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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第九章 霧の向こうで
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第72話 束の間の平穏

「――じゃあ、しばらくこのままでデータを採らせてくれるかな。楽にしていていいから」

「はい」

 寝台に腰掛け、あちこちに測定用の魔動機器を取り付けられた状態で、アルヴィーは頷いた。以前ここで同じようにあれこれ調べられたので、ある程度勝手は分かっている。おとなしく横になるアルヴィーに、王立魔法技術研究所所長、サミュエル・ヴァン・グエンは小さく頷いてデータの収集を始めた。

 ――ミトレアから帰還したアルヴィーは、発着場で待ち構えていたジェラルドに帰還報告を済ませ、王立魔法技術研究所での再検査を自ら申し出た。ジェラルドは当初怪訝(けげん)な顔をしていたが、クレメティーラでの施術のことを報告したが早いか、アルヴィーの襟首を引っ掴む勢いで研究所に放り込んだのである。まあ、火竜の肉片を追加で植え付けられたなどと聞けば、無理もない話だが。

「……しかし、一度ならず二度までも、よく無事に済んだものだねえ。一度目の施術で、免疫でもできたのかな?」

「さあ……けど、何ていうか……あの手術が成功するか失敗するかって、精神的っていうか――そっちのが強い気がする、んですよね。上手く説明できないけど」

「ふむ。身体が竜の血肉に適応するかどうかよりも、精神――端的に言えば魂が、竜の魂の支配に打ち勝てるかどうか、ということかな?」

「身体に合わなきゃ、それはそれでまずいっぽいけど。でも、体質が何とか合ってても、他の三人は駄目だったし」

「まあ何しろ、君の場合前例がないからねえ。そういう意味でも、このデータは貴重だよ」

 サミュエルは手ずからデータの収集を続けながら、急いで引っ張り出して来た以前の分のデータと照合を始めた。それを見るともなしに眺めながら、アルヴィーは手持ち無沙汰に周囲を見やる。試しに天井の染みの数を数えたりしていると、ドアが開いて研究員が顔を出した。

「所長、少しよろしいですか」

「ああ、ちょっと待ってくれ、すぐに行く。――悪いね、少し外すよ。それほど時間は掛からないと思うから」

 サミュエルが部屋を出て行くと、アルヴィーはいよいよやることがなくなり、ぼんやりと天井を見上げた。測定機器があるので、自由に動かせるのは頭の中くらいのものだ。

(……シアは何で、俺にまた火竜アルマヴルカンの肉を植え付けたりしたんだ……?)

 今に分かったことではないが、レティーシャの行動原理が分からない。どういうつもりで動いているのか、何を目指しているのか。すべてが謎に包まれたままだ。

(敵の俺を強くしてみたり、街とか造ってみたり……何がしたいんだ)

 レクレウス軍に所属していた頃は、彼女のことはただの研究者の一人としか見ていなかった。アルヴィーは、自分たちに対して母親のように接する彼女の顔しか知らない。それだけ巧みに真意を隠し続けていたのだと気付いて、慄然りつぜんとした。

 アルヴィーが知る限りでも、半年。そしておそらくはそれよりも遥かに長い年月の間、レティーシャは真実の姿を隠し通してきたのだ。

(そこまでして、何のために……)

 目をすがめた時、研究員との話を終えたらしいサミュエルが戻って来た。

「やあ、お待たせ。――ああ、この分だともうしばらく掛かるかな。色々あって疲れただろうし、寝てしまってもいいよ。これが終わったら後は報告やら何やらで忙しくなるだろうし」

「うわあ……想像付くのが嫌だ……」

 げんなりとよどんだ目になり、アルヴィーは遠くを見つめた。何しろ拉致られてから帰還するまで、できればなかったことにしたいが報告しないわけにもいかないことがてんこ盛りなのだ。大まかな下書きは済ませてあるので後は報告書として清書するだけだが、それにより引き起こされる小言と説教の嵐を想像し、彼はそれらからそっと目を逸らして、サミュエルの言葉に甘えることにして寝台に横になった。現実を直視するのはもう少し後にしよう。

 自陣ホームに戻って来たという安心感も相まって、アルヴィーのまぶたもとろとろと下り始める。

 だが次の瞬間、それはもろくもぶち壊された。


「《擬竜騎士ドラグーン》はいるかい!?」


 バン! と先ほどの研究員とは比べ物にならない勢いでドアが開き、飛び込んで来たのは薬学部主任のスーザン・キルドナだ。彼女は室内にアルヴィーの姿を認めるや否や、思わず飛び起きた彼にずんずんと突進して来た。その勢いと気迫に、眠気は別大陸よりも彼方へと吹っ飛んでいく。

「えっ、ちょ、なに、」

「さっきあんたが言付けて寄越した水のことだよ!」

 言われて得心が行った。せっかく持ち帰って来たのだからと、例のマナンティアルの湖の水を調べて貰うべく、水筒ごとここの研究員に預けたのだ。何しろ長きに渡り《上位竜( ドラゴン)》の魔力に触れてきた水である。もしかしたら何かお得な効能でもあるかもしれないと思ったのだが。

「え、じゃあもう何か分かっ」

「あんた! あの水一体どこで手に入れたんだい!!」

 アルヴィーの言葉をぶち切る勢いで、スーザンが吠えた。何事かと目を白黒させる彼に、スーザンは興奮のあまりか両手をわななかせながら、

「あの水! 通常じゃ考えられないくらいの魔力を含んでるよ! あの水を使えば、サングリアム製と同等とまではいかないものの、通常素材とは比べ物にならないくらいの高品質のポーションを自国製造できる!」

「あ、ああ、そうなのか」

 その勢いに微妙に腰が引けつつ(だが測定中なので逃げられない)、アルヴィーは頷く。さすが水竜が沈んでいただけはあると思っていたら、サミュエルの方も何だか驚愕の表情でスーザンに向き直っていた。

「それは本当かい」

「こんなことで嘘なんかつきゃしませんよ。サングリアムのポーションの流通が細ってる今、自国内でのポーション製造は急務ですからね。材料さえ何とかなればと常々思っちゃいたんですが、まさかこんなに早く解決するなんて。正直、あたしが生きてる内に解決策が見つかれば上等だと思ってたんですよ」

 そのまま熱く語り始めた研究職二人に、アルヴィーはついて行けない。だが生憎あいにく、当の二人はアルヴィーを放っておいてはくれなかった。

「これは大発見だよ! ポーションを自給できれば、それだけ国際的にも有利になるんだ!」

「これだけ魔力を含んだ水なら、他の材料は一般的な薬草を使っても釣りが来るよ。水の仕入れ値次第じゃ充分採算が取れる!」

 二人して詰め寄ってくるので、アルヴィーは反射的に寝台の上をざざっと後退した。


「……あ、後で報告書出すんで!」


 苦し紛れにそう叫んだが、二人はとりあえずそれで納得してくれたようだった。彼らのような魔法技術研究所所属の研究員や王城の文官などであれば、然るべき手続きを踏むことで、騎士団員が提出した報告書を後で閲覧えつらんできる。もっとも、特殊な事情がある場合はその限りではないが。

 ひとまずは検査を優先しよう、とサミュエルが通常状態に戻ってくれたので、スーザンも(一旦は)帰ってくれた。アルヴィーは思わず、ほっと安堵あんどの息をつく。


 ……だが、彼は知る由もなかったのだ。

 水のことなど些事さじにしか思えなくなるような情報のオンパレードとなったその報告書が、騎士団はおろか国の上層部まで絶句させ、事態を重く見た騎士団によって、第一級の閲覧制限文書に指定される破目になるなど――。



 ◇◇◇◇◇



 検査を終えて研究所を後にしたアルヴィーは、ようやく騎士団本部に戻ることができた。

 たった数日程度しか離れていないはずなのに、何だか懐かしくすら感じるのは、それだけその数日間が濃密だったからだろう。実際、色々な意味で濃いにも程があった数日間だった。

 アルヴィーが姿を見せると、出入口付近にいた騎士たちの間からざわめきが起こる。


「《擬竜騎士ドラグーン》だ……」

「帰還したって話、本当だったのか」


 視線の集中砲火に落ち着かない気分を味わうが、検査が終わったら顔を出せとジェラルドに厳命されているので、すっぽかすわけにもいかない。物問いたげな騎士たちをつとめて無視し、アルヴィーはジェラルドの執務室に向かった。


「――《擬竜騎士ドラグーン》、アルヴィー・ロイ。帰還しました」


 敬礼と共に改めて帰還報告をする彼に、ジェラルドは軽く頷く。

「ご苦労。――検査の結果はどうだった」

「詳しい結果はもうちょっと掛かるってことだけど。特に異常とかそういうのはないっぽい……です。っていうか、《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》とかも普通に使えたし」

「……その辺りも、きっちり報告しろよ」

 何気に戦闘があったことをさらりと暴露したアルヴィーに、ジェラルドは半眼になる。まあこいつの場合、厄介事の方が全力で駆け寄ってくるのだから仕方ないかなどと思ってしまう程度には、彼も達観してきているのだったが。

 そんな彼の胸中など露知らず、アルヴィーはどこかいぶかしむように首を傾げた。

「……でも、目立つは目立ってるけど、あんま風当たり強くないな。シアがさ、俺が裏切ったみたいな工作したって言ってたから、正直もっと当たり強いかと思ってた」

「ああ……その件か。確かに、例の小娘がおまえそっくりの偽者を連れてたそうだが。そいつにおまえをかたらせる間もなく、クローネルがあっさり見抜いて連中の目論見もくろみは水の泡だ。さすがに幼馴染は強いな」

「ルシィが……」

 無論、ルシエルの信を疑ったことなどない。それを信じればこそ、レティーシャの誘惑を跳ね除けて、こうして帰還したのだから。だが改めてそう聞けば、親友の信頼がふわりと胸を温めてくれるようだ。知らず、表情がほころぶ。

 しかしジェラルドが続けた言葉で、その笑みも掻き消えたが。

「残念ながら、その偽者は小娘の《竜の咆哮(ドラグ・ブレス)》で吹き飛ばされたがな。死体もろくに残らなかった。おかげで研究所の方でも、大して分析もできてない」

「――――!」

 告げられた凄惨せいさんな内容に、アルヴィーは息を呑む。

「それ、って」

「おまえの“裏切り”を演出するのに失敗した以上、偽者は用済み、むしろ生きてられちゃ困るってところだろうな。えげつない話だが、確かに合理的ではある」

「何だよ、それ……!」

 こみ上げるいきどおりに、固く拳を握り締めた。

 そんなアルヴィーに、ジェラルドが冷静に問う。

「――それで、だ。おまえ、向こうで“人造人間ホムンクルス”って言葉を聞いたことはあるか」

「ホムン……クルス? いや、ないけど」

「そうか」

「何だよ、それ」

「研究所の所見でな。おまえの偽者がそういう存在だったんじゃないか、という話だった。俺もそっちの方は詳しくないが、何でも、生み出すのに血液を使うらしい。おまえも前に報告を上げてきただろう。例のクレメンタインの騎士とやらが、おまえの血を目当てに襲撃を掛けてきたかもしれんとな」

 アルヴィーもそういったことには清々(すがすが)しいほどにうといが、そう言われると他にも心当たりはあった。

「……あ、じゃあ、もしかしてメリエも」

「あの小娘か?」

「俺たちはレクレウスにいた頃、何回も検査されて、血とかも抜かれてた。シアがそれを持ってたら……」

「なるほど。“材料”には困らんというわけか」

 得心が行き、ジェラルドは頷く。

「確かに、本人そっくりの人間を人為的に生み出す技術があるなら、死人がまたぞろ出て来た説明も付くな。ただ、生前の記憶がきっちり残ってるらしい辺りはまだ理由が分からんが」

「……アルマヴルカンは、魂はちゃんとメリエのだって言ってた」

「魂……となると、死霊術ネクロマンシーか?」

 ジェラルドは宙をにらんでひとりごちたが、現段階ではあくまでも推測に過ぎない。肩をすくめて気分を切り替えた。

「――まあその辺りは、もう少し情報を集めんと何とも言えんがな。それより今回の件の報告書を早めに提出しろ」

「あ……その件だけど、報告書ここで清書したい、んですけど。余所じゃ何か落ち着かなくて」

「ああ……そうかもしれんな」

 《擬竜騎士ドラグーン》帰還の一報は瞬く間に本部に知れ渡り、元から目立つ存在だったのが余計に注目の的である。人目がないところなど、それこそこの執務室か宿舎の自室くらいのものだ。この執務室には来客用のソファとテーブルもあるので、そこを使わせることにする。

 ジェラルドから了解を貰い、アルヴィーはテーブルの上に紙を広げてペンを走らせ始めた。といっても、ミトレア支部で小部屋に閉じ込められていた時に、持て余す暇を使って大まかな下書きは済ませていたので、それを正式な様式に清書するだけだ。さほど時間も掛からずに、アルヴィーは報告書を仕上げることができた。

「――できたー!」

 完成した報告書を意気揚々(いきようよう)とジェラルドに提出し、用も済んだと帰ろうとしたアルヴィーを、ジェラルドは文字通り首根っこを掴んで引き留めた。

「おい待て」

「ぐぇ!? 何すんだよ!?」

「おい、おまえ……この報告書、事実なのか?」

「は? 報告書に嘘書いてどうすんだよ」

「……ああ、そうだな……おまえにそんな頭があるわけないか……」

 気のせいか痛み始めたような頭を押さえながら、ジェラルドも認めるしかなかった。アルヴィーの提出した、荒唐無稽こうとうむけいにも程があるような報告書を。

「何ならこれ、証拠品に付けるよ。精霊に貰ったやつ、後で返して貰うけどな。――それと俺、今さっき堂々と悪口言われてなかったか?」

「気のせいだ。――ひとまず、おまえは自室待機だな。うろうろ出歩かずにおとなしくしてろ」

「分かってるよ……」

 アルヴィーとしても正直、そろそろまともなベッドが恋しいのだ。何しろ、クレメティーラを脱出してからこっち、基本的に野宿のようなものだったので。

 地精霊シュリヴから貰った水晶を証拠品として預け、執務室を退出したアルヴィーは、当面の仕事が終わったことにほっとしながら、宿舎へ戻るべく歩き出した。すれ違う騎士たちにいちいちガン見されるのを振り切るように、足を早めて本部の正面出入口へと向かう。


「――アルヴィーさん」


 だが、そこで馴染みのある声に呼び止められ、彼は足を止めた。

「シャーロット?」

「もう報告は終わりですか」

 彼女が手にした籠の中では、金茶色の塊が丸くなり、緩みきった顔でぷすーぷすーと寝息を立てていた。そういえば、せっかく出迎えに来てくれていたというのに、ジェラルドによって速やかに研究所へと連行されたせいで、彼女たちとはろくに話もできていない。というか、フラムはルシエルに預けたはずなのだが、どういった経緯でシャーロットに渡ったのだろうか。

 ともかくも、彼女からフラムを受け取る。

「ああ、やっとまともにベッドで寝られそうだよ。あ、フラムありがとな」

 惰眠だみんむさぼるフラムを起こさないよう籠ごと受け取ったが、さとくも飼い主の気配を察知したのか目を覚まして騒ぎ出したので、諦めて掴み上げた。胴体を掴まれてびろんと伸びる小動物は、きゅっきゅと鳴きながら肩に乗ろうと手足をバタつかせる。そんな様子を微笑ましく見ていたシャーロットだったが、アルヴィーの方に目を向けると気遣わしげな表情になった。

「……身体の方は、大丈夫ですか。その……」

「あー……まあ、一回やってるしな。――ただ、ちょっと余計に人間離れしたっぽいけど。ま、今さらか」

「そんな、他人事みたいに……」

 眉をひそめるシャーロットに、アルヴィーは困ったような笑みを見せた。


「そういうつもりはないんだけど。――でも、しょうがないかなって気はしてる。あの時は、他に選べなかったんだ。俺はまだ死にたくないからさ、だからそのための代償みたいなもんならそれでいい」


 そう言ったアルヴィーの存在が、急にひどく遠くなったように思えて、シャーロットはぞくりとする。知らず、彼に向けて手を伸ばしていた。

「……シャーロット?」

 不思議そうに目を瞬き、自分を見つめるアルヴィーに、シャーロットははっと我に返った。伸ばしかけていた手を慌てて引き戻す。

「い、いえ……」

「……あ、もしかしてフラム触りたいのか? 別に遠慮しなくていいのに」

「いえ、そういう……ああもう、それでいいですよ」

 いっそ敗北感に近いものを感じながら、シャーロットは差し出されたフラムを受け取った。くりくりと大きな緑の双眸には、気が抜けたような顔をした自分が映っている。


 ――どうしてくれようか、この鈍感男。


 はあ、とため息をつき、シャーロットはフラムを撫でた。心地良さげに目を細める小動物に心癒されつつ、ふと思い付く。

「……そういえば、アルヴィーさん。あれから商業ギルドに行きました?」

「へ? 商業ギルド?」

「ほら、ワーム素材をオークションに出品したでしょう」

 以前に彼を商業ギルドに案内した時のことを口にすれば、アルヴィーも思い出して頷く。

「ああ、そういや魔法式収納庫ストレージの容量やばくて、ギルドで引き取って貰ったっけ」

「あれ、もうそろそろ連絡が来ててもおかしくないと思いますけど」

「そういや確認してないな。また制服作りたいし、ついでにギルド寄ってみるか」

「……また制服駄目にしたんですか」

「しょーがねーだろ! 拉致られて、気が付いたら捨てられてたんだよ」

 あれ結構するのに、とため息をつく彼に、シャーロットは思わずくすりと笑った。今や制服どころか王都に屋敷の一軒や二軒は構えられるであろう資産があるはずだが、彼の金銭感覚はまだ一般庶民なのが何だか微笑ましい。

「……けど、今日はあんまうろうろすんなって言われてるし、行くとしても明日以降かな」

「分かりました。じゃあ、連絡来てたら教えてくださいね。今度一緒に行きましょう」

「え? いや、別に俺一人でも……」

「手続きを一人で完遂かんすいできる自信があるなら、それでも構いませんが」

「……付き添い頼む……」

 手続きのことを忘れていた。がくりと肩を落としたアルヴィーに、シャーロットは笑って了承するとフラムを返す。

 身体を休めるために宿舎へと戻って行く彼を見送り――シャーロットはくるりと振り返った。


「……それで? 皆さん、そこで何を?」

「あー、やっぱばれてたか」


 少し離れた物陰や休憩スペースの衝立ついたての向こうから、ひょこひょこと顔を出すのはお馴染み一二一小隊の面々だ。カイルやジーンの悪乗り組ばかりでなく、この件に関しては隊の良心であるルシエルやディラークまで揃ったフルメンバーである。大方カイルかジーン辺りに《伝令( メッセンジャー)》か何かで呼び集められたのだろうが、それにしても他にやることはあるだろうと、シャーロットはため息をついた。

「まあ、ユナからまたフラムちゃんを渡された時点で、予想はしてましたけど……隊長まで何をなさってるんですか」

「いや……今回はちょっと気になって」

 さすがにばつが悪いのか、微妙に目線を逸らしながら、ルシエル。何かあると見て取ったジーンとカイルが詰め寄る。

「もしかして、隊長何か心当たりあるんですか。そこ詳しく!」

「このに及んでだんまりとかないっすよ、隊長!」

 隊員たちの追及に、だがルシエルは沈黙を守った。もちろん彼の脳裏にあるのは、アルヴィーを迎えに行く直前に出くわした、ニーナ・オルコット四級騎士の一件である。見るからにアルヴィーに想いを寄せていると分かる彼女の存在を、シャーロットの前で口にして良いものかとためらったのだ。

 だが彼のそんな配慮を、当のシャーロットがあっさりとぶった切った。

「……ああ、もしかしてオルコット四級騎士にお会いになりましたか」

「知っているのか?」

「ええ、わたしも一度、宿舎でお会いしましたので。アルヴィーさんも意外と隅に置けませんよねえ」

 その言葉に俄然がぜん色めき立ったのは、他の隊員たちの方である。


「おおっ、もしかしてライバル登場ってやつか?」

「あら、なかなか燃える展開じゃない。今度街に出る時は、こっちからも押していかないと」

「ロット、頑張って」


 仲間たちからの応援に、シャーロットは小首を傾げて、


「まあそれは、こちらの事情ですので。――どうせさっきの話も、身体強化魔法か何かで聴覚強化して盗み聞きしてたんでしょうけど、今度出掛ける時にはさすがに、自重していただけますよね?」


 にっこり。


 花開くような笑みの背後に、冬のイムルーダ山山頂もかくやという冷ややかな気配を感じ、隊員たちはこくこくと高速で頷いた。その脇では、良心組が苦笑いである。

「ありがとうございます。では、わたしはこれで。ユナ、これ返しておきますね」

 フラムを入れていた籠をユナに返して、シャーロットは会釈するとその場を後にする。

「……なあ、どうする?」

「あそこまで釘刺されちゃうとねえ……でも、そうなると余計に気になるわよね。ねえクロリッド、あんた、こっそり相手にくっつけられて話を聞ける魔動機器とか持ってないの?」

「無茶言うなよ!? ないよそんなの!」

「ないの……残念」

「さすがにそれはどうかと、僕は思います……」

 顔を突き合わせてひそひそと話し合う部下たちに、ルシエルはそこはかとない不安を感じながらも、

「程々にしておけよ。――僕ももう戻る。ディラーク、後を頼む」

「分かりました。暴走しないように目を光らせておきましょう」

「……そうだな」

 まあ、アルヴィーはあの通りだし、隊員たちもさすがに越えてはいけない一線は心得ているはずだ。きっと。

 隊員たちの良心に望みを懸けつつ、ルシエルはその場を離れ歩き出した。



 ◇◇◇◇◇



 アルヴィーが提出した報告書と証拠品は、通常の確認手順をすっ飛ばし、最速で騎士団長のもとにまで上げられた。

「……この報告書の内容は事実なのか? カルヴァート一級魔法騎士」

 その内容の荒唐無稽さにこめかみを押さえたくなりながら、騎士団長ジャイルズ・ヴァン・ラウデールは、報告書をたずさえてきたジェラルドに問いただす。ジェラルドもしかつめらしく答えた。

「はい。証拠品もありますし……こう申し上げては何ですが、あの《擬竜騎士( ドラグーン)》ならこれくらいやらかし――失礼。こういった事態に遭遇そうぐうすることも、さほど不思議ではないかと」

「…………うむ」

 たっぷりとした沈黙の後に、ジャイルズも頷いた。その言葉に納得せざるを得なかったので。

「しかしそうすると……事は重大だぞ」

 唸るようにそう言って、ジャイルズは報告書をめくった。

 報告書によれば、アルヴィーは旧クレメンタイン帝国帝都・クレメティーラに連れ去られ、そこで再び火竜の肉片を移植されたという。だがそこからは自力で脱出、その際に城内の転移魔法陣を使ったことでまったく別の場所にある島に飛ばされ、そこで《竜玉》に宿った水竜、そして地の高位精霊と遭遇。狂っていた地精霊と交戦し、正気に戻った精霊及び水竜とよしみを結んだ――とある。さらに、水竜が眠る湖を譲られ、地精霊からもミスリルの原料となりうる銀鉱脈を与えると言われたらしい。極め付けに、その島はかねてから“霧の海域”と呼ばれる海の難所であったが、水竜によって霧が晴らされたため、海上からその島を確認することができる――。

「この報告が事実なら、《擬竜騎士ドラグーン》は“霧の海域”で島を発見したことになる。そうなれば、そこを我が国の領土であると国際的にも宣言できるぞ。つまり、そこに至るまでの海も、我が国の領海ということになる。建国以来、初めてのことだ」

 前人未踏ぜんじんみとうの島を他国に先んじて発見したのだ。そういった場合、発見者が属する国、今回の場合はファルレアン王国がその島の領有権を持つことになる。歴史をさかのぼっても、あの一帯で島が発見されたという情報はなく、ファルレアン王国建国当時からすでに霧に包まれていたということを考えれば、アルヴィーが発見者といっても差し支えないだろうと思われた。

 問題の島は国内随一(ずいいち)の港町・ミトレアに程近く、この一帯の安全が確保できれば、海上貿易の面で非常に有益だ。これまでは“霧の海域”があるがために、ファルレアン近海の航路は制限されていたのだが、それがなくなれば海上貿易への恩恵は計り知れない。

「しかも、魔法技術研究所からの報告によれば、その島の湖の水は、ポーションの原料として非常に優れているという。安定供給が叶えば、ポーションの完全自国製造も夢ではないそうではないか。サングリアム公国からのポーションの供給が減りつつある今、ポーションの自国内供給は非常に重要だ」

「そのサングリアムのポーション減産も、おそらくはクレメンタイン帝国が関わっているようですが。報告にあった旧帝都・クレメティーラの件も気になります。三公国だけでなく、クレメティーラにも部隊を派遣すべきかと」

「うむ……魔動巨人ゴーレムで街を造っているということだったな。事実なら由々しき事態だ」

 現時点でも、《虚無領域》――旧クレメンタイン帝国領には集落が点在している。それを再び国民として纏め上げれば、国としての体裁も整うだろう。そのためにかつての帝都の整備をしているのだとしたら――。

「どの道、《擬竜騎士ドラグーン》捜索のための部隊を編成しているところだったのだ。その一部をそのまま、クレメティーラに向かわせれば良い。後は、物資の問題だが」

「ポーションの開発を急ぐよう、研究所に依頼するしかないでしょう。元々、薬学部の方では以前から研究を進めてはいたようですし、原料の目途も立ちそうです。まずは、《擬竜騎士( ドラグーン)》が譲られたというその湖の調査を行うのが先決かと」

「そうだな。――ともあれ、この報告書の内容については、陛下にご報告せねばならん。これはそれほどの大事おおごとだ」

 おそらくその場での騒ぎを想像したのだろう、ジャイルズは少々げんなりしたような表情になったが、騎士団から上がってきた報告書を上に持って行くのは、やはり彼の役目である。

「では、後はお任せ致します、騎士団長閣下」

「……うむ」

 さっさと退出するジェラルドをやや恨めしく見送ると、ジャイルズは一つ息をつき、女王アレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアンへの報告のために、謁見えっけんの手続きを取りに向かった。


 ――そうしてアレクサンドラを始め国の上層部に開示されたくだんの報告書は、やはりというか、こちらでも大きなどよめきをもって迎えられた。


「その報告にまこと相違はないか、騎士団長」

 驚愕がにじんだ声で問う宰相、ヒューバート・ヴァン・ディルアーグ公爵に、ジャイルズは肯定を返す。

「は。詳細は件の島に調査におもむかねばならぬでしょうが、“霧の海域”については南方騎士団ミトレア支部からも報告が上がっております。確かに霧が晴れ、島が確認できるとのことです」

 謁見手続きと並行して、裏付けを取るため南方騎士団に問い合わせをしたところ、ミトレア支部からの報告がこちらにも回されてきたのだ。どうやら、アルヴィーが乗り合わせた貨物船の船長から事情を聞いたミトレア支部が、ふねを派遣して現地で確認を取ったらしい。そのふねからの報告によれば、問題の島周辺は霧こそ晴れているが、海底地形のせいで島まで十ケイルほどのところまでしか近付けないということだった。だがともかく、実際に島があることは証明されたのだ。

「それとこちらが、《擬竜騎士ドラグーン》から預けられた証拠品になります。何でも、地精霊より与えられたものだと」

 ジャイルズが示した水晶に、居合わせた人々から感嘆の声があがった。

「ほう、これは……!」

 大きさこそ片手で持てる程度のものであるが、その中には金色の光が揺らめき、氷の中で炎が燃えているように見える。確かに、自然の鉱物にはあり得ないものだ。

 それを見たアレクサンドラは目を細め、手にした杖でとん、と床を突いた。


「――シルフィア。悪いけれど、少し良いかしら?」


 すると、彼女を中心に風が渦巻き始める。

 息を呑んだ人々の耳に、くすくすと笑う声が聞こえた。


『ええ、構わないわよ。可愛いエマの頼みなら』


 風が凝集し、その只中に一人の女性を形作る。薄緑と金が混ざった長い髪、翠玉の双眸。若草色のドレスを風にひるがえし、彼女――アレクサンドラを寵愛する風の大精霊・シルフィアはその場に姿を現した。

『それで? 何の用かしら、わたしのエマ』

「あの水晶を見て貰いたいの。預かり物だから、壊さないでね」

『ふうん、どれどれ』

 ふわり、風に流されるように、シルフィアは宙を漂って水晶を間近で覗き込む。そして驚きに目を見張った。

『あら! なかなか高位の地精霊が作ったものね。それにこれ、作り手の地精霊の力の一部が込められてるわ。手繰たぐれば向こうと話ができそうね』

 シルフィアが指先で水晶に触れると、小さな風の渦が水晶を包む。と、まるで炎が風にあおられるがごとく、金色の光が強さを増した。


『……だれ』


 ややあって、警戒を滲ませた、まだ幼さを残した声が聞こえた。


『初めまして。わたしはシルフィア。あなたはだあれ?』

『! 風の大精霊……!』

 光が動揺を表すように揺らめいたが、ややあって返答があった。

『……僕はシュリヴ。――ねえそれより、どうしてアルヴィーにやった水晶から、風の大精霊が接触してくるの。あいつは?』

『ふふ、あの子、面白い子でしょ。あなたは今……ああ、南の島にいるのね』

 さすがに風の大精霊というところか、シルフィアは風であっという間に相手の居場所を割り出す。水晶の中の光が、苛立たしげにちらついた。

『だからさ!』

『心配要らないわ。あの子は今、部屋でぐっすり寝ているみたいだから。この水晶は少し、預かっているだけ』

 同じく風で、今度は騎士団の宿舎を走査し、シルフィアはくすりと笑う。

『でも、ずいぶん気に掛けているものね? 見たところ、あの子に加護は与えていないようだけど』

『そっちには関係ない話だ。――あいつも何で、僕があげたもの簡単に預けちゃうのさ』

 ねたような声音に、シルフィアはころころと笑った。

『あなた、これを渡す時にちゃんと説明はしたの? 肌身離さず持っていて欲しかったら、きちんとそれを相手に伝えなさいな』

『…………』

 黙ったところを見るに、大して説明はしていないのだろう。

『わたしたちでは少し理解できない感覚だけれど、言葉は人間にとっては重要なもののようだわ。人間はわたしたちのように、相手の思念を拾うような真似はできないの。加護を与えるなりして繋がりを持てば、話は別だけれど』

 すると、


『……だってあいつ、加護要らないって言ったんだもん。仲良くなるには、ただ話をすればそれでいいって』

至言しげんね』


 ぽつんと落とされた一言に、シルフィアはまた涼やかな笑い声をあげた。

『本当に、あの子は面白いわ。わたしの一番はエマだけど、できればあの子にも加護をあげたいくらい。力の均衡を崩すとまずいから、あげられないけど』

「以前にも、そんなことを言っていたわね?」

 アレクサンドラが口を挟むと、シルフィアは楽しげに振り返る。

『あの子の中には火竜の欠片がいて、その上に別の火竜の加護があるわ。炎に炎を足しても火勢が強くなるくらいだけど、風で煽ってしまえばどうなるか分からないの。――それにしても、あの子の中の火竜の欠片は、前より強くなったわね? 右腕だけで済めば良いけれど』

 どこか不穏なことをあっさりと言い放ち、シルフィアは水晶から指を離すと、再び宙を漂ってアレクサンドラのもとに舞い戻った。

『これで良いかしら、エマ?』

「ええ、ありがとう」

 アレクサンドラの礼に、シルフィアは猫のように目を細める。

『良いのよ、可愛いエマの望みですもの。――じゃあね、エマ。また今度遊びましょう』

 そう言うなり、彼女の姿は風になり、四方に散って消え去った。

「――少なくとも精霊の件については、報告が事実であると証明されたわね。ひとまず、その水晶は《擬竜騎士( ドラグーン)》に返還して。精霊がそれを望んでいるようだから」

「は、かしこまりました」

「それと、例の島の湖や鉱脈の方も調査を」

「そちらは我々財務の方でうけたまわりましょう。鉱山の管理は我々の管轄ですので、専門の調査員がおります」

 財務大臣が自慢げに胸を張った。

「……あなた方には、論功行賞ろんこうこうしょうの褒賞の査定も任せていたけれど、大丈夫なのかしら?」

「論功行賞の査定については、すでに粗方あらかたが完了しております」

「では任せます。――宰相、論功行賞の件について少し話をしたいのだけれど、良いかしら?」

「畏まりました。ではこの後、承りましょう」

 ヒューバートが一礼し、それをしおに閣僚たちは自分の仕事に戻って行く。ジャイルズも報告書を片手に、謁見の間を後にした。

 ……戻ったらすぐに、この報告書の閲覧制限の手続きをしようと思いながら。



 ◇◇◇◇◇



 ――あの子供たちがいなくなってから、城内が奇妙に静かになった気がする。

 ベアトリス・ルーシェ・ギズレは、《薔薇宮ローズ・パレス》の廊下を歩きながら、そっとため息をついた。

 その広大さのせいで、元々不気味なほどの静けさに満ちていたこの宮殿は、だが近頃は時折、少年少女の明るい話し声が漏れ聞こえることも多かった。ベアトリスに付き従って仕事を覚えている最中のミイカと、ダンテの部下という位置付けになっているゼーヴハヤルは、ミイカの休憩に合わせてよく落ち合い、他愛もない話に花を咲かせているのだ。時にはそこに、ミイカの兄であるオルセルも混ざり、ゼーヴハヤルも合わせてまるで本当の兄弟のように、楽しげに時を過ごす姿をベアトリスも何度か見掛けた。

 だが、その彼らは今、この《薔薇宮ローズ・パレス》にはいない。主であるレティーシャの命を受け、ベアトリスの故郷でもあるファルレアン王国に向かったからだ。

 そして彼らがいなくなってしまえば、この宮殿の静寂は前よりも一層、浮き彫りになったかのようだった。

(……あの侍女たち、ほとんど喋らないのよね)

 ベアトリスが従えるこの宮殿の侍女たちは、他の貴族の館に仕えるメイドたちのように、お喋りにきょうじることを一切しない。ただ黙々と、ベアトリスに指示された仕事をこなすのみだ。自身が知る使用人の女性たちとはあまりに違うその様子に、ベアトリスが薄ら寒いものを感じたのは一度や二度ではなかった。

 それに――と、彼女は思い起こす。

(この城の使用人って、どうしてみんなあんなに似ているのかしら)

 目元や口元が、などという次元ではなく、ことごとくが一見して血縁――それもごく近い血縁ではないかというほどに、顔立ちが似通っているのだ。身体つきもまるで型に嵌めでもしたように中肉中背。正直、職種によって服装が違っていなければ、彼らに適切に仕事を振れる自信がベアトリスには未だになかった。

 かつん、と足音すらも殊更ことさらに響く中、ベアトリスは淑女らしく、背筋を伸ばして歩いて行く。その足が、不意に止まった。


(あれは……ダンテ様?)


 彼女がほのかな想いを寄せる、レティーシャの騎士ダンテ・ケイヒル。後ろ姿とはいえ、彼を見紛うはずもなかった。

 ダンテはどこかを目指しているようで、迷いのない足どりで歩いて行く。ベアトリスも足音を立てないよう気を付けながら、それを追った。

 やがてダンテは、建物を出るとある方向へと向かう。この道は、ベアトリスも覚えていた。数度ほどしか訪れたことのない、地下研究施設への道だ。だが、宮殿内とはいえ一歩建物を出ると、少々足下がよろしくない。ダンテのような歩きやすい靴ならともかく、少しかかとの高いベアトリスの靴では、そこから先を静かに追跡するなどということは困難だ。仕方なく、彼女はそれ以上の追跡を諦めた。

 と、


「……あんた、何してんの、こんなとこで?」

「ひっ!?」


 いきなりかけられた声に、ベアトリスは思わず引きつった悲鳴をあげた。

「……あ、あなた……!」

 振り返った先には、呆れたような表情でメリエ・グランが立っている。

「そっから先って、あの研究施設しかなかったんじゃない? こんなとこに何の用があるのよ」

「あなたには関係ないわ……失礼するわね」

 何とか平静を装って立ち去ろうとするが、なぜかメリエもついて来る。

「……わたしに何か用でも?」

「は? 単に行く方向がおんなじなだけなんだけど?」

「……そう」

 まあ確かに、建物の中心部に戻ろうとするなら、同じ道を辿たどるしかない。気にしないように努めながら歩いていると、背後から慨嘆がいたんの声が聞こえた。

「あーあ、せっかくアルヴィー捕まえたのに、逃げられちゃった!」

「……なら、また捕まえれば良いのではなくて?」

「あたしだってそうしたいわよ!――けど、シアが別の仕事しろって」

「別の仕事?」

「またモルニェッツの国境行けってさー。ったくもう、領土取られたくないなら、さくでも立ててりゃいいのよ」

 ぶつくさ言いながら、メリエはふと思い出したように呟く。

「……そういえば、あの変態もロワーナとリシュアーヌの国境に出るんだっけ」

「変態?」

 聞き捨てならない単語にベアトリスが眉をひそめると、メリエは憤然ふんぜんと、

「変態で充分よ、あんなじめっとしたくらーいとこにいるような奴! あいつ最初にあたしのこと、骨に憑依させようとしたんだから!」

 ぷんすかとむくれながら、メリエはぴっとベアトリスに指を突き付ける。

「忠告したげるけど、あんたも変な実験とかに巻き込まれたくないなら、あの変態には近付かない方がいいよ。じゃあね」

 長い髪を翻し、メリエは角を曲がって別の方向へ歩いて行った。

(……そういえば、彼女もあの施設で……)

 メリエの目覚めには、他ならないベアトリスも立ち会ったのだ。その時のことを思い出し、ベアトリスの背を冷たいものが滑り下りた。


 ――やはりあの施設には、得体の知れない“何か”があるのかもしれない――。


 今さらながらにダンテの行方が気になったが、もう今から追ってもさして意味はあるまい。ベアトリスはかぶりを振ってその考えを頭から払い落とし、心持ち足を早めて歩き始めた。



 ◇◇◇◇◇



 帰還から数日後。波瀾万丈はらんばんじょうだった数日間に対する、幼馴染のお小言という試練も何とか乗り越え、アルヴィーはシャーロットと共に街に出掛けた。商業ギルドからの連絡が届いたのだ。

 商業ギルド本部は、オークションの期間が終わったせいもあってか、以前ほどの人出はないように思えた。とはいえ、商人たちの活動拠点の一つであることには変わりなく、相応の賑わいはあるのだが。

 建物に入ると、早速シャーロットが職員を捕まえ、以前に委託したオークションの件について尋ねる。ワーム素材を景気良く放出したアルヴィーは、ギルド側でも印象深かったらしく、すぐに部屋に通された。

「――お待たせ致しました。こちらが落札額から委託代金を差し引かせていただきましたものとなります。どうぞ、お納めくださいませ」

 盆に盛られた金色の山に、アルヴィーの表情が引きつる。

「……えーと、これ全部?」

「左様でございます。一度に大量の素材が出ましたため、金額が少々抑え目となってしまいましたが……」

「い、いやこれでいいんで! 充分だから!」

 むしろあまりの額に腰が引けそうだ。平然としているギルド職員が信じられない。まあ、職業柄大金を扱うのには慣れているのかもしれないが。

 だが、アルヴィーの魔法式収納庫ストレージにはすでに、これ以上の大金が眠っているのだ。その事実に思い当たり、げんなりと呟く。

「っつーか、魔法式収納庫ストレージに入ってる分も、どっかで預かってくんねーかなあ……」

 すると、


「でしたら、当ギルドでお預かりすることもできますが」


 職員の言葉に、アルヴィーは目を瞬いた。

「……ここで?」

「正確には、当ギルドは窓口となります。そもそも当ギルドは、国の財務部門の関係機関となりまして、その管轄下にありますので。そのため、王城の敷地内に金庫室をたまわっておりまして、そこでご希望のお客様の資産をお預かりしております。ご利用料が多少掛かりますので、主に貴族の方々や、事業規模の大きい商会などのご利用をいただいておりますが、よろしければ是非」

「……シャーロット、知ってたか?」

「ギルドがお金を預かるということなら、噂程度に。どの道わたしたち庶民には関わりのない話ですから、あまり詳しくは知りませんが」

「ルシィからもそんな話、聞いたことなかったけどな……」

「貴族の方は、自宅で資産を管理される方も多いですし。隊長がご存知なくても、別段不思議はないですよ」

 ひそひそと尋ねると、やはりひそひそと返された。頷いて、職員に向き直る。

「えーと……俺、貴族とか商人とかじゃないけど……」

「問題はございません。お申し込みいただければ、今日からすぐにご利用いただくことができますが」

 もちろん、即座に申し込みを決めた。クレメティーラでは、ろくに中身のチェックもされていなかったのか無事だったが、こうなると魔法式収納庫ストレージでも安全とはいえない。そもそも大金を持ち歩くこと自体、精神衛生上良いとはいえないので、安全に預かってくれるところがあれば、それに越したことはないのだ。

 職員に申込用紙を持って来て貰って記入を済ませると、当座要りそうな分を除き、すべて預けることにした。職員数人掛かりで金額を数えて貰い、ついでに余った《下位竜( ドレイク)》素材も大部分を預けてしまうことにする。金貨の山にも動じなかったギルド職員が、その正体に気付いたかぎょっとしていたのはさすがと言うべきか。

 ともあれ、魔法式収納庫ストレージの肥やしを預けることができ、アルヴィーは大きく息をついた。

「――では、こちらが金庫の鍵となります。当ギルドで合鍵を一つ持たせていただきますが、基本的にはお客様がお持ちの鍵を金庫の開閉に使用することとなりますので、紛失や盗難には充分ご注意くださいませ」

 手渡されたのは、十セトメルもありそうな大振りの銀色の鍵だった。魔剣にも使われる魔鋼でできているそうで、頑丈さは保証付きだという。

 それを魔法式収納庫ストレージに仕舞い、アルヴィーはシャーロットと共に商業ギルドを後にした。


「――まさか商業ギルドで金預かってくれるとは思わなかったなー。けど金庫から金出したい時って、王城から持って来るまで待つのかな。ギルドまで持って来る間に盗まれそうだけど」

「そうですね……実はこれ、都市伝説的な噂なんですが。商業ギルド本部と王城の間には、地下通路が通っているとか……」

「え、マジで?」

「商業ギルドが王城の敷地内に金庫を持っているというのは、わたしも今日初めて聞きましたが。そうなると、あながち都市伝説とも決めつけられませんね」

「へえ……地下通路とか、何かいいな、それ。秘密めいてて」


 男の冒険心をいい感じに刺激する単語に、アルヴィーの声もやや弾む。もちろん、内容が内容なので声量は控えめだ。

 そんなことを話しながら歩いていると、誰かに肩がぶつかった。

「あ、悪い! 大丈夫か?」

 ぶつかったのはアルヴィーより少し年下に見える少年だった。少しよろけはしたが、特に怪我もないようで、

「いえ、軽くぶつかっただけなので大丈夫です。それじゃ」

 軽く会釈して、少年は連れとおぼしき少年少女と合流すると、あっという間に人の間に紛れてしまった。

「もう、気を付けてくださいよ、アルヴィーさん」

「そうだな、ちょっと気が逸れてた」

 軽くぶつかっただけなので良かったが、下手に衝突していれば惨事である。反省しつつ、アルヴィーは再び歩き出した。



「――オルセル? どうかしたのか?」

 ゼーヴハヤルの声に、振り返っていたオルセルは前方に向き直った。

「……いや、何でもない」

「後ろばっかり見てたら、またぶつかるぞ」

「そうだよ、お兄ちゃん」

「ああ、そうだな。気を付けないと」

 彼ら三人は、駆け出しの商人とその用心棒という触れ込みで、少し前から王都ソーマに潜り込んでいた。国主催のオークションが終わったばかりで、まだ人出の多い王都では、それを当て込んだ商売も珍しくない。もっとも、彼らの目的は商売などではなかったのだが。

 《擬竜騎士ドラグーン》が行方不明となった情報は、当然ながら王都には漏れていなかった。だが彼が帰還すれば、その情報管理にもわずかながら緩みが出る。現にオルセルたちは、騎士団本部で《擬竜騎士( ドラグーン)》を見たと話している騎士と思しき人間を、何人か見つけていた。

 拠点にしている宿屋に戻ると、部屋に入って小声で会話を交わす。

「……《擬竜騎士ドラグーン》が王都に戻って来たのは、間違いなさそうだな」

「何人も話してたもんな」

 オルセルの結論に、ゼーヴハヤルも頷いた。

「あれが嘘じゃなければだけどな」

「いや、本当だと見て良いと思う。――食品を扱う店なんかで少し話を聞いてみたけど、騎士団が大量に食料を買い上げてたのが、ここ何日かで落ち着いてきたって店の人が話してたんだ。多分、《擬竜騎士( ドラグーン)》を捜索に出ようとしてたのを、取り止めたってことだと思う」

「あ、そっかあ! 帰って来たんなら捜しに行かなくて良くなるもんね」

「おおー」

 ミイカが納得したように頷き、ゼーヴハヤルは感嘆の声をあげた。

「なるほどなるほど。だったら《擬竜騎士ドラグーン》はホントに、ここに戻って来たってことか」

「おそらくね。陛下にこのことを連絡しよう」

「ん、じゃあ俺が。通信用の水晶預かってるからな」

 ゼーヴハヤルが水晶を取り出して起動させている間、オルセルは先ほどのことを思い返して、無意識に眉をひそめる。ミイカが気付いて気遣わしげに尋ねた。

「……お兄ちゃん、何か気になることでもあるの?」

「ああ、いや、何でもないよ」

「それならいいけど……」

「心配しなくて大丈夫だよ」

 妹をなだめつつも、オルセルは先ほどの一件を思い返さずにはいられなかった。


 ――さっき、オルセルとぶつかった相手。

 彼は、あの地下施設でレティーシャとダンテが連れて来た、あの人造人間ホムンクルスらしき少年とそっくりだった――。


(……もしかして、あの人造人間ホムンクルスは)

 オルセルがそこまで考えた時、ゼーヴハヤルが声をかけてきた。

「おーい、オルセル。向こうと繋がったぞ。俺は難しい話分かんないから、やっぱりオルセル報告してくれ」

「分かったよ」

 ゼーヴハヤルから水晶を受け取り、オルセルは先ほどの考えを頭の片隅に押し込めると、報告を始めるのだった。



 大陸の各地で、様々な思惑が動き出す。

 だが今はまだ、王都ソーマを始め、世界は穏やかな時の中にあった。


 それがほんの束の間の平穏に過ぎないとしても――。


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