第63話 暗転
セリオが王城全体に結界を張るという大仕事に急遽参加し、一時的にジェラルドのもとを離れていたその頃。そのジェラルドは、セリオが結界チームに“出向”する前に纏めた報告書に目を通していた。ルシエルに接触してきた、例の正体不明の男に首尾よく使い魔の《スニーク》を張り付け、首謀者を探っていたセリオは、使い魔からの情報により、とある貴族を割り出すことに成功したのだ。
「――なるほど、ギルモーア公爵か。なかなか、大物が引っ掛かったじゃないか」
セリオが出掛けに提出して行った報告書を指で弾き、ジェラルドはニヤリと笑う。
「ギルモーア公爵といえば、《保守派》の重鎮ですね」
「ああ、それにギルモーア公爵家には、先々代の国王陛下の妹君が降嫁してる。その孫はかつての王位継承候補者……と。まあ、戦時中の舵取りに恐れをなして、継承権を放り出した御仁だがな」
「ですが、公爵ご自身はまだ、《保守派》では強い発言力を持つと聞いています」
さすがにジェラルドの副官役だけはあり、パトリシアはこうした政治の世界の情報にも敏い。
「ですので、わざわざ無理をして《擬竜騎士》を引き込まなければならないほど、権勢が衰えているとは思えませんが……」
「そりゃ、人間ってのは強欲なもんだからだろ。特に、一旦権力ってもんを知っちまった人間はな。自分の手にある分だけじゃ満足できずに、際限なく欲しがる……もっとも、引き際を間違えりゃ破滅目掛けて一直線だがな」
ジェラルドは報告書を机に置いて軽く叩く。
「……ともあれ、手掛かりはできた。後はここから地道に手繰る。まずはギルモーア公爵邸の使用人の情報が欲しいな。似顔絵も含めてだ」
「クリストウェル氏の証言によれば、セルジウィック侯爵邸のメイドに接触していたのは男だそうですので、まずは男性の使用人から洗った方が良いですね。――ですが、まともに調査を入れるのは難しいかと」
「だろうな。何せ公爵閣下だ。それに、よしんば使用人の誰かが引っ掛かったところで、そいつに全部被せて切られるのが落ちだろうさ」
肩を竦め、ジェラルドは視線を鋭くする。
「だが、多少なりとも牽制はできる。クローネルの方も感触は悪くないらしいし、もし例の魔剣騒ぎで顔が割れた男がギルモーア公爵邸の使用人なら、いくら急いで首を切ろうとそいつが“公爵邸の使用人だった”事実は消せん。まともな頭がありゃ、過剰な干渉は自重するだろうよ。――というよりも、自重して貰わなきゃ困るんだが。さすがに、《擬竜騎士》を《保守派》にはやれんしな」
一つ息をついて、彼は椅子に背を預けた。急に体重が掛かり、椅子が小さく軋む。
「……場合によっては、適当なところで相手方に“気付かせる”必要があるがな。下手につつき過ぎて《保守派》に一気に弱体化されても、それはそれで困る」
「《女王派》の結束のために、多少なりとも“敵”が必要になる……ということですか。――お茶が入りました、どうぞ」
「ああ、貰おうか。――まあ、その通りだ。レクレウスっていうでかい敵が消えたからな。ここで《保守派》にまで弱体化されたら、今度は《女王派》内部で主導権争いが起こりかねん。人間が二人以上いる限り真の統一はない、ってのは良く言ったもんだ」
複数の人間が一つの目標に向かって結束するのに効果的なのは、外部に敵、あるいは競争相手が存在するという状況だ。その存在に刺激を受け、相手に対して勝利したいという欲求から、結束が強まるというのは珍しくない。反面それは、その“敵”がいなくなれば、結束も弱まるという危険がある。そしてその場合、今度は自陣営の中で“敵”を作り出し、結果、組織が割れるという事態にも繋がることが珍しくない。
「温い対応にはなるが、さすがに国の中枢が割れるなんて洒落にならん事態は勘弁願いたいからな。“仮想敵”ってのも必要だ」
パトリシアの淹れてくれた紅茶で喉を潤すと、ジェラルドは立ち上がった。
「――さて、と。その辺りは親父殿始め派閥の世話人にでも任せるとして、騎士団はまず証拠固めだ。例の魔剣の窃盗事件を追わせてる隊がいくつかあるから、その一部を回せば良いだろう。パトリシア、後でリストをくれ」
「了解しました。すぐに動けそうな隊も調べておきます」
「ああ、頼む」
下調べをパトリシアに丸投げし、ジェラルドも根回しに動くべく、執務室を後にした。
◇◇◇◇◇
王都ソーマ上空。翼を持つ大蛇の背から、ダンテは興味深げに地上を見下ろす。
「ふうん……やっぱり、王城は対策されたか。それにしても、城を丸ごと結界で包むとは、なかなか豪勢だね」
「そんなことよりさあ。どうすんのよ、“それ”」
ダンテの使い魔である《トニトゥルス》に同乗していたメリエは、ぞんざいにもう一人の同乗者を指差した。
それは、マントに包まりぼんやりと座る黒髪の少年。視点が定まっていない虚ろな双眸は、しかし色だけは鮮やかな朱を乗せて、遠く地上を見下ろしている。
ダンテは小さく笑った。
「ずいぶん扱いが違うね。一応、君の大好きな“彼”にそっくりなはずだけど」
「見た目だけね。あたしは中身も好きなの。それが空っぽじゃ、外だけそっくりでも――っていうか、かえって苛つくわよ、その方が」
メリエがそう吐き捨てても、少年の表情は変わらない。彼女は小さく鼻を鳴らした。
「……大体さ、わざわざアルヴィーそっくりな人造人間なんか作って連れて来て、どうすんの? 中身も空っぽじゃ、戦闘にも使えないじゃない」
「いいんだよ。外見さえあればね」
ダンテはそう嘯き、少年の頭に手を置く。
「それに、必要最低限の自己防衛機能は付けていると、我が君は仰った。動作試験も済んでる。その辺の騎士に後れを取ることはないよ」
「そ。――まあ、あたしの足引っ張んなきゃ、それでいいけど」
メリエはそれっきり、アルヴィーそっくりの人造人間には興味を無くしたように、視線を外して王都の街並みを見下ろした。
「……それはそうと、この国の女王って、風の精霊のおかげで色々分かるんでしょ? あたしたちがここにいること、もうばれたんじゃない?」
「そこは心配ないよ。王都に入る辺りで、《エレメントジャマー》を作動させてある。ほら、そこにあるだろ?」
「え?――ああ、あれ? 道理で何か変なもの、括り付けてると思った」
大蛇の首に括り付けられた装置を示され、メリエは納得の色を浮かべる。
「この《エレメントジャマー》の効果範囲は王都ほぼ全域。女王アレクサンドラの耳目は、これで封じたも同然だ。――じゃあ《トニトゥルス》、この辺りでおとなしく待っててくれよ」
王都を見下ろして目を細め、ダンテは踵で軽く《トニトゥルス》の鱗を叩いた。心得たように、大蛇は高度を保ったまま緩やかな円を描いて飛び始める。
ダンテは転移魔法を封じた水晶を取り出すと、人造人間の少年の腕を掴んだ。
「悪いけど、僕はこっちで手一杯だから、自分の面倒は自分で見てくれ」
「言われるまでもないわよ」
メリエも転移用アイテムを取り出し、作動させた。《トニトゥルス》の背からためらいもなく飛び下り――その姿が掻き消える。
そして一瞬の後、その姿は遠く地上にあった。
「――ふーん、やっぱこういう裏路地は、どこの国もそう大差ないんだ」
道というより建物の隙間といった方が正しい、狭い裏路地。かつん、とブーツの踵で地面を打ち、メリエは周囲を見回す。この辺りは歓楽街にでも近いのか、今はしんと静かで人気もあまりない。
「どの国にも影の部分はあるってことさ。――じゃあ、僕はアルヴィー・ロイの確保に向かう。確保したら連絡を入れるから、彼を連れて適当に派手に暴れてくれたら良いよ」
同じく上空から転移、人造人間の少年をメリエに引き渡し、ダンテは近くの建物の気配を窺う。人の気配なしと見て取ると、やおら愛剣《シルフォニア》を抜き放ち、入口の戸を目掛けて一閃。戸板は真っ二つになって吹っ飛び、彼は悠々と中に足を踏み入れた。
「それが気に入らないんだけど。アルヴィーの方にはあたしが行きたかったのに」
「君の攻撃は派手過ぎる。彼の確保が人目に付いたら、今回の作戦は全部無意味になるよ」
「……分かってるってば!」
苛立ちつつも、メリエは何とかそれを抑えた。
「分かってればいい。――僕が先行するから、君たちは僕からの連絡があるまで、ここにでも隠れててくれ。人はいないから」
やがて再び日の光の下に出て来たダンテは、ファルレアンの魔法騎士団の制服に身を包んでいた。違和感もなく、まず一目見ただけでは怪しまれもしないだろう。
「で、連絡があったら適当に《竜の咆哮》であちこち吹っ飛ばせばいいのよね?」
「そういうこと。じゃ、彼のこと頼んだよ」
ダンテはそう言い置いて、足早に歩いて行った。
「……つまんないの。――ほら、さっさと中入るわよ。もう、反応くらいしなさいよね」
それを見送ったメリエは、人造人間の少年の腕を掴むと、その反応の薄さにまたしても苛立ちながら、一時身を隠すために建物の中に入って行った。
(さて、と……じゃあまずは、城内に入るのに、適当な人間を見繕うか)
一方、街中に入り込んだダンテは、巡回に歩いているように見せかけながら周囲を見やる。と、横合いから声をかけられた。
「――おい、おまえ。見ない顔だな……どこの隊だ?」
振り返ると、同じく魔法騎士団の制服を着た騎士が、訝しげな顔で立っていた。ダンテはその騎士の背格好をざっと目測し、問題なさそうだと見て取ると会釈する。
「すみません、実は隊から逸れてしまいまして……入隊して日も浅いもので」
「何だ、なりたてか。その年格好だと騎士学校出じゃないな。特別教育組か。ま、そういうのは大体他国の出だし、仕方がないか」
「はは、お恥ずかしい……」
「何なら《伝令》で小隊と連絡を取れよ。――っと、俺もそろそろ合流場所に戻らんとな」
「そうですね。僕も……」
名前や隊などの具体的な名称を出さないように気を付けながら、騎士を上手く誤魔化すと、ダンテは路地の方を示した。
「――今、向こうから何か、悲鳴みたいな声が聞こえませんでしたか?」
「何? そんなものは聞こえなかったが……」
「いえ、でも今、確かに……」
ダンテは路地に向かって駆け出す。騎士の方も「おい!」と声を投げながら、反射的にダンテの後を追った。騎士になりたて――だと思っている――ダンテを一人で行動させるわけにはいかないと考えたのだろう。ダンテとしては計算通りに動いてくれて有難い。
路地に飛び込み、適当に入り組んだ道を駆ける。追って来る騎士をうっかり撒かないように気を付けながら、人の気配のない辺りまで引き込んで、ダンテは足を止めた。
「……誰もいませんね」
「だから言ったろう、通りに戻るぞ」
「ええ……そうですね」
「まったく、こんな奥にまで入り込んで。ええと、通りは確か……」
ぶつくさ言いながら、騎士は先に立って歩き出す。その後ろで、ダンテは静かに《シルフォニア》を抜いた。
◇◇◇◇◇
その日アルヴィーは、久しぶりに剣術指南役の三級魔法騎士、パドマ・ラーシュと時間の都合が合ったため、稽古を付けて貰っていた。
「――ふむ、きちんと鍛錬を積んでいるようだな。前より動きが良くなった」
「やった!」
剣を習い始めてからというもの、アルヴィーは真面目に基本の足運びや型などの鍛錬を重ねていたが、それは軽く剣を合わせた程度でも分かるものらしい。パドマが満足げにそう評したので、アルヴィーの顔も輝く。
二人は現在、騎士団本部に程近い講義棟内の練武場にいた。アルヴィーは知らなかったのだが、ここで行われる特別教育のコースによっては、剣などの基礎訓練も必要となってくるため、こうした施設が講義棟内に設けられているのだという。といっても特別教育の受講生しか使えないというわけではなく(受講生優先なのは確かだが)、特別教育の講義がない時間帯は騎士たちにも開放されているので、鍛錬の穴場として利用する者はそこそこいるとのことだった。
もっとも、今は大抵の騎士たちが巡回などの任務で出払っている時間帯でもあり、また屋外の演習場などに比べると圧倒的に狭いことも手伝って、二人以外の利用者の姿は見えない。
「……しかし、大変だったな。まさか騎士団本部内で襲撃されるとは」
「今は王城全体に結界張ったって話だし、大丈夫だと思う、んですけど」
結界を張って以降も、念のためできる限り外に出るなというお達しが出ているので、アルヴィーとしてもこうして組手混じりの鍛錬ができるのは有難い。
「しかし、王城全体に結界を張るとは、何とも豪気な話だな」
「ほんとだよ。王城って、ちょっとした町くらいの広さあるって聞いたけど、それ丸々結界で囲むとか」
「いやいや、確かに大掛かりではあるが、無駄ともいえまい。おそらく上層部は、王族や高位貴族の暗殺の危険を視野に入れているのだろうからな。王城にはこの国を動かしている人材が勢揃いしているんだぞ? それを害したい人間が好き勝手に王城内に転移できるようでは、危なくてしょうがない」
「あ……そっか、そういうこともあるのか」
なまじアルヴィーは相手をある程度知っているだけに、彼らがファルレアン上層部を害そうとしているという考えになかなか結び付かないのだが、考えてみれば確かに真っ先に危険視して然るべき可能性である。
(……シアたちのとりあえずの目的は俺みたいだけど、気が変わるってこともあるしな。――そもそもシアって、何考えてんのか、研究所にいた時もよく分かんなかったし)
過ぎ去った日々のことを取り留めもなく思い返す。アルヴィーが覚えている彼女は、それこそ母親ほどの年代の女性の姿だった。今の二十歳そこそこに見える姿とは上手く繋がらないが、それでも不思議と同一人物であると納得できるものがあったのだ。
「――さて、今日はこの辺りで切り上げておくか?」
パドマにそう尋ねられ、アルヴィーはふと意識を引き戻した。
「あ、はい。――そうだ、これ、世話になってる人に渡してるんですけど」
ごそごそと魔法式収納庫を探り取り出したのは、稀少素材のはずなのに現在は魔法式収納庫の肥やしとなりかけている、《下位竜》素材だ。
「ほう、これは?」
「俺がイムルーダ山で倒した《下位竜》の素材、です」
「…………!!」
はい、と気軽に渡された後に吐かれたその台詞に、パドマがぎょっとしてそれを取り落としそうになったのも、まあ無理からぬことではあった。
「……すまん、もう一度言ってくれ。何の素材だって?」
「だから、俺がこないだイムルーダ山で倒した《下位竜》の、」
「ああうん、すまん分かった、聞き間違いじゃなかったんだな。――いやしかし、《下位竜》の素材なんてものを、まさか本当に拝めるとは思わなかったな……」
しげしげとそれを見つめるパドマの目は、心なしか常になく輝いているようだった。《下位竜》とはいえ竜素材など、よほどの幸運がないと手になど入らない。目を輝かせてしまうのも当然ではあった。
「しかし、本当にいいのか、こんなとんでもないものを」
「もちろん。っていうか、まだ魔法式収納庫の中にそこそこ量が余って――」
そこまで言いかけて、アルヴィーはふと出入口の方を振り返った。彼の、人間を超えたレベルで鋭い聴覚が、足音らしきものを捉えたのだ。パドマが訝しげな顔をしたと同時に、出入口の戸が外から開けられた。
「――失礼します! 《擬竜騎士》はこちらに?」
「ああ、いるがどうかしたのか?」
顔を出したのは、本部で雑務を担当している下働きの一人らしい少年だ。彼はおずおずと練武場内に足を踏み入れると、
「その……すぐに《擬竜騎士》を呼ぶようにと、魔法騎士様から指示が……」
「魔法騎士? ルシィかな」
「す、すみません、名前は存じ上げなくて……」
「ふうん……」
首を傾げたが、まあ無理もあるまいとも思える。何しろ、王都や周辺領の守備を主任務とする中央魔法騎士大隊だけでも、千人単位の人数を誇るのだ。正直アルヴィー自身、ルシエル率いる第一二一魔法騎士小隊や、付き合いのある騎士たち以外の騎士の顔など、とてもではないが覚えていない。
とはいえ、呼ばれているというのにすっぽかすわけにもいかないので、アルヴィーは頷いた。
「分かった。――じゃ、俺はこれで。えっと、ご指導有難うございました」
ぺこり、と一礼して、アルヴィーは少年を促し練武場を後にする。それゆえ、後に残されたパドマがどこか腑に落ちない表情で、自分を見送っていることには気付かなかった。
「――へ? ここ?」
少年の案内で辿り着いたのは、講義棟からさらに城壁に近く、人気もない王城の外縁だ。さすがにこんなところに呼び出されるのはおかしいと、アルヴィーは少年に尋ねた。
「……なあ、本当にここなのか?」
すると。
「間違いないよ。ご苦労様」
声と共にその場に現れた姿に、アルヴィーは目を瞬かせる。
「……誰?」
見覚えのない顔だ。魔法騎士団の制服を着ているからには、騎士団員ではあるのだろうが。
アルヴィーの反応に、騎士は気付いたように、
「ああ、これじゃ分からないか」
騎士はそう言い、やおら頬に手を掛けると、そのまま一気に顔を引き剥がした!
「えっ!?」
ぎょっとして目を見張ったアルヴィーだったが、すぐにその目を鋭くすがめる。
「……あんたは」
「やあ、久しぶり……ってほどでもないか」
ひらりと呑気に手など振って挨拶してきたのは、現在王城が結界など張って最大限に警戒している、その原因となったところのダンテ・ケイヒルだ。騎士団の制服などどこから手に入れたのか知らないが、見た目はすっかりファルレアンの騎士となっている。
「何の用だよ、そんな格好までして」
「もちろん、君を連れ帰るためさ」
ダンテはすらりと腰の剣を抜いた。アルヴィーも右腕を戦闘形態に移行させる。右肩に魔力集積器官の翼が広がり、《竜爪》の深紅の刃が陽光を跳ね返した。
ダンテは視線を上げ、何かを透かし見るように目を細める。
「大した規模の結界だけど……出入りのチェックはまだまだ甘いね。見た目を真似ただけで通れたよ?」
「何だよ、さっきのは」
「あれ、さっきのもレクレウスの魔導研究所が開発したマジックアイテムだよ。――まあ、君たちは知らないのか。便利なんだけどね、少し血を付けるだけで相手に化けられるあのマスク」
「!――血、って……」
息を呑んだアルヴィーを安心させるように、ダンテは微笑する。
「心配しなくても、気絶させて路地裏に転がして来ただけだよ。まあ、掠り傷程度の傷は残るけど、それくらい数日で治るだろう? 僕も、好き好んでこの剣を血で汚したいわけじゃない」
アルヴィーは嘘を見極めるように、ダンテの笑みを睨む。だが、元々人の言葉の裏を読むなど不得手なアルヴィーだ。その言葉の真偽は分かりかねた。
「……まあとりあえず、あんたを追い返しゃいいって話だよな!」
不得手な分野には早々に見切りを付けて、アルヴィーは手っ取り早く終わらせるべく地を蹴る。ここで腹の探り合いをするよりも、実力行使でダンテを追い返し、他の騎士に連絡して確認に走って貰えば済むことなのだ。
ひゅ、と鋭く細い息を吐き、《竜爪》を振り抜く。ダンテは軽いバックステップだけで躱した。眼前を掠めるも、空を切った手応えしかないことに、アルヴィーは舌打ちする。
(くそ、完全に見切られてる……!)
しかし、次の瞬間視界を掠めた銀の光に、とっさに《竜爪》を翳した。ほぼ同時に響く、鋭利に澄んだ音。一瞬だけ噛み合った刃はすぐに離れ、ダンテは褒めるように呟いた。
「うん、いい反応だ。やっぱり反射速度も速いのかな、《擬竜兵》は」
「知るかよっ……!」
唸るように返しながら、《竜爪》に意識の一部を割く。そこに生まれた熱を確かめ、ダンテの剣を弾いた。そして刃を翻し、殴り掛かる勢いで《竜爪》を突き込む。
しゃん、と斬り合いには不似合いな美しい音を立て、《シルフォニア》の銀の刃が《竜爪》を受け流す。だが熾火の輝きを宿した深紅の刃がダンテの髪を掠め、チリ、とかすかな音と焦げ臭さを残した。
「なるほど……さすが火竜ってことか。正面からかち合うと厄介だ――ね!」
ダンテが《シルフォニア》を鋭く振り抜く。不可視の刃が奔り、アルヴィーの周囲の空間も地面もお構いなしに斬り裂いていった。アルヴィー自身はとっさに張った《竜の障壁》のおかげで、何とか無傷で済んだが。
「――うわあっ!?」
その時背後から聞こえた声に、アルヴィーははっと振り返った。
「何やってんだ、早く逃げろ!」
「あ、あ……」
少し離れたところで、アルヴィーをここまで案内して来た下働きの少年が、腰を抜かしてへたり込んでいる。その周囲にはダンテの攻撃の爪痕と思しき、地面を斬り裂いたいくつもの傷が走っていた。
少年は間近で繰り広げられた戦いと、いきなり自分の方に降りかかってきた攻撃の余波のせいだろう、思うように動けず、へたり込んだまま立つことすらままならないようだ。もたもたと手足を動かすも、それはただわずかに後ずさる程度にしか報われていない。
「……そういえば、その子は口を封じた方が良いのかな」
そこへダンテがそう言って、再び《シルフォニア》を振り翳した。
「ちっ――!」
アルヴィーは飛び退り、少年の前に立ちはだかると《竜の障壁》でダンテの攻撃を受け止める。
(くっそ、こんなとこじゃ《竜の咆哮》も使えねえし!)
威力の大き過ぎる《竜の咆哮》は、城壁に近過ぎるこの場所では封じるしかない。残る手段は剣か他の魔法――と考えたところで、アルヴィーの脳裏を掠めたものがあった。
(――そうだ、あの魔法だったら!)
しかしそれには、ダンテにできるだけ接近する必要がある。アルヴィーは再び《竜爪》を赤熱させ、駆け出した。
「っ、らぁあっっ!」
斜め下から斬り上げる。刃を合わせることすらなく、ダンテは軽くその一撃を躱し――アルヴィーはさらに一歩踏み込む。
振り下ろされる銀の刃を見据えながら、叫んだ。
「――圧し潰せ、《重力陣》!!」
一瞬の後。アルヴィーとダンテを中心に、半径数メイルほどの範囲で重力が倍加する。
「っ、重力魔法か……!」
急激に増した重力に、斬撃のリズムが狂う。ダンテの意思によらず重力に引かれた刃は、アルヴィーの鼻先を掠めて地面を抉った。
剣の腕ではダンテに遥かに劣ると自覚しているが、身体強度はアルヴィーの方が段違いに上だ。高重力をものともせず、アルヴィーは《竜爪》を振り抜く。
必中を期した一撃は、しかし紙一重の差で躱された。そればかりか、ダンテは数倍の重さになっているはずの《シルフォニア》を振るい、正確にアルヴィーの首を狙ってくる。
「――くそ!」
躱しはしたが躱しきれず、鋭い痛みが首筋に走った。もっとも、数秒も経たずに傷は塞がり、痛みも消えたが。
攻防の間に魔法の効果が切れ、二人は高重力の呪縛から解放される。
「ふう……なるほど、身体強度は確かに、君の方が数段上だからね。いい経験になったよ」
身体の感覚を確かめるように腕を振りながら、ダンテはさして堪えた風でもなくそう言った。そして、すっと目を細める。
「やっぱり、仕込みはしておくものだ」
ぱちん、と。
ダンテが左手を上げ、指を鳴らす。
次の瞬間――アルヴィーの背後から腕が回され、その首と左腕に絡み付いた。
「うわ!?」
予想もしない方向からの干渉に、アルヴィーは完全に虚を突かれた。
何とか首を巡らせて背後を振り返れば、アルヴィーに組み付いているのは、動けずにへたり込んでいたはずの、下働きの少年だった。その目はどこか虚ろで、表情が丸ごと抜け落ちたような顔をしている。
アルヴィーよりも年下の少年に組み付かれたところで大した拘束にはならないが、下手に暴れれば少年の身に危害を加えることになりかねない――そんな考えがよぎり、一瞬の隙が生まれる。そしてダンテには、その一瞬だけで充分だったのだ。
しゃらん、とかすかな音を立て、アルヴィーの首に細い鎖が絡む。訝しく思う間もなく、ダンテが“その言葉”を紡いだ。
「《ウルニアスの鎖よ、戒めろ》」
ひゅっ、と喉が鳴る。
キーワードによってその機能を発揮した、かつてアルヴィーも知らず身に着けさせられていた鎖――《擬竜兵》制圧用として用いられていたマジックアイテムが、アルヴィーの喉をきつく絞めつけた。
「っ……く、ぁ……!」
視界が急激に狭まり、ちかちかと明滅する。膝が崩れ、アルヴィーはその場に倒れ込んだ。
(く、そ……! また、おんなじ手に……!)
戦闘形態だった右腕が、その形を保てずに元に戻っていく。鎖を引き千切ろうとした右手にも力が入らず、やがてぱたりと落ちた。
ぱきり、と。
アルヴィーの意識が沈む寸前、そんな音を聞いた気がした。
「――ふうん……これはアルヴィー・ロイの自己防衛本能かな、それとも」
意識を失ったアルヴィーを、ダンテは興味深げに覗き込む。鎖に締め上げられたその首は、深紅の鱗に覆われていた。服の襟元を寛げてみると、鱗は右肩から広がって首を守るように出現している。
そして――その瞼がかすかに震え、その下から金色の瞳が覗いた。勢い良く燃え盛る炎のように、強い光を宿したその金の瞳を、ダンテは臆することなく見返した。
「初めまして、火竜アルマヴルカン。――アルヴィー・ロイを守りたいのは分かるけど、あまり彼を“侵食”するのはお勧めしないよ。君が宿るのは右腕だろう? それ以外の部位に影響を及ぼすのは、彼に負担を掛ける」
誰のせいだ、とでも言いたげに、金の眼光が強さを増す。ダンテは肩を竦めた。
「国を襲った火竜がこんなに過保護だとは思わなかった。――ああ、でも、君が引っ込むなら鎖は解くよ。彼が死んじゃ、元も子もないからね」
金の瞳が一瞬、ぎらりとダンテを睨んだが、その瞼が再び下ろされる。
「《ウルニアスの鎖よ、安息を与えよ》」
ダンテが機能解除のキーワードを呟くと、鎖はしゃらりと音を立てて緩んだ。首を守っていた鱗も次第に消え、元の肌色を取り戻す。
剣を鞘に納めてアルヴィーを担ぎ上げかけ、ダンテはふと視線を流した。
「……さて、あっちはどうするかな」
彼が視線をやった先、少年が倒れている。アルヴィーを呼んで来るよう言い含めた際に、アイテムを使って暗示を掛けておいたのだ。その処遇をどうしたものかと少し考えたが、ふと思い付いて魔法式収納庫の中をまさぐる。
「……ああ、あった、確かこれだ」
程なく見つけた一本の瓶の蓋を開け、彼は少年の首を抱えて口を開けさせると、瓶の中身を口に流し込んだ。
ダンテの記憶が確かなら、それは主たるレティーシャが昔、戯れに作った薬だった。確か、記憶を飛ばすとか混濁させるとかいった効能があったはずだ。新しい薬のレシピを試したいといって彼女が作り、満足して廃棄しようとしたものを貰い受けたそれ。適量など忘れたので、全部流し込んでしまったが、まあほぼ関わることのない他人がどうなろうと、ダンテにはどうでも良かった。この少年に自分の記憶が残らなければ、それで良いのだ。
瓶を仕舞い、後始末も終えたダンテは、小さな水晶柱を取り出す。中に魔法陣が封じ込まれたそれに魔力を流し、ダンテは告げた。
「アルヴィー・ロイを確保した。暴れて良いよ、メリエ」
数瞬の後――遠い爆音が彼の耳にも届いた。
(始まったか。人目がメリエたちに向いてる間に、城外に出ないと)
ダンテは魔法式収納庫からマントを引っ張り出して、アルヴィーの身体を包むと担ぎ上げた。深紅の差し色の制服はただ一人、アルヴィーだけが纏うものだ。万が一にも見咎められるわけにはいかない。
前もって目星を付けておいた、普段使われていない小さな通用門へと向かって、彼は足早に歩き出した。
◇◇◇◇◇
『――アルヴィー・ロイを確保した。暴れて良いよ、メリエ』
待ちに待ったダンテからの連絡に、メリエは瞳を爛々と輝かせた。
「ったく、待ちくたびれたじゃない!」
浮き立つ気分のままに外に出ると、左腕を戦闘形態に変える。そして彼女は、左腕を振り抜いた。
次の瞬間――ひしめき合うように建っていた建物が、次々と爆炎に呑まれて吹き飛んだ。
「あはははっ! なぁんだ、結構脆いんだ」
哄笑し、メリエはなおも《竜の咆哮》を乱射、建物を手当たり次第に吹き飛ばす。巻き起こった悲鳴や怒号はすぐに、苦しげな呻き声とか細い泣き声に取って代わった。
「さて、と。どれくらい壊せば良いのかな」
炎と粉塵が混じり合う中、メリエは楽しげにそう言って長い髪を払う。瓦礫が散らばった足元を気にしていると、複数の足音が近付いてくるのを、彼女の聴力は捉えた。
やがて姿を現した騎士の一団――彼らに向かって、メリエはためらうことなく《竜の咆哮》を撃ち放った。
「ぎゃあああっ」
「あ、熱い、助け――」
悲鳴をあげられるのならばまだ良い方で、直撃を受けた騎士たちはその暇すらなく、一瞬でその身を燃やし尽くされた。
「くそっ、化物め!――応援を呼べ、急げ!」
「銃士と魔法銃士を集めろ!」
比較的軽傷で生き残った騎士たちが、怒声のような指示を飛ばし合う。
(えーと、そこそこ人を集めなきゃいけないんだっけ。面倒だなぁ)
うるさいのでさっさと吹っ飛ばしたいところだったが、事前にダンテから言い含められていた作戦内容には従わなければならない。メリエはとりあえず、まだ騎士たちが展開していない一角を、《竜の咆哮》で無造作に薙ぎ払った。新たな悲鳴が湧き起こり、騎士たちが気色ばむ。
「き、貴様――!」
「うっるさいなあ。いいからさっさと頭数集めなさいよ。たったこれっぽっちじゃ、吹っ飛ばし甲斐ないからさぁ!」
騎士たちの怒りを鼻で笑い飛ばし、メリエは左腕を掲げる。その意味するところは、《擬竜騎士》を擁するファルレアンの騎士たちには明らかだった。引きつったような悲鳴が漏れる。
その時だった。
「――斬り裂け、《風刃》!!」
詠唱の声と共に、左肩に感じる鋭い痛みと熱。メリエは短い悲鳴をあげ、左肩を押さえた。
「……何よ!?」
「今だ、掛かるぞ!」
『戒めろ、《地鋭縛針》!』
凛とした声で号令が掛かったかと思うと、二つの声で詠唱が合わさった。メリエの足下が弾け、地面が鋭く硬い針と化して彼女を襲う。
「痛っ……! もう、うっざい!!」
すぐに塞がってしまう掠り傷だが、いくつかが腕や足を掠めた。激昂したメリエがそれを薙ぎ払う――その隙に、前衛の騎士たちが距離を詰めている。
「こん――のぉっ!!」
「ユナ、援護だ!」
「了解」
メリエが左腕を振り翳したところへ、魔法小銃から放たれた雷撃魔法が炸裂する。軽い痺れに、動きが一瞬遅れたところへ、騎士たちの連携攻撃が襲い掛かった。
「――はぁぁぁっ!」
まずは小柄な少女騎士のバルディッシュ。足を刈るように振り抜かれた大振りの一撃を跳び上がって躱したところに、瓦礫を足場に同じく跳んだ騎士の大剣と大槍が牙を剥く。メリエがバルディッシュを避けることは織り込み済みで、空中で逃げ場がなくなったところへ、二段構えで攻撃されればさすがに躱しきれず、左肩と右脇腹に一撃ずつ喰らってしまった。
「……っ、ふざけんなぁっ!!」
痛みに生理的な涙を滲ませながらも、メリエは咆哮した。傷はすぐに塞がる。だが彼女の矜持に付いた傷は消え難い。この痛みを与えた相手を消し飛ばさない限りは。
「――《竜の咆哮》っ!!」
「阻め、《三重障壁》! 跳んでください!」
頭に血が上ったメリエは、自分に一撃を入れた騎士たちを吹き飛ばすべく、詠唱と共に左腕で虚空を薙いだ。だがそれに先んじるように構築された魔法障壁を足場に、騎士たちは後方に飛び退る。放たれた光芒は魔法障壁だけを跡形もなく消し飛ばした。
「――よし、アルが来るまで何とか、ここを抑えるぞ」
駆け付けた早々に一戦交え、ルシエルは落ち着いた口調で指示を出す。カイルがぼやいた。
「うへえ……それまでこの辺一帯、無事で済むかねえ」
「最悪、この辺りが瓦礫の山になっても、彼女をここから出すわけにはいきません」
シャーロットがいっそ冷徹にそう締め括り、バルディッシュを構えた。
「それよりも、隊長。お気付きですか」
「ああ。――レドナで見た、彼女だ」
ルシエルはわずかに顔を歪める。彼らはかつてレドナで、街を蹂躙した彼女の姿を目の当たりにしていた。そして、その最期も。
「確かに、アンデッドにしては活きが良いですよね」
「とりあえず、彼女の素性は後回しだ。――仕掛けるぞ!」
ルシエルは身体強化魔法を最大限に使い、地を蹴ってメリエに肉薄した。愛剣《イグネイア》を振り抜けば、メリエは余裕の表情で左手を盾に受ける。だが、その顔がこわばった。
「その剣……!」
「ああ。――アルの《竜爪》だ!」
ピキン、とかすかな音。魔剣としての機能も加わった《竜爪》であった刃と《擬竜兵》の鱗、勝ったのは前者だ。左腕の鱗にわずかながらも罅が入ったのを、メリエは愕然と見つめた。
「――――!」
反射的に飛び退る。《竜爪》で斬られれば、超人的な回復力も役に立たない。
と、その時。
わずかに形を保っていた建物から、人影がふらりとさまよい出て来る。
誰かが息を呑んだ。
「――《擬竜騎士》……!!」
黒髪に朱金の瞳、深紅の差し色が入った騎士団の制服。
その場に現れた少年は、まさしくファルレアンが擁する《擬竜騎士》、アルヴィー・ロイそのものだった。
(ちょっと予定が狂ったけど……こうなったら押し通すしかないか!)
勝手に出て来た“彼”に内心舌打ちしつつも、メリエはそう決める。
「そうだよ! アルヴィーはこれから、あたしたちの仲間になるんだから!」
ファルレアンの騎士たちにアルヴィーそっくりの人造人間の少年を見せ付け、彼が裏切ったと思い込ませる――それが、今回の作戦だった。
その効果は出ているようで、騎士たちは明らかに動揺している。
「ば、馬鹿な……なぜ《擬竜騎士》があそこに!」
「まさか……今度はあちらに寝返ったというのか!?」
ざわつく騎士たちの中、ルシエルは鋭い眼差しで、“アルヴィー”を見据える。
「おい……あれ、どう思うよ?」
第一二一魔法騎士小隊も、アルヴィーそのものの姿には驚きを隠しきれず、カイルが思わずそう漏らすほどだった。だが、シャーロットはかぶりを振る。
「……いえ。わたしにはあれがアルヴィーさんだとは思えません」
身体強化魔法で強化された視覚で捉えた彼、その朱金の瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えた。まるで空っぽだ。
「そもそも、一度死んで遺体まで崩れた“彼女”が、生き生きしてそこにいるんですよ?――だとしたら、“見た目そっくりな別人を生み出す”技術があったとしても、わたしは驚きません」
「ああ……なるほど」
他の隊員たちも納得した。彼らもまた、アルヴィーという存在を知っている。彼が、こんな一方的で理不尽な破壊と蹂躙を、ただぼんやりと眺めているような人間でないことくらい、とうに分かっていた。
そして誰よりもそれを知るルシエルは、ゆっくりと口を開く。
「アル。――昔、村にいた頃よく遊んだ、大きな木を覚えてる? 根元に秘密の場所を作って、二人だけで遊んでた」
ややあって、こくりと少年が頷く――次の瞬間、ルシエルは《イグネイア》を振るっていた。
「斬り裂け、《風刃》」
見えざる刃は空を裂き、少年の左足を深く切り裂く。彼がほとんど表情も変えないまま、崩れるように膝を突くのと対照的に、メリエは唖然とした顔でルシエルを見た。
「な、何してんの、あんた!?」
「僕はアルとは幼馴染でね。――昔、二人で決めた秘密の場所は、木の根元じゃなくて枝の上だ。アルに化けさせるなら、もう少し下調べしてからにするべきだったな」
彼の眼差しは、今や氷点下だ。久しぶりに“氷の貴公子”という彼の渾名を思い出し、部下たちは何ともいえないような顔を見合わせた。
「……さすが隊長、どこまでも歪みないわ……」
「だがこれで、あれがアルヴィーでないという根拠の一つは示せた」
ディラークの言う通り、騎士たちの間にも安堵めいた空気が広がりつつある。
メリエもそれを感じ、苦々しく表情を歪めた。
(何これ、計算違いもいいとこじゃない! 幼馴染が来るなんて、聞いてないってば!)
アルヴィーの裏切りを演出する作戦は、もはや失敗したと考えるべきだった。だが、ダンテの連絡によれば、アルヴィーの身柄は手に入れている。それで良しとするしかなかった。
作戦が失敗した場合は、“騎士たちに手掛かりを残すことなく、すべて始末して離脱する”――そう事前に言い含められていた。もとよりメリエの役目は、ダンテの王城からの脱出を援護するための陽動でもあるのだから。
メリエは右手で転移用のアイテムを取り出し、そして左手を少年に向けた。ルシエルがはっとする。
「待て……!」
だが次の瞬間、メリエが放った《竜の咆哮》が、少年の身を貫いていた。
「あっ……!」
悲鳴じみた声をあげたのは、シャーロットだ。少年自身は悲鳴もあげず、最後まで表情すら変えることなく、爆炎の中に消えた。
同時にメリエはアイテムを起動させる。その姿が光に包まれて消えるのを、ルシエルは燃えるような眼差しで見つめていた。
「……隊長……」
おずおずと、隊員たちが声をかけてくる。知己と同じ姿をした少年が目の前で焼き尽くされて消えたことは、彼らにとっても衝撃だっただろう。
しかし彼らは、今回の一件に関して、少しでも被害を抑え、そして手掛かりを持ち帰らなければならなかった。
「――総員、消火活動に当たれ! ユフィオは僕と一緒に、さっきの少年の遺体の回収だ!」
「は、はい!」
ルシエルの号令に、部下たちも我に返って動き出す。ルシエルもまた、先ほどの光景を忘れようと努めながら、未だ燃え盛る一角へと足を向けた。
――騎士団本部はおろか、王城内のどこにもアルヴィーの姿が見当たらないと彼が知るのは、もうしばらく後のことだった。




