第6話 災禍のあと
この話のレーティングに悩む今日この頃です。
3/8追記:徴兵→兵員募集に修正しました。
5/3追記:サングネア公国→サングリアム公国に修正しました。
「――して、事実なのか? そのレクレウス軍の極秘計画の産物が、こちらの手に落ちたというのは」
ファルレアン王国・王都ソーマ。そのほぼ中央に建つ王城・通称《雪華城》――その名の通り白亜の美しく荘厳な城には、塔の上に造られた議場がある。《天空議場》と呼ばれるその議場には、国の中枢のさらにごく一部、限られたほんの一握りの者しか足を踏み入れることを許されていない。その議場には今、ここに足を踏み入れる資格を持つ者が顔を揃え、議場中央に設置された巨大な通信用の水晶板を見つめていた。
水晶の真上には虚像が結ばれ、精悍な青年の姿を形作っている。彼の名はジェラルド・ヴァン・カルヴァート。現在遠く辺境のレドナにいる彼は、レクレウス王国軍のレドナ侵攻について、現場で実際に戦った者として報告の義務を負っているのだ。
騎士団長の問いに、虚像のジェラルドは首肯する。
『は。事実であります』
「おお……」
議場にどよめきが満ちる。報告によって明らかになった《擬竜兵》の性能は、恐ろしいの一言に尽きた。騎士が束になって掛かっても敵わない、文字通り一騎当千の戦闘力。身体強化魔法を上回る膂力に、常人ならば致命傷となるほどの傷でも瞬く間に完治する回復力――まさに戦略兵器というのが相応しいスペックだ。そして実際に、レドナは彼ら《擬竜兵》によって多大な被害を受けたという。しかし、敵に回せばこれほど厄介な存在もないが、それが自らの手に落ちたとなれば話は別だ。
『詳しくは、すでに報告書を飛竜にてそちらに提出しておりますが、唯一生き残ったその《擬竜兵》は他の三名と違い、さらに強力かつ安定した状態に移行した可能性が高いと考えられます。精神異常等も認められず、現場でも軍規や国際法に配慮した言動が見られたとのこと。よって、場合によっては作戦行動にも耐えうるものと判断致します。もちろん、最終的な判断は精密な検査の後、騎士団長閣下にお任せすることとなりますが』
「素晴らしい!――だが、敵軍の兵士をいきなり騎士団に編入させるというのは、いささか反対もあろうな」
ファルレアン王国は歴史ある封建制国家ではあるが、騎士団においては多分に実力主義の風潮がある。優秀であれば、多少の経歴の瑕疵は実質問題視されない。とはいえそれにも限度がある。現在進行形で交戦中の敵国の兵士を騎士団に編入させるというのは、さすがにほとんど例のないことだった。
しかし《擬竜兵》の戦闘能力は、遊ばせておくにはあまりにも惜し過ぎる。周辺国への牽制のためにも、可能ならば是非とも騎士団に組み込んでおきたい。
「その点においては、亡命という扱いにすれば問題はないのではないですかな?」
「いやしかし、騎士団にも相当な被害を与えているのでしょう? 現場の騎士たちが何と言いますか……」
『その点ですが、諜報部隊からの情報やレドナ近くのレクレウス軍指揮所に残されていた資料によれば、この《擬竜兵》は今回のレドナ侵攻が、稼働実験を兼ねた今戦役での事実上の初陣だったとのことです。また、民間人や戦闘不能となった騎士には手出しをしなかったという報告もあり、比較的初期の段階で第一二一魔法騎士小隊と接敵、交戦の後鹵獲された経緯を踏まえれば、人的被害という点においては、この《擬竜兵》に限ってはほとんど出していないと考えて良いかと』
「ほう……それは素晴らしい。敵軍の兵士ながら見上げたものであるな」
『現在はこちらで尋問しておりますが、レドナに交代要員が到着次第、王都の方に移送することになります。精密な検査は王都の方でないと行えませんので』
「うむ、レクレウス軍の極秘計画の被験者ともなれば、貴重な情報を持っていることも考えられる。尋問には細心の注意を払い、慎重に行うように」
『は。では、これにて報告を終了させていただきます』
「うむ、ご苦労だった」
『はっ』
敬礼を残し、ジェラルドの姿が掻き消える。水晶による通信魔法が終了したのだ。
「……しかし、報告書を見る限りでは凄まじい性能ですな、この《擬竜兵》は。とはいえ、人間に竜の細胞を移植するとは、もはや狂気の沙汰ですよ。何しろ、生物としてはまったく異質なもの同士なのです。よく拒絶反応で死ななかったものだ」
王立魔法技術研究所の所長であるサミュエル・ヴァン・グエン伯爵が資料を読み嘆息した。彼は魔動機器の研究・開発において多大な功があったと認められて研究所長に任じられ、栄誉爵として領地を持たないながらも伯爵位を賜っている。魔動機器の権威だけあって魔法や錬金術の方面にも明るく、ゆえに資料を見ただけで《擬竜兵計画》がいかに無謀なものかもすぐに理解できた。
「彼ら四人を生み出すために、一体何人が犠牲になったことか……」
「戦況は我らが有利であるからな。レクレウスも追い詰められているのだろう……だが、満を持したであろうこの《擬竜兵》が我らの手に落ちたということは、それだけレクレウスにとっては痛手となるはずだ。上手くすれば、このまま押し切れよう」
「しかしそうなると、レクレウス側がその《擬竜兵》の奪還を企てる恐れもあります。カルヴァート一級魔法騎士には、改めて注意を促しておくべきでは」
活発に議論が交わされる中、それを一段高い場所から眺める人物がいる。
左右に護衛の騎士を従えるその人物は、あらゆる意味でこの場にはそぐわないこと甚だしい存在だった。何しろ、まだ十代半ばにも届ききっていないような少女なのだ。淡い色の金髪は緩やかに波打ち、椅子に座っていると床に届きそうなくらいに長い。雪のように白い肌に、けぶるような眼差しのペリドットグリーンの瞳。纏っているのはシンプルなデザインのクリーム色のドレスだが、それがかえって彼女の神秘的なまでの美しさを存分に引き立てる。
この議場内の人々とは、軒並み親子ほど年が離れていそうなこの少女は、だが他の誰よりもこの場に相応しい存在でもあった。
名をアレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアン。わずか十四歳にして、このファルレアン王国を統べる若き女王――それが彼女の立場であるのだ。
彼女は白熱する議論を諌めるように、手にした長杖の石突きをかつんと軽く床に打ち付ける。途端に、議場に満ちていた喧騒がぴたりと止んだ。
「……最終的に、レドナの被害はどの程度なの?」
静かな声。だが問われた騎士団長は背筋を伸ばし、取り急ぎ纏めた資料を片手に返答する。
「は。現地からの報告では市内の約三分の一が壊滅的な被害を受け、民間人が多く犠牲となったとのことです。加えて、騎士団にも殉職者が多数……特に、魔法の素養が低い一般の騎士が多く殉職しております。これは派遣した各地の騎士団だけでなく、現地の西方騎士団も同様です」
「そう……大変だとは思うけれど、遺族にはきちんと対応してあげてね。オルグレン辺境伯にも、その旨を伝えて」
「は、仰せの通りに」
「レドナは西の国境地帯の要の一つ……復旧はできる範囲で構わないけれど、なるべく急がせて。特に、結界陣の修復は最優先に。国からも支援は惜しまないわ」
「はっ!」
直立不動で答える臣下たちに、彼女はわずかに微笑みを浮かべる。
「大丈夫。犠牲は痛ましいけれど、我が国の騎士団は決して崩れないわ。戦況も、ファルレアンが優勢なのは変わらないし……もうしばらく耐えてくれれば、必ず我が国が勝利を掴めるわ」
「はっ! 必ずや、王国と陛下に勝利を!」
軍務に関係する騎士団長と副団長、そして宮廷魔導師たちが一斉に立ち上がり、若き女王に敬礼を送る。彼女は鷹揚に頷くと、もう一度杖でかつんと床を叩いた。
すると、出入口から窓に至るまで完全に閉め切られた議場内に、爽やかな緑の香りを含んだ微風が吹いた。感嘆混じりのざわめきが起き、先ほどまでの議論で議場内に篭もった熱気やささくれ立った空気が洗い流されていく。
「おお……これは、心が休まりますな」
「熱くなったままでは、良い案は出ないわ。あなた方は国の中枢。ここでの議論は国を動かすのだから、万全の状態で臨んでちょうだい」
「陛下のお心遣い、まことに有難く……」
大臣の一人が丁重に一礼する。
アレクサンドラは一国の女王にして、生まれながらの高位元素魔法士でもあった。元素魔法士とは特定の元素系統の魔法に特化した魔法士で、すべての系統の魔法を万遍なく使える魔法士に比べると汎用性には一歩劣るものの、魔法の威力は得意系統に限れば遥かに勝る。高位元素魔法士に至っては、魔法によっては無詠唱での使用も可能だ。彼女は生まれた時から風の大精霊の加護を受けた、風系統の高位元素魔法士であり、近隣諸国には“風の女王”の名でも知られていた。
彼女はわずかに風を纏ったまま、目を閉じて耳を澄ませる。その耳には、彼女にしか聞こえない囁き声が、楽しげな笑い声と共に各地の情報を伝えているのだ。
その正体は風の下位精霊たちだった。精霊の頂点である大精霊の加護を受けるアレクサンドラは、すべての風精霊たちにも愛されている。彼らはアレクサンドラが求めればいつでも、自分たちが見聞きした各地の情報を話してくれるのだ。何しろ彼らは風そのもの。世界中を巡っている風の精霊たちから話を聞けるということは、世界中に情報網を張り巡らせているにも等しい。この能力は、彼女の大きなアドバンテージだった。
「……東で疫病の流行の兆しがあるようよ。早急に対策を取らせて」
「は!」
「それと、北のサングリアム公国で大雨が降ったそうよ。あの国はルルナ川の上流になるわ。増水の危険があるから、こちらも対策を」
「承知致しました。ルルナ川は我が国でも随一の大河ですからな。それが増水など一大事。早々に対策を打つと致しましょう」
彼女から次々ともたらされる情報に、臣下たちは寸毫の疑念も挟まずに対策を講じていく。精霊たちは嘘をつかない。つまり、もたらされる情報はすべて紛れもない真実なのだ。下位精霊では厳重に魔法防御が施された場所などには入り込めないため、さすがに他国の機密情報を探り出して来るような真似はできないが、それでもこの世界規模の情報網の有用さは誰もが認めるところである。
そんな風精霊たちの囁きを聴いていたアレクサンドラだったが、不意に閉じていたその双眸を見開いた。
「――え?」
途端に風が霧散する。彼女の驚きに反応して、精霊たちが離れたのだ。
「陛下、どうなさいました?」
「何でもないわ。ただ――」
アレクサンドラは今しがた、とある精霊が告げた内容を思い返した。
精霊は繰り返し、こう囁いていたのだ。
――竜ガ来タヨ。西ニ竜ノ欠片ガ来タヨ――。
◇◇◇◇◇
《擬竜兵》のレドナ襲撃から三日。街の各所ではすでに復旧作業が始まり、街中には活気が戻り始めていた。元々この世界には魔物が存在し、強大なものは街を襲うことも珍しくないのだ。こう言ってしまうと身も蓋もないが、いちいち落ち込み続けてなどいられないのである。
復旧作業には一般市民はもちろん、騎士たちも交替で動員され、共に汗を流していた。中でも、身体強化魔法や地系統の魔法が使える魔法騎士はあちこちで引っ張りだこだ。前者は瓦礫撤去、後者は建物の修復や整地に高い需要がある。とはいえ、治安維持やレクレウスへの警戒にもそれなりの人員を割かなければならないので、魔法騎士においては前述の需要の高い魔法騎士を復旧作業に、その他の魔法騎士を警備や治安維持にという具合で自然と振り分けができていたりした。
騎士団駐屯地は他のいくつかの公共施設と共に敷地の一部が一時的な避難所として開放され、常にない賑わいに溢れていた。しかしそれは表の一画に過ぎず、内部には限られた立場の者しか出入りができない区画も存在する。
そんな場所の一つに、アルヴィーは現在拘留されていた。
捕らえられて最初に目覚めた部屋と大差ない、殺風景な部屋だ。ただこちらには窓はない。それもそのはず、ここは地下なのである。《竜の咆哮》辺りで壁をぶち破って逃げられることがないように、ということらしい。壁をぶち破った件に関しては不可抗力とはいえ確かに前科があるので、アルヴィーとしても何も言えない。一応右腕はあの時のように封印具で封じられ、さらに両手首を鎖で繋がれているが、正直なところ“進化”前ならともかく、現在のアルヴィーならばその気になればあっさり引き千切ってしまえるだろう。今のところその気はないが。
部屋の隅に設えられた簡素なベッドに腰掛け、アルヴィーは左手で自分の胸元から認識票を引っ張り出す。揺れた四枚の認識票が時折触れ合い、澄んだ音をかすかに響かせた。
一枚はアルヴィー自身のもの、そして後の三枚は三人の《擬竜兵》のものだ。アルヴィーと共にこの戦いに投入された彼らは、全員が帰らぬ人となった。三人の遺体――内二人は“遺体だったもの”としか表現できない状態だったが――は騎士団によって回収され、一部は今回の件の報告書と共に王都に送られて、分析を待っているらしい。対して彼らの認識票は差し当たって使い道もないということで、ルシエルを通じて騎士団に要求し、返還して貰った。自分の分の一枚はそのままに、他の三枚は無事だった鎖に纏めて通し、自分のものの上から首に掛けている。本来は生死の確認のために回収されるものだが、戦地では混乱の中で認識票ごと行方不明となってしまう事例など山ほどあるのだ。それに乗じて、アルヴィーは彼らの認識票を持ち続けることにした。
忘れないために。
特にメリエとマクセル――満足に遺体すら残らなかったあの二人の死には、自分もまたその責の一端を担っているのだから。
《擬竜兵》の中で唯一生き残ったアルヴィーには、騎士団からの尋問と検査が待っていた。《擬竜兵》の性能について、基本的なところは全滅したという指揮所から回収した資料である程度分かるが、やはり敵国が秘密裏に開発した戦略兵器ともなると、騎士団側もできる限り詳しいデータが欲しいのだろう。ましてやアルヴィーは、戦いの最中明らかに進化と見られる変貌を遂げているのだ。
とはいえ、所詮“兵器”扱いだった《擬竜兵》に、軍の方も重要な情報などは端から与えていなかったのだが。特務少尉という階級も半分はお飾りのようなものである。何しろ《擬竜兵》という存在は基本的に単騎、あるいはごく少人数で運用することが前提だ。必然的に、士官である少尉に本来求められる小隊指揮などという技能はまったく必要ない。ポジション的にはむしろ遊撃に近いものがある。――まあ、火力的には充分主力級なのだが。
しばし認識票を見つめて、元通り服の下に落とし込む。彼の、常人より遥かに強化された聴覚が、こちらに向かって来る複数の足音を捉えたのだ。
ややあって、ドアの鍵が開錠される音。開いたドアの向こうには、二人の騎士がいる。彼らに促され、アルヴィーは部屋を出た。
それなりの距離を歩いて、別の部屋に連れて行かれる。そこは机といくつかの椅子が置かれ、すでに先客がいた。相変わらずアルヴィーの警戒心を絶妙に擽ってくる黒髪黒目の騎士・ジェラルドと、その副官であるというパトリシア。そしてルシエルとその部下のシャーロットという少女騎士の四人だ。
アルヴィーを連れて来た二人の騎士はそのまま部屋の前で待機し、アルヴィーへの尋問は中の四人へと引き継がれる形になる。本来ジェラルドは尋問などより復旧作業の指揮でも執るべき立場なのだが、いかんせん尋問の対象がレドナに甚大な被害を与えた《擬竜兵》だ。万が一暴れた時に対応できそうな人間として、彼が充てられた。何しろ彼は、《擬竜兵》を一人倒しているのだから。本人も復旧作業の指揮など柄ではないと、むしろ乗り気で引き受けた。
そしてルシエルは、言うまでもなくアルヴィーへの抑止力としてこの場に同席している。アルヴィーがルシエルを傷付けることを極端に恐れているのは、傍目にも明らかだった。それゆえアルヴィーの枷として、ルシエルはこの場にいる。シャーロットは彼のサポートというところだ。もう一人、本来ならパトリシアと共にジェラルドの傍に控えるべきセリオが不在なのは、例の惨劇の舞台となったレクレウス軍指揮所の現場検証に駆り出されているためである。彼の掛けた封鎖魔法は高度過ぎて、他の魔法士では解除が覚束ないのだ。
ジェラルドはアルヴィーの姿を見てにやりと笑う。
「おとなしくしてるみたいだな。感心感心。じゃあその調子で、手持ちの情報を吐いて貰おうか」
「……だから言っただろ。俺は“少尉”っていっても名前だけ! 大したことは教えられてねえよ」
「それでも、レドナ攻略の部隊編成くらいは知ってるだろう」
「知らねーよっ!」
「何だ、使えないな。自軍の部隊編成も覚えてないのか」
「悪かったなっ! 大体、作戦の三日前にいきなりレドナ行けって指令書が回って来たんだし、指揮所でもほとんど隔離されてたみたいなもんなんだから仕方ないだろ!? そもそも俺たち《擬竜兵》は、正規軍からは半分独立してたようなもんで――」
「ほう、なるほど。新しい情報だな。パトリシア、記録したか?」
「はい」
「あっ!?」
基本的に素直なアルヴィーは、こうしてジェラルドの話術に嵌まることも多い。そしてそれがさらにアルヴィーの警戒心を刺激し、その態度を面白がるジェラルドがまた彼を引っ掛けるという無限ループが時々展開されたりする。
「…………」
さすがに学習して黙り込むアルヴィーに、ルシエルが声を掛けた。
「ねえ、アル。君は本当に、ファルレアンに亡命する気はない?」
「……こないだも言っただろ。ないよ」
「じゃあ、一つ教えて。――ファルレアンの貴族がレクレウスに流した魔物のせいで、あの村が滅んだって、アルは言ってたよね。それは、どういうこと?」
「…………」
口を噤んで目を伏せるアルヴィーに、ルシエルは真摯に言い募る。
「辛いことを訊いてるのは分かってる。だけど、あの村は……僕にだって、もう一つの故郷なんだよ」
決して豊かではなかった。あの継父の下で暮らさなければならなかったあの日々は、お世辞にも楽しいとは言えなかった。それでもあの村を思い出す時に懐かしいと思うのは、そこにアルヴィーがいたからだ。
ルシエルの、あの頃はまだ小さかった世界を輝かせていた太陽。彼の背に、その光に焦がれていた。
あの村を離れ、貴族の身分と魔法騎士という地位を、力を手に入れた今でも、それは変わらない。
「僕も知りたいんだ。あの村が、あれからどうなったのか」
だから、ルシエルは知らなければならない。アルヴィーが戦争などに身を投じる原因となった、その事件について。
アルヴィーはしばし、黙ってルシエルを見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「……今から、九ヶ月くらい前だ。あの村にいきなり、魔物の群れが押し寄せて来たんだ。俺はちょうど森へ狩りに出ようとしてたところで、何体か魔物も仕留めたけど、その程度じゃとても止まらなかった。魔物の中にはベヒモスがいて、ただの村人の力じゃどうしようもなかったんだ。――俺のお袋も、あいつに蹴り殺されたよ」
「ベヒモス……」
魔法騎士として、ルシエルには魔物の知識もある。ベヒモスは大きなものは二階建ての屋敷を凌ぐほどもあるという、巨大な体躯と強靭な外皮、そして無尽蔵の体力を持つ魔物だ。騎士でさえ、討伐には魔法騎士で数個小隊、一般の騎士ならその倍近くの規模の戦力を要するといわれる。それでもなお相応の損害を覚悟しなければならない相手だ。基本的に戦う術を持たない村人たちになす術などなく、ただ蹂躙されるしかなかっただろう。
「村はもう人が住める状態じゃなくなって……その後少しして、軍の兵員募集部隊が村に来たんだ」
「兵員募集部隊?」
「とにかく兵士を掻き集めたかったんだろ。どの道、どうにかして生活してかなきゃいけなかったし……それに、軍属ならどうして村があんなことになったのか、情報の一つも入るんじゃないかと思って、俺はそれに応募したんだ」
そう言ってアルヴィーは、自分の右手を見つめる。確かに、それは叶った。ただし、あの凄惨な体験、そしてこの異形を宿すことと引き換えに――。
「……《擬竜兵》になってから、魔物が村を襲った理由も分かった。ギズレっていうこの国の貴族が、自分の領地に現れた魔物を討伐もせずに、誘導して国境に流したんだ。村はちょうど、そいつらの進路上にあった」
「そんな……!」
「ギズレ辺境伯……噂は時々聞くことがあります。あまり良い噂ではありませんが」
絶句するルシエルの隣で、シャーロットが眉をひそめる。ギズレ辺境伯の領地は確かにこのレドナのあるオルグレン領カーサス地方のすぐ隣であり、そこから湧いた魔物が国境を越える可能性は充分にあった。
「その話が事実なら、なぜレクレウスは公表しなかった?」
ジェラルドの質問に、アルヴィーは嘲るように、
「馬鹿じゃねえの? “そっちの攻撃が成功しました”なんて、わざわざ敵国に知らせてやる義理はないだろ」
「なるほど、分からなくもないな。――だが、その見込みは外れだ」
「はあ?」
「おまえみたいな子供が余所の国の法律を知らないのは仕方ないが、うちの国には王国法ってもんがちゃんとあるんだ。その中に、貴族の領内に湧いた魔物への対処も定められててな。領主たる貴族は、領内に発生した魔物を領外に故意に出すことは禁じられてる。昔それをやらかして近隣の領地にとんでもない被害を出した領主が実際にいてな、それを契機に制定された条項なんだが。交戦するも力及ばず――ってんなら致し方ないが、ろくに交戦もせずにそのまま領外へ流すなんざ、ばれれば貴族の義務の放棄ってやつで、家ごと取り潰されてもおかしくない重罪だ。そもそもそういう場合のために、貴族は多かれ少なかれ私兵を抱えることを許されてるんだからな。もちろん流した先が戦争中の敵国だろうと例外なく罪に問われる。むしろ派手に喧伝した方が、多少はこっちの国内がごたついたかもしれないぞ? 少なくとも諜報を担当してる部署なら、王国法くらい知ってて当たり前なんだがな」
「けど……これは、軍の情報部から聞いた話なんだぞ!?」
思わず椅子を蹴って立ち上がり、ジェラルドに喰らい付かんばかりのアルヴィーを、ジェラルドはその黒の双眸で見返す。
「そいつらが、《擬竜兵》のファルレアンへの敵意を煽るために虚偽の情報を吹き込んだ……その可能性がないと、どうして言える?」
「そんなこと……!」
反射的に否定しかけたアルヴィーだが、軍が勝利のために手段を選ばない場合があるのもまた、彼は知っている。他ならないアルヴィー自身が、その結果でもあるのだから。
言葉に詰まったアルヴィーは、目を伏せて両の拳を握り締める。今まで信じてきたものが急に形のないあやふやなものに感じられ、その双眸が頼りなく揺らぐ。
「……アル」
その時、ルシエルの声が静かに響いた。顔を上げると、彼のアイスブルーの瞳が、真っ直ぐに自分を見ている。澄んだ湖水のようなその色合いに、揺らぐ心が静まっていくようだった。
彼は自分の席を立ってアルヴィーに歩み寄ると、手を伸ばせば触れそうな距離で足を止める。落ち着いた静かな眼差しが、アルヴィーの揺らぐ炎のような眼差しを受け止める。
「君がこの国に隔意を持つのは分かる。――でも、君をレクレウスに帰すわけにはいかないんだ。レクレウス軍はきっと、これからもアルを利用する。都合のいい兵器として」
たった四人で、レクレウス軍が攻めあぐねていたレドナの防御をあっさりと打ち破り、甚大な被害をもたらした生ける戦略兵器。軍にとって、これほど魅力的かつ都合の良い存在はない。もしレクレウス軍に奪還されてしまえば最後、彼は本格的に最前線に投入されることになるだろう。そして、彼に期待される役割はおそらく敵の殲滅――つまりは殺戮兵器。
そんなことになれば、彼の心は遠からず壊れるだろう。それは彼自身を滅ぼすことに繋がりかねない。
「それに、騎士としてこんなことを言うのは失格かもしれないけど……僕は、君と戦いたくなんかないんだ」
その言葉に、アルヴィーの瞳が大きく揺らいだ。
「それは……俺だって……」
敵として対峙した時でさえとっさに庇ってしまうような相手に、再び剣を向け殺し合うことなど、アルヴィーは考えたくもなかった。兵士としては落第点なのだろうが、それでも自分の心に嘘はつけない。
――そしてそんなアルヴィーの心が、ルシエルには手に取るように分かる。彼は貴族階級の一員として育つ内、内心を押し隠す術も自然に学んできた。だがアルヴィーはそんな必要もない身分、場所で生まれ育った人間だ。気質的にも素直で真っ直ぐな彼の内心を推し量るのは容易い。
悪いとは思いつつも、ルシエルはそれを利用する。他ならぬ彼を、守るために。
「でも、他の奴らは――エルネスもマクセルも、メリエも、みんな死んだ! 俺一人、ルシィたちと馴れ合うわけにはいかないんだ……!」
絞り出すようなアルヴィーの叫び。左手で、服ごと認識票を握り締める。忘れるわけにはいかない。人生も、そして自我さえも狂わされて死んでいった、彼らのことを。
項垂れるアルヴィーの肩に、ルシエルはそっと手を置き、親友の顔を覗き込んだ。
「だったら。――余計に君は、レクレウスに戻っちゃいけない」
「……どういうことだ?」
「今のアルは、他の《擬竜兵》たちとは違う、多分もう一段階進化した存在なんだ。そんな君がレクレウスに戻ってみなよ。軍部が余計に《擬竜兵計画》を推し進める可能性がある。アルのデータを基にね。そうなれば……君の戦友みたいな人たちが、今以上に生み出されることになるかもしれないんだ」
「…………!!」
アルヴィーの脳裏に浮かぶのは、黒い塵となって崩れ去ったマクセルの最期。ルシエルから聞いたところによると、メリエもまた、同じ末路を辿ったという。自分の腕からざらりと零れ落ちていったあの感触は、今でも忘れることはできない。
血の気が引いて青ざめたアルヴィーの顔に、ルシエルはジェラルドを窺うように見る。彼が頷いたのを見て、アルヴィーを促した。
「今日はもう、部屋に戻った方が良い。だけど、さっきの話、よく考えてみて」
無言のアルヴィーを外で待機していた騎士たちに託し、ルシエルはドアを閉めて息をついた。ジェラルドがお世辞にも人が良いとはいえない笑みを浮かべる。
「よし、大分揺さぶれたな。その調子で口説き落とせ。亡命の言質が取れればこっちのもんだ。大手を振ってあいつの身柄をレクレウスから分捕れる」
「……ですが、本当にアル――彼を騎士団に引き込む気なんですか?」
「上層部は乗り気だ。何しろあの戦闘力だぞ、むざむざレクレウスに返すわけにいくか。まあ、幸いあいつ自身は、建物やら武装やらは盛大にぶち壊してくれたが、無差別に人間を殺しまくったわけじゃないしな。実際に当たった騎士や、救助されたって民間人の証言もある。心証はまだましだろう。――それはそうと、あいつの話は気になる」
「ギズレ辺境伯の件ですか?」
「ああ。レクレウス軍の情報部とやらが偽情報を吹き込んだだけならいいが……もしあの話が事実なら、どうもややこしいことになるぞ」
「ですが……事実であれば、陛下のお力ですぐに明るみに出たのでは?」
パトリシアが疑問を呈する。女王アレクサンドラが風の下位精霊による世界規模の情報網を持っていることは、貴族ならば大抵は知っていることだ。
「だが、下位精霊は確か、魔法防御された中には入れなかったはずだ。つまり、魔法結界か精霊除けの術が敷かれていれば、その中で起きたことは精霊に悟られずに済む。上位の精霊は人間の世界にはあまり興味を持たないそうだしな。――だがそうなると……」
「当時、辺境伯領に精霊を遠ざける結界か、術が敷かれていた可能性がある……?」
自身の導き出した結論に、パトリシアは慄然とする。それほどの大規模な術式となると、当然国に事前に届け出て許可を得なければならない。それをせずに秘密裏にそれほどの術を行使し、しかも事後にも報告がないとなると、王家への謀反を疑われても文句は言えないのだ。
「……ですがそれでは、“風精霊が入り込めない”ことそのものを、陛下が疑問に思われるのではありませんか?」
「いや、陛下だって何も風精霊の知ることを根掘り葉掘り尋ねておられるわけじゃない。いくら風の大精霊の加護を受けておられるとはいえ、風精霊は陛下の部下じゃないからな。精霊にしてみりゃ友人とのお喋りのようなものだそうだから、精霊が話す必要がないと判断したことは陛下にも伝わらんさ。結界や術が敷かれていたところで、精霊にとっちゃそれがどういう意味を持つのかなんて知ったことじゃないだろうからな」
「なるほど、了解しました」
ジェラルドの説明に、パトリシアも疑問を引っ込める。彼の生家であるカルヴァート侯爵家は国内でも十の指に入るほどの高位貴族であり、遡れば王妃を輩出したこともある家だ。王家や女王の能力に関しても、他の貴族よりは詳しい。
「下手すりゃ大分きな臭いことになるが……ちっとばかり探ってみるか」
「珍しいですね、隊長がご自分から面倒事に首を突っ込まれるなんて」
「何、上手く証拠を掴めれば、親父殿に対していい餌になりそうなんでな。ギズレ辺境伯は反女王派閥の中でも急先鋒だ。もし弱みが掴めそうなら、それを放っておく手はない」
ジェラルドはニヤリと唇を歪める。カルヴァート侯爵家は、現女王アレクサンドラを支持する《女王派》と呼ばれる派閥に属している。そしてギズレ辺境伯は、王位は男子が継ぐべきとする《保守派》に属していた。
元来ファルレアン王国の王位は男子が継いでいたのだが、先代の王には娘しかおらず、しかも二年前、まだ四十代という若さで急な病により没してしまった。王妃は典型的な深窓の貴族令嬢育ちで、とても国政を担える気質ではない上、夫の死後表舞台から退いたため問題外。残るは二人の王女か傍系王族しかいない。直系の濃い血脈を受け継ぐ王女か、傍系で血筋が遠ざかる男子か――本来なら究極の選択となるところだったが、戦争の最中の難しい舵取りが迫られる時期と重なったため、傍系の者たちはことごとく王位継承を辞退した。その結果、王の第一子であり、風の大精霊に愛されたアレクサンドラが王位を継ぐこととなったのである。だがそれは正しかったと言えよう。彼女は風精霊による情報網を構築し、そこからの情報を適切に利用して、まだ十代の少女とは思えぬ手腕で国を不足なく治めている。
だがそうなると面白くないのが“元”継承者候補や彼らを支持する者たちで、候補者たちが自分から王位継承を辞退した事実には知らぬふりをし、《保守派》なるものを結成して虎視眈々と復権を狙っているのだ。《女王派》は、そのような輩から若き女王を守るために結成されたようなものだった。
今回の件は、真相によっては《保守派》に打撃を与えるものとなり得る。ジェラルド自身はそういった権力闘争にさしたる興味はないが、父であるカルヴァート侯爵に貸しを作っておくのは悪くない。このところ昇級はまだかとよくせっつかれるが、ギズレ辺境伯が本当に違法行為をしているならば、そのネタを投げ込んでおけばしばらくはそちらに集中してくれるだろう。静かになっていいというものだ。
「辺境にいるのはあと半月足らずってところか。何とかその間に、真偽の見極めだけでも付けたいもんだがな」
そう言ってジェラルドが浮かべた表情は、騎士というよりどこぞの悪役のように黒い笑みだった。
◇◇◇◇◇
同日夕刻。カーサス地方を擁するオルグレン辺境伯領と隣り合うギズレ辺境伯領の都であるディル――その街中にそびえる領主の居城では、この地の主たるダリウス・ヴァン・ギズレ辺境伯が一人の男と顔を突き合わせて話し合っていた。
「……では、我々《保守派》により王位の奪還が成れば、レクレウスもいよいよ講和に向けて動くというのだな?」
「はい、こちらの準備もようやく整いまして。幸い――といっては何ですが、現在オルグレン領レドナは我が軍の侵攻により壊滅的な被害を受けており、女王もそちらに目を奪われていることでしょう。閣下の計画が露見する恐れは、万が一にもありません。何しろご領内には、風精霊が入れないのですから」
ダリウスに相対する男は、何とも特徴を挙げ辛い顔の男だった。髪も目も、どこにでもいそうな茶色系統。顔立ちもごく平凡で、例え間近ですれ違っても、数秒後にはもう存在を忘れていそうな印象の薄い男だ。
この男は現在、その印象の薄さを最大限に活用できる、レクレウス軍情報部で活動していた。
「しかし、レクレウスの技術も侮れんものだな。まさか、精霊除けを魔動機器で実現するとは。一年ほど前にそなたが初めて接触して来た時は耳を疑ったものだが」
「属性を限定してしまえば、意外とそう難しくはないそうですよ。閣下こそ、魔物溜まりと悪名高い《魔の大森林》から好きな場所へ魔物を召喚する術式を確立しておられるではありませんか。国土をほぼ横断する距離の遠距離召喚など、まさに夢の技術。我々はその情報を耳にしたことで、閣下こそ今回の作戦のパートナーとして最上の方と確信し、接触を図らせていただいたのですから」
《魔の大森林》とは、ファルレアン王国の北東の辺境に位置する大森林だ。森林といいつつも水辺や草原なども抱えるその広大な領域は、多様かつ強力な魔物の巣窟とされており、そこから漏れ出る魔物の討伐に、王国は多額の国費を注ぎ込むことを余儀なくされている。とはいえ、こうした魔物多発地帯を抱える国はファルレアン王国だけではない。討伐や管理に費用は掛かるが、そこから得られる魔物の素材や魔石などの収益はそれを補って余りあるほど大きいため、どの国も多少のコストは承知の上でこうした地域を抱え込んでいるのだ。
「ふふふ、それよ。まさか、百年前に戦乱で滅んだ“魔導帝国”から流出した技術と術具が偶然とはいえ手に入るとは、儂も驚いたものだがな。もっとも、《魔の大森林》に術具を設置するのに、手練れを何十人か使い潰してしまったが……それだけの価値はあろう。術具の罠に掛かった魔物であれば、どこにでも召喚できるのだからな。ただ、ちと必要な魔力が多過ぎるのと、どの魔物が罠に掛かるかは運任せゆえ、状況に応じて魔物を選べんのは惜しいが……それを解決する術式についても、現在召し抱えておる魔法士たちに研究させておる。それさえ完成すれば、もう儂に怖いものなどない。《女王派》に属する連中の領地に片っ端から魔物を送り込んでやるだけで、魔物が勝手に被害を出してくれるのだからな。精霊除けの魔動機器を使えば召喚の事実自体も隠せるゆえ、儂は領地でただ知らせを待っておれば良い」
「ええ、傍目にはただ魔物が突然発生したようにしか見えませんし、後から騎士団が調べたところで原因など分かりますまい。今のファルレアンは、女王の風精霊に頼り切っているところがありますからな」
「その通りだ。確かに有用さは認めんこともないが、だからといってまだ成人にも満たぬ小娘が大きな顔をして良い道理はあるまい」
仮にも自国の女王を小娘と言い放ったダリウスは、鬱憤が溜まっていたのかその後も暴言を吐き続ける。
「そもそも、このファルレアン王国は代々、男子が王位を継承すると決まっておるのだ。王国法に明文化こそされておらんが、それは暗黙の了解というものであろう。それを、あの小娘がしゃしゃり出おって……」
他の男性継承候補たちが状況に尻込みし、ことごとく継承辞退した事実は棚に放り上げて、ダリウスは苦々しい顔になる。彼もまた、継承候補だった傍系男子たち中の一人の支援者であり、その候補が玉座に座った後の地位と権力を目当てにしていた者たちの一人だった。だがその目論見は、候補者たちの相次ぐ辞退と女王の即位によって水泡に帰してしまい、彼らは一気に日陰へと追いやられることとなったのだ。その寄せ集めが《保守派》の正体である。
「……まあいい。どの道、我が配下の魔法士たちが魔物を選別する術式を開発しさえすれば、儂は王都をも陥落させられる無敵の軍を手に入れたも同然。そうなった暁には、適当に王都で魔物を暴れさせ、伝統ある男子継承の玉座に小娘が座ったことへの天罰だと噂の一つも流してやれば良い。民草というものは無知にして単純、すぐに信じ込んで暴動でも起こすであろう。そうなればこちらのものだ。――九ヶ月前の魔動機器の稼働実験の時は少々焦ったが、あれはあれで役に立ったのであろう?」
「ええ、手違いで魔物がご領内の方に雪崩れ込んだのは驚きましたが、何とかこちらの領内に引き込めたおかげで、事の次第が漏れるのは防げました。辺境の小村一つが壊滅した程度なら、安いものでしょう。――それに、その村の出身者が《擬竜兵》となり、巡り巡ってレドナに甚大な被害を与えたわけですからな。図らずも、こちらに利をもたらしてくれたわけです。オルグレン辺境伯は《女王派》でも重鎮ですからな。レドナの被害は、女王にとっても頭が痛いことでしょう」
「まったく、あの時は肝が冷えたわ。魔物を呼び込みおった魔法士は即刻処分したが……やはり遠距離召喚となると、数十人単位の魔法士の魔力を使わんと召喚術が発動せんというのは厄介だな。さすがに《魔の大森林》から魔物を引っ張って来るとなると、必要な魔力も桁違いだ」
ダリウスは嘆息する。彼の切り札とも言うべき召喚術式の、最大の難点だった。と、情報部の男がここで爆弾を落とす。
「――では、我が軍の《擬竜兵》をお使いになっては?」
ダリウスは目を見張った。
「……何だと?」
「かの者は竜の細胞を我が物とした過程で、膨大な魔力も得ております。それを召喚術式の発動に利用すれば……そうです、どうせならばレドナから魔物を送り込めばいかがでしょう? レドナからは街道が王都まで伸びております。魔物も進撃しやすい。それに街道沿いの旨味のある領地は大体《女王派》のものでしょう。奴らにも痛手を与えられます」
「ふむ……なるほど」
ダリウスは一考の余地ありという風に顎を撫でる。情報部の男の言うことは正しい。よく考えれば、わざわざ王都で魔物を暴れさせなくとも、国内を混乱させて女王の治世を乱すことができれば、彼の目的は達成されるのだ。
「それに現在、かの《擬竜兵》はレドナに拘留されております。もっとも、拘留といっても現在のレドナの防衛は穴だらけ。我々のように熟練の工作員ならば潜入も奪還も容易いことです。《擬竜兵》を奪還し、その魔力で召喚術式を発動させれば……レドナの対応も、おそらくは間に合いますまい。魔物は街道沿いの閣下の政敵たちの領地を蹂躙しながら、王都に向かうこととなりましょう。そうして国内が乱れ、女王が引きずり下ろされれば、後は次に即位した国王陛下と我が国が講和を結ぶことで、現在の戦争も終わります。そうなれば、国王陛下は名君と称えられましょうし、《擬竜兵》にしても祖国の役に立つこと。本望でしょう」
「おお、それは良いな!」
ダリウスは声を弾ませる。情報部の男の提案は、彼にとってはまさに理想的な案だった。女王アレクサンドラの後釜に自分が支援する候補者を据えることができれば、自分もその側近として高い地位と権力が望める。しかも国を乱した原因として注目されるのは魔物たちであって、自分は素知らぬ顔でいられるのだ。
「よし、早速そのように事を進めようではないか」
「それでは、我々が《擬竜兵》を奪還致します際には、閣下にお知らせ致しますので……」
「うむ、魔法士と術具、それに精霊除けの魔動機器を急ぎレドナに――いや、ここのものを動かすわけにはいかぬか」
「魔動機器ならばすでにいくつか製作できておりますので、こちらで。範囲は狭くとも構いませんので、増幅器は必要ないでしょう」
「そうか。では魔動機器は任せるゆえ、魔法士と術具だけレドナに寄越そう。魔物を召喚するところを精霊どもに見られるわけにはいかんしな。ははは、我らの明るい未来が目に見えるようであるわ。これも両国の平和のためだ、あの小娘や《女王派》の連中には、その礎になって貰おうではないか」
上機嫌のダリウスに暇を告げ、情報部の男は城を後にする。夕闇に紛れてディルの街を歩いていると、いつの間にかもう一人、男が彼の斜め後ろに付き従っていた。
「……隊長、周囲に間者や監視らしき者は見当たりません。ずいぶん信用されておられますね」
「そりゃあな、研究所が開発したての最新魔動機器に増幅器まで無償供与してやったんだ。それにあの辺境伯は大分楽天的なお頭の持ち主らしいからな。いやはや、先を考える頭のない俗物で、こっちも助かるぜ。少しばかり褒め称えたら、例の召喚術式についても何とも機嫌良く見せびらかしてくれたのには驚いたもんだが……術具については、現地で使う分は当然いただくとして、森に設置してある分は手に入れた術具を研究所に解析させれば、代用品の開発もできるだろう。魔動機器分のお代はこれで間に合うかな」
ダリウスに対していた時の丁重さは欠片もなく、レクレウス軍情報部特殊工作部隊小隊長、ブラッド・ルーサムはニヤリと笑う。
彼が先ほどダリウスと会談した際、あえて口にせず注意を向けさせなかった事項がいくつもある。例えば、魔物が国内で暴れた場合、国力は間違いなく低下するため結局は辺境伯も無関係ではいられないこと、そしてよしんば国王の交代が成ったとして、現在《女王派》が押さえている旨味のある領地は魔物に蹂躙されていることになるため、次の政権はその復興という面倒な作業を背負い込む羽目になるということなど。少し考えれば分かることにさえ思い至らないところが、あの辺境伯の底の浅さなのだろう。
結局のところ、彼はあくまでもレクレウス王国に仕える身であり、最優先はレクレウス王国の国益。そしてダリウスとの接触の真の目的は、彼を上手く誘導してファルレアン国内を混乱に陥れるという、ただその一点である。彼に語った国王交替やレクレウス本国との講和話など、彼を釣る餌に過ぎない。情報部としてはダリウスは適当なところで切り捨て、彼にこそレクレウス勝利の礎となって貰う予定である。ダリウスの謀略により派閥同士の権力争いでファルレアン国内が乱れた隙を突いて、一気に戦線を押し返し、レクレウス王国が逆転勝利――これが情報部、ひいては軍部の描いているシナリオだった。
「後は、頃合いを見て魔動機器と術具を回収、魔法士を始末して口封じ、ってとこか。――にしても、《擬竜兵》が暴走したって聞いた時はどうなることかと思ったが、案外上手いこと転がったなあ。まあ、そっちは別の意味で頭の痛い問題も残ってるが。もう研究所の連中が騒いでやがるからな」
「仕方ありません、《擬竜兵》などイレギュラーの塊のようなものですから。まずは目の前の問題から片付けていきましょう」
「違いない」
部下の言に肩を竦め、ブラッドは目的地に到着した。そこは街外れの廃屋で、母屋とそこそこの広さの厩がある。その厩には、二頭の天馬が繋がれていた。彼と部下は手慣れた様子でそれぞれ天馬を厩から牽き出し、その背に跨る。速度や持久力は飛竜に劣るが、代わりに小回りが利き飛んでいてもさほど目立たずに済むため、情報部では天馬を採用しているのだ。
手綱を握り、腹を軽く蹴って合図を送ると、二頭の天馬は駆け出し、やがて翼を広げて空へと舞い上がった。
――ディルから三十ケイルほど離れたレクレウス領内の森の中。その一画に、やや開けた場所がある。かつて集落があったのだろう、わずかに家の土台などの痕跡が残り、井戸なども辛うじて原形を留めていた。そこをさらに周囲の木々を切り倒して広げ、約一千名ほどの人間を収容できるほどのスペースを確保している。ディルを飛び立った二頭の天馬は、その外れに下り立った。手綱を引き足を踏み入れた集落跡では、レクレウス王国軍の軍服を着用した兵士たちが忙しく歩き回っている。
そこは現在、レクレウス軍の野営地となっていた。
彼らは《擬竜兵》によってレドナが制圧された後、後詰として速やかに街を占拠し、レドナの実効支配を完全なものにするための歩兵部隊及び魔法士隊、総数約一千である。こちらにも開発されたばかりの精霊除けの魔動機器、正式名称《エレメントジャマー》が供与されているため、今のところ女王アレクサンドラの情報網にも引っ掛かっていないはずだ。そうやってファルレアン側の警戒網をすり抜け、機を見計らって一気にレドナを落とす予定だった。
だが《擬竜兵》は当初の予定をぶち壊して余りある勢いで暴走。巻き添えを食わないために、彼らはここで足止めを余儀なくされていた。
「まったく……我が軍の秘密兵器だというから、それ相応の戦果を上げるものと期待しておったが、とんだ期待外れではないか。味方まで巻き込みかねんほどに暴走するなど、危なくて使えたものではないわ」
部隊を指揮する部隊長は、少佐の地位にある男だった。軍人といっても前線に出ることはあまりないのだろうと容易に想像できる、でっぷりとした体格。軍規違反である酒を堂々と持ち込み、天幕の下でしきりに呷っている。だがそれについては、傍に侍る副官たちも相伴に与っているので、彼らも同罪なのだが。部隊に所属する兵士たちも見て見ぬふりで、こっそり持ち場を離れて金や酒、煙草を賭けたカードゲームに興じている者すらいた。もちろん軍規違反だ。
そんな緩みきった空気の中、兵士たちに紛れて目立たぬように、だが慌しく動き回る一団があった。彼らは、ギズレ領から帰還した二人の姿を見ると早速報告を上げてくる。
「――駄目ですね、隊長。現場は完全に向こうの魔法騎士に固められています。残った資料や機材はすべて、ファルレアン側に渡ったと考えた方が良いかと」
「そうか、分かった。――くそ、魔法で封鎖さえされてなきゃ、こっちで回収できたんだがな」
苦りきった顔で吐き捨てたブラッドは、忌々しげにファルレアン方面の空を睨む。彼はそもそも、ギズレ辺境伯の調略を含むファルレアン国内への工作を担当していたのだが、ちょうど国境地帯にいるということで、ここに来て別任務を追加されたのだ。その任務は《擬竜兵》部隊の支援。だが肝心の《擬竜兵》は次々に暴走し、その情報を後方へ持ち帰っている間に指揮所も何者かによって壊滅させられ、さらに運悪くその場に踏み込んで来たファルレアンの魔法騎士によって、現場を魔法で封鎖されてしまった。おかげで資料や機材もほとんど持ち出す暇がなく、封鎖魔法を解除しようにもよほど腕の良い魔法士が掛けたらしく解除不能。情報部としては面目丸潰れだ。暴走の情報を持ち帰る際、それまでに得られたデータや通信記録の類もついでに持ち帰っていたのがせめてもの幸いか。
そして魔法が切れるタイミングを狙って周囲を張り込んでいたものの、魔法が切れる前に騎士団が訪れて正式な現場検証が始まってしまい、結局残った資料を回収する機会は訪れなかった。情報部の戦闘力では、基本的に戦闘力の高いファルレアンの騎士――特に魔法騎士を向こうに回してしまうと荷が勝ち過ぎるのだ。
「暴走以前のデータや通信記録の類は、辛うじて難を逃れたが……」
「それに関しても、あの混乱の中でしたので……漏れがある可能性も」
「ああ。まあ、通信記録の一部程度ならそう支障もないさ。――だが、暴走が始まってからの《擬竜兵》のデータは、まだ現地で集積していた途中で、研究所の方にもバックアップがないそうだ。今後の研究のためにも回収しろと、研究所の方からしきりにせっつかれてる」
「しかし……あれだけ派手に暴走したのに、まだ《擬竜兵計画》を進める気なんですか、研究所は」
「そうなんだろうな。全員が暴走して戦死でもしてれば、まだ諦めも付いたんだろうが……なまじ、一人残ってるからな。それも、一番研究価値がありそうなのが」
隊員の一人が放っていた使い魔からの情報で、《擬竜兵》四人の内三人は戦死が確認されたが、残る一人はファルレアンの魔法騎士に捕縛され、現在レドナ駐屯地内に拘束されている。しかも使い魔の主である隊員の報告によると、その唯一の生き残りは、腕や魔力集積器官の形態に明らかな変化が見られたという。より竜のそれに近い形に“進化”ともいうべき変貌を遂げていたそうだ。
「暴走後の資料をほとんど回収できなかった失点は、その生き残りの奪還で取り返すしかないだろうな。レドナの街中に入り込まにゃならんが……まあ結界陣も外壁もぶち壊れてるから抜け道はいくらでもあるし、中に入っちまえば何とでもなる。とにかくそいつだけでも奪還しなきゃ、こっちの首が危ないからな、物理的に」
上官の言葉に、部下も薄ら寒そうな顔になる。
「……早急に、人員をリストアップします」
「ああ、そうしてくれ」
潜入する人員の選定を部下に任せ、ブラッドは彼自身もわずかな休息を取るため、目立たない木陰を求めて歩き始めた。
しばらく歩くと、兵士たちによる喧騒も遠退き、地面には雑草が生い茂り始める。ここがまだ集落だった頃にも、この辺りはもう外れだったのだろう。そして丈高い雑草たちに埋もれるようにわずかばかり顔を覗かせるのは、まだそこそこ新しい墓標だ。
(何だ、墓場か……辛気臭いところに来ちまった)
まあ、野営地にする以上当然のごとく、この辺りの一通りの調査は済ませてある。ここが廃墟を通り越して更地になっているのは、魔物の襲来が原因だった。疫病などの発生もなく、墓地の死者たちがアンデッド化しないよう魔法による処置もすでに済ませている。ゆえに墓場だからといって恐れる必要はないのだが、こればかりは気分的なものだ。墓場で楽しい気分になれる人間はそうそう存在しない――ましてや、ここが地図から消えた理由を思えば。
彼はかつて集落だった辺りを振り返り、そこで軍規も何もなくだらけきった姿を晒す友軍の姿を、そして自分の任務を思い出して苦く息をつく。
「……恨みなさんなよ。国のためだ」
何に、そして誰に対して恨むなと言ったのか、自分でも分からぬままに――彼はわずかばかりの黙祷を死者たちに捧げ、踵を返して立ち去って行った。
こっちが基本シリアスなので、短めの吹っ切れたバカ話とか書いてみたいです。
でもそんな時間があったらこっちのストック増やすべきだよね、という結論に達して以下エンドレス。