが来なければどうにもなるまい。連中ももう一度浮かび上がろうと必死だ。何とかしてこちらの防衛態勢に穴を開けようと試みるだろうな」
「……それって、道を封鎖してる公爵様をどうにかする、ってことですか?」
「元々前王はオルロワナ公を嫌っていたんだ。近衛兵を使って襲撃を掛けるほどにな。その彼女に、またしても自分の邪魔をされそうだと考えれば、前王も黙ってはいられまい。何か仕掛けてくる可能性は低くない。そこを押さえられれば、申し分ないのだがな」
仮にも自国有数の大貴族を囮に使うと堂々言い切ったナイジェルに、ブランとニエラは心配そうな目を向ける。
「……でもそれって、その公爵様が危なくないですか?」
「その方って、旦那様のお味方なんですよね……」
「はは、その心配なら要らないだろう」
彼女たちの懸念を、ナイジェルは笑い飛ばす。ユフレイアの安全を確信する根拠はあるのだ。
「何しろ、オルロワナ公には《剣聖》が付いている」
クリフからの報告を受けた時には耳を疑ったが、調べてみるとそれは事実だと判明した。フィラン・サイフォス。二十歳を待たずして《剣聖》の名を継いだ、大陸でもおそらく最上位の一人に数えられるであろう剣士。
「どうやら、偶然ラフトにいたところ、例の近衛兵の襲撃をきっかけに公のもとに転がり込んだらしいが……国に仕えることなどないと言われて久しい《剣聖》を、食客を兼ねてとはいえ護衛にすることが叶うとは、彼女はなかなかの強運をお持ちのようだ。しかも、《剣聖》はどういう気紛れか、彼女のもとを去った今もクリフ共々、影からオルロワナ公を護衛している」
「……その人、強いんですか?」
「襲撃に加担した元近衛兵に話を聞いた。彼は魔法を剣で弾いたそうだ。魔剣でも何でもない、ただの剣でな」
むしろ楽しげに、ナイジェルが告げた突拍子もない事実に、二人の少女は唖然とした。
「……魔法って、剣で弾けるんですか……?」
「うそぉ……」
「凡人には土台無理な話だが……《剣聖》ともなれば容易いことなのかもしれんな」
ともあれ、それほどの腕の持ち主が傍に付いている以上、ユフレイアの身の安全についてはさしたる心配もないだろう。
「オールト家の方は、ロドヴィック殿の“自害”のおかげで、連中の標的からは外れたようだ。近い内にイグナシオらをこちらへ呼び戻す。後は、連中が動くのを待つだけだ」
準備は粗方整ったと見て良いだろう。後は獲物が巣に掛かるのを待つ蜘蛛のように、機を窺うだけで良い。
ナイジェルは満足気な笑みを浮かべると、喉を潤すための紅茶を求め、使用人を呼ぶためにベルを鳴らした。
◇◇◇◇◇
海賊船の一件をミトレア支部に丸投げし、アルヴィーとウィリアムは夕食を摂るべくミトレアの街中へと繰り出そうとしていた。
現在、ダリルを始め調査団の面々が凄まじい気迫と勢いで報告書を作成しているため、それが出来上がり次第、報告書を持って王都に戻る予定なのだ。さすがに今日中には無理なので、今夜は支部の宿泊施設で一泊することになるが、騎士たちで混み合うことが予想される支部の食堂よりは外で食べようということで、珍しく意見の一致を見たのだった。なお、一致を見たのは外に食べに出るという一点だけで、目的の店はそれぞれ別である。
だが――ミトレア支部を出て程なく、彼らの眼前に一台の馬車が停まった。馬車が掲げる、魚の尾を持つ馬と杖、三叉槍を組み合わせた紋章に、ウィリアムが舌打ちしそうな顔で唸る。
「父上か……!」
「へ?」
アルヴィーが面食らっていると、
「ウィリアム坊ちゃま、それにアルヴィー・ロイ殿。旦那様が是非、お二方とご夕食を共になさりたいとの仰せでございます」
仕立ての良いお仕着せに身を固めた、おそらく執事クラスの使用人であろう紳士が、馬車から降りてきて一礼する。アルヴィーは何となく、クローネル邸の執事であるセドリックを思い出した。ルシエルと彼の母を村まで迎えに来た時の彼と、雰囲気が良く似ている。
「“坊ちゃま”は止めろと言っているだろう!」
ウィリアムが顔を真っ赤にして喚き散らすが、執事はどこ吹く風といった様子だ。古株の使用人ともなると、下手をすれば現当主が生まれる前から屋敷に仕えていた、ということもざらだそうなので、主の息子に多少怒鳴られたところで動じないのだろう。
「さ、お二方とも、どうぞお乗りくださいませ」
執事にそう促され、アルヴィーははたと気付く。
「あ、でも俺は平民だし、一緒に食事とかできないんじゃ」
貴族と平民の身分の壁は、ふとしたところで顔を出す。騎士団では団内の指揮系統が優先されるため、任務の際にはさほど感じることはないのだが、一旦任務を離れれば、貴族と平民は厳然と分け隔てられていることも多いのだ。食事――特に夕食はそうで、貴族の館では家族の食卓であるにも関わらず正装に着替え、序列に従って着席し、幾人もの使用人に給仕を受けながら食事をするという、何とも堅苦しい慣習が未だに残っている。無論、使用人以外の平民がその場に立ち入ることなどない。アルヴィーも以前、ルシエルの家に招かれたが、夕食時はルシエルの計らいで一緒に街中の料理店に行った。
それを思い出してのアルヴィーの懸念に、だが執事はにこやかに、
「ご心配には及びません。確かに王都では昔からの慣習が今でも残っておりますが、当家のように王都から離れた場所でならば、街の有力者を招いて会食をすることも珍しくはございませんので」
ウィリアムもため息と共に首肯した。
「確かにな。僕も何度か同席したことがある。王都はそれほどでもないが、地方の領地では地元の有力な商人、それに職人の元締めなどとの繋がりは重要だからな。特にこのミトレアは、海上貿易で財を成している商人や、船を造る職人がそれなりの影響力を持っているから、会食という形で親交を持っておくことも必要だ」
「へー……場所が変われば色々違うもんだなあ」
感心したアルヴィーに、ウィリアムがびしりと指を突き付ける。
「それにそもそも、領主たる父上の招きを、平民の貴様が断れるとでも思っているのか!」
「あ……それもそうか」
「分かればさっさと乗れ!」
ウィリアムがずかずかと馬車に乗り込み、アルヴィーもおっかなびっくりそれに続いた。人生二回目の、紋章付き馬車への乗車である。最後に執事も乗り込み、御者が馬に鞭をくれると、馬車は軽やかに動き出した。
――ランドグレン伯爵邸は、ミトレアの街並みを抜けた先に、堂々たる佇まいで存在していた。門を潜ると、見事な噴水を中心に、色とりどりの花に彩られた庭を眺めつつ、館正面の馬車寄せまで導かれる。執事が先に立って馬車を降りると、恭しく扉を開けて待ってくれるので、アルヴィーは慌てて降りた。
「……うわー……」
「きゅー……」
壮麗な白亜の城館に、フラムともどもぽかんとしていると、ウィリアムに足を蹴られる。
「何を間抜けな顔を晒している」
「いや……でかいなあって」
「ふん、伯爵位ならこの程度は当たり前だ!」
「そりゃそっちはここが実家だから慣れてんだろうけどさ!」
こちとら生まれも育ちも辺境の村人である。生粋の貴族を基準にするなと言いたい。
ともあれ、執事に案内されるまま、二人は館に足を踏み入れた。玄関ホールは、扉の両脇にガラス窓を設けているおかげで、外からの光が入るようになっている。壁には海辺の風景を描いた絵画が飾られ、床は白い石と青みを帯びた灰色の石の二種類の四角いタイルが、規則正しく交互に敷き詰められていた。星を散りばめたようにかすかに輝く青灰色のタイルに、アルヴィーが目を惹かれて立ち止まると、ウィリアムが胸を張る。
「これはヴィペルラート特産の《夜光岩》だ。夜空のように美しいと、国内外で人気がある建材だぞ!」
「ヴィペルラートって、ユーリんとこのか」
以前に会談した、ヴィペルラートの高位元素魔法士を思い出し、アルヴィーは呟いた。そういえば彼も、アルヴィーが不在の間に帰国したらしい。
玄関ホールを抜けると、二階まで吹き抜けの広間が彼らを出迎える。壁が明るい蒼で統一されているのは、ミトレアの蒼い空と海を表現しているのだろう。中央には台座が置かれ、その上には小舟ほどもある、精巧な帆船の模型が飾られていた。間違ってもフラムが飛び乗ったりしないよう、しっかり捕まえつつアルヴィーも見入ってしまう。その他にも、海図や星図、異国のものらしいタペストリーなど、壁に掛けられているのも珍しいものばかりだ。さすがは国内きっての港町を統べる領主の館というところか。
「お客人はこちらへ。今、お飲み物をお持ち致します」
「……あ、はい。どうも……」
アルヴィーが通されたのは、広間に隣接する応接間だ。広く取られた窓からは見事な庭が一望でき、海を思わせる紺碧の絨毯が敷かれた床には、ソファや肘掛け椅子、小さな机などが置かれている。壁にぐるりと巡らされた腰ほどの高さの本棚は、飾り棚も兼ねているようで、銀細工や陶器の人形、絵付けのされた壺などが並んでいた。異国情緒溢れるこれらの品もまた、海上貿易でもたらされたものなのだろう。
「ウィリアム坊ちゃまは、旦那様がお呼びでございますので、書斎の方へ」
「だから“坊ちゃま”は止めろとっ」
「えっ、ちょっ」
ウィリアムはぷりぷりしながら行ってしまい、アルヴィーはぽつんとその場に取り残された。
(どうしよう……居心地悪さ半端ねぇー!)
根っからの一般庶民を、こんなきらびやかな空間に一人放り出して行かれても困る。
……結局、数分後に飲み物を運んで来たメイドが来るまで、フラムを抱き締めたままその場に立ち尽くしていたアルヴィーであった。
「――どういうつもりですか、父上」
一方、ウィリアムは父の執務室も兼ねる書斎で、父のエイブラムと相対していた。エイブラムは内心を悟らせないにこやかな表情で、執務机の向こうから息子を見やる。
「どういうつもり、とは?」
「僕たちは騎士団の任務でここに来ているのです! 単なる里帰りとはわけが違います!」
「だが、領主に話を通すよう、騎士団から命じられているのだろう?」
「それはっ! 乗船前に済ませたではありませんか!」
ウィリアムがむくれるのももっともで、エイブラムへの根回しは昨日、乗船前にすでに済ませているのだ。だというのにもう一度、それも今度は《擬竜騎士》も込みで館に呼び付けるなど、余計な手間としか思えなかった。たとえ地元であろうとも、ウィリアムはあくまで騎士団の人間として振る舞おうとしているのに、これではまるで実家から未だに独り立ちできていないようではないか。
だがエイブラムは、涼しい顔で息子の抗議を聞き流した。
「騎士団にはそちらの、我々にはこちらの事情がある。それだけのことだ」
「……事情?」
「《擬竜騎士》には誼を結ぶ価値がある、ということだよ」
エイブラムは椅子から立ち上がり、窓際に歩み寄った。この書斎も広い窓が取られており、庭の向こうにミトレアの街並み、そして蒼い海と空が見渡せる。彼はその前に立って息子を振り返り、窓のガラスを軽く叩いた。
「この海の向こうに、例の島はあるのだろう?――島は王国の領地に組み込まれるとはいえ、実際の所有権は発見者である《擬竜騎士》にも、少なからず認められることになるはずだ。当然、その至近に航路を取れるかどうかも、彼の意向次第ということになる」
基本的には、貴族の領地と同じ考え方だ。各領主には各々の領地で、法や税などに関してある程度の自由裁量が認められ、立ち入り禁止区域なども決めることができるが、沿岸部の領地ではさらに、領地近海の航路にも口を出せる権利があった。漁場となる海域の航行を禁止したり、出航・入港可能な時間を定めたりといったことが認められているのだが、規模が小さいとはいえ件の島でも同じような扱いになる。ただしあくまでも、ファルレアン王国の法の上では、ということだが。
「それは……あの島に宿る地精霊や水竜が認めるかどうかでしょう。実際に“力”であの島を支配しているのは……」
ウィリアムは実際に目の当たりにしたのだ。あの地精霊が、海底の地形までも容易く変えてしまうのを。
「下手に島に近付けば、沈むしかない」
「ならばなぜ、おまえたちは無事に島に行き、帰って来れたんだい?」
「それは、あいつが――」
そう言いかけて、ウィリアムははっと口を噤む。だがエイブラムは言葉にされなかった部分までも察して、得たりとばかりに微笑んだ。
「少なくとも《擬竜騎士》は、あの島の精霊に迎え入れて貰えるというわけだ。――つまり、あの一帯を再び“霧の海域”に逆戻りさせないためにも、彼の存在は重要ということだな」
「…………」
ウィリアムは黙るしかなかった。
騎士団に属する騎士としては、これ以上父に情報を与えるわけにはいかない。騎士団の命令が結果的に利益になるといった場合はともかく、公平であるべき騎士団が、一つの領地に肩入れすることは本来許されないのだ。たとえそれが生家の利益となることだとしても。
しかしエイブラムはそれすらも見透かしていると言いたげに、息子に歩み寄ってその肩を叩いた。
「彼はこれから、良くも悪くも宮廷で注目の的となるだろう。わたしは中央の権力闘争に関わる気はないが、我が家の権益を守るためにも、ある程度の手札は握っておきたい。――何も難しいことを頼むわけではないよ。おまえはただ、彼の友人として交流を持っていてくれれば良いんだ」
アルヴィーが背負う肩書は、もはや宮廷でも無視できない重みを持ちつつある。その交友関係までもが、貴族の間で意味を持つほどに。
「わたしも、あまり頻繁に王都に足を伸ばすわけにはいかないのでね。王都での彼との交友は、おまえに任せるのが最良だろう」
「……僕は、あいつの友人などではありませんが」
「おまえがどう思おうと、周囲はおまえたちを友人だと看做すだろう。その魔剣のこともある」
腰に佩いた剣を示され、ウィリアムは眉をひそめた。
息子の不機嫌など構うことなく、エイブラムは仕事に戻りながら退出を促す。
「話はそれだけだ。――夕食は料理人たちに腕を揮わせよう。何なら部屋の用意もさせておくが」
「結構です!」
そう言い捨て、ウィリアムは鼻息も荒く書斎を出て行く。そんな息子を見送り、エイブラムは机の上のベルを鳴らした。すぐに扉がノックされ、入室を許すと執事が姿を現す。
「旦那様、お呼びでございますか」
「夕食が済んだら、二人を騎士団の支部へ送って行ってくれ。せっかく家に戻って来たというのに、ウィリアムもなかなか忙しいようだ」
「畏まりました」
一礼して、執事が退室する。エイブラムは残っていた仕事を手早く済ませると、立ち上がった。
もう日は傾き、今にも水平線に触れようとしている。夕陽を受けて海は黄金色に輝き、昼間とはまた違った美しさを醸し出していた。
(……さて、夕食までまだ少し時間があるが……《擬竜騎士》の方とも、少し話をしておこうか)
そう予定を立てると、彼は暮れゆく窓の向こうに背を向け、暗さを増しつつある書斎を後にした。
参考資料:「図説 英国貴族の城館 カントリー・ハウスのすべて」




