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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第八章 よみがえる亡国
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第61話 影にて結ぶ

 笛で魔物を操る少年は、クリフと名乗った。

「――じゃあそっちは、名前は言えないけど“ある人”の命令でここのご領主を守りに来た、ってわけ?」

「まあね。どっちかってうと守りに来たっていうか、られる前に殺れっていうか」

 字面が少々物騒な気がしたが、フィランはあえて突っ込まなかった。他人に聞かれていればまずかったかもしれないが、ここは宿の食堂の隅っこで、現在まさに夕飯時。周囲は良い感じに出来上がった酔っ払いしかおらず、他のテーブルの内緒話など耳に入りはしないだろう。

「……で、そんなこと俺に話していいわけ?」

「だってあんたも、ここのご領主様と何か関わりあるんだろ? じゃなきゃあいつらの雇い主なんてどうでもいい話だし」

「…………」

 確かにその通りである。フィランは内心舌打ちしたくなった。

「でさ」

 ずい、とクリフが身を乗り出してくる。

「あんた、僕と組まない?」

「組む?」

「ここのご領主様に何かあったら、そっちも困るんでしょ? だったらさ、こっちと共同戦線張るのもアリなんじゃないか、ってこと」

 その提案に、フィランは探るようにクリフを見やる。

(……どう考えても厄介事の臭いしかしないよなあ……けど、これでさっさとここを離れて、あの姫様に何かあってもそれはそれで後味悪いしな。こいつはそんなに腕っ節強くなさそうだし)

 魔物を操るという特殊技能こそ持ってはいるが、クリフはお世辞にも武芸に長けているとは思えなかった。身ごなしを見ていれば分かるというものだ。おそらく、誰かと組んで援護や撹乱かくらんなどの役割を担うタイプなのだろう。

「……要するに、前衛が欲しいってわけ? そっちは懐に入られたら瞬殺されそうだしな」

「あう」

 そのものズバリと図星を突かれたのだろう、クリフが呻いた。

「だ、だってしょうがないじゃん……近接戦闘得意な奴は別のとこにいるしさ、あいつらも何だかやたら気合入っててさー。正直ちょっと予想外だったんだよね。向こうも結構張り込んで、腕の良いの集めたって感じ。――もー、僕たちが抜けたから、あんまり良いのは残ってないと思ってたんだけど」

 “あんまり良いのが残ってない”の主語が何なのか、フィランは訊かないことにした。どうせ物騒で非合法な単語に決まっている。暗殺者アサシンとかそういう系の。ついでに眼前の少年の素性についても気にしないことにしておく。

「で? どうなのさ」

「……まあ、今んとこ手は空いてるけど」

「よっし、なら決まりってことで」

 してやったりという表情のクリフに、フィランはため息をつく。

(……しょうがないか。ゴタゴタはすっきり片付けてからじゃないと、後味悪いしな)

 それが自分に対しての言い訳であることに、フィランは気付いていなかった。

「けどさ、組むなら組むで、ある程度の情報はこっちに回して貰わなきゃだよな。まさか全然情報回さずに使おうなんて都合の良いことは考えてないだろ?」

 フィランが釘を刺すと、クリフは目を泳がせた。

「あ、あはは。そりゃまあ、そうだよね」

「……まさか俺と組むっての、上司だか雇い主だかにも報告せず独断、ってんじゃないよね?」

「ま、まっさかー」

「そりゃ良かった。後で口封じだとかで襲われても面倒だし。ああ、でも言っとくけど、そっちが魔物呼ぶのに笛吹くより、俺が剣抜いて喉笛掻っ切る方が早いだろうから。変な気は起こさずに仕事しようぜ、お互いに」

「……そうだね……」

 だんだんクリフの顔が逸らされていくが、まあ問題はあるまい。フィランには関係のない話である。

「で、あの暗殺者もどき、結局誰の指図で動いてたわけ? 吐かせたんだろ?」

 早速尋ねてみると、クリフはため息をついた。

「……色々やってみたけど、向こうも用心してるみたいでね。直接の所属先しか喋んなかったよ。まあ、実行部隊に大元の依頼主の情報なんかは普通持たせないから、覚悟はしてたけどね」

「あー、そりゃそうか」

「一応上司には報告するし、向こうで動きがあったら情報くれるとは思うけどねー。僕らはただ、こっちでご領主様守ってればいいよ。てなわけで今日はもうかいさーん」

 解散の号令が出たので、フィランはさっさと引き揚げることにした。日も沈み薄暗い道を、宿に向かって歩き始める。ちなみに領主館の方は、クリフが例の蜂のような魔物を展開しておくそうだ。館に門以外の場所から侵入しようとすると、一斉に襲い掛かるよう仕込んだ生きたトラップだという。恐ろしい。

 街中で治安も良いとはいえ、一応の用心はしながら宿への道を辿る。だからこそ、“それ”に気付けたのかもしれなかった。


『――この者か?』

『これ、この人間だよ』

『ユフィのともだち!』


 いきなり周囲に生まれた気配に、フィランは反射的に跳び退いた。

(何だ!? 今の今まで何も感じなかったぞ!?)

 腰の剣に手を掛け、眼前の空間を凝視するフィラン。すると、地面がいきなり波打ち始めた。ぎょっとするフィランが見つめる中、見る間に土が盛り上がり、数体の小さな人型となっていく。

「……小人?」

 やがて人型は、高さ二十セトメルほどの、精巧に形作られた老人や少女、子供の姿となった。フィランがぽつりと呟くと、土から生まれた小人たちは我先にと喋り出す。

『ねえねえ、ユフィと一緒にいた人間だよね?』

『我が友ユフレイアを守りし者よ』

『嫌な気配が、たくさん集まって来たの』

 足下に群がって口々に好きなことを言い立てる彼らに、フィランは額を押さえる。これは何だろう。

「……あのさ、できれば順序立てて説明してくれると嬉しい……」

『では、僭越せんえつながらこのわしが』

 小人たちを代表するように進み出たのは、一際立派なひげを蓄えた老人だ。だがやはり身長は二十セトメル。とりあえず身長差が凄まじいので、フィランは屈み込む。とっさの動きができなくなるが、小人たちから害意は感じない。

 小人の老人は満足げに頷き、胸を反らした。

『我々は地の妖精族じゃ。我らが友にしていとし子たるユフレイアを守りし人間よ、まずは礼を言おう』

「はあ……どうも」

 サイズは極小だが何だか妙に威厳を感じ、フィランは頭を下げる。老人は機嫌良く髭を撫でた。

『ふむ、謙虚でよろしい。――じゃが、今はなぜユフレイアのもとを離れておる?』

「……あの姫様とは、そういう契約だったんだよ。この国が変わるまでっていう条件で、俺はあの人の護衛をしてた。で、この間その契約が満了してお役御免ってわけ」

『なるほど、契約か。ならば致し方ないか……だが、近頃この地に、ユフレイアに害意を抱く者が多く集まり始めておっての。我が友の守り手よ、この地を離れるのは今しばらく待っては貰えまいか』

 老人の提案に、フィランは目を瞬かせた。

「……まあ、俺も別ルートでこの件に足突っ込んじゃったし、しばらくここにいることになるとは思うけど……てか、俺いつの間にあの姫様の守り手ってことに、」

『おお、そうか!』

 フィランが突っ込むより早く、小人たちは小躍りを始めた。

『良かったね!』

『うむうむ、これで安心じゃ』

「……てかさ、妖精族が付いてるんなら、俺が動くよりよっぽど心強いんじゃないの? わざわざ俺に姿見せて頼まなくてもさ」

 途端に、小人たちはしょぼんと項垂うなだれた。

『……儂らはどうも、戦いは不得手なのじゃ』

『おそらく元凶を断たないことには、同じことがいつまでも続くと思うの』

『鉱脈創ったりするのは楽しいけど、壊したり殺したりするのは嫌なの……』

『あっ、でも、ユフィを守るためならがんばれるよ!――けど、やっぱり自分から戦いに行くのは嫌だな……』

 小人たちが揃いも揃ってしょげる光景に、フィランは何だか哀れになった。昔聞きかじった程度の話だが、彼らのような人外種族は、人間など及びも付かない力を持つ代わり、時代に応じて変化するということが苦手だという。特に精霊や妖精といった存在は生命体というよりも、この世界のあらゆる事象の具現化だ。“そうしたもの”と定義されて生まれてきたがゆえに、人間のようにその場に応じて自分を変えるということができない。


 大地はすべてを生み出し育むもの。

 その具現として生まれた彼らは、ゆえに傷付け、壊し、奪うことを恐れるのだろう。


「そっか。――まあ、人間の不始末は人間で片付けるよ」

 フィランがそう言うと、小人たちは再び踊り始めた。

『良かったね! ユフィを守ってくれるってさ!』

『うむ、喜ばしいことじゃ』

『我々も出来る限り手を貸すゆえな』

 手を取り合って踊りながら、小人たちの小さな身体が次第に溶け合っていく。ぎょっとしている内に、小人たちの代わりに金属の塊がそこに鎮座していた。


『――それは報酬じゃ。好きに使うが良い』


 その声を最後に、妖精族の気配はぱたりと消えた。

「……報酬、って……」

 フィランはそっと、その塊を持ち上げてみる。ずっしりと重く、強靭きょうじんさを感じさせる鋼色。これで剣を鍛えれば、さぞかし良いものになるだろうと思われた。

「……こんなの貰ったら、下りられないよなぁ……はあ」

 もっとも、下りるつもりもないのだが。

 フィランは肩を竦めて、ようやく昇り始めた月の下を、報酬片手に再び宿への帰路を辿り始めた。



 ◇◇◇◇◇



 アルヴィーが宿舎近くで襲撃された事件は、騎士団に多大なる衝撃を与えた。


「まさか、《擬竜騎士ドラグーン》が襲撃されるとは……しかも、また城内で」

「だが、クレメンタイン帝国後継者を名乗った者とは、少なからず因縁があるという話だろう。可能性として考えておくべきだったのでは?」

「何にせよ、一番の問題は城内、しかも騎士団本部の宿舎にまで易々と侵入を許したことではないのか」

「とにかく、この件は他に漏らさぬように……」


 幹部級の騎士たちがそう言い合うのをひとしきり聴き、騎士団長ジャイルズ・ヴァン・ラウデールは、今回の一件を報告してきたジェラルドに目を向けた。

「――それで、《擬竜騎士ドラグーン》の様子は?」

「本人はもうピンピンしていますよ。負傷したといっても、もう掠り傷一つ残っていません。相手の武器が魔剣ではあっても、竜素材でなかったことが幸いしました」

「そうか、それはせめてもの救いだ」

 ジャイルズは頷いた。

「しかしその侵入者は、一体何のために《擬竜騎士ドラグーン》を襲撃などしたのだ? 身柄や命を狙ったにしては、やけにあっさり引き下がったようだが」

 その疑問は、ジェラルドも感じていた。だが、アルヴィー本人に訊いても首を捻る有様なので、その場に居さえしなかったジェラルドが分かるわけもないのだ。

「そこが我々にも分かりかねます。本人にもさしたる心当たりがないようで」

 ジェラルドの返答に、ジャイルズも諦めたようだ。渋い顔で唸る。

「……ともあれ、こう何度も王城内に侵入されるというのは、まずいな。実にまずい」

「相手はおそらく、相当高度な転移の技術を持っています。クレメンタイン帝国の後継というのが事実であれば、それも頷けるところではありますが。帝国の最先端技術をも継承している可能性が高いですのでね」

 ジェラルドはレドナで、その一端を垣間見ている。もちろんそれも、当時余さず報告してあるが。

「しかし帝国の魔法技術は、帝都ともども吹き飛んだと聞いているがな。どこから掘り返して来たのやら」

 ジャイルズがそうぼやいた。百年前でさえ現在のそれより高度であったと判明している魔法技術は、敵に回ればすこぶる厄介だ。探りを入れようにも、元帝都・クレメティーラは今や、強力な魔物が闊歩かっぽする人外魔境のど真ん中にある。おいそれと行けるような場所ではなかった。

「陛下の風精霊も、あの辺りには行きたがらないそうだしな。今までは《虚無領域》などさして我が国に関係してこなかったがゆえ、それでも問題はなかったが……」

「……そういえば、三公国に送り込む人員の方はどうなっていますか」

「現在、隊を編成中だ。レクレウスとの紛争が決着したばかりで、向こうに送り込んでいた人員を呼び戻すのに、少々手間が掛かる」

 返答に、ジェラルドもさもありなんと頷いた。

「なるほど。そういえば、そもそも《擬竜兵ドラグーン》の情報を掴んできたのも、諜報部隊でしたか」

「それなりに深い部分にも潜り込めたようだが、今度はそこから抜け出さねばならんからな。――まあ、その辺りの手管も専門家だ、そう長くは掛からんはずだが」

 何しろ、ついこの間までは敵国だった地に潜入していたのだ。怪しまれずに潜り込むのはもちろん、怪しまれずに脱出するのも重要である。だがレクレウス王国は地方領主の権限が強く、領地の法を領主の一存でどうにでも決められてしまう。そして戦況が悪化するにつれ、王家は領主たちに戦費の提供を求め、領主たちは何とかそれを掻き集めるべく、税を支払う領民の流出を躍起やっきになって食い止めていたのだ。領民に領地から出ることを禁じた領主も少なくないという。その網を掻い潜って戻らなければならないのだから、多少の手間は掛かろうというものである。

 無論、ファルレアン本国に残っていた人員もいるのだが、そちらから人を割いてしまうと、今度は国内の諜報網が危うくなる。要するに、ファルレアンに入り込んだ諜報員に対する防諜がおろそかになるということで、そのバランスが難しい。

「レクレウスの方に、人員を多めに割り振ったからな。諜報部員は一朝一夕で増員できるものでもないし、運用にも気を遣うことよ」

 ジャイルズは肩を竦めた。

 諜報部隊の編成自体はジェラルドの仕事ではないため、彼も特にそれ以上口は挟まないことにする。三公国の内情を探ることも重要ではあるが、正直なところ、それを上回るほど差し迫った問題が他にもあるのだから。

 そしてその解決策を持つ人物は、程なくその場に姿を現した。


「――やあ、久しぶりだね、カルヴァート一級魔法騎士」


 入室して来て真っ先にジェラルドにひらりと手を振ったのは、王立魔法技術研究所所長であるサミュエル・ヴァン・グエンだ。相変わらず、研究者というよりは芸術家のような雰囲気を漂わせ、眼鏡の下で目を細める。

「騎士団長、例の件、何とか目途めどが立ちそうですよ」

「おお、グエン所長。わざわざご足労いただき申し訳ない」

 ジャイルズの応対は丁寧なものだった。彼は壮年と呼ばれる年齢まで騎士団に属していることからも分かる通り、貴族出身ではあっても爵位を持たない。対してサミュエルは領地を持たないとはいえ、れっきとした伯爵に列せられている。ジェラルドもそうだが、たとえ生家の家格が上であっても、爵位を持つサミュエルには相応の敬意を払って然るべきなのだ。

「いやいや、我が国の一大事とあっては、我々魔法技術研究所も協力は惜しみませんよ。――というわけで、王城を防衛するための結界の案を持って来ました。内外からの転移魔法を妨害する術式を仕込んであります」

「結界か……なるほど。しかし王城だけで?」

「王都全体まで範囲を広げるとなると、さすがに厳しくなりますので。ひとまずは最重要拠点である王城を、重点的に防御するのが現実的であろうとの結論に達しました。――その件で、カルヴァート一級魔法騎士の部下を、一人お借りしたい。宮廷魔導師だけでは手が足りないのでね」

「ああ、セリオですか。結構ですよ」

 ジェラルドもすぐに納得が行った。セリオは空間系の魔法に強い。ジャイルズが小さく唸る。

「やむを得ませんな。しかし、王城だけでも結構な規模だ。必要な物資も馬鹿になりますまい」

「その点はご心配には及ばないかと。実は、《擬竜騎士ドラグーン》が国に献上した《下位竜( ドレイク)》素材の一部を使わせていただけるよう、要望書を提出しております。おそらく認められるでしょう」

「おお、それがあったか!」

 ジャイルズが大きく頷いた。

「確かに、《下位竜ドレイク》の素材ならば、秘めたる力も相当なもの。術の媒介としても申し分あるまい」

「何しろ彼は、素材の大部分を惜しげもなく献上してくれましたからね。普通ならこんな贅沢な術はなかなか組めませんよ」

 小さく笑って、サミュエルは持って来た書類の束をどん、と机に置く。その分厚さに、魔法騎士であるジェラルドは口の端を引きつらせた。

「……昨日の今日で組み上げたにしては、ずいぶん分厚いですが」

「術式構成を全部書き起こすと、どうしてもねえ。さすがに既存業務を全部放り出す破目になりましたが、いやあ、我々としても実に組み甲斐のある術式でした!」

 あはははははは。

 底抜けに明るい笑い声に、だがジェラルドはピンと来た。


 あ、研究所の連中寝てねえな。


「現在解析中の、《魔の大森林》から回収された例の術具の構成を一部流用したんですが、いや実に素晴らしい術式に仕上がりました! おかげでついつい、完徹三日目に入ってしまいましたよ! まあ、術式の新たな応用を確立できただけでも、睡眠時間と引き換えた甲斐はあるというものです! おや、そういえば昨日から食事をした記憶もないですな」

「……老婆心ながら、今すぐに食事を摂り、お休みになることをお勧めしますぞ、グエン所長」

 相変わらず文化的生活不適合者まっしぐらなサミュエルに、ジャイルズが何ともいえない表情で忠告した。

「ははは、ご心配には及びません、騎士団長。限界が来れば皆、自分で眠っていますので。わたしと共にこの術式を組んだ者など、実に幸せそうな顔をしていつの間にか床で寝こけていましたよ」


 それは寝ていたんじゃない、力尽きて昏倒こんとうしたんだ。


 そう突っ込みたくても突っ込めず、遠い目になるしかないジェラルドとジャイルズだった。

「……まあ、それはともかく。具体的な話を詰めようではありませんか、グエン所長」

「そうですね、実のところわたしも、ご説明致したくて仕方なく」

「では、部下をお貸しするにあたって命令書を作成しなければならないので、これで失礼致します」

 サミュエルに捕まる前に、ジェラルドは即時撤退した。セリオへの命令書を作らなければならないのは事実だが、実のところ、サミュエルの講釈にうっかり耳を貸してしまった日には、一時間や二時間くらいはあっという間に飛んでしまうのだ。正直、今そんな時間はない。

(向こうの転移を多少なりとも防げるなら、結界の意味はあるだろうが……欲を言えば王都全域をカバーできるくらいは欲しいな、やはり)

 王城に直接転移する手段を潰したとしても、まだ手が回らない王都の中には未だに転移し放題だ。そこから徒歩辺りで王城に入り込まれれば、結界は意味をなさない。水際でのチェックも強化しなければならないだろう。

 騎士団がここまで過敏になるのは、《擬竜騎士アルヴィー》の件もそうだが、城内にいる王族や高位貴族の暗殺を危惧きぐしているからでもあった。従来は、転移魔法は魔法士の中でも特に空間系魔法に長けた実力者だけが使え、距離も長くて数ケイル。そのため、国の方で管理するのも容易だった。だが今度の相手は、転移魔法をアイテムに込めるという手段が使える。万が一そんなアイテムが、この国の上層部に害意を抱く者に渡りでもすれば――騎士団が恐れているのは、そういった事態だ。だからこそ、王立魔法技術研究所が現在手掛けている案件を放り出して突貫で術式を組んだのだし、宮廷魔導師を総動員し《下位竜( ドレイク)》素材を使うという申請にも許可が下りる。

 もはやこれは、国を揺るがす大事件といっても過言ではないのだ。

(……その割に、当の被害者は呑気なもんだがな……)

 いまいち危機感の薄かったアルヴィーの報告を思い出し、ジェラルドはため息をついた。彼はきっと、自分の存在が国を左右する大問題を掘り起こしたことなど、欠片たりとも気付いていないのだろう。もっとも、彼が悪いわけでもないのだが。

 ともかくも、その大問題をどうにかカバーする第一歩として、ジェラルドは自身の執務室へと向かう足を早めるのだった。



 ◇◇◇◇◇



「――アル!!」

 自室のドアを突き破らんばかりの勢いで訪ねて来たルシエルを、アルヴィーはちょっと遠い目をしながら迎えた。

「おう、ルシィ」

「おう、じゃないよ! 襲撃されたってどういうこと!?」

「いやそれがさ、何だか良く分かんねーんだけど」

 彼を中に招じ入れ、アルヴィーは首を傾げる。何しろ冗談抜きに、あのダンテとかいう青年の目的がさっぱり分からないのだ。

「俺の身柄が目的にしてはあっさり退いたし、殺しに来たにしては得物が竜素材じゃなかったし。俺のこと“創った”のはシアなんだから、仲間のあいつが情報持ってないはずないのにさ」

「そんな呑気な……」

 知らせを聞いて血相変えて駆け付けた身としては、肝心のアルヴィーがさほど危機感を感じていなさそうなのが、何とも歯痒はがゆい。

「まあとりあえず、国とか騎士団とかの方で対策打つから、それまでおとなしくしてろって命令だけどさ。正直、あいつら好きにあちこち転移できんのに、部屋に閉じこもるのに意味あんのかって話だよな」

「……それはもっともではあるけど、部屋の中の方がまだ安全ってこともあるだろ。部屋の中で立ち回りは難しい。現に今回も、襲撃されたのは外だし」

「あーまあ、それもそっか?」

 確かに、室内では剣など大して振り回せない。とはいえ、ダンテは相当剣に長けているようだし、気休め程度にしかならない可能性は大きいが。

 アルヴィーは無意識に、首筋に手をやる。あの時確かに斬り裂かれたそこは、すでに傷一つない。

(少なくとも、俺のこと殺す気はなさそうだったな……どっかに連れて行きたいって感じでもなかった。あいつはシアと別の目的で動いてる……って気もしないしな。――にしても、どいつもこいつも俺が簡単には死なないと思って、普通に斬り付けてくるよなあ。こんな身体になってなかったら、何回死んでたか分かんねーぞ)

 ファルレアンへの護送途中で襲撃してきた傭兵然り、今回のダンテ然り。そういえば血を目当てに腕をグッサリいかれたこともあった。

(……血?)

 そこで引っ掛かる。

(そうだ、あいつ、剣で俺の首斬り付けて……そのまま転移した? 剣には俺の血が付いてたはずだ)

 アルヴィーはルシエルに向き直った。

「ルシィ! あいつの目的……俺の血かもしれない」

「血?」

「前にも一回、目当てにされたことがある。何に使うのかは知らねーけど……俺の血を回収するのが目的なら」

「中途半端な襲撃にも説明が付く、か……確かに」

 ルシエルのアイスブルーの瞳が鋭く光った。

「それは、カルヴァート大隊長にも報告しておいた方が良い。――にしても、向こうはそれで何をするつもりなんだろうね」

「さあ……」

 首を捻るアルヴィーに、とにかく身辺に気を付けるよう言い置いて、ルシエルは部屋を後にした。

 それを見送り、ソファにぼすりと座る。

「――きゅ?」

 とてとてと駆け寄り、ソファの上に飛び上がってきたフラムを捕まえて、アルヴィーはその緑色の双眸をじいっと見据えた。フラムがやや居心地悪げに身をよじる。

「……きゅー」

「おまえのことといい、今度のことといい……ったく、シアは何考えてんだろな?」

「きゅっ」

 フラムに訊いたところで分かるはずもない。ぱたぱたと四肢をばたつかせ始めたフラムを解放し、アルヴィーは立ち上がった。

「きゅっ?」

「とりあえず、報告に行かないとな。おまえは留守番」

「きゅ!? きゅーっ、きゅー!!」

 置いて行かれそうな雰囲気を悟ったのか、フラムが大騒ぎを始めるが、さすがに上官の執務室に小動物フラムは連れて行けない。纏わり付くフラムを何とか振り切って、アルヴィーは自室を脱出した。

 宿舎を出て、本部の方へと歩みを進めていると、遥か前方にルシエルの後ろ姿が見えた。そういえば、ルシエルが部屋を後にしてからアルヴィーも外に出るまで、さほどの時間差はない。といっても、常人ではすでに判別などできないような距離だが、アルヴィーの強化済みの視覚ならば充分に認識できた。

「……ん?」

 そしてその視力が見咎めたのは、ルシエルの姿だけではなかった。

(あの鳥……セリオの使い魔(ファミリア)に似てるな)

 ルシエルの頭上を羽ばたく、一羽の鳥。それは、ジェラルドの部下であるセリオが従えている使い魔(ファミリア)に似ていた。もっとも、この距離ではさすがにアルヴィーといえども、その最大の特徴である額の三つ目の眼は見えない。だが、ただの鳥にしてはまるでルシエルを見張ってでもいるように、付かず離れずで常にその頭上を羽ばたいていた。

(……ま、いっか。執務室行った時に訊けばいいや)

 セリオが使い魔(ファミリア)をルシエルに付けたとすれば、それはジェラルドの指示だろう。どの道今から報告に行くのだから、その時に訊いてみれば良いことだ。

 アルヴィーはルシエルの後ろ姿を遠くに見送り、自分も目的地に向かうべく身をひるがえしした。



 ◇◇◇◇◇



 その男が声をかけてきたのは、ルシエルが自宅のある住宅街に足を踏み入れて、しばらくした頃だった。

「――お久しぶりでございます、ルシエル様」

「ずいぶんと、声をかけてくるのが遅かったじゃないか」

 ルシエルが低くそう答えると、いつの間にか影のようにその斜め後ろに陣取っていた男は、小さく頭を下げた。

「それは申し訳ございません。何分、こちらとしても準備がございまして」

「それで? こうして僕に声をかけてきたということは、その“準備”とやらが整ったと解釈して良いのか?」

おっしゃる通りでございます。――本日は是非、ルシエル様をお招き致したく、こうして参上しました次第で」

「……いいだろう」

 ルシエルの返答に、男は薄く笑みを浮かべた。

「有難く存じます。――それではこちらへ」

 男に案内されるまま、ルシエルは自宅への帰路を逸れ、普段は使わない道へと足を進める。と、足元に落ちる小さな影に、彼は日射しを遮るふりをしながらちらりと頭上を見上げた。一羽の鳥が自分を追っていることを確認し、前方へと向き直る。

(よし、使い魔(ファミリア)はちゃんと付いてるな)

 おそらく、今から連れて行かれる場所は、男が本来仕える家とはまったく無関係の場所だろう。だが、セリオがルシエルに付けた《スニーク》はすでに男を認識した。ルシエルが離脱しようとも、案内役の男をきっちりと追ってくれるはずである。

「……さ、こちらの馬車にどうぞ」

 さほど歩くこともなく、道端に停められていた一台の馬車の前で、男はルシエルを促す。紋章も何もない地味な馬車で、窓も外側から布で塞がれていた。さすがに客車キャビンには、小さなランプが灯されていたが。

 ルシエルが乗り込むと、ややあって馬車は動き出す。道順を推測されるのを防ぐためか、やたらと何度も角を曲がり、馬車は小さく揺れながら進んだ。どの道来たこともないような区画だ。道順を覚えるのは早々に諦め、ルシエルは馬車の中でこれからの段取りを考える。

(向こうもまさか、僕のことを無条件で迎え入れるほど馬鹿じゃないはずだ。探りは入れてくるだろうな……ある程度は、家や国の体制に不満を持っているふりをしないと)

 そんなことを考えていると、馬車の速度が落ち始める。目的地が近いのだろう。

 その推測は当たり、馬車は程なく停まった。

「――到着致しました。どうぞ、外へ」

 薄暗い客車キャビンはどことなく圧迫感があったので、言われるまでもなくそそくさと降りる。馬車は一軒の屋敷の門前に横付けにされていた。門から窺える屋敷は、広さから見て下級貴族の館であろうと、ルシエルは見当を付ける。ルシエルの自宅であるクローネル伯爵邸と比べても、明らかに規模が小さかった。

「こちらでございます」

 もっとも、こちらは正門ではなく、使用人たちが使うのであろう裏門だと思われた。下級貴族の屋敷にしても、門構えがあまりにも貧相だからだ。日当たりもこちら側はさほど良くない。

「裏門からとは……ずいぶん見縊みくびられたものだな」

「申し訳ございません。――実はここは、最後の持ち主であった子爵家が手放してからは、長らく空き家となっておりまして。そのため、あまり表沙汰にできないような“会合”などには、よく利用しております」

「なるほど……空き家なら足も付かないし、万が一捨てることになっても惜しくはないな」

「仰る通りでございます」

「だが、これだけの家が遊んでいるというのも、勿体無い話ではあると思うが」

「まあ何せ、下級貴族の方々がこの王都に別邸を持ち続けるのは、なかなか難しゅうございますからな」

 さもありなん、とルシエルも思う。貴族とはいえ、子爵家以下の下級貴族は、民衆が思うほど経済的に豊かでもないという家が多い。というのも、貴族の収入はほぼ、領地の広さで決まるのだ。領地が広ければ、そこにはより多くの町や村、そして農地、森、鉱山などが含まれ、そこからの産物や税がすなわち領主たる貴族の収入となる。だが、このファルレアン王国においては、高位の貴族と下級貴族とでは、領地の広さが格段に違うのだ。当然、そこから得られる収入も違ってくる。

 もっとも、功績を称えられて爵位をたまわる栄誉爵と呼ばれる貴族や、いわゆる文官貴族と呼ばれる代々王城に出仕する高級文官たちは、その例には当てはまらない存在だった。彼らは領地を持たず、前者は領地を持つ貴族同様に貴族街に館を賜り、後者は一般市街に接するような区画に申し訳程度の屋敷を持つ。

 そしてこの王都で貴族が本邸や別邸を持つには、その館が建つ土地の使用料を王家に納めなければならない。使用料は区画や広さによって天地ほどの差があるが、下級貴族にとってはその最低限の使用料すら負担となり、せっかく王都に別邸を持っても手放す破目になる家が少なくないのだ。それは領地を持たない文官貴族も例外ではない。ただし栄誉爵に関しては、その使用料が大幅に減免される上、毎年貴族年金が支給されるため、よほどの散財をしなければ館も維持できる。

 ともあれこの屋敷も、そうした理由で持ち主が手放した屋敷であるようだった。よく見れば庭も手入れがされなくなって久しいのだろう、雑草がはびこり放題になっている。それでも建物に放棄されたような気配を感じられないのは、この男が言うように時折“会合”とやらに使われているからだろう。皮肉なものではあるが。

 男が裏門を開け、ルシエルを招じ入れた。こちらも元は使用人用であっただろう通用口から、建物の中へ。人目に付かないという点からも、確かにそれが理に適っている。

 廊下を歩き、ルシエルが案内されたのは、大きな円卓のある部屋だった。壁にはいくつもの絵が飾られ、窓はない。だが天井には小さいながらもシャンデリアが輝き、部屋の中を見て取るには充分な明かりを提供している。

「どうぞ、こちらへ」

 引かれた椅子に座ると、男は一旦退室した。入れ替わるように、別の使用人が飲み物を持って来る。何と、昼日中だというのにグラス入りのワインだ。ルシエルは手を付けないことにした。薬の一つも盛られている可能性がないとは言えないし、そもそも騎士として真昼間から飲酒など言語道断である。

 しばらくそこで待っていると、再び扉が開いた。


「――ようこそ、ルシエル・ヴァン・クローネル殿」


 入室して来た人物は、マントを羽織りフードを目深に被るという、いかにも怪しげな出で立ちをしていた。さすがに、最初から素顔を堂々と晒すほど間抜けではないらしい。その人物は先ほどの案内人の男や従者を引き連れ、ルシエルの対面の席に着席した。その後ろに従者たちが控える。

「招待に応じてくれて嬉しい限りだ。――先日の一件は聞き及んでいる。セルジウィック候やクローネル伯も、さぞかし駆け回ったことであろうな」

「……僕としては、少々納得が行かない決着となりましたが」

「さもあろう」

 ローブの人物は得たりとばかりに頷く。

「聞くところによると、貴殿の異母兄は領地で蟄居ちっきょとのこと。だが、あれだけのことを仕出かした息子を、クローネル伯は事実上領内にかくまったようなものだ。貴殿としては不満もあろう。やはり伯も、本妻の息子は可愛いとみえるか」

(……あの父上がそんな甘い人間なものか……)

 ルシエルは内心げんなりしながら、ローブの人物の話を忘れない程度に聞き流す。父ジュリアスがディオニスたちを領内に引き取ったのは、セルジウィック侯爵家への配慮以外の何物でもないのだ。愛情ではなく打算である。

 そもそも、ルシエルにとっては伯爵家に引き取られる以前の生活がそこそこ壮絶だったので、本妻や異母兄に嫌われる程度のことは微風よりも些細なことでしかない。自分を庇った親友アルヴィーが大怪我をして寝込んだ時の方が、よほど辛かった。なので、父や本妻、異母兄たちへの怒りをあおるようなことをつらつらと喋られても、世間一般ではそんなものか、と思うくらいである。

 だが、ルシエルが言葉少なに返すのを、向こうは効果ありと見て取ったらしい。いきどおりで口数が少なくなったと思ったのか、フードの陰から唯一見える口元が、にやりと笑みを形作った。

「……どうやら貴殿とは、次からは良い話ができそうだ。期待している」

 それで、この奇妙な会合は、どうやら終わりのようだった。ローブの人物は立ち上がり、部屋を出て行く。従者たちも、一人を除いて退室した。残ったのは、ルシエルをここまで案内して来た、あの男だ。

「――我が主は、ルシエル様が我らの同志に相応しいとご判断なさったようですな。喜ばしいことです」

「それは光栄だ」

「では、元の場所までお送り致しましょう」

 促され、ルシエルも席を立った。屋敷を後にし、待っていた馬車に乗り込む。来る時に使ったものと同じ馬車のようだ。

 ルシエルが乗り込むと、馬車は動き出した。往路と同じくしばし道をさまよい、馬車はルシエルを乗せたあの道端に戻る。どうやら御者は相当この辺りを知っているらしいと、どうでも良さそうなことを考えるルシエル。

 馬車を降りると、ルシエルは男に尋ねた。

「……次の予定はあるのか?」

「必要がございましたら、またお迎えに上がります。それでは」

 男は客車キャビンの後部に掴まるようにして乗り、御者に声をかける。馬車は動き出し、すぐに角を曲がって見えなくなった。

 ルシエルは空を見上げる。《スニーク》が馬車を追って飛び去ったのを確かめると、大きく息をついた。

(……何とか上手く潜り込めそうだ。家に戻ったら、報告書を書かないと)

 先ほどの会合の内容を思い返しながら、ルシエルは周囲の目を念入りに確認すると、魔法式収納庫ストレージから紙と筆記用具を取り出して、忘れない内に必要な情報を書き留め始めるのだった。


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